マガジンハウス博に行って思ったこと――雑誌という「人の温度」について
まるでカルチャーのディズニーランド
銀座ソニーパークで開催されている「マガジンハウス博」に行ってきた。
地下2階から屋上までを使った大規模なイベントで、正直テーマパークのようなワクワク感があった。
一言で言えば“カルチャーのディズニーランド”のようなイベント。
雑誌という文化をここまで立体的に再現できるのかと驚いた。
1階では日替わりで人気のスペシャルティコーヒーショップが登場していて、GLITCH COFFEEをはじめ東京のコーヒーカルチャーを形成している名店が出店していて、普段はお店でしか飲めない特別な一杯を、この特別な空間で味わえる。
僕が行った時は神谷町のMAME。以前から気になっていたので、ちょうどいい機会だった。
コーヒーも美味しいし、カップのデザインが素敵すぎる。
次はお店も行ってみたいな。
古本を購入できるコーナーもあり、『POPEYE』や『BRUTUS』、『relax』、『平凡』などのバックナンバーが販売されていた。
雑誌によってはプレミア価格になるが、相応の価値はある。
さらにGoogleのAI「Gemini」とのコラボ企画では、
「もしもしブルータス」という名前の電話ボックス型ブースがあり、AIとの対話で自分の写真を合成できるなど、現代的なテクノロジーとの融合も見られた。
「POPEYE CAR」では会場限定?のグッズが販売されていた。
Oliveのスウェット可愛かったな。
地下1階のフロアはマガジンハウスストア。
猫村さんがいたり、ガチャガチャが引けたり。
地下2階は駅直結で、「マガジンハウス A to Z」と題された歴史展示があり、創刊から現在までの歩みを、AからZまでのキーワードで辿れる構成になっていた。
これがAからZまで見応えあって、長居してしまいました。
写真は「もしマガジンハウスがなかったら…?」というテーマで40人の思いが展示されていた「I(If)」のコーナー
その中には私が敬愛する野村訓市さんや野口強さんなどもいて、テンション上がった。
雑誌の時代を象徴するクリエイターの皆さんの思いに触れることができた気がする。
階段の壁面には、かつて刊行されていた『クロワッサン』や『relax』などの表紙がずらりと貼られていて、まるで昭和から平成、令和へと時間をワープするような感覚だった。
内容がとにかく充実していて、無料でここまでの規模の展示を見せてもらっていいのかと思うほど。
一つひとつのコンテンツが丁寧で、それぞれの時代の「雑誌が担ってきた役割」を体験として感じられる構成になっていた。
そして最後に、有料エリアの3階で開催されていた「村上隆と村上ハウス」へ。
村上隆×マガジンハウスのコラボレーションした世界観が存分に楽しめる空間。
おなじみの花のモチーフ、浮世絵の再解釈など、伝統とポップが交差する村上隆の世界が広がっていた。
雑誌が持っていた「人の温度」
僕の中で「マガジンハウスらしさ」というと、
ファッションや音楽、アート、食などを総合的に編集する感性だと思う。
特定のジャンルに偏るわけじゃなく、
「何かを通して何かを学ぶ」――そういう媒介としてのカルチャーを扱ってきた。
たとえば『POPEYE』も『BRUTUS』も、『relax』も、
読者に対して“説教”ではなく“共感”で文化を伝えていた。
「こうすべき」ではなく「これもいいよね」と提案してくれる、
あの肩の力の抜けたトーン。
それこそが、アルゴリズムには絶対に出せない“人の温度”だと思う。
今のSNSも、アルゴリズムで最適化された「おすすめ」を出してくるけど、どこか冷たい。
合理的ではあるけれど、“人間の常理(じょうり)”とか“情緒”がない。
雑誌の編集者がやっていたことは、単に情報を並べることじゃなくて、人の感情や温度を編集することだった。
それが僕にとっての「マガジンハウスらしさ」だ。
雑誌の未来は“体験型メディア”へ?
