湯たんぽによる丁寧な生活
寝る時はワンピースを着ている。
半袖の薄いワンピースだ。母が寝る時は薄着がいいと言っていた気がするので、それを今も守りワンピースをパジャマとしている。ワンピースの良い点は締め付ける部分がないこと。ストレスフリーな眠りとなる。
問題点は寒いこと。
締め付けがないということは、やはり隙間が生まれるので、気密性はない。蒸れないからいいとも言えるのだけれど、冬は寒い。そこで湯たんぽの登場となる。これが非常に優れものだ。
お湯を入れるだけでいいのだ。
寝る前にお湯を沸かして入れるだけ。朝まで温かく、布団の中を暖かくしてくれる。思い出してみれば、子供の頃にサンタさんに湯たんぽをもらったこともある気がする。地味ではあるけれど、暖かく快適な睡眠を手に入れることができる。
朝がまたいいのだ。
起きる頃には湯たんぽのお湯はぬるくなっている。このお湯で顔を洗う。ぬるくてちょうどいい。丁寧な生活とでも言えばいいのか、非常に無駄のない営みに感じる。夜は暖かく、朝はぬるく、顔を洗う。丁寧な生活だ。
湯たんぽにはフルサイズとそうではないサイズが存在する。フルサイズの湯たんぽは3リットル弱のお湯を必要とする。ちなみにフルサイズの湯たんぽに「そんなに入れなくてもいいか」、と半分ほどしかお湯を入れないと凹む。中途半端に入れると湯たんぽは凹むのだ。凹むとそこにヒビが入り、お湯が漏れ出てくることも考えられる。そのため湯たんぽとは規定量を絶対に入れなければならない。
私の家では電気ケトルを使っていて、一度に沸かすことのできるお湯は1リットルくらい。フルサイズの湯たんぽでは3回もお湯を沸かす必要がある。お湯を何度も沸かすのは面倒なので、750mlの湯たんぽを使っている。これでも十分に暖かいので夜は快適なのだけれど、お湯で顔を洗うという部分が忙しなくて、全然丁寧な生活にならない。
湯たんぽの蓋をあけて流しに立てかける。
ぬるくなったお湯が勢いよく流れ出すのだけれど、750mlしかないので、両手をくっつけて、お湯を溜めて、顔をザブザブと洗ったら、もうほぼないのだ。私は3回は顔を洗いたいので、もう時間との勝負。終電に間に合うように走っている感じのスピード感だ。朝なのに。
もう最近は直接顔にかけている。
床が若干びちゃびちゃになるのだけれど、丁寧な生活をしたいので、顔に湯たんぽのぬるくなったお湯を、なるたけ床にこぼさないように気を使いないがら直接かける。片手で湯たんぽを持って、もう片方で顔をこする感じだ。
丁寧感ではなく貧乏感。
やっていることは間違いなく丁寧な生活だと思うのだ。無駄がない。実に素晴らしい。そもそもこれは母が教えてくれたもので、子供ながらに素晴らしいアイディアだと思った。フルサイズの湯たんぽの時は確かに丁寧な生活だった。
しかし750mlでは貧乏な生活になる。
お湯がなくなる、急げと朝からとにかく忙しい。丁寧の「て」の字も感じない。微塵もない。ただお湯を出すのをケチっている人のように感じる。違うのだ、私は今、丁寧な生活をしているのだ。憧れの丁寧な生活をしているだけなのだ。
それが程遠いという話だ。
そもそもワンピースを着た無精髭をはやした男が、朝から湯たんぽのお湯で、高速で顔を洗っているのは、どう考えても丁寧な生活ではない。それが寒い冬の間は続く。いつか冬の風物詩として、地元のメディアが取材に来るかもしれない。それを目指したいと思う。



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