親子をひとりで体現した姿(10/30-11/11)
2025年10月30日
美容院で髪を洗って乾かす役の人が「髪すぐ乾きますね! 栄養がみちみちに詰まっている証拠です」と言ってくれた。よいほめかただと思った。栄養が足りていると髪が乾きやすいとの知識までくださって。
何度か切ってもらったことのある店長が(私は指名をしないのでいろんな人に切ってもらっている)、今月末付で店を辞めて独立されるとのことで、最後のごあいさつをしに来てくれた。
「新しいお店は、調べたら出てきますか」
「いや何わざわざ調べてたどり着こうとしてるんですか(笑)」
たしかに、いま聞けよ。
2025年10月31日
新作本のデータ入稿を終えた。確認電話をくれる印刷会社の名も顔も知らない方と、笑み混じりの「あ~どうもお世話になってます~」で会話がはじまるのがきもちよい。あの頃のネット民との距離感てこんな感じだったよな。
電話の相手が関西訛りだったのが親密さを助長していた。いまやインターネット語となった「~なん?」「~やろ」「ワイ」とかのエセ関西弁(猛虎弁と言うらしい)は、匿名他者とのいい塩梅の距離感のバグらせになっている。ことばの機能性だ!
2025年11月1日
ラコステで買い物をしたらクッキー缶がもらえた。ワニとポロシャツをクッキーにしているのが、変に凝らず安直でよいと思った。
2025年11月5日
歯の定期検診。虫歯が見つかり、その場で治療することになった。目を閉じ、タオルがのせられる。その歯科医は麻酔を使いたがらず、そのまま削りますと言った。
ギイイイ、グオオオ……タオル下の闇のなか、私のだいじなエナメル質が鋭い金属に侵される音は急速に心を頼りなくし、服のすそを両手でぎゅっと握りしめる。
金属の先端から伝わる振動のなかに、自ら痛みを探し当てに行ってしまう。
痛さを想定できるときに自分から痛みにいくことを、はたして人は止められるのか。神経を司る部分を訓練すれば自分で制御できたりするのだろうか? 例えば、SM好きな人が訓練のたまものでろうそくの熱さやムチの痛みを快感に変換できるのだとすれば、私にも不可能ではないはずだ。
このように思考で乗り越えようとしてみたけれどすぐに無理で、手を上げた。先生が「我慢しなくていいですよ、麻酔しましょうか」と言った。頼むからはじめから麻酔してくれ。
注射器から歯ぐきへ麻酔の液が入り込むときのギュウと来るにぶい痛みを味わったあと、なんにも、感じなくなった。これでもう、痛みを探さなくてよいことになったのだ。
さっきと同じ闇、さっきと同じ音のなかにもう一度痛みを見つけようとする。いない。しゃっくりが止んだ瞬間みたいに、しばらく痛覚を求めさまよったが、ついに見つけられなかった。私は闇に置いてけぼりになって、最後まで安らかだった。
2025年11月9日
いま映画館で『もののけ姫』が観られるというので行った。ずうっとずっと前に一度か二度は観ているはずだが、内容はすっかり忘れていて、実質初見。あまりにも感動してびっくりした。なんだこれは。しょっちゅう泣いた。
SNSに書いたら、友人から具体的にどこが感動したのか聞かれたのだけれど、それが、なんと思い出せない。ストーリーやせりふよりも、場面そのものでいちいち泣いたような気がする。オーケストラの音が映像によく似合っていたり、誰かの声の質感がよかったりしたのかもしれない。こんなふうにシーンの断片で心が動き、全体の物語に位置づけないまま部分を味わうようになったことは、年をとって得た豊かさのひとつかもしれない。
テーマ曲も、そらで歌えるほどに知っているが、映像と一緒に聴くとあらためて詞が入ってきた。
とぎすまされた
刃の美しい
そのきっさきによく似た
そなたの横顔
特にここがすきだ。キッと尖った人の存在感を刃物に投影するのはままあることだが、サンの孤高な美しさの喩え先として刃が適任すぎる。下手にふれると傷を負い、本人自身もすぐに欠けてしまいそうな脆く鋭い美しさ。しかも刃のなかでも「きっさき」だ。
まるで刃のきっさきであるサンが彼女のままで生きるためには、アシタカのように人と肩寄せあって暮らすなどできない。正面から彼女と目を合わせ語らうなどほとんどない。せめて思い浮かぶのは横顔。それが「ともに生きる」ことの限界なのだ、と勝手に味わった。
ジブリをまともに通ってこなかったのだが、記憶にある数少ない作品のなかで今日『もののけ姫』が一番すきになった。また別のもこうして映画館でやってくれないかなあ。じゃんじゃん観たい。
2025年11月10日
連れあいがすこし前、寝ている間におなかが出て冷える事態に手を打つぞと思い立ち、寝巻き用につなぎを買った。
それを着用して向こうからずんずん歩いてくるときや、しゃがみこんだ後ろ姿などを見かけると毎度「つなぎ着てるな」とわざわざ思う。あっ着てるな。他の変化は数日もたてば慣れるのに、つなぎだけ毎日新しく認識しては笑む。デザインはロンパースほど赤ちゃんめいていない、どちらかといえば作業着に近い雰囲気なのだが……。
どうやら、おなかが出ないようにとつなぎを着る選択そのものの合理性と、実際に上下がつながった服にくるまれた人間の姿が組み合わさってちぐはぐさが生まれている。これは子を思う親と親に思われる子、親子をひとりで体現した姿のおかしみなのではないか? と今日ついに思い至った。
2025年11月11日
乾燥対策で、洗い物をするときにゴム手袋をつけるようにしてみた。無意識に指の表面で感じとっていた、皿の上の油残り情報が入ってこなくなって困惑する。いまやヒントが視覚しかなく、これまでより入念にスポンジをこすりつけた。
熱めのお湯で洗っても、指先の皮脂が流れてかさつく心配がなくなった。なくなってしまった。300円程度のグッズひとつで悩みが解決してしまってこわい。こんなにもささいな工夫で、問題がすっかりなくなって本当によいのか? 「幸せすぎてこわい」にちょっと似ていて、悪いことをしたのにまだお母さんにバレていないときにも近く、でもどちらともまったく違う気分だ。
✧ ひとこと ✧
試験を終えてから、短くてバチバチにおもしろい小説(村田沙耶香『コンビニ人間』)を読んだり、ライブをしたり、本の制作がついに終わったりして、脳の使うところが急にぎゅんと切り替わった数日間でした。
グラタンやドリアを作り、卓上コンロを出す回数が増え、根菜をよく食べるようになって順調に冬へ向かっています。今月はバンドのアルバムも自作本も世に出るから、心が浮いて落ち着かない秋を過ごしているよ。
去年は10月頃から急に肌が荒れて大変だったのですが、今年は自分に合うスキンケア製品が見つかり今のところ落ち着いています。地元ではもう雪が降ったりしているそうです。30代もまんなか。東京の乾いた冬を迎えることに気を張っていかなくては!
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