班長の事は前回の記事に書きましたが、今回は創価班大学校について書いてみたいと思います。
創価班とは人材グループなので、役職という割り付けには該当しないとも思われますが、こちらでも私は役職を経験しているので、そういう事からこちらで書いてみたいと思います。
◆創価班について
創価学会の男子部では、人材グループで2つの潮流がありました。一つは「創価班」であり、もう一つは「牙城会」でした。
当時の創価班は会館での会合運営や、大石寺の登山会運営、あとは広宣部の活動となっていました。ちなみに広宣部に関しては表には出ずに、裏方の活動でした。(今でこそネットでバンバン出ていますが)
「牙城会」は会館警備を主なものとしていて、当時はまだSECOMなんて入っていないので、会館に一泊する任務なんていうのもやっていましたね。
ちなみにこの人材グループへの振り分けは、25歳以下の男子部班長は「創価班」で、25歳以上になると「牙城会」に割り振る事を、当時の私のいた地域ではやっていたのです。
◆本部の班長面接
この人材グループに関しては、本部で行われた班長面接で言われました。「斎藤は20歳だから創価班だな、お前、創価班やらないか?」と本部長から切り出されました。
当時、私が聞いていたのは会館の会合運営の為に、会館には18時に行かなければいけない事。また大石寺の本山担当では2か月に1日、休みをとって富士宮の大石寺へ行き、登山会(当時、大石寺に参詣する事を登山と呼んでいました)の運営を行うという事は聞いていました。そして本山担当では、例えば山門の「瓦の枚数は何枚だ」と聞かれたり、登山している副会長を直ぐに見分ける必要があるから副会長全員の名前を言えとか、とにかく理不尽な事が質問され、もしそれらに即答できないと理不尽に怒鳴られるというのです。
そんな「体育会系の組織」は一番嫌いでしたので、本部長には「嫌です、もしやるのであれば牙城会にして下さい」と言いました。牙城会ではそんな理不尽な事は無いやにも聞いていましたし、当時は良く聖教新聞で「牙城会柔剣道大会」というのも掲載されていたので、どうせやるのであればそちらを希望したのです。
しかし本部長は「いや、お前は創価班だ!やれ!」しか言わず、それに対して私は「嫌です」を返します。こういったやりとりは五分間ほど続きましたが、最終的に本部長は当時の部長に対して「3日後までに(創価班をやるかやらないか)結果を持ってこい」と言って、この本部長面接は終ったのです。
その本部長面接の後、私は部長の自宅に連れていかれ、みっちり一時間半ほど詰められてしまい、「もう良いですよ、部長がそこまで言うなら創価班入ればいいんでしょ!」という事で、私の創価班入りが決まったのです。
その後、この創価班に関しては県面接(今で言う総々県面接)がありましたが、そこでは「県輸送部長」という、これまた良く肥えて、やたらエネルギッシュな人から「君は会館に18時着任できるのか?」と問い詰められました。
当時の会社は18時が定時です、会社から県の中心会館まで急いでも30分はかかってしまいますので、物理的には絶対無理でしたが、恐らくこんな人にそれを言っても通じないだろうと「頑張ります!」と答えました。
すると県輸送部長は「お前な、電車は時間が来たら発車するんだぞ!どうするんだ」なんて訳解らない事を言ってくるので、そこも「頑張ります!」と答えたのです。ああ、なんと無意味な面接なんだろう、そんな感じで県の面接は終りました。
◆創価班大学校入卒団式
県面接後、正式に「創価班大学校」へ入る事が連絡されます。創価班になる為には、1年間この大学校に所属し、様々な研修を受ける必要があると言われました。そして卒業の条件は「御本尊流布1世帯以上」と各研修への参加でした。これは区毎に行われる月1回の研修会と、あとは会館運営を現役創価班の脇で手伝いしながら覚えるというものなのです。
そして記憶だと3月に、県の中心会館で「創価班大学校入卒団式」が行われました。そこでは1年間研修してきて卒業する大学校生と、これから1年間研修に入る大学校生が会いまみえます。
まず会合が始まる前に、司会から「現大学校生で、御本尊流布が出来ていないメンバーは会場の後ろに下がりなさい」とアナウンスされます。するとだいたい1/4の現大学校生のメンバーは会場後ろに下がります。要は卒業条件を満たさない人は、現役創価班にはなれず、次の大学校生の後ろに着かせるんですね。当然、「創価班バッチ」も授与されません。
会合では前に卒業する大学校生が居て、その後ろに私の様にこれから大学校生になる人が居る。そしてその後ろには卒業条件をクリア出来なかった人たちが居ると言う配席となります。正直、これは厳しいですよね。
会合の内容は記憶にありませんが、前に座る条件クリアした卒業生に対して、代表に「創価班バッチ授与」が行われ、なんか知りませんがお偉いさんたちが色々と指導していたりしました。そんな会合終了後にロビーで悔し涙を流している人が多く居ましたが、1年間必死にやってきたのに現役になれないという事は、とても悔しい事なんでしょう。
とんでもない人材グループに入れられたと、この時に改めて実感したのです。