- 1二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:25:51
- 2二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:40:17
十月。
文化祭を翌日に控えた校舎は非日常の熱気に包まれていた。
廊下にはベニヤ板や段ボールが積み上がり遠くの音楽室からは吹奏楽部の不揃いなファンファーレが聞こえてくる。
俺たち3年生にとっては高校生活最後の祭りだ。
だが、受験生という立場上クラスの出し物への参加は最低限でいいと言われている。
……というのは建前で、実際は「思い出作り」に燃えるクラスメイトたちのテンションについていけず俺は居場所を失っていた。 - 3二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:41:29
逃げ込んだのは特別棟の三階にある空き教室。
ここは備品置き場になっていて普段は誰も寄り付かない俺の隠れ家だ。
パイプ椅子を並べて座り窓の外のグラウンドを眺めながらペットボトルの蓋を開ける。
「……はあ。静かだ」
一口飲んで息をつく。
しかし、その静寂はすぐに破られた。 - 4二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:43:14
教室の扉が勢いよく開く。
「……やっぱり。ここにいた」
入ってきたのは袖をまくったジャージ姿の月村さんだった。
手にはペンキで汚れた軍手を持っている。
頬にも一箇所緑色の塗料がついていた。 - 5二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:44:25
「月村さん? クラスの準備はいいんですか?」
「休憩中。……というか、あんなうるさい空間にずっといられるわけないでしょ。逃げてきた」
月村さんは悪びれもせずに入ってくると当然のように鍵を閉めた。
そして俺の隣のパイプ椅子に腰を下ろす。 - 6二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:45:49
近い。
以前ならひとつ分空けて座っていた距離が今は肩が触れ合うほどのゼロ距離だ。
夏祭りの夜以来、月村さんのパーソナルスペースは壊れたままだ。
俺にとってもそれが心地いいのが困りものなのだが。
「……疲れてますか?」
「当たり前でしょ。みんな要領悪いし、指示は適当だし」
「月村さんが細かすぎるだけじゃないんですか?」
「うるさい。……ちょっと、貸して」 - 7二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:47:25
月村さんは俺の手からペットボトルを奪い取ると躊躇いなく口をつけた。
間接キスだとか、そんなことを気にする段階はとうに過ぎているらしい。
「甘っ。……よくこんなの飲めるね」
「文句言うなら返してください」
「……別にいい。今は糖分が必要なの」 - 8二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:48:40
そう言って月村さんはもう一口飲む。
そして、俺の肩に頭を預けてきた。
ジャージ越しに伝わる体温と重み。
シャンプーの香りに絵の具の匂いが混じっているのが文化祭らしい。
「……ねえ」
「ん?」
「あんた、明日はどうすんの」
「午前中は模擬店の手伝いして、午後は自由行動ですね。まあ、図書室で勉強でもしてるんじゃないですか」
「……ふーん」 - 9二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:49:51
月村さんがつまらなそうに声を漏らす。
俺の肩にグリグリと頭を押し付けながら独り言のように呟いた。
「……午後、空けといて」
「午後ですか?」
「私のクラス、劇やるから。見に来て」
「月村さんも出るんですか?」
「……主役じゃないけど。衣装係とか照明とかやったし、まあ、ちょっとは出るし」 - 10二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:50:56
嘘だ。
月村さんのことだから本当は重要な役を押し付けられたか、あるいは自分から引き受けたに違いない。
彼女は舞台に立つと輝くタイプだ。
誰も放っておかないだろう。
「わかりました。絶対見に行きます」
「絶対だからね。……もし来なかったら、一生口きいてあげない」
「それは困りますね」 - 11二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:52:08
俺が笑うと月村さんも小さく笑った気配がした。
窓の外では日が沈みかけている。
オレンジ色の夕陽が散らかった教室をノスタルジックに染め上げていた。
ふと月村さんが顔を上げる。
至近距離で目が合う。
頬についた緑色のペンキを俺は無意識に親指で拭っていた。 - 12二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:55:10
「……あっ」
「汚れてますよ」
「……ありがと」
月村さんは視線を逸らさない。
あの夏祭りの夜と同じ瞳だ。
ただあの時のような切迫した空気はない。
もっと穏やかで、確信めいた熱がそこにあった。 - 13二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:56:34
「ねえ」
「どうしましたか?」
「……文化祭が終わったら、もうすぐ冬だね」
「そうですね。本格的に受験シーズンです」
「……そしたら、あんたはいなくなるの?」
「いなくなりはしません。春まではここで過ごします」
「春になったら、いなくなるんでしょ」 - 14二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:58:29
月村さんの声が少し震えた。
俺のジャージの裾を汚れた軍手でぎゅっと握りしめる。
「……サボろうよ」
「え?」
「明日も、明後日も。……あんたが卒業するまで、ずっとこのまま、ここでサボってたい」 - 15二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 06:59:48
それは月村さんなりの精一杯のわがままであり、告白に近い懇願だった。
俺は優しくその手の上に自分の手を重ねる。
「……そうですね。俺も、ずっとそうしていたい」
叶わないとわかっている願いに同意する。
それが今の俺にできる精一杯の誠実さだった。
月村さんは満足したのか、それとも諦めたのか、再び俺の肩に頭を乗せた。 - 16二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:02:12
「……あと30分」
「はい」
「あと30分したら、戻るから。……それまで、起こさないで」
月村さんは瞳を閉じる。
規則正しい寝息が聞こえてくるまでそう時間はかからなかった。
