「勇気を持って戦え」〝ひふみん〟から娘への教え 仙台白百合女子大学長、加藤美紀さん

 仙台白百合女子大学長の加藤美紀さん=仙台市(菊池昭光撮影)
仙台白百合女子大学長の加藤美紀さん=仙台市(菊池昭光撮影)

将棋界で「神武以来(じんむこのかた)の天才」の名をほしいままにしていた加藤一二三(ひふみ)九段が22日、亡くなった。86歳だった。その次女で仙台白百合女子大学長の美紀さんが令和5年、産経新聞のインタビューに答え、家族だけが知る「ひふみん」について語っていた。

美紀さんは昭和40年、東京都出身。上智大外国語学部ポルトガル語学科を卒業した後、日本貿易振興機構(ジェトロ)で雑誌編集に携わった後、いくつかの修道女会をへて、令和6年3月から仙台白百合女子大学長を務めている。

絶対に受けるべきだ

産経新聞からインタビューの依頼を受け、一旦は「受けさせていただきます」と答えたんですが、いろいろな方の話を聞いて迷ったうえで、「やはり辞退させていただきます」とお断りしました。

東京で父に会った際、「産経新聞のインタビュー企画の依頼を受けたんですが、断りました」と伝えたところ、温厚な父が「どうして断ったの。全国紙からインタビューを受けることなんてまずあり得ない。誇りです。絶対に断るべきではない」と珍しく強い口調で諭されました。

私はその言葉で、インタビューを受けることを決めたのですが、父の言葉はやはり間違っていなかったと思います。

将棋は感動、芸術

福岡県出身の父は、縁台将棋で才能を認められ、10歳の時に京都に修業に出ました。その時、通っていた学校で同級生だった母(紀代さん)に出会い、20歳で結婚しました。

父は家庭の中では聞かれない限り、将棋の話をしません。私には兄、姉、妹がおりますが、あまり興味がなかった。母に至っては、ルールすら知らなかった。ただ、「将棋は勝ち負けではなく、感動なんだ。芸術なんだよ」といつも熱く語ってくれていました。

私は中学校の時に反抗期を迎え、屈折していない父にとても反発していた。ある日、姉から「あれほど子供たちの良いところを認めてくれるパパはいないよ。対局した棋士たちの悪口も絶対に言わない」といわれ、20歳頃には父の言葉が響いてきました。

私は3歳で洗礼を受けたのですが、今問題になっている宗教2世の方々のように「自分の意思を曲げてまで」ではなかったので、自然に入っていけました。

大学を出てジェトロに就職し、キャリアウーマンとして歩み出した。子供の時からシスターや神父様を見ていた環境から、マザー・テレサへの憧れはありました。ただ、人のために尽くすことは無理だろうから、ひたすら祈り、働くという厳格な修道会に入ることを決めました。ただ、入ってから間もなく「ここにいるのは神様の意思ではなかった。自分の道じゃなかった」と気づきます。姉に胸の内を手紙で伝えたところ、「パパが『美紀が幸せじゃないなんて…』と泣いていたよ」と返事がきました。理想にあこがれ、親を悲しませた自分の至らなさを感じました。神様が呼んでいるという思い込みが、実はお呼びではなかったと気づいて30歳で退会を決意しました。

何度でも出直せる

退会することは父に伝えていなかったのですが、父は数日前、私が帰ってくる夢を見たそうです。帰ってきた私に「人間は必要だから、この世に存在する。神様が愛していなければ人間も存在しない。誰しもやるべきことがあるんだ。だから、大丈夫だよ」と話してくれました。

ただ、普通の社会には戻れないという思いと、また修道会に戻りたいという気持ちで息詰まっていました。父は「扉が閉ざされても、また新しい扉が開くんだ」と言ってくれました。そして、1年ほどたったころ、現在のシャルトル聖パウロ修道女会に入りました。前回は外界と遮断してひたすら祈る干相(かんそう)修道会、今回は社会のために尽くしながら祈る活動修道会といわれます。

東日本大震災が起きた平成23年3月、仙台市に派遣されました。震災前の内示だったんですが、驚いたことに、学生たちは実家が被災しても、進んで宮城県南三陸町や石巻市でがれきの撤去などのボランティアをやっていました。あれからずっと復興を見てきましたが、宮城の方々は、気骨があって立ち上がろうという意思がある。へこたれないと思いますね。私は学生たちが希望を持って生きていけるようにサポートしてきたつもりです。父も言っていましたが、聖書には「人間は何度でも出直せる」と書かれています。そういう思いを伝える授業をやっていきたい。

負けは誇れる記録

父の通算成績は、1324勝1180敗。負け数は歴代トップです。負けた数だけ立ち上がってきたという証し。だから誇れる記録と思います。

負けて家に帰ってきて「負けました」と父がいうと、母が必ず「次は勝てる。次また頑張ろう」と言っていた姿も心に残っています。父は「家族は運命共同体。大変な時も家族は一緒だから大丈夫だ」ともよく言っていました。大学受験の日の朝、「この聖書の言葉を読んで名人になった」という言葉で送り出してくれました。それは、「弱気を出さず、慌てず、落ち着いて、勇気をもって戦え」というものです。(菊池昭光)

将棋棋士の加藤一二三さん死去 86歳

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