一点物の地獄を見せあう
四月はいろんな人がどこかに入学したり入社したりする。環境にうまくノれる人もいれば当然そうでない人もいる。誰かのそういう痛みを見かけると、どうしようもなく自分の地獄がじんわり浮き出てくることがある。もう二十年も前なのにね。
何年か前、あるアーティストのいじめ加害者であった過去がどどんと明るみに出て取り沙汰された。中学で同級生だったPという男がそのニュースについてSNSでなにか書いていて、私がそれに反応したことをきっかけにDMでやりとりすることがあった。
Pとは学年だけでなく部活も一緒だった。私たちはテニス部だった。だけど男子と女子は別メニューで練習していたから、会話らしい会話をしたことはほとんどない。卒業してから会ったこともない。ただ名前と顔を知っていてSNSで互いをフォローしあっているだけのつながり。
彼がニュースについてどんなことをポストしていたか、もう具体的には思い出せないけれど、とにかく怒っているようだった。いじめそのものにも、本人の対応にもひどく怒っていた。私も同じように怒っていたし、もともとそのアーティストがすきだったから深くかなしんでもいた。
「私が女子テニス部で死ぬほどいじめられてたの知ってる? 私の人生は当時の地獄にずっと支配され続けてる。だからあのアーティストをどうしても許せないし、この人が表に出る度に被害者が苦しんでると思うとほんとにクソだ!!!」
会話履歴をさかのぼると、薄く細~いつながりの相手に私はこんなことを送っていた。いま思うと結構どうかしている。急にどうした? あの地獄めいた中学の、針の山みたいに立っているだけで苦痛が襲ってきたテニスコートで同じ時代を過ごした人が、いじめに怒っている事実がうれしかったのだろうか。しかしあまりに感情をぶつけすぎている。自分がこわい。まあいつ縁が切れたっていいやと開き直っていたのかもしれないけれど。
Pはすぐに返事をくれた。
「佐藤のいじめのことは知らなかった。俺男子テニス部の中でもかなり下手くそだったから、いじめというと大袈裟かもしれないけどかなりいじられてて、だから俺もこういうやつが本当に許せない」
実際、彼がいじられている場面を何度か見たことがある。でもそうか、私が受けたわかりやすく辛辣ないじめとは趣を異にした、男社会っぽいやつもしっかりとあったんだ……。からかいの延長にある暴力には、被害者が「自分はいじめられている」と見なすことをも許さない卑劣さがある。
そこからはスピーディに会話がつづき、互いにあの頃いかなる最悪の日々を過ごしたかを手短に語って「クソだ」「ヤバい」と言いあった。いじめの話にしては情緒的でなく、スパンスパンと軽いラリー。彼も私も相手に同情を求めているのでないことは確かで、それを互いに了解していた。いまならラケットでも気持ちよく打ち合えそう。
人にはそれぞれの地獄があり、私たちは望んだつもりもない一点物の地獄を身にまとう。人によっては死ぬまでそれを脱ぐことができない。もうすっかり脱ぎ捨てたと思っていても、地獄はただ透明な色をしているだけで全身を覆っている。ふだんは「あの思い出はいつしか消化され、いまは私の血肉となりました♪」みたいな顔で過ごしていても、何かちょっとしたことがきっかけで皮膚の表面にタトゥーのようにじわじわと浮いてくる。
地獄をまとってもうずいぶん時間が経ち、扱いがだいぶ上達した。たとえふいに前面に出てきても私はすぐに心の軽さを取り戻すことができる。だけどPからメッセージの終わりに「当時は気づかなくて申し訳ない」と届いたとき、突然ぽつと涙がでた。いまの私がいまの地獄を抑え込むことはできても、当時の私には身につけたてで鮮度の高い地獄をコントロールすることができない。彼が不意打ちで14歳の私に謝ったから泣いてしまった。私まだこのことで泣けるのかよ。地獄と連れ添う人生があまりに長い。
大勢からテニスボールをぶつけられた私の地獄も、ダサいと思って誰にも言えなかったPの地獄も、ただ静かに重なるだけで別に混ざりあわない。一点物の地獄を互いに見せあうことで癒やされるのは、地獄を脱げるからでなく脱げない地獄を隠さなくていいからだ。少しだけなぐさめられた気になって、また自分だけの領域に持ち帰る。
なかなか意図してできる経験ではなく、大人になるほど回数も減ってきた。今のところこの数年前のやりとりが最後だ。
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