踊りかたが変
彼女の笑顔はまるで幸子だった。
ほっそりとした身体に小さな頭をのせ、そこに埋まった大きな目で人をじっと見つめる。どのグループに属しても目を引くかわいらしさ、本人もそれに嫌味なく慣れている。顔立ちがよいだけではない。誰とでもけんめいに話し、表情豊かに聞き、健康的に笑う。彼女が笑うのをはじめて見たとき、矢沢あいの漫画から飛び出してきたのかと思った。眉をハの字に下げ、口は1/8に切ったスイカと同じかたちにした、見た者の心がうっかり救われてしまいそうな天下一品の笑顔。『NANA』なら幸子だ。
そういうわけでYは老若男女あらゆる人にすぐ気に入られた。それで嫉妬を買うこともあるだろう。私のなかにもいくらかはあったのかもしれない。でもそんないじわるな視線をひょいと遠ざけてしまうさっぱりとした性格まで持ち合わせており、この人の魅力に抗うのは不可能だった。
なにより私がうとましく思うなんてありえないくらい、彼女は私にやさしかった。
ご両親にたいせつに育てられたひとりっ子のYに、私がはじめて会ったのは22歳。新卒採用で、ある企業に入社が決まった内定者どうしとしてだ。人事部の社員に、親御さんは大丈夫? と聞かれ「説得します!」と真剣な顔で彼女が答えるのを見た。
大学までずっと関西の実家で暮らしていて、就職を機にはじめて親元を離れる決意をした。遠征就活の甲斐あって東京の上場企業にめでたく内定をもらい、もうすぐ同期になる私と「四月からよろしくね」と連絡先を交わすその瞬間も、彼女の父親はひとり娘が単身東京へ行ってしまうことに反対していたのだ。
帰り道でその事情を聞いてすごく驚いた。18歳で、もう一人前ですけど? みたいな顔をして、当然に家を出たがったなまいき盛りの娘を一度も引き留めることなく、ささ、どうぞどうぞと東京へ送り出した私の父とは、まるでちがう。もしかすると世のお父さんとはこういうものなんだろうか。親にもいろんな親がいるものだと、当たり前を当たり前にまっすぐ受け止める。
こんなに育てられかたがちがう人生を歩んできたけれども、さきほど書いた通り、私も初対面ですぐに彼女をすきになった。
半年後、Yは無事に説得を果たし私と同じIT企業に入社する。入社式の日は彼女の父を勝手にちょっと憐れんだ。でもお父さん、娘さんはきっと東京で大きくなりますから!
数週間経ち、新入社員研修か何かで私たちは同期全員で街を歩いた。Yと並んでいたはずが、ぱっと視界からいなくなって振り向く。すると彼女は立ちどまり、まんまるの目で私の顔をじっと見て言ったのだ。「かんなってほんまに美人やなぁ」。あまりにも急で、あっけらかんとしていた。彼女が私の容姿をこうして正面から賞賛したことはそれ以降特別なかったけれど、こんなふうに恥ずかしがらずに、しかも何の含みも感じさせずに人をほめるなんてすごいと思った。どう見てもYのが美人だけどなぁとも思った。でも言えなかった。
メイクが素敵だとか服が似合ってるとか、私はとくに人の表面的な部分をほめるのにどうも照れてしまい、うまく伝えられない。いったい何に照れているのか自分でもわからないのだけれど、そのあたりが今もずっとクソガキなのだ。人をほめようとすると私の口はハレハレ君みたいにもごもごし、そのうちにたいてい機を逃す。
水が重力にしたがって上から下へと流れるのと同じように、Yの口からはほめ言葉が出てくる。本人がほめられ慣れているためか、あるいは単に才能か、自然に湧いたほめを制御する蛇口など彼女のなかには最初から存在しないみたいに見えて、うらやましい。
その人自身がまばゆさを放って場に花を咲かせるタイプの愛嬌もあるが、彼女はどちらかといえば目立ちたがらず、やわらかな光でできた繭で人を包み込む。一緒にいると自分がなんだか立派で、すごくて、自分であることそのものが尊い気がしてくる。きっと人は彼女の繭のなかで何度でも羽化し、容赦のない現実へふたたび飛び立つ力をもらうのだ。
