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生成AIを使った表現について、罵声について。
この3年間ぐらい、生成AIの可能性についてずっと研究してきた。去年の冬から、その成果を映像と音楽という形で出力している。僕はAR三兄弟という開発ユニットを16年ぐらいやっており、あの糸井重里さんが「その世界のスター」と称してくれたこともある。たしかに、ARの世界、とくに拡張現実的な技術を表現として確立した第一人者として認識されている。いまでは普通の表現になったが、「〇〇を拡張する」というイディオムをカジュアルに使い始めたのはこの川田十夢である。自負もあるし、ChatGPTもそう言っていたし、現代用語辞典のARの欄に写真付きで載っていたこともあるので、間違いない。笑っていいともやタモリ倶楽部、情熱大陸などのテレビ番組に出演し、雑誌の表紙も何度か飾った。いわゆる「時の人」 になった。ミシン会社の会社員として10年間働いて経験にまつわる特許を取得、AR三兄弟としても16年、第一線で働き続けた。デフォルトで、もう十分充実した人生だったと言えるだろう。 家族をもって、責任のある仕事も歴任して、あと10-15年ぐらい働けばゴールが見えてくるだろう。自動的に。これがちょっとひっかかった。自分のなかの未練が、直視しないでおいたダサい部分が、49歳にもなってずっしりきた。そうだ。ぼくはミュージシャンになりたかった。 大学生の頃の僕は、アルバイトに明け暮れていた。MIDIという技術が音楽に与える影響が大き過ぎて、僕はそのテクノロジーの虜になっていた。改造して作ったMIDIギター経由で鳴らせる楽器の種類に驚愕した。ギターが弾ければ、ピアノが弾けなくてもピアノの美しい音色を奏でることができる。バイオリンも三味線も、管楽器も打楽器もぜんぶ鳴らせる。ギターさえ弾ければ、なんでもできるじゃないか。音楽的な万能感のまま、作曲を続けた。もう半年くらいアルバイトしたら最高のMIDIシステムが構築できるというタイミングで、過労が祟って片手が動かなくなった。不眠続きで起こしてしまった交通事故の影響もあったかもしれない。とにかく僕は、夢の半ばでギターを弾く能力を失ってしまった。 抜け殻のようになって日々を過ごしたが、自らの欠けた能力をプログラムで補正しようと思ってからはまた違う人生が拓けた。拡張現実のはじまりだった。何の話だったっけ。話したり書いたりしてると、初期の動機を忘れてしまう。そうだ、生成AIのクリエイティブに関することだ。僕が自分の名前で再び作品を発表し始めたころ、心無いリプライやコメントがたくさん飛んできた。 ・「AIに曲を作ってもらっているのに自分が作ったみたいに作品を発表して、何が楽しいの?」 ・「全自動で作ったものでどうしたら承認欲求が満たされるの?」 ・「誰かの経験を盗んでいる自覚はありますか?」 ・「一生懸命、自分で作っている人と同じ棚に作品が並ぶのは違うと思います」
たしかに、誰かの真似をして全自動で作っているタイプの映像や音楽もある。右から左に、調味料を変えているだけのものもある。悪いことに、かなり蔓延している。誰かが作った作風に隠れて、誰の批判も届かない無敵のゴミみたいな作品もある。でもね、僕は違うんだ。ギターを弾きたくても弾けない。二十代の大事な時期に、手が動かなくなったんだ。それがショックで、いったん音楽を諦めたんだ。それをずっといままで隠していたんだ。いろいろ人生を経由したけど、また新しく火が点いたんだ。 "日常生活いつも火が点いていると、火が点いていることが当たり前になって、むしろ怠惰な生活を送ってしまうのではないか?違うよ、違う。当事者の感覚はまるで違う。炎の揺らぎがじれったく感じるほど、必死なんだ。" 〜火が点いているより〜 いちど諦めた夢と接続するために生成AIで能力を補完する人が、これからたくさん出てくるでしょう。そういう人たちへ向けて、僕に浴びせたような罵声を繰り返すことは、もうやめてください。そのひとことで、辞めてしまう人だっている。生きる意味を見失ってしまう人もいる。そのことを忘れないでください。こないだの山口一郎さんじゃないけど、作品への批評はあって然るべきだと思います。単純にご自身とフィーリングが合わないものだってあるでしょう。それは自由です。僕が言いたいのは、生成AIを制作過程に使っているというだけで、罵声を浴びせるなということです。使うには使う側の理由がある。それを忘れないでください。最後まで読んでくれてありがとう。川田十夢が作る音楽と映像を、AR三兄弟が開発する拡張現実を、今後ともよろしく。
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