加藤一二三九段、現役最後に語ったバッハ 直後に記者室で頼んだ出前
今月上旬、羽生善治さんにインタビューをした。
これからどう戦うか、という長期的展望を問う時、当然と言うべきか加藤一二三さんの話題になった。
「加藤先生は70代後半(77歳)まで現役を続けられましたから。70代で対局するのは……想像以上に大変なことですよ。根気と体力と集中力がないと続けられません。加藤先生ならではの特別なスキル、鍛錬があるのだろうな……と思いながら(対局する姿を)見ていました」
先人が勝負に傾けた情熱を証明するのは「時間」と明かした。
将棋の対局は長い。途方もなく長い。
1日制で最長の順位戦は各6時間の持ち時間があるが、加藤さんは引退するまで時間の限り戦い続けた。76歳で22歳の俊英・八代弥五段(当時)と指した時も6時間を使い切り、1分将棋の秒読みに追われながら勝利をさらっている。
「毎回持ち時間を使い切って指されていた。大山康晴先生(十五世名人、1992年に69歳で死去するまでA級の地位を守った)も生涯現役でしたけど、6時間の将棋を3、4時間くらいで終えることも多かった。70代で毎局、最後まで時間を使うことは想像以上に大変なことです」
加藤さんは戦う人だった。
77歳まで鋭い目と怖い顔で盤上に向かった。
駒が割れてしまうのでは、と心配になるくらい高い駒音を一手ごとに立てた。
あの姿の価値こそ、もっと伝わってほしいと願った。
◇
2010年代前半からバラエティー番組に多数出演し「ひふみん」の愛称で国民的人気を博するようになった。
あの唯一無二の魅力に、ついに世間が気付いたか、という喜びもあるにはあったけれど、まるでゆるキャラのように扱われてしまうことへの違和感はずっとあった。
加藤さんは棋史に残る天才であり、偉大な名人でもある。
けれど、難解な正着を瞬時に発見する才能や、70代に入っても真夜中の1分将棋を戦い続ける奮闘が伝えられることは少なく、タレントとしてのひょうきんなキャラクターばかりが受け入れられたように感じた。
トリックスターの横顔だけを消費されてしまうことへの疑問は、将棋に関わる人はみんなどこかに持っていた。そして加藤さん自身も、受け入れながらもどこか戸惑いの表情を浮かべることが何度もあった。画面越しに何度も気付いた。本当はとても誇り高い人だからだ。
真の加藤一二三とは、一局の終わりまで、一生の終わりまで勝つために全力を尽くす勝負師だった。
2017年1月、最年長対局の記録を更新した夜、加藤さんは感想戦をせずに対局室を出ると、談話を求めて包囲する記者たちの人垣を突破した。鬼のような形相をしていた。記録を樹立したとはいえ、敗局である。己への怒りが見て取れた。
階段を一気に駆け降り、敷地外に出た。と思いきや、直後に何かを思い出したように立ち止まり、戻って来た。
守衛室でタクシーを待つ間、やむを得ず、と思ったのか取材に応じてくれた。小さなガラス窓の向こう側で無念そうな表情を浮かべる加藤さんは我々に語った。
「今日の日まで対局してこられたのは当たり前でないと言えば当たり前でないことですね、ええ。戦って来られたことは改めて良かったと思っています。今日の将棋は負けましたけれども、これからも意欲を持って人生を歩んでいきたいという気持ちでいます。まだ健康なんです。対局できる健康体なので、これからも将棋を本業として活躍していきたいと思っておりますね。77歳での現役は全く想像しなかったですよね。幸いにして健康でこられたのが何よりのことで。現状はよく認識していますが、毎局毎局どの将棋も最善を尽くして戦ってきました。全力投球の結果なので、これからも人生明るく歩んでいきたいと思っております。先日、藤井聡太四段とも指しましたけれども、生涯で5局しか出会っていない局面と出会いましたね。新しい意欲で人生の旅路を歩んでいきたいと思っております」
どこまでもまっすぐで、どこまでも前向きな77歳の言葉は妙に胸を打った。思い出したのは2012年、名人とは何かと彼に尋ねた時のことだった。
「常にですね、心血を注いで参りました。勝ち負けのある世界でトップを目指すということですね、ええ。将棋界における強大な柱ということです。名人を目指して、みんな精進しました。将棋界発展の原動力になったのです。選ばれた者がなるのではなく、精進した者がなるのが名人でもあるのです」
当時、苦しい戦況が続いていた加藤さんに「衰えは感じないのですか」と聞くと、熱弁が始まった。
