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──平野さんは、幼い頃はニューヨークで生活されていたそうですね。
平野さん:住んでいたのは2〜3歳頃の約1年と短い期間でしたが、今でも鮮明に覚えています。当時は、現地の保育園にも通っていたのですが、日本人の子どもがまだ珍しい時代だったこともあり、差別やいじめも経験しました。奥手で人と話すのが苦手だった私は、トイレにこもって泣いていた記憶もあります。
20歳を過ぎてテレビ番組の企画で通っていた保育園を訪ねたら、当時の先生がまだいらっしゃって「泣いてばかりだった綾が芸能界にいるなんて信じられない!」と驚かれました(笑)。

ニューヨークで生活していた2歳ごろの平野綾さん
──ブロードウェイ・ミュージカル「ピーター・パン」に衝撃を受けたそうですね。
平野さん:ブロードウェイで観た「ピーター・パン」は強烈でした。特にワニが怖すぎて夢にまで出てくるほどリアルに感じたのですが、それ以上に、舞台で生身の人が芝居で別の世界を表現する姿に衝撃を受け、「舞台ってすごい!」と憧れを持つようになりました。今振り返ると、これが自分の原点だったと思います。

──10歳で芸能界に入られたそうですね。
平野さん:幼い頃から歌やピアノ、ダンスを習い、8歳で初めてアマチュアのミュージカルに出演しました。そこで「もっと勉強しなきゃ!」と思い、ステップアップのために10歳で児童劇団に入ることを決めたんです。子役の登竜門といわれるミュージカル『アニー』に出たかったので、本格的にレッスンを始めました。
当時はテレビをほとんど見ない子どもで、アニメは好きでしたが、声優になるなんて想像もしてなくて、舞台のことだけを考えていました。

アマチュアミュージカル時代の平野さん
──ミュージカル志望だった平野さんが、声優の道に進んだきっかけは?
平野さん:きっかけは子役のお仕事の一環です。ドラマの中にアニメパートがある少し特殊な作品に出演したんですが、その作品に役者として出演しながら主題歌も担当させていただきました。
モノローグが多い役で、それを聞いた監督に「声が変わってるね」と言われたんです。当時のマネージャーにも勧められてアニメのオーディションを受けたら合格し、声の仕事に挑戦することになりました。声優の世界はまったく知らなかったですし、あの頃は10代の声優がまだ珍しい時代で、現場では右も左も分からないまま、先輩の姿を見て学びました。でもそれが、今まで続く仕事の始まりだったんです。
──平野さんの声優としての代名詞と言えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒ役だと思います。主演のハルヒ役に決まった経緯を教えてください。
平野さん:ハルヒ役は、オーディションではなく、ほぼ決め打ちのような形で声をかけていただいたんです。主題歌含め、キャラクターとして歌うことも最初から決まっていました。
アイドル活動もしていましたが、芽が出ず、歌も好きですが得意とは思っていませんでした。だから、ハルヒを通してあんなに歌うことになるなんて、夢にも思いませんでした。ハルヒの役をいただいてからは、まさに自分が想定していなかった方向に、人生が進んでいきました。

当時は、歌手としても多忙な日々を送っていたという平野さん。写真は2008年7月に発売された平野さん1枚目のアルバム『RIOT GIRL(ライオット・ガール)』(提供:© Bandai Namco Music Live Inc.)
──グラフで18歳は一番下になっていますが、当時はどういう心境だったのでしょう。
平野さん:とにかく働き詰めで、まったくプライベートの時間がなかったんです。朝から朝まで働き、体調を崩して入院先から現場に直行することもありました。寝る時間もなく、お金もない。どうやって生きていくかを常に考えていた、まさにサバイバルな日々でしたね。
仕事は順調に見えても、くらしが充実しているとは限らないと痛感しました。大学にも進学したんですが、学業より仕事優先と事務所から言われ通えず半年で休学、1年で退学しました。それは今も後悔していて、いつかまた学びたいと思っています。

──声優として注目されたのち、24歳でミュージカルの道へ進まれていますが、本格的に舞台へ進もうと決めた理由は何だったんでしょうか?
平野さん:事務所を移籍するタイミングだったので、新しいことをゼロから始めようと決意しました。ずっと憧れていた舞台に本気で挑むために、声優の仕事を絞り、改めてしっかり勉強しようと思ったんです。
ネットでは「急に平野綾がいなくなった!」と言われることもありましたが、その後留学もして、舞台の技術をゼロから学び直しました。そういった意味では、この頃のグラフはゼロにしようか迷ったくらいです。
でも生活は安定していたし、気持ちにも余裕が生まれて、趣味や自分を見つめ直す時間もできたので、実際はゼロよりはかなり上かと思います。人生が一段階上がった時期だったと思っています。
──声優と舞台俳優、それぞれの違いも大きいですよね?
平野さん:そうなんです。声優は、声だけで説得力を持たせる演技が求められます。だから、舞台に立った当初は、声が先行して身体がついてこなかったり、台詞で全てを説明しようとしすぎてトゥーマッチになったり、戸惑うことが多くありました。
でもそのぶん、表現の幅はすごく広がりました。子どもの頃に叶わなかった舞台の世界に声優を経験してから再び挑戦したことで、できることは圧倒的に増えましたし、いろいろなジャンルに挑戦したことで、自分の芝居がどんどん変化していったのを実感しています。あの時の決断は間違っていなかったと思っています。