私たちは入社数か月でどんどん仲を深めた。隙あらば社内チャットで話し、何度も食事をし、なんでも話してわかりあった。似ているところとちがうところを見つけてはお互いを好きになる。人と人が近づいていくときのよろこびを、私たちは胸いっぱいに満たした。付き合いたてのカップルみたいに、でも恋じゃないから壊れにくく気持ちは落ち着いたまま。
それぞれの部署に配属されてすこし経った頃、Yは仕事がきつい、いやだと言って泣いた。希望していない職種にあてがわれてしまった彼女の話を、私は何度も聞いた。心の底から心配していたし、本人は真剣につらいのに申し訳ないけれど、でも、みんなをあたたかな光で照らす人が、私に甘えて光らない面を見せてくれるのがうれしくもあった。
ある日の会社帰り、駅近くにあるカフェで晩ごはんを食べながら、Yが「もう実家に帰りたい」と言った。たぶん本気でそう考えていたわけではない。ただ目の前の苦しい現実から逃れたくて、心にひゅうと冷たい風が吹きぽろりとこぼれた台詞。それほど弱っていたのだ。そんな相手に私は言い放った。
「そんなに帰りたいなら帰ればいいじゃん」
ああ! 何度思い返してもひどい。彼女は「そうだよねえ、ごめん」とかなんとか返したと思う。暗い店内でテーブルを挟んで向かい合っていた。オレンジ色の灯りが揺れていた。ぼんやりしてしまってそれ以外はよく覚えていない。
彼女の境遇を思えば無理もなかった。学生時代までの甘えが許されない世界と同時に、古くからの友人も、ずっとそばにいてくれた両親もいない世界にも飛び込んだのだから。そのうえ望まなかった仕事が大変でつらい。さびしくて苦しくて逃げ場がなくて、なじんだ家が恋しくもなる。
そのとき、私は身勝手にも傷ついたのだ。実家に帰るって? せっかくお父さんを説得して東京にやってきて、人生に一度きりのはじめてのひとり暮らしを味わって、私みたいに気の合う友だちもできた。それなのに、そんなこと全部リセットしたって構わないっていうの? どんなに愚痴ったっていいよ。泣いたっていい。だけどさあ! ほんの数か月の、だけどものすごく濃密だった時間は、君にとって東京を去れば一気になかったことにしてしまえるようなものだったのかい? せつなかった。
Yはいつもどおり、話聞いてくれてありがとうと笑顔で帰っていった。彼女はいつでもこうやって、すべてを受け入れてくれてしまう。最寄り駅に着いていよいよどうにもいたたまれず、自宅まで歩く道にどかんと立つ、たくさん葉っぱが茂って大きな影を作っている木の下で、私は立ち尽くした。かけるべきでない言葉をかけた自分は月に照らされる資格もない。ひっそりと闇に消えたい。
今度は私の心に強い風が吹き込みざわざわして落ち着かなかった。甘えられてよろこんでいたくせに、自分に都合の悪い甘えは許せないなんて、わがままにもほどがあるではないか。恋じゃないから関係はかんたんに壊れない。Yは決して私と気まずくなったりしない。けれど、このままじゃ何かが決定的に終わる気がした。甘えているのは自分のほうなのだと痛いほどにわかった。
どのように気を持ち直したのか思い出せない。でもとにかく、私はYに東京で楽しい場所を作ってもらわなくてはと考えた。必死だった。仕事がどんなにつらくても実家に逃げ帰らなくていいように。ここでちゃんと生きていけると信じられるように。とりあえず、自分が片足を突っ込んでいた音楽の現場に連れ出した。親がいなくても住みなれた家がなくても、ちょっと不安で、だけどもっと楽しいところへ一緒に行こうよ。まだまだこれからも、一緒にいようよ。
どうか!