展示を見ながら改めて考えたのは、「雑誌というメディアのこれから」だった。
僕自身、比較的にITリテラシーは高いほうだし、
デジタルの世界で生きている人間だからこそ、
紙の雑誌がこのままの形で存続していくのは難しいと感じる。
ただ、それが「終わり」ではない。
おそらく雑誌はこれからコミュニティや体験型のプラットフォームに形を変えて生き残っていくんじゃないかと考えていた。
VHSやカセットテープが再評価されているように、雑誌にも「情報」ではなく「存在そのもの」としての価値がある。
ページをめくる感覚、紙の匂い、インクの色。
それはインターネットには存在しない体験であり、アナログな物質として人を惹きつけ続けるだろう。
ただし、“情報を得るためのメディア”という役割は終わったのかもしれない。
これからの雑誌に必要なのは、情報を「体験」として編集する力だと思う。
例えば、買った人だけがアクセスできるイベントや、コミュニティを伴う新しい雑誌の形。
「読む」ではなく「体験する知の場」へ。
展示を通して、そんな未来の雑誌のあり方が見えた気がした。
自分のルーツを思い出す
展示を見終えて外に出た時、胸の中に残っていたのは満足感と、ちょっとしたノスタルジーだった。
カルチャーの密度が濃すぎて、まるで“お腹いっぱい”になる感覚。
あの空間を歩いている間、何度も「これが無料でいいの?」と思った。
そして同時に、自分のルーツがどこにあったのかも再確認した。
僕は若い頃、ファッションが好きだと思い込んでいたけれど、本当はカルチャーが好きだったんだなって。
裏原のブランド――UNDERCOVER、A BATHING APE、NEIGHBORHOOD、、W)taps、HECTIC etc…
あの時代の服を追いかけていたけど、彼らが作っていたのは“服”ではなく“文化”だった。それに気づいたのはずっと後になってからのこと。
服作りの学校に通ってみても、型紙やパターンの授業には全然ワクワクしなかった。
学校サボってスケートしたり、クラブでイベントのオーガナイズをしたり、フリーペーパーの編集を手伝ってる時間はものすごく楽しかった、そんな学生生活だった。
それはきっと、僕が求めていたのが「服」じゃなくて「文化の現場」だったから。
ふと「もしマガジンハウスで編者者になれていたら、人生どうなっていただろう」なんて思った。
きっと人生はまるで違っていたんだろうな。
そんなIfを想像しながら…Instagramにポストしたり、noteをこうして書いている。
僕のInstagramは小さな個人アカウントだけど、コンセプトが存在している。
Culture Journey――カルチャーの旅。多様なカルチャーを通して、まだ見ぬ誰かのライフスタイルをより豊かにできたらいいなって願いを込めている。
そんな制作や活動のルーツには、きっとマガジンハウスの雑誌から影響を大きく受けているんだろうな。
結局、僕がやりたいことって、廃刊になってしまった「relax」的な世界観を現代に引き継ぐことなのかもしれないって思ったりもした。
“かっこいい”よりも“自由でいい”。
そんな雑誌的な感性を、今の時代にアップデートしていきたい。
この展示は、そうした自分のルーツ、そしてこれからのビジョンを改めて照らし出す出来事でもあった。
これから僕が発信していきたいこと
そして、最後に強く感じたのは「何を発信していきたいか」という問いだった。
今の時代、調べれば何でもわかる。
地図も、在庫も、レビューも、全部が最適化されている。
便利だけど、その分“迷うこと”も“間違うこと”もなくなった。
つまり、ワクワクが減った時代だと思う。
けれど、人は文化なしには生きられない。
文化とは、哲学やアートのように高尚なものじゃなくていい。
日常に寄り添い、生活の中で積み重なっていくもの。
誰かの“これもいいよね”という言葉が連なって生まれるもの。
そうしたものがカルチャーであり、
人が人らしく生きるための基盤だと思う。
だから僕は、情報ではなく、情理を伝えるメディアを作りたい。
アルゴリズムの外側で、人間の温度を感じられる場所。
ただ情報を並べるんじゃなく、人の思考や生活に寄り添い、文化を生かすプラットフォーム。
マガジンハウス博は、そうした“次のメディアのあり方”を考えるきっかけをくれた。
そして、自分の中でぼんやりしていた輪郭が、
少しだけはっきり見えた気がする。
大切なことの多くを、雑誌から学んだ。
時代が変わっても、それはきっと変わらない。


読ませていただきました。「体験型メディア」という考え方、自分も似ている視点を持っていたので共感。面白かったです。また来ます!
読んでもらえて嬉しいです。廃刊になる雑誌が多く寂しさを感じつつ、メディアの新しい形を考えたりしています。 じつはコメントをいただいたのは初めてで、とても励みになりました。ありがとうございます! こちらもフォローさせていただきました!