遠くで聞こえる吹奏楽部の練習音がどこか別世界の出来事のように感じる。 - 17二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:03:17
この「サボり」の時間が終われば俺たちはまた「先輩と後輩」に戻ってそれぞれの役割を果たさなければならない。
けれどこの30分間だけは世界には俺たち2人しかいない。
俺は月村さんの肩を抱き寄せて傾きかけた夕陽が完全に沈むのをじっと見守っていた。 - 18二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:15:22
文化祭当日の話いきます。
体育館はサウナのような熱気に包まれていた。
暗転した場内。
ステージを照らすスポットライトの光だけが埃の舞う空間を鋭く切り裂いている。
俺はパイプ椅子の硬い座面に座りながら息を呑んで舞台を見つめていた。
劇の内容はありふれた悲恋ものだ。
けれどヒロイン役を演じる月村さんが登場した瞬間、空気の色が変わった。 - 19二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:19:26
衣装係の手作りだという純白のドレス。
普段は下ろしている髪をハーフアップにし、舞台用のメイクを施されたその横顔は俺が知っている「近所の幼馴染」とはまるで別人だった。
そして、クライマックス。
月村さんが歌い出す。 - 20二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:20:34
――圧倒的だった。
カラオケボックスという密室で聴いた時も凄かったが、この広い体育館でマイクを通して響く歌声は暴力的なまでの美しさを持っていた。
切なく、力強く、どこまでも伸びていくソプラノ。
ざわついていた観客席が水を打ったように静まり返る。
誰もが息をするのも忘れ、その小さな身体から放たれる引力に吸い寄せられていた。 - 21二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:23:06
……すごいな。
俺はただ呆然としていた。
誇らしい気持ちと同時に胸の奥がチクリと痛む。
舞台の上の月村さんはあまりにも遠かった。
スポットライトを浴びて輝く彼女はもう俺だけの「手のかかる妹分」ではない。
いつか月村さんはこうして俺の手の届かない場所へ羽ばたいていってしまうのではないか。
そんな予感が拍手喝采の中で俺の胸を締め付けた。 - 22二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:24:19
終演後。
俺は人混みを避けて体育館の裏手にある非常階段の下へ向かった。
月村さんから「終わったらそこに来て」というメッセージが来ていたからだ。 - 23二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:26:01
秋の風が火照った頬に心地いい。
壁に寄りかかって待っていると重い鉄扉が開いてドレス姿のままの月村さんが現れた。
肩で息をしている。
額には汗が滲み、メイクも少し崩れているが今の月村さんはどんな女優よりも輝いて見えた。
「……来てくれたんだ」
「来いって言ったのはそっちじゃないですか」 - 24二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:28:38
月村さんは階段の一段目に腰を下ろした。
ドレスの裾がふわりと広がる。
「……どうだった?」
「最高でした。正直、見直しました」
「……ふん。当たり前でしょ。誰が練習に付き合ってあげたと思ってるの」 - 25二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:29:48
強気な口調はいつもの月村さんだ。
けれどその表情はどこか柔らかくて、興奮の余韻に浸っているように見える。
「周りも大絶賛でしたよ。『あの子誰だ』って騒ぎが起きてました」
「興味ないよ、そんなの」
月村さんはつまらなそうに鼻を鳴らすとじっと俺の目を見つめた。 - 26二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:31:09
「あんたは? ……あんたにはちゃんと、届いた?」
「……俺に?」
「私が歌ってる時、ずっとあんたのこと見てたの。……気付かなかった?」
心臓が跳ねた。
あの強い照明の中で客席など暗くて見えないはずだ。
それなのに月村さんは俺を見ていたと言う。
何百人という観客の中で、たったひとりに向けて歌っていたと。 - 27二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:32:31
「……気付きませんでした。その……眩しくて」
「鈍感。バカ」
月村さんは悪態をつきながらも嬉しそうに口元を緩めた。
そして、ふらりと立ち上がると階段を降りて俺の目の前に立った。
舞台の上のような距離感はない。
手を伸ばせば触れられる、いつもの距離。 - 28二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:33:58
「ねえ。私、頑張ったでしょ」
「はい、何度も言いますが、凄かったです」
「……褒めて」
甘えるような声。
舞台の興奮が月村さんを大胆にさせているのか、それとも昨日の「サボり」の共有が月村さんを変えたのか。
俺は迷わず手を伸ばして月村さんの頭を撫でた。
月村さんは目を細めると子猫のように俺の手のひらに頭を押し付けてくる。 - 29二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:36:10
「よく頑張りましたね」
「……ん」
しばらくそうしていると月村さんが呟いた。
「……私、決めた」
「何をですか?」
「進路。……やっぱり、歌、やりたいかも」 - 30二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:38:09
俺の手が止まる。
月村さんが顔を上げて真剣な眼差しで俺を見た。
「あんたが東京に行くなら、私も行く。……東京で、もっと歌える場所を探す」
「月村さん……」
「だから、置いていかないでよ。……絶対に、追いつくから」 - 31二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:39:27
それはただの幼馴染としての言葉ではなく、同じ未来を歩もうとする決意表明だった。
舞台の上で輝いていた月村さんが今は俺だけを見上げて、必死に食らいつこうとしている。
愛おしいと思った。
この不器用で、一途で、誰よりも輝く少女を俺は誰にも渡したくないとはっきりと自覚した。 - 32二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:40:37
「……待ってますよ」
「うん。……約束」
月村さんは小指を差し出す。
俺たちは夕暮れの非常階段の下で子どもじみた指切りをした。
