完全試合を達成し乾杯する外木場義郎(中央)と監督の根本陸夫(左)=1968年9月14日、広島市民球場
鹿児島県出水市出身で元プロ野球広島の外木場義郎(80)=広島市=は、通算131勝を挙げたエースだ。1975(昭和50)年のセ・リーグ初優勝に貢献し、沢村賞を獲得。野球殿堂入りも果たした。右腕でたぐり寄せた輝かしい野球人生を振り返る。(連載「出水が生んだ剛腕 外木場義郎物語④」)
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広島に入団し3年間の多くは2軍だった。1軍では1年目の1965(昭和40)年に無安打無得点を達成したが、通算4勝。点差が開いた時に登板する「敗戦処理」がほとんどだった。だが、転機が訪れる。67年夏、1軍コーチの根本陸夫が2軍の練習を見に来た。
「いい球を投げ込む」と右腕に目が留まったようだ。「あれだけの投球をするのに、なんで1軍に呼ばれないのかな」と練習後、声をかけられた。「力がある。コントロールもまあまあいい。楽しみだ」と激励された。
67年秋に次期1軍監督を引き受けた根本から広島市民球場に呼び出された。秋に呼ばれるのは辞めるかトレードの話が多いという。「僕の場合、辞めるというのはまだないだろう。ひょっとしたらトレードかな」。行くと、根本は食堂でコーヒーを飲んでいた。
「トレードですか」と尋ねると、根本は「誰がトレードや」と驚いた。「誰がお前を出すか。俺の考えでは先発ローテーションの投手だぞ。お前が頑張らないといけない。今のままではいけないと思い、ハッパをかけるために呼んだのだ」
68年3月、南日本新聞のスポーツ面には「広島の今季の実力は」とのテーマで、身長175センチの右腕を評価する記事が載った。「柱に期待するのは本格派の外木場しかいない。球威抜群。走り込み十分で、制球も本物になった。広島浮沈のカギ」
オープン戦は安打製造機の張本勲がいる東映(現日本ハム)に完投勝利した。「1軍で投げられるところまできたかな」
シーズンが始まり、開幕2戦目の阪神戦に先発起用された。だが、4回2失点で降板した。「2度目の先発はないな」と肩を落としていたが、指揮官から「次の大洋(現DeNA)戦でもう一度投げるぞ」と奮起を促された。
1週間後の大洋戦は、落差のあるカーブで目先を狂わせ、後半は速球も交えて4対0と完封勝ちした。「よし。これだったらいけそうだ」と手応えをつかんだ。監督からは登板前に技術的、精神的な面でアドバイスを受け「おかげで野球に集中して臨めた」。
期待に応え、この年は21勝を挙げ、最優秀防御率(1.94)を獲得。9月14日の大洋戦では完全試合を達成した。試合後、根本は広島市民球場の食堂で「外(そと)が完全試合をしたから乾杯だー」と喜んでくれた。セ・リーグ万年Bクラスの球団は、創立19年目で初の3位に躍り出た。
プロ4年目の開花。根本を「一番の恩師」と呼び、感謝は尽きない。「あの人が広島に来なかったら、監督をしていなかったら、自分はどうなっていたことか。情のある選手思いの監督で、選手をかばってくれた。野球をやればいい。野球をやれば」と。(敬称略)
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そとこば・よしろう氏 1945(昭和20)年生まれ。出水中、出水高、電電九州を経て、投手としてプロ野球広島に64年入団。直球と落差の大きいカーブを武器に、完全試合1度を含む無安打無得点試合を3度達成。75年は20勝で最多勝と沢村賞に輝き、セ・リーグ初優勝に貢献した。通算成績は131勝138敗、防御率2.88。79年引退後は広島やオリックスの2軍投手コーチを務めた。2013年に野球殿堂入り、出水市民栄誉賞。右投げ右打ち。広島市在住。