はずかしさをすべて説明する(11/29-12/4)
2025年11月29日
連れあいの叔父がAmazonでやたらと安売りされていたゴディバのチョコを買って送ってくれた。こないだ店舗で買った正真正銘の本物をくれたので、味は違うか? ニセモノか? と電話がかかってきた。連れあいが「味同じだよ」と答えると「そうか、兄貴の奥さんも同じって言ってたよ。じゃ、安いほうがいいか」と叔父が勝手に納得して通話は終わった。
この人は自分で食べるわけでもなく、こうしてしょっちゅう人にお菓子をあげては電話をかけ、味の感想を聞いてまわる不思議な人だ。でも、自分ではゲームをしないのにゲーム実況を見てニコニコしている私と、実はさほど違わない感覚なんだろうか。
2025年11月30日
日記祭。友だちが本を買いに来てくれて、テンションを上げてわいわいしゃべり、ありがとね~~! とMAXで見送ったあとスン……と真顔になり席につく。この一部始終を、隣のブースに座っている玉置標本さんにまるごと見られていたのではないか? そう思ったら急にはずかしくなり、玉置さん本人にそのはずかしさをすべて説明する力技でうやむやにした。
2025年12月1日
日記祭でいただいた玉置標本さんの本を読む。ああ、これこれ! 私はこういうのが好きなんだ。
近頃いろんな人の文章を読んで困惑していた。私には、多くが、かっこよすぎてしまう。おしゃれすぎてしまう。みんな、なんてスタイリッシュなんだ!
独特なテンポとかセンセーショナルなテーマ、言葉選び、世の中へのするどい視線。なんというか、作家の尖った部分にこちらが走って追いつくような読書が、下手なのかもしれない。そういう文章に出会ったとき「すごいものを読んだ」「これはおもしろい」と興奮できる人がたくさんいるのに、並んだ文字列を前に、私はおどおど立ち尽くしてしまう。
楽しく読ませるには独自の視点や、「うまいこと言う」側面がゼロではどうしようもない。そうは思うのだが、なにかスペシャルな才能よりも、自分にもできると力をくれるようなもの。人間の情けなさや小さなあきらめ、しょうもなさをおかしみに変えたような文章が好きなのだ。なんかうまくいかない人のそれでも人生にめげない姿とか、中年の哀愁なんかにあこがれてしまうのだ。
こんなこと言っては玉置標本さんに失礼にあたるかもしれないけれど、決してほめている風の……とかでなく純粋に、心から、かっこよすぎないところが素敵だ。玉置さんだけではない。私が好んで読んできたすべての作家の共通点は、キラリとかっこよすぎないところ。実際はその塩梅がむずかしいのだけれども。
自分の好きな文章というのが最近よくわからなくなってしまっていたが、なんだかちょっと感覚を取り戻せたような気がする。ありがとうございます。
2025年12月2日
地元の友だちのりなと二時間くらいしゃべった。りなのことは昔から変なヤツだと思っていたんだけど、りなも私を変だと思っていたそうで、お互いのどこが変なのか話し合った。
でも、こいつ変だなーに収まる程度の「変さ」というのは、けっこう誰にでも宿っているのではないかと思う。その変っぷりを好意的に受け取れない相手とはいつしか付き合いがなくなってしまうので、変ポイントを忘れてしまったり、自分の属さない文化に位置づけて「ああいう人」と括ってしまったりしているだけなのかもしれない。なるべくみんなの変なところを、ちゃんと見ていきたい。
2025年12月4日
新卒入社で働いていた会社の同期だった数人と、ひさしぶりに飲みに行った。17人いた同期の名前と顔、全員覚えてる? との話になって一人ずつ名前を挙げてみた。私がZくん(仮名)を挙げると、どうやらみんなそれぞれ思い浮かべている顔がちがうらしい。私の脳が描いたZくんはナードな色白男子なのだが、
A「……あっ! いや、いま頭に浮かんでる顔たぶん高校の同級生だ」
私「知らないけど同級生にも居そうではある」
B「え、その人スポーツ刈りやろ?」
私「いやスポーツからもっとも遠い存在だったよ」
といった具合に、みんな各々の人物フォルダからZくんの顔を取り出せないでいた。もうひとりのCが「背え高くて、もっさりした髪で」と私のなかのZくん像をピタリと言い当て、あーそうそう! と言ってその場は終わった。しかしあとから考えてみると、別にCの言う人も本当にZくんだったのかわからない。
最近読んだ村田沙耶香のエッセイの、記憶のなかで架空のクラスメイトを勝手に増やしてしまう話を思い出す。あの場で、だれも写真を見返したりSNSを特定したりせず、同期にZという人物がいた事実を明確にしなかった。本人と今後再会する予感もない。Zくんは、本当に、同期だっただろうか?
Zくん。誰かにとって私もあなたと同じような存在なのだ。私がいてもいないことになったり、いなくてもいたことになりうる。ちょっとだけさびしいような気もするが、同時に、ワクワクもする。10年前は疑いようのない存在だったのに、いまやこんなにもあやふやで不確かなことになってしまうなんて。いま部屋でひとりデスクに向かっている私が実際に存在している“事実”も、いったい誰が担保してくれるのだろう。AもBもCも、実体を持っているつもりのただの思念である可能性が出てきた。あとスポーツ刈りって言葉久々に聞いた。
✧ ひとこと ✧
日記祭に来てくれたみなさん、ありがとうございました! いろんな方とたくさんお話できて楽しかったです。
『不在日記』をまた刷った分、売り切ることができました。『おろおろオスロ』のつづきを楽しみにしてましたと言ってくれた方がいて、たいへん励まされました。『ゆらゆらユーロ』もいくつかの書店に置いてもらえそうなので、用意ができたらお知らせします。即売会にもまた出て売りたいです。スローペースですみませんが、よろしくお願いします。
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