遠くから後夜祭の音楽が聞こえてくる。
祭りはもうすぐ終わるけれど、俺たちの物語はここからまた新しく始まるのだ。 - 33二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:41:59
月村さんはふわりと笑った。
その笑顔は舞台の上のどんな演技よりも俺の心を鷲掴みにした。 - 34二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 07:44:06
次からは冬っぽい話かけたらなーって思ってます。
- 35二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 13:58:57
再開します。
十一月の終わり。
木枯らしが吹き始め街路樹の銀杏が歩道を黄色く埋め尽くす季節。
俺の部屋には以前とは違う種類の静けさが漂っていた。
ガムテープを裂く乾いた音が部屋に響く。 - 36二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:00:16
「……何してんの」
部屋に入ってきた月村さんが入り口で立ち尽くしていた。
手にはコンビニの袋。
いつものように俺の部屋でお菓子を食べようとして来たのだろう。
だがその視線は部屋の隅に積まれた2つの段ボール箱とスカスカになった本棚に釘付けになっていた。 - 37二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:01:33
「片付けです。参考書以外のもう読まない漫画とか雑誌を纏めようかと」
「……早すぎない? まだ11月じゃん。卒業まであと4ヶ月もあるし」
「直前になって慌てるのは嫌なんです。受験が終わったらすぐに引っ越しの準備もしなきゃいけませんし」
俺は何気なく答えて紐で縛った雑誌の束を床に置いた。
月村さんは何も言わずいつもの定位置であるベッドの端に座った。
けれど、袋からお菓子を取り出そうとはしない。 - 38二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:03:12
「……広くなったね」
月村さんが静かに言う。
「本棚、半分くらい空いちゃった」
「こうして見ると、俺の部屋って意外と広かったんだなって思います」
「……嫌な広さ」 - 39二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:05:10
月村さんは膝を抱えて空っぽになった棚のスペースを睨みつけている。
そこには以前、月村さんが気に入って何度も読み返していた漫画が並んでいた。
俺がブックオフに売るために箱詰めしてしまったやつだ。
「あの漫画、売っちゃうの?」
「はい。東京に持っていく荷物は減らしたいので。向こうで電子版を買い直します」
「……ふーん」 - 40二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:06:17
月村さんの視線が床の段ボール箱に移る。
まるで自分の居場所の一部が切り取られて箱に封印されてしまったかのような目つきだ。
「……ねえ」
「なんですか?」
「私のマグカップ」 - 41二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:07:36
月村さんが指差したのは机の上のペン立ての隣。
彼女専用の猫の絵が描かれたマグカップだ。
「あれは、どうするの」
「どうするって……まだ使うんじゃないですか? 月村さんが来る限りは」
「……私が来なくなったら?」
「捨てるか、実家に置いていくか……」 - 42二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:08:56
そこまで言って俺は言葉を飲み込んだ。
月村さんが泣きそうな顔で俺を見ていたからだ。
怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。
ただ、どうしようもない事実を突きつけられて足元が崩れていくような不安な表情。
「……捨てないでよ」
ギリギリ聞こえるレベルの小さな声だった。 - 43二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:10:19
「置いていかないでよ。……連れてってよ、それも」
月村さんはマグカップを手に取ると両手で大事そうに包み込んだ。
「あんたの新しい部屋に、これがないと……私が遊びに行った時、困るでしょ」
「遊びに……来るんですか?」
「当たり前じゃん! 新幹線ですぐだし! ……絶対行く」 - 44二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:12:15
強い口調で言うけれどその声は微かに震えている。
「遊びに行く」という未来の約束を口にすることで今の不安を必死にかき消そうとしているようだ。
俺はガムテープを置いて月村さんの隣に座った。
空っぽになった本棚のせいで声が少し反響する気がする。 - 45二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:13:57
「わかりました。そのマグカップは、俺の手荷物に入れます。一番大事な箱に」
「……絶対だよ。割ったら許さないから」
「はい。緩衝材でぐるぐる巻きにします」
俺が笑うと月村さんはやっと少しだけ表情を緩めた。
だがその手はマグカップを離そうとしない。 - 46二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:15:41
「……あと4ヶ月か」
月村さんが呟く。
窓の外では風が強くなっていた。
冬の足音が、もうすぐそこまで来ている。 - 47二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:18:05
「……寒い」
「暖房付けますか?」
「ううん。……もう少し、くっついてれば平気」
月村さんは俺の肩に頭を預けてきた。
段ボール箱と、空っぽの本棚。
変わりゆく部屋の中で俺たちは変わらない温もりを確かめ合うようにじっとしていた。
この部屋でこうして過ごせる日常が実は砂時計の砂のように残り少ないことを俺たちは痛いほど自覚し始めていた。 - 48二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:57:34
冬と言ったらクリスマスですよね。
十二月二十四日。
世間が浮足立つ聖なる夜、俺は予備校の自習室にいた。
受験直前の追い込み期。
クリスマスなんて楽しんでいる余裕はないし外のイルミネーションも今の俺にはプレッシャーでしかない。 - 49二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 14:58:37
21時。
重い頭を抱えて自習室を出ると空から白いものがチラついていた。