それからYと私は数え切れないほどたくさんの日々を過ごした。ライブハウスでも、彼女は持ち前の魅力と洞察力ですぐに人となじみ、うまくやる。気くばりの鬼たる彼女はいつでも私の音楽活動を最前線でサポートし、それを本人自身も楽しんでいるみたいだった。お母さんとは日々長電話をしていたようだけれど、もう帰りたいとは言わなかった。そんなことを言ったらまた私に怒られるから、我慢してただけかもしれないけどね。
しばらくたった夜、会社の飲み会のあとで同期のひとりが「これから渋谷でDJやるからよかったら遊びに来てよ」と言う。Yと私とほか数名で行ってみようとなった。ライブハウスにしか行ったことのない私が、はじめてクラブに足を踏み入れる。こういうチャンスはいつも突然に訪れるものだ。夜の渋谷・円山町で、緊張しながらエレベーターは上がった。暴力的なまでに発光するエントランスでIDチェックをされてどきまぎしながらYを見ると、こんなときはだいたい一緒の温度感でいることが多いのに、今日の彼女はめずらしく酔っ払っているようでふわふわしていた。
クラブでは光が等間隔で明滅をくり返している。最大出力の明るさと暗闇を行き来しながら、何もない場所で人が動いているのが見える。ダンスフロアだろう。バーカウンターに行くと知らない男の子が声をかけてきて、当たり前みたいにYと私にお酒をごちそうしてくれた。彼は乾杯したあと私たちと立ち話をするでもなく音に揺れながら去り、ただおごってくれたことに心底びっくりした。クラブってそういうもんなのか……。
同期が“回す”番になったらしく、私たちはフロアへ向かう。さっきの男の子にもらった酒の酔いが、クラブのマナーをちっとも知らない焦りをすこし忘れさせた。とりあえずライブハウスにいるときと同じように音楽のリズムに乗ってみる。それを見たYがあの、幸子的笑顔を見せて私に言った。
「踊りかたが変!」
何が変なのかわからなかった。とにかく彼女が爆笑に近いウケかたをしていて愉快だ。私もへっへっへと笑い、どう踊るのと聞いたけれど、同期のかけるダンス・ミュージックの大音量にかき消されて会話にならない。ここへ来る道中に聞いた話では、Yはクラブに行ったことがあるらしい。経験者が言うのだから本当に変だったのだろう。でも、まあいいかと思った。自分の踊りかたが変でよかった。変なまま踊って時はすぎた。
その後、一緒にいた会社の人たちと話し込んで気づいたらYがいない。店じゅうを探し回るとトイレの個室で眠っていた。店員の方に注意され、次トイレで寝たら出てってくださいときつく言われてしまった。彼女がこうして人に迷惑をかけるのを見たのは、思い出せるかぎりこれが最初で最後だ。
それから何か月、何年をともにしても、彼女のやさしさや献身的な態度はずっと変わらずにありつづけた。不思議さえたたえていた。客観的に見れば姫的存在はYのほうなのに、まるで私の王子様みたいだ。私のためならどんなに無茶な頼みも聞いてくれそうだった。彼女の上京に反対したお父さんや、しょっちゅう長電話するお母さんをときどき思った。こういう感じで親にたいせつにされた子は、こうまで他者をたいせつにできるのですか。
本人はそれを私への独占欲だと説明した。仕事の融通がきくかぎり、私が出演するライブにかならず駆けつけてくれることについても「すべてのシーンを見ておきたいから」。それでも、Yから欲めいたものを感じとることは一度もなかった。彼女を独占したい人間は何人も見たけれど。
私はただ、それまでの人生で知りえたやさしさの限界値をはるかに超えた量を差し出され、そのまま溺れてしまうのがこわかった。『神田川』で南こうせつが歌う「ただあなたのやさしさが恐かった」ってこういうことなのかな。Yといると自分がわがままになっていきそうで、私がいつか彼女をまた一方的に傷つけ、静かに去られてしまいそうで。いつもただそれだけがこわかった。
時が経ち、職場も状況もすっかり変わってYとは年に一度か二度会う程度になった。連絡も頻繁にはとらない。それぞれの生活を持つ、大人の距離。
今もときどき彼女のやさしさを思い出す。これから先の人生で、誰かにあんなに甘やかされた日々はもうやってこない。確信に近い予感がある。そしてやさしさに怯えてしまいそうになったら、記憶の置き場から「踊りかたが変」をすぐに取り出すのだ。あのとき泥酔に近かったであろうYの、徹底された配慮と思いやりからほんのちょっとだけ離れたところに湧いた言葉。自分のダンスが変だったこともおもしろいし、それをYが計算なく指摘してきたのがうれしくて、忘れられない。
クラブを出たあと、私たちは富士そばに行った。小食のYは出てきたものが食べきれないときに「もう無理」の顔をする。十分がんばった、残していいよと私が許す。彼女はいつもそれで安心した顔になる。20代の半分以上の時間をともにして、私がYに返すことのできたやさしさはきっとそれくらいだ。
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