一度すべての仕事をストップして、憧れの舞台俳優を目指しニューヨークへ留学。舞台をゼロから学び直すことに
──ミュージカル俳優として評価されるなか、32歳で初のワールドツアーも実現されたんですよね。
平野さん:舞台の世界で評価していただけるようになってから初めてのツアーだったので、とても意味のある経験でした。翌年にコロナ禍が始まったため、この年に自由に世界を回れたのはとても貴重な経験でした。
もともと海外の文化に興味があり、いろいろな国へ行きたい気持ちが強かったので、海外のファンの方々と直接触れ合い、その熱量を肌で感じられたことも大きかったです。みなさんが日本のアニメや文化を大切にしてくださっていることも実感できて、とても嬉しかったです。
──国やジャンルを越えて、ファンとのつながりを感じられるツアーだったのですね。
平野さん:そうですね。海外では「ハルヒがエポニーヌ(レ・ミゼラブルでの役)を演じている」とニュースになったと聞いて驚きました(笑)。アニメと舞台を区別せず、フラットに楽しんでくれる海外の反応が印象的でした。
いろいろな国に行けたことでリフレッシュにもなり、何より旅そのものが楽しかった。旅を通じて得られる学びは本当に多いですね。

「自分のことを誰も知らない土地を自分自身で歩くのが心地いいんです」
──35歳で独立し、初めて“社長”という立場になったそうですね。
平野さん:本当に予想外の出来事でした。前の事務所の社長から「一人でやってみたら?」と背中を押してもらって。最初は不安もあったので、うまくいかなければどこかに所属しようと考えてスタートしたんですが、気がついたら2年経っていて、「あれ? なんとかなってるかも」って(笑)。この時期は、パフォーマーとしてではなく、社会人として本当にゼロからのスタートでしたね。
──お仕事の内容にも変化はありましたか?
平野さん:仕事の幅が広がったのと、それまで経験してこなかった裏方の業務を全部自分でやるようになりました。元々スケジュール管理や連絡調整は自分で行っていたんですが、経理や契約まわりを含めた全業務を表舞台と同時進行しなければいけないため、自分の立場や責任を強く意識するようになり、人として成長できている実感があります。

帝劇『THE BEST New HISTORY COMING』(公演:2025年2月14〜28日)でも圧巻のパフォーマンスを見せた(写真提供:東宝演劇部)
──独立してから、どんな仕事を受ける機会が増えましたか。
平野さん:独立後はありがたいことに、さまざまなジャンルの仕事をいただくようになりました。「こんな仕事もあるんだ」「こういう関わり方もできるんだ」と毎回新しい発見があり、その都度、挑戦する楽しさを感じています。
得意分野にとどまらず、「平野綾がやったらこうなる」を楽しんでもらえたら嬉しいし、それがきっかけでそのジャンルにも興味を持ってもらえるような存在になれたらいいなと思っています。
私は「なんとなく」ができない性格で、どんな仕事でも事前にしっかり調べ、準備します。どんな仕事でも手を抜かないように心がけていますが、「もう少し力を抜けたらな」と思うこともありますね。
──グラフの未来に向かう点線は、どういう意味なんでしょう?
平野さん:この先の人生、上向きでいきたいっていう希望の線です(笑)。昨年(2024年)からはツアーも再始動して、2025年5月には11年ぶりの新曲「evolutions」もリリースしました。
みなさんが求めてくださることは全部やりたい。少しでも誰かの力になれるのであれば、私のエネルギーを“ぜひ使ってもらいたい”と思っています。

2025年5月に11年ぶりの新曲「evolutions」をリリース。国内ツアーとアジアツアーでは多くのファンと盛り上がった。(photo by yoji kawada)
──本当に多彩なキャリアですが、今のご自身のスタンスはいかがですか?
平野さん:これまでの経験がすべて今につながっていると感じます。無駄なことはひとつもなくて、すべてが今の私の糧になっている。だからこそ、今の仕事は「天職」だと心から思えますね。

グラフが完成!
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