ホワイトクリスマスなんてロマンチックなものじゃない。
ただひたすらに寒い、底冷えのする雪だ。
「……はあ」
白い息を吐き、マフラーを巻き直して駅前の広場に出る。
カップルだらけの雑踏を抜けようとした時ベンチに座る見覚えのある人影を見つけた。 - 50二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:00:05
月村さんだ。
厚手のコートに顔を埋めるようにしてじっとスマホを見つめている。
鼻先も耳も真っ赤だ。
一体どれくらい待っていたのだろうか。
「……月村さん?」
「っ!」
声をかけると月村さんは弾かれたように顔を上げた。
俺の顔を確認すると安堵したような、泣きそうな顔になり、すぐにいつもの不機嫌なマスクを被る。 - 51二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:01:05
「……遅い」
「なんでここにいるんですか? メールでもしてくれれば急いで向かいましたよ」
「邪魔したくなかったの。あんた、勉強中だったんでしょ」
月村さんが立ち上がる。
その足は寒さで少し震えていた。
俺のために連絡を我慢して極寒の中で待っていたのか。
その健気さと不器用さに胸が締め付けられる。 - 52二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:04:31
「なんか食べますか? 温かいものでも」
「……ううん。少し、歩きたい」
*
人気の少ない公園のベンチ。
缶ココアを2つ買って並んで座る。
遠くの街路樹に巻き付けられたイルミネーションが頼りなく明滅していた。 - 53二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:05:58
「……これ」
月村さんがポケットから小さな包みを取り出した。
リボンのついたラッピング袋。
「合格祈願のお守り。……あと、手袋。あんたのボロボロだったから」
「月村さん……。ありがとうございます」
「別に、あんたのためじゃないし。風邪引かれて、私の相手してもらえなくなると困るから」 - 54二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:07:28
いつもの減らず口。
けれど渡された手袋は俺の手にぴったりのサイズだった。
月村さんがどれだけ俺のことを見てくれていたかが痛いほど伝わってくる。
俺も鞄から用意していた箱を取り出す。
「俺からはこれを。……安物ですけど」 - 55二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:08:57
月村さんが開けると中から雪の結晶を模したシルバーのネックレスが出てきた。
「……綺麗」
「つけてあげます」
月村さんが背を向ける。
かじかんだ指で留め具を外して彼女の細い首に回す。
冷たい雪の空気の中で月村さんの首筋だけが熱を持ったように温かかった。 - 56二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:11:06
「……ねえ」
ネックレスをつけ終えた背中が震える声で俺を呼んだ。
「どうしました?」
「……来年のクリスマスは、一緒にいられないんだよね」
「……そうなりますね。俺が東京に行けば、簡単には会えなくなります」
「再来年も、その次も……ずっと、離ればなれなんだよね」 - 57二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:12:41
月村さんがくるりと振り返った。
その瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。
「嫌……」
「月村さん……」
「寂しいよ! わかってるけど、頭ではわかってるけど……! あんたがいなくなるなんて、耐えられない……!」
月村さんが俺のコートの襟を掴みながらすがりつくように叫ぶ。 - 58二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:14:00
「幼馴染のままじゃ、嫌。……ただの『近所の子』のまま、あんたを見送りたくない」
その言葉は俺の理性の最後の砦を粉々に砕いた。
受験が終わるまでは。
卒業するまでは。
そんな線引きをして月村さんの想いから逃げていたのは俺の方だ。
こんなに泣かせて、不安にさせて……幼馴染失格だ。 - 59二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:15:59
「月村さん」
「……なに」
「俺も、貴方のことが好きです。妹としてじゃなく、ひとりの女性として」
月村さんの動きが止まる。
涙に濡れた瞳が大きく見開かれる。 - 60二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:17:14
「……ほんと?」
「はい。これから先、離れることになっても……月村さんの隣は、誰にも譲りたくない」
俺は月村さんの頬に手を添えて涙を親指で拭った。
冷え切った頬。
俺はゆっくりと顔を近付けてその震える唇を塞いだ。 - 61二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:19:08
触れるだけの、冷たくて温かいキス。
ココアの甘い香りと月村さんの涙のしょっぱい味がした。
唇を離すと月村さんは真っ赤な顔でへなへなと俺の胸に崩れ落ちた。
「……遅いよ。バカ」
「すみません」
「責任、取ってよね。……私を置いていくんだから、それまでは私の言うこと、全部聞いて」 - 62二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:20:35
それは春までの期間限定の契約のような、切実な願いだった。
卒業まであと3ヶ月。
俺たちは終わりが決まっているからこそ1秒たりとも無駄にできない恋人同士になった。 - 63二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:23:47
「覚悟しておきます」
俺は月村さんを強く抱きしめる。
雪は強くなり、世界を白く染め上げていく。
この温もりがあればどんな寒さにも耐えられる気がした。
たとえやがて来る春が2人を引き裂くとしても。 - 64二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 15:40:17
続きは明日以降書きます。
気付いたら書きたい話半分以上書き終わってて寂しくなりました - 65二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 17:51:26
無限大の感謝を
本当にありがとう - 66二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 20:17:13
この話大好きです!続きが待ち遠しくてたまりません!!
