<小田原競馬場>
昭和6年春季に、地方競馬規則に基づく競馬を開催した。
廃止年、現在地、馬場の規模等は不詳。
【追記】 小田原競馬場の所在地 は、現在の小田原市城山2丁目の谷津団地である。
<平塚競馬場>
昭和6年秋季に、地方競馬規則に基づく競馬を開催した。
廃止年、現在地、馬場の規模等は不詳。
<大船競馬場>
昭和6年春季、昭和7年秋季、昭和8年春季に、地方競馬規則に基づく競馬を開催した。
競馬場の跡地は松竹大船撮影所になったというのが通説である。その地鎮祭は昭和9年に行われたというから、廃止はそのころか。とすると、前回に述べた推測は、こと大船競馬場については、完全な誤りということになる。松竹大船撮影所の跡地は、現在、鎌倉女子大学等となっている。
<藤沢競馬場>
昭和6年秋季、昭和7年春季に、地方競馬規則に基づく競馬を開催した。
廃止年、現在地、馬場の規模等は不詳。
<戸塚競馬場>
=旧戸塚競馬場=
旧戸塚競馬場は、地方競馬規則に基づく競馬場として、昭和7年5月に鎌倉郡戸塚町吉田に建設され、昭和8年12月7日から競馬を開催したという。昭和13年秋季開催をもって新戸塚競馬場に移転、廃止。
馬場の1周は1600m。現在地であるが、昭和19年10月24日撮影のC36(8913)-C3-431 で現戸塚区吉田町の旧日立製作所横浜工場の周囲に馬場の痕跡が認められるようにも見えるが、判然としない。
=新戸塚競馬場=昭和19年10月24日撮影。C36(8913)-C3-433
新戸塚競馬場は、軍馬資源保護法に基づく競馬場として、昭和17年4月に開設、競馬を開催した。爾後、所謂「ヤミ」競馬時代を経て、地方競馬法、現行競馬法に基づく競馬を開催。昭和25年の3回の開催をもって廃止された。通説では、戸塚競馬場は、川崎競馬場に移転廃止と言われるが、川崎競馬場は昭和25年1月25日竣工、直ちに競馬を開催とあることから、併存、開催していた期間もあるのでは無いかと思われる。
馬場の規模は1周1000m。現在地は、横浜市戸塚区汲沢1丁目の汲沢団地からその南側の一帯。
上の航空写真は軍馬資源保護法に基づく競馬が行われた馬場であるが、向こう正面が極端に凹んだ特異な馬場形態である。この土地は、西側の戸塚高校と東側の東汲沢小学校のある丘陵地に挟まれた谷戸であって、地形上このような形態の馬場が作られたものと思われる。
この馬場は、「ヤミ」競馬時代にも同じであったよう(USA-R227-A-6-64 )だが、地方競馬法時代に凹みを少なくする改修が行われたよう(USA-M696-53 及びUSA-M736-14 )である。
なお、現行競馬法時代の航空写真はUSA-R582-68 。
<川崎競馬場>
=第1次川崎競馬場=
第1次の川崎競馬場は、競馬開催ヲ目的トスル法人ノ設立及監督ニ関スル件(明治39年閣令第10号)に基づき川崎の競馬会が開設した競馬場である。その現在地、馬場の規模、廃止時期等いずれも不詳。
=第2次川崎競馬場=昭和11年9月12日撮影。B2-C1-2
第2次の川崎競馬場は、地方競馬規則に基づく競馬場として川崎市大師河原字塩浜耕地に開設され、昭和7年4月9日から競馬を開催。軍馬資源保護法の制定に伴い、昭和13年秋季開催をもって廃止された。
馬場の規模は1周1200m。現在地は、川崎市川崎区塩浜1丁目、日ノ出2丁目。
なお、この川崎競馬場は大師競馬場とも呼ばれたようである。
=第3次川崎競馬場=昭和30年1月25日撮影。USA-M76-88 。
第3次の川崎競馬場は、現行競馬法に基づく競馬場として昭和25年1月25日に竣工、競馬を開催した。馬場の規模は1周1200mである。
上の航空写真は、最も古いものであるが、やや不鮮明である。翌年撮影のUSA-M324-381 の方が鮮明である。今は無い両襷の障害コースが認められる。パドックの位置は、現在と同じである。障害コースの画像は昭和41年撮影のMKT667-C1-11 が鮮明であり、高解像度で閲覧すると、合計五つの障害が認められる。
最古のカラー写真はCKT7415-C43B-16 。障害コースがハッキリと認められなくなるのは、平成9年撮影のCKT972X-C9-18 からであるが、障害が撤去されたのは、昭和59年(CKT843-C22-28 )と平成元年(CKT893-C16B-2 )の間のようである。