「率直に言って、力いっぱい、目いっぱい戦ってきて力不足と思ったことはないです。負けた将棋は、ああ、ここでこうしていれば……というのが多いのです。判断を誤りさえしなければ勝てると思うのです。負けても力不足とは思わないですね。私は思わない。思ったことはないです。弱気な発言はしませんものね、ええ。だから努力もするし、希望も持つ。本人はこたえてませんよ。引退を考えたことは一度もないです。一生エネルギッシュに戦いたいという希望を持っています。人間、大言壮語は出来ませんし、もう相当な年齢ですけど、出来るだけ現役でバリバリと、目をランランと輝かせて戦いに挑みます。誰しも思うことです」
◇
長い長い戦いを終えた加藤さんの引退会見は17年6月に行われた。
「長年にわたって共に歩んできた妻に深い感謝の気持ちを表明する次第ですね、ええ。棋士として1324勝して、名局の数々を指してきました。バッハやモーツァルトの名曲の数々が世界中の人々に喜びを与えているのと同じように……。同じように、というのはおこがましいですが、300年経っても感動できる文化遺産です。昭和57年、中原誠名人と戦い、3度目の挑戦で念願の名人になったのが最大の思い出です。昭和57年7月31日、午後9時2分に名人になりました。魂を燃やしてきた名人になると分かった時に『あ、そうか!』と言いました」
わずか半年前、藤井聡太さんのデビュー戦の相手になったのは、将棋の神様の差配だったのだろう。
「藤井四段にはふたつ感心致しましたね、ええ。うまい作戦で来たなあと思い、私がチーズを食べたところ、ちょっと間を置いてチョコレートを食べたんです。先に彼がチョコレートを食べても全くマナー違反でも失礼でもないですが、お、先輩に対する気遣いが出来ているなと。あとは終盤戦です。私をピタッと見た瞬間があったんですね。加藤先生、あなたの方が(現局面を)面白いと思っているでしょ、でもこの将棋は、わたくし藤井聡太が勝っていますよ、という視線を送っていて非常に感心しました。29連勝は全く想像もしませんでした。全部研究しましたが、作戦が非常にうまくスピーディーで、彼には欠点がひとつもないんですね。うれしいのは、私の引退を『寂しい』と言ってくれたことです。引退は覚悟していたのに藤井少年から寂しいと言われると、哀感の空気は漂ってきますね。素晴らしい後継者を得たと感動しました」
会見終了後、記者室で記事を書いていると、突然「やあやあどうも」と加藤さんが姿を現した。20分に限定した会見が終わったばかりだというのに、ソファにゆっくりと腰を落ち着け「少しおなかが空きましたね」と言って、マネジャーに出前の注文表を頼んだ。引退会見の日もうな重なのかな……とドキドキしながら見つめていると「親子丼にしましょう。うん、親子丼がいいですね」と言った。胃腸にやさしそうなメニューは、現役生活からの別れを意味しているようにも思えた。
出前が来るまでの時間、とりとめのない話をした。これから名人になるのは誰だと思いますか?などと尋ねると「明と聡太ですね、うふふふ」と猫のような顔で笑った。
渡辺明名人は3年後に、藤井聡太名人は6年後に誕生した。
◇
ジョー・ディマジオとマリリン・モンローが結婚し、来日し、離婚した1954年に14歳の少年は盤上での闘争を開始した。そして63年もの間、戦うこと、挑むことをやめなかった。
対局室では鋭い表情も、勝負の現場を離れれば限りなく柔和だった。
どんな取材でも楽しそうに応じてくれた。
頂点へと駆け上がっていく藤井さんの記事の中で「加藤一二三九段」という名前について触れると電話が鳴ることが時々あった。
「読みました、読みました。書いていただいて本当にありがとうございます」
陽気な声が聞こえた。
自分の気持ちに正直であることを誰よりも貫いた。
意味のない遠慮も同調もしなかった。
目をランランと輝かせながら笑う人だった。
22日、86歳で世を去った。
偉大な人が亡くなった時に「あのような人はもう二度と現れない」というフレーズが語られることがよくあるけれど、本当に現れないのだろうか、と思ってしまうことがある。
時代は脈々と受け継がれる。強烈な個性を持ち、人を魅了する輝きを持った人が新たに現れては、並外れた実績を重ね、歴史は刻まれていくのだ。
けれども、と思う。そして言いたい。
加藤一二三のような人は、もう二度と現れないだろう。
不世出の棋士であり、唯一にして無二の人だった。
「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは4カ月間月額200円でお試し
- 【視点】
将棋記者による渾身の追悼記事、落涙した。