- 67二次元好きの匿名さん26/01/29(木) 22:57:59
ちょっと早いけど朝までの保守
- 68二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 02:42:47
最高
- 69二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:31:43
これ絶対手毬の母親は2人の関係が進んだことに気づいてるよな...この手毬が嬉しさを隠せるわけないもん
- 70二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:35:08
二人の関係が変わって初めてのイベント。初詣編いきます。
疲れてるので一話だけの更新で許してください。
一月一日。
新しい年が明けた。
受験生の俺にとっては試験日までのカウントダウンが加速する胃の痛い朝だが今日だけは参考書を置いて神社へ向かった。
神社の鳥居の下。
吐く息は白いが不思議と寒さは感じなかった。
やがて人混みの中からひときわ鮮やかな色彩が近づいてくるのが見えた。 - 71二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:37:30
「……お待たせ」
現れた月村さんは目の覚めるような紅色の振袖に身を包んでいた。
髪は丁寧に結い上げられて髪飾りの花が揺れている。
普段の制服姿や夏祭りの浴衣とも違う格式高い美しさ。
俺が呆然と見惚れていると月村さんは不満げに眉を寄せた。 - 72二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:38:41
「なに? さっきからジロジロみて」
「いや……凄すぎて、言葉が出ないと言うか」
「ふん。お母さんが張り切っちゃって、着付けで窒息するかと思った」
憎まれ口を叩きながらも月村さんは俺の反応に満足したのかほんのりと頬を染めた。
そしておもむろに左手を差し出してくる。 - 73二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:40:40
「……ほら」
「……?」
「手。……足袋だし、砂利道で歩きにくいから。エスコートしてよ」
「ああ、すみません」
俺が手を差し出すと月村さんはその指をしっかりと絡めてきた。
以前なら「はぐれるから」とか「仕方なく」と言い訳をしていたはずだ。
けれど今は無言で、当然の権利のように俺の手を握りしめている。
その事実が俺たちは恋人同士になったことを改めて実感させた。 - 74二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:43:54
境内は参拝客でごった返していた。
賽銭箱の前まで辿り着くのに30分。
ようやく順番が回ってきて俺たちは並んで手を合わせた。
二礼、二拍手、一礼。
俺の願いはひとつだ。
志望校への合格。
そして春からの新生活への不安が少しでも和らぐこと。 - 75二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:45:56
横を見ると月村さんはずっと目を閉じていた。
長い。
俺が目を開けて待っていてもまだ祈り続けている。
その表情は真剣そのもので、何か必死に神様に訴えかけているようだった。
しばらくしてようやく月村さんが目を開けた。 - 76二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:47:30
「……長かったですね。何をそんなに頼んでたんですか?」
「教えない。願い事は口に出すと叶わなくなるでしょ」
「案外そういうの気にするタイプなんですね」
「うるさい! だって……あんたのことだし」
月村さんは小さく呟いて俺の手を再び握った。 - 77二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:48:47
「あんたが……無事に、第一志望に受かりますようにって。それだけ」
「月村さん……」
「落ちて浪人されたら、私の気が散るからね。さっさと合格して、安心させてよ」
強がりな言葉。
けれど、俺が合格するということは俺がこの街を出ていくということだ。
月村さんにとって一番辛い未来を彼女は一番に願ってくれたのだ。
その矛盾した優しさが胸に痛い。 - 78二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:50:15
「……ありがとうございます。絶対受かってみせます」
「当たり前でしょ。……あと、もうひとつ願った」
「え? ひとつだけじゃないんですか」
「神様だって、お賽銭奮発したんだから2つくらい聞いてくれるでしょ」
月村さんは少し拗ねたように唇を尖らせて俺の方を見ずに言った。
「……どんなに離れても、あんたの心が離れませんようにって」 - 79二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:51:21
雑踏の音にかき消されそうな小さな声。
けれど握りしめられた手の力強さがその願いの切実さを物語っていた。
「……随分と自信がないんですね」
「うるさい。あんたが東京で浮かれるかもしれないから、釘を刺しておいたの」
「浮かれるなんて……そんな事できませんよ。こんな可愛い彼女がいるんですから」
「っ!?」 - 80二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:55:07
俺がそうと言うと月村さんは顔を赤くして俺の肩を叩いた。
「バ、バカ! 人前で何言ってるの!?」
「本音ですよ」
「……ああもう! 調子狂う……」 - 81二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:56:40
月村さんは袖で顔を隠してしまったが耳まで真っ赤だ。
俺たちは人混みを抜けて甘酒の屋台へ向かう。
温かい湯気が立ち上る紙コップを2人で持ちながら俺は思う。
あと3ヶ月もしないうちに、この手は離れてしまう。
けれど、心までは離れない。
月村さんが願ったように、俺もまた同じ未来を願っていた。 - 82二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:57:50
「……ねぇ。合格発表の日……私も一緒に見るから」
「え、いいんですか? もし落ちてたら……」
「落ちない! 私が願ったんだから、絶対受かるの! ……その瞬間を、一番隣で見たい」
月村さんの瞳には強い光が宿っていた。
俺の背中を押すと同時に自分自身の不安とも戦っている瞳だ。 - 83二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 05:59:48
「わかりました。これで本当に落ちれなくなりましたね」
俺たちは甘酒で乾杯をする。
甘くて熱い液体が喉を通る。
期限付きの恋人たちの、最初で最後の初詣。
