なぜ、その人は止まらないのか


世の中には、
事実を示されたり、公式に否定されたり、
大きな問題になったりすると、
立ち止まる人がほとんどです。

でも中には、そんた出来事があっても
まったく態度を変えない人がいます。

それは、
正しさや事実が、その人の行動の基準になっていないからです。

その人が見ているのは、
「本当かどうか」よりも
「注目されているか」「反応が返ってくるか」

否定も批判も、その人にとっては
「影響力がある証拠」になってしまう。

だから、公式の説明が出ても、
たとえ行動が大きな問題にされたとしても
止まる理由にはならないんです。



  なぜ、反応してしまうのか


反応してしまう人たちは、
正義感だけで動いているわけではありませんよね。
わたしもそうでした。

特定の人物への中傷や侮辱が繰り返されることで「大切に思っている存在を傷つけられた」
という、怒りが引き出される。

ただ、相手が
反応そのものを力に変えるタイプの場合、
怒りを向けるほど、
結果的に相手を目立たせてしまうことがある。


わたしが思うに、こうした行動を続ける人は、
実は失うものがほとんどない状態にいる可能性が高い。嘘で誤魔化しても、孤独が見えます。
そうした人は注目を失うことが最大のリスクです。

でも、私や、この記事を読んでいる多くの人は違いますよね?
        •日常があり
•守りたい家族や関係があり
•積み重ねてきた信頼がある


"何もない人"と同じ土俵に立ってしまうと、
傷つくのは、たいていこちらの側です。


  なぜ、やめることができないのか


その人にとって、
発信している話題そのものが自分の存在を支える柱になっているんだと思います。

もしそれをやめてしまえば、
        •注目がなくなる
•反応もなくなる
•自分が話題にされなくなる

 つまり、
「自分が消えてしまう」

そりゃ、やめる選択肢がないわけです。
もし、止めてくれる人も存在しない、
誰からも相手にされない孤独な人なのだとしたら余計にやめることはないです。

社会的なトラブルや強い批判さえ、
「特別な存在である証拠」として
自分の物語の中に取り込んでることでしょう。



  この記事を書いた理由


この記事は、
誰かを裁くために書いたものではありません。

反応しないという選択肢があることを
そっと置いておくために書きました。

読んだ人が、
自分の心や時間を守る判断をするきっかけになれば、それで十分です。

追記

もちろん、誰かの判断や気持ちを否定するために書いたものでもありません。

怒る人の気持ちも、
声を上げる選択も、
間違っているとは思っていません。

私自身、法的には独身で、子どももおらず、
経済的にも自立しています。
そのため、開示請求を受けたときも、
実際に失ったものは、私にとっては「お菓子代」くらいでした。

でも、同じことが
別の人に起きたらどうなるだろう、とは思います。

立場や環境によっては、
同じ出来事でも、受ける影響はまったく違う。
そのリスクを引き受けてまで関わっても、
結果が変わらないのであれば、
残るのは負担だけかもしれません。

誰かが傷つく可能性があるなら、
その心配を口にするくらいは、許されてもいいと思っています。お節介だったらごめんなさい。

同じ人を大切に思うからこそ
どうかみなさんも幸せで、安全でいてください。

この件について書くのは最後にします



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