その時間はどんな神事よりも厳かで、大切な儀式のようだった。 - 84二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 06:03:22
- 85二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 12:11:16
甘くていい…
- 86二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 14:34:58
保守
甘々キュンキュン最高すぎる
甘ったるいんじゃなくて、甘いのが非常に良い - 87二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 20:22:25
小さい時から知ってるからこその互いの理解力と、恋人としての初めて見るお互いの表情や雰囲気という2つで美味しい関係性最高
早く結婚してくれ - 88二次元好きの匿名さん26/01/30(金) 23:48:16
季節の流れと共に進んでいく関係が素晴らしすぎる
- 89二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:12:49
昼は早起きできませんでした。少しだけ書いていきます。
クリスマス何があったか母親にバレる手毬の話です。
十二月二十四日、午後10時過ぎ。
私は自分の家の玄関のドアをこれ以上ないほど慎重に開けた。 - 90二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:15:18
「……ただいま」
努めて冷静に、普段通りのトーンを意識して声を出す。
……つもりだった。
自分の声が少し上ずっているのが自分でも分かった。
だって仕方ないじゃん。
さっきまで、あいつと……その、き、キスとか……してたんだから。 - 91二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:17:00
唇に触れた指先。
雪の冷たさと、あいつの体温。
思い出すだけでまた顔が熱くなってくる。
私は頬を叩いて気合を入れ直す。 - 92二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:18:20
「あら、おかえり。遅かったわね」
リビングではお母さんがテレビの特番を見ながら編み物をしていた。
まずい。
寝てると思ったのに。 - 93二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:19:42
「……ん。ちょっと、外の空気吸ってただけ」
「ずいぶん長い深呼吸だったわね。寒かったでしょう」
「別に。……これくらい平気」
私は極力お母さんと目を合わせないようにしてキッチンへ向かった。
冷蔵庫を開けて水を飲む。
喉が渇いている。
心臓がうるさい。
早く自室に逃げ込まないとこの高揚感がバレてしまう。 - 94二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:21:03
「手毬」
「……な、なに?!」
背後から声をかけられて私は肩を跳ねさせて振り返った。
お母さんが編み物の手を止めて私をじっと見ている。
その目が、楽しそうに細められた。 - 95二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:22:27
「なんか、良いことあった?」
「はぁ!?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
コップの水が少しこぼれる。 - 96二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:24:15
「な、ななな、何言ってんの! 良いことって何!? 別に普通だし! ただの平日だったし!」
「あらそう? だってあなた……」
お母さんは笑いながら私の首元を指差した。
「そのネックレス。……出かける時はしてなかったわよね?」 - 97二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:26:05
――しまった。
あいつに付けてもらった雪の結晶のネックレス。
嬉しくて、外すのがもったいなくて、マフラーの隙間からチラ見せさせていたのが仇になった。
私は慌てて手でネックレスを隠す。 - 98二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:27:27
「こ、これは……その、自分で買ったの! たまたま駅前で安売りしてて……!」
「へえ、自分で。クリスマスの夜に、わざわざ自分で」
「そ、そうだよ! 悪かったね!」
「ふーん……。センスいいわね。まるで、あなたの好みを昔からよく知ってる人が選んだみたい」
お母さんの言葉に嫌な含みがある。
絶対気付いてる。
相手が誰なのかも、全部お見通しだ。 - 99二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:28:51
「……うるさい! もう寝る!」
私は逃げるようにリビングを出ようとした。
その背中に、お母さんの追撃が飛んでくる。
「顔、真っ赤よ」
「暖房が効きすぎてるだけ!」
「ふふ。……よかったわね、手毬」 - 100二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:30:07
最後の優しい声に私は何も言い返せなくなってしまった。
私は逃げるように階段を駆け上がり自分の部屋に飛び込んでベッドにダイブした。
「……あーもう! 最悪! バレバレじゃん!」
枕に顔を埋めて足をバタバタさせる。
恥ずかしい。
でも、それ以上に……嬉しい。
ネックレスの冷たい感触が胸元にある。
それが「あいつの彼女になった」という証拠みたいで。 - 101二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:31:59
「……ふふ」
枕に顔を押し付けたまま変な声が出た。
鏡を見なくてもわかる。
今の私は、きっと世界一だらしない顔をして笑っている。 - 102二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:33:38
下の階からまだお母さんの笑い声が聞こえる気がした。
明日になったら根掘り葉掘り聞かれるんだろうな。
「あいつと付き合うことになった」なんて報告したらお母さんはなんて言うだろう。
きっと「やっと?」って呆れられるに決まってる。
私はネックレスを指で優しく撫でながらもう一度だけあいつの体温を思い出して目を閉じた。
今日だけはお母さんのからかいも許してあげようと思った。 - 103二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 04:35:36
眠いので寝ます、起きれるか怪しいので保守ついでに感想やリクエストあると嬉しいです
- 104二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 11:52:35
好き過ぎる
いつまでも読んでたい - 105二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 16:02:12
文章が良くて情景が浮かんでくる
- 106二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 17:11:59
2回目のキスはいつもの部屋になるのかな
スキンシップがめちゃくちゃ増えてるとなおベネ - 107二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:36:19
沢山の感想ありがとうございます。再開します。
合格発表…の前にバレンタインの話でもどうぞ。
二月十四日。
世の中は浮かれる恋人たちの祝祭日だが受験生である俺の部屋は殺伐とした空気に包まれていた。
机の上には赤本と参考書の山。
志望校の入試まであと10日。
正直、チョコだの愛だのと言っている余裕は今の俺には1ミリもなかった。 - 108二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:38:05
――そのはずだった。
「……ねえ」
俺の部屋のドアが音もなく開き月村さんが顔を出した。
手には小さな紙袋を持っている。
いつもなら「入るよ」と声をかけてくる月村さんが今日はやけに静かだ。 - 109二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:39:11
「……月村さんすみません。今ちょっと集中してて」
「わかってる。邪魔なんてしないし。……これ、置いてくだけだから」
月村さんは足音を忍ばせて入ってくると机の隅に紙袋を静かに置いた。
そして俺の顔を覗き込むようにして心配そうに眉を下げる。 - 110二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:40:17
「……顔色悪いよ。ちゃんと寝てるの?」
「寝てますよ。……でも、根を詰めすぎてるかもしれませんね」
「バカ。体調崩したら元も子もないでしょ」
月村さんはため息をつくと俺の背後に回った。
そして凝り固まった俺の肩に手を置くとそのまま揉み始めた。
指は細いけれどツボを心得ている。
温かい。
張り詰めていた神経が月村さんの体温で少しずつ解れていくのが分かった。 - 111二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:41:51
「……ありがとございます」
「ふん。これくらい彼女として当然だし。……あと、それ」
月村さんが顎で紙袋を指す。
「糖分補給。……脳みそにはブドウ糖が必要なんでしょ」
「開けていいですか?」
「……今すぐ食べてよ。感想、聞きたいし」 - 112二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:43:40
袋を開けると中にはシンプルな小箱が入っていた。
蓋を開ける。
そこには少し不格好だが一生懸命丸めたようなトリュフチョコが並んでいた。
この大事な時期に、俺のために時間を割いて作ってくれたのか。
「……食べていいですか?」
「だから、そう言ってるでしょ」
「あ……でも、今手が汚れて」 - 113二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:45:18
俺が少し甘えるように言うと月村さんは「はぁ?」と目を丸くした。
「ず、図々しい! 自分で食べなよ!」
「ペン持ちすぎて指が痛いんです。頼むよ、手毬」
「……名前呼びしないで」 - 114二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:47:11
月村さんは真っ赤になって文句を言ったが拒絶はしなかった。
箱から1粒チョコをつまみ上げる。
その指先が、緊張しているのか少し震えていた。
「……ほら、口開けて」
「あー……」 - 115二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:48:13
差し出されたチョコを口に含む。
その瞬間月村さんの指先がほんの一瞬だけ俺の唇に触れた。
月村さんの肩が跳ねる。
口の中に広がるカカオの香り。
少しビターで、でも濃厚な甘さ。
そして何より唇に残った月村さんの指の感触がどんな栄養ドリンクよりも俺の心臓を叩いた。 - 116二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:49:48
「……どう?」
「美味いです。……今まで食べたチョコの中で一番美味いです」
「……お世辞はいらない」
「本当です。隠し味に何か入れたんですか?」
「……ブランデー。リラックス効果があるって聞いたから」
受験生の体調管理まで考えた特製の大人味。
その不器用な優しさが愛おしくて俺はチョコを飲み込むと月村さんの手首を掴んで引き寄せた。 - 117二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:51:19
「っ!? な、なに?!」
「充電させてください」
俺はそのまま月村さんのお腹に顔を埋めるように抱きついた。
甘いチョコの香りと月村さん自身の匂い。
月村さんは一瞬身を硬くしたがやがて諦めたように力を抜いて俺の頭にそっと手を置いてくれた。
頭を撫でるリズムが優しい。 - 118二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:53:18
「……甘えん坊なんだから」
「今だけです。……絶対受かりますから」
「当たり前でしょ。私が作ったチョコ食べたんだから、落ちたら許さない」
月村さんの声が頭上から降ってくる。
その声は強気だけれど俺の髪を撫でる手はどこまでも優しい。 - 119二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:54:41
「……ねえ」
「はい?」
「受かったら……」
月村さんが言い淀む。
「受かったら、一日中デートに付き合ってよね。……どこにも行かせないんだから」
「望むところです」 - 120二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:56:07
俺が顔を上げて笑うと月村さんは茹でダコみたいに真っ赤になって俺の額を指でピンと弾いた。
「い、いいから勉強に戻って! ……じゃあね!」
月村さんは逃げるように部屋を出ていった。
部屋には再び静寂が戻ったがさっきまでの殺伐とした空気は消え失せていた。
唇に残る微かな熱。
それが俺の背中を強烈に押してくれる。 - 121二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 18:58:46
負ける気がしなかった。
春になれば月村さんとの「一日中デート」が待っている。
その約束を果たすためなら残りの10日なんて一瞬だ。
俺はニヤけそうになる口元を引き締めて再びペンを強く握り直した。 - 122二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:05:59
合格発表日の話いきます。
三月の上旬。
運命の朝10時。
俺の部屋の空気は張り詰めた糸のようにピーンと強張っていた。
机の上にはノートパソコン。
画面には大学の合格発表サイトが表示されている。
俺の隣には月村さんが座っていた。
膝の上で拳をきつく握りしめ、まるで自分が受験したかのように青ざめた顔をしている。 - 123二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:08:49
「……ねえ、まだ?」
「後1分です。……落ち着いてください」
「落ち着けるわけないでしょ! 私の……私のお願いがかかってるんだから」
月村さんの声が上ずっている。
初詣で「あんたが合格しますように」と願った月村さんにとって俺の合否は自分の願いが届いたかどうかの審判でもあるのだ。 - 124二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:10:16
時計の針が、10時を指した。
俺は深呼吸をして震える指先を抑え込みながら受験番号とパスワードを入力する。
「……いきますよ」
「まっ、待って!」
月村さんが俺の腕を掴んだ。
ギュッと目を閉じて顔を背ける。 - 125二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:11:58
「……やっぱ怖い。あんたが見て。結果だけ教えて」
「……月村さん、手、離してください。クリックできません」
「……ん」
月村さんが恐る恐る手を離す。
カチッ。
マウスのクリック音が静寂な部屋に銃声のように響いた。
画面が切り替わる。
読み込みのアイコンがくるくると回り――。
パッ、と文字が表示された。 - 126二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:13:13
『合格』
その二文字を見た瞬間俺の脳内が真っ白になった。
全身の力が抜けて椅子に深く沈み込む。
「……やった」
「え?」
「受かってます。月村さん、……合格です」 - 127二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:14:45
俺が呟くと月村さんがおずおずと目を開けた。
画面を凝視する。
そして、その二文字を確認した瞬間。
「――っ!!」
言葉にならない叫びと共に月村さんが俺に飛びついてきた。
「やった! やったぁぁぁっ!!」
「うわっ!?」 - 128二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:16:18
椅子ごと後ろに倒れそうになる勢いだった。
月村さんは俺の首に腕を回して子どものように全身で喜びを爆発させている。
「すごい! すごいじゃん! ほら! 私が言った通りでしょ!?」
「苦しい、苦しいです、月村さん、首締まってます……」
「うるさい! 今だけは我慢してよ!」 - 129二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:17:33
月村さんは泣いていた。
自分のこと以上に喜び、涙を流してくれている。
その温もりが、匂いが、重みが、俺に「合格した」という実感を遅れてもたらしてくれた。
俺も月村さんの背中に腕を回して強く抱きしめ返す。
「……ありがとうございます。月村さんのおかげですね」
「……ぐすっ。当たり前じゃん。私のチョコ食べたんだから……落ちるわけないし」 - 130二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:19:05
しばらくの間俺たちはそうして抱き合って喜びを噛み締めていた。
最高の瞬間だった。
努力が報われた達成感と、恋人と分かち合える幸福感。
けれど。
その熱狂は波が引くように急速に静まっていった。
月村さんの腕の力が、ふっと弱まる。
ゆっくりと体を離して俺の顔を見る。
涙で濡れた瞳が揺れていた。 - 131二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:20:51
「……そっか」
月村さんが画面の『合格』の文字に視線を戻す。
「受かったんだ」
「はい」
「……じゃあ、行っちゃうんだ。東京」 - 132二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:22:03
声のトーンが、ストンと落ちた。
部屋の空気が変わる。
「合格」という事実は「別れ」の確定通知でもあった。
月村さんは無理に笑おうとして頬を引きつらせた。
「……おめでとう。本当に、おめでとう」
祝いの言葉なのにまるでサヨナラを言っているように聞こえた。
その笑顔があまりにも痛々しくて俺は胸が張り裂けそうになる。 - 133二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:23:10
「月村さん」
「……湿っぽい顔しないでよ。めでたい日なんでしょ」
月村さんは袖で乱暴に涙を拭うと立ち上がった。
窓の外を見る。
春の日差しが部屋の中に差し込んでいた。
「いつ……行くの?」
「三月の末です。引っ越し業者の手配もしなきゃいけませんね」
「……そっか。あと、3週間くらいか」 - 134二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:25:35
3週間。
21日間。
それが俺たちがこの街で一緒にいられる残された時間だ。
「……忙しくなるね。準備とか、手続きとか」
「そうですね。でも、約束通り……」
俺は立ち上がり月村さんの肩を掴んでこちらを向かせた。
「1日は絶対に空けておきます。デート行きましょう」
「……うん」 - 135二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:26:54
月村さんは小さく頷いた。
その瞳に再び涙が溜まっていく。
「……行かないで、なんて言わない」
「はい」
「あんたの夢なんだから。……邪魔なんかしない」
「……はい」
「でも……」 - 136二次元好きの匿名さん26/01/31(土) 19:28:22
月村さんが俺の胸に額を押し付けた。
「でも、寂しい……っ!」
堪えきれずに溢れた嗚咽が俺のシャツを濡らす。
俺は何も言えずただ月村さんの頭を撫でることしかできなかった。
残された時間をどう過ごすか。
俺たちは砂時計の最後の砂が落ち切る瞬間まで足掻くように愛し合うしかなかった。