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2泊3日のINTP

去年(2025年)の11月だったか12月だったか、INTPとISTPを比較する動画の存在を知った。

まずは先入観を持たずにその動画を観てもらうのがいいかもしれない。

以下、埋め込みによる表示。

「そこにあるものはなんですか?」という質問に対して、INTPの場合とISTPの場合をシミュレーションしている。2026年1月29日時点で、32万回以上再生された動画だ。

これはINTPとISTPの対比として間違ってはいないのかもしれない。特に、INTPの言動についてわけが分からないと思っている人にとっては、理解のとっかかりとしては適切といえる。

ただ、INTPを自認する人にはこの「INTPくん」の側が考えている内容には不満足かもしれない。

INTPを自認するわたくしがこの動画を観た時に思ったのは、これはINTPとISTPの対比というより、不安感が強くなっている時のISTPと、ISTP以外のISxx(I型かつS型)を比較したものではないかということだった。

動画の中で「INTPくん」が思う「瓶に入っている透明な液体」「ちょっと減っている」「ちょっと青みがかっている」というのは、「見たまま」であるというのがポイントである。「今ここ」でのことなのもポイントだ。

もちろん、INTPにも「見たまま」や「今ここ」が気になる時はあるだろう。だから明確に誤りとはいえない。

もしINTPとISTPの対比にフォーカスするのであれば、SN指標(S型とN型の対比)が重要である。このSN指標は、ビッグファイブの5つの次元のうち開放性(openness to experience)についての議論と重なる。たいていのN型は、ビッグファイブでは開放性が高くなりやすい。

N型が重視するのは「見たまま」の事実よりも、質問にいたるまでの大きな流れ、隠された背景、遠く離れたところにあるものごととの関連性や類似性、こういったことになる。

そして、INTPは不安感や不信感とは無関係に、実に様々な連想をする。それがデフォルトの構えなのだ。

こういったことを踏まえて、「そこにあるものはなんですか?」という質問を受けた時にINTPが実際に考えそうなことを列挙すると以下のようになる。

  • 「どういうこと?なんですかって何?なんでこんなに減ってんだって言いたいの?俺がこっそり飲んだと思ってんの?」

  • 「そこにあるもの?そこにあるものってなんだ?中身について聞いてんのか?ラベルと中身が違うということか?俺がそのことに気づくかどうか試してんのか?」

  • 「このタイミングで、その角度から俺に向かってそういう質問を発するというのは、あの時のあの状況に構造的な類似性が見いだせるな。だがこいつがあの時のことを知ってるとは思えない。でも実際のところどうなんだろう。誰かに何かを依頼されたのかもしれん。俺が動揺するかどうかを試すというような依頼の可能性。もし依頼するとしたらどいつだ?あいつか?それともあいつか?いや、あの人の可能性もあるのか。あの人の依頼なのであれば、俺は依頼の存在には気づかないフリをして、こいつの質問を丁重に扱う必要がある」

  • 「この酒はジャパニーズクラフトジンとうたってるやつだな。ジャパニーズという言葉に何かあるんだろうか。愛国的な背景を探ってるんだろうか。こいつはもしかしたら公安かもしれんな。あるいはCIAや中国共産党などの可能性も視野に入れたほうがいいだろう。中国共産党の影響下にあるのにそのことに自分で気づいてない自称リベラルなどの可能性もある」

  • 「そこにあるもの?ここにあるもの。うん。それを、知りたいと。それって、よく見えないということだよな。なぜ、よく見えないのか?こいつは目は悪くない。やはり距離が問題か。これぐらいの距離であれば、近づいたり他人に聞いたりしなくても、詳細を確認できれば便利なのにな。でもこれが人間の生体機能の限界というやつか。いや、アフリカなどでは今でも視力が6.0ぐらいの人がいるかもしれない。とすると、これは現代文明がもたらす問題なのか。このまま人類はずっと、視力が2.0程度の個体でも目が良い部類とされるような感じなのか。本当にそれでいいのか。今後、何かのきっかけでこの前提が崩れることはありうるだろうか」

  • 「こいつはもしかして、俺のことが好きなのか?その質問が遠回しの告白だったりするような何か隠された意図があるのか?あるいは秘密の問いかけのようなものとして機能しており、何らかの回答をチョイスするとそれがイエスだという意味にとらえられてしまう可能性もあるな。いったいどれがイエスだ?俺はイエスを避けたいぞ?いや待てよ、あまり長考するとその秘密の意図を知ってる人間だということにされてしまうかもしれん。できるだけ裏の意図に気づかなかったように、自然に、無難なことを言うべきかも」

  • 「なぜこの商品に俺の注意を向けようとする?この商品に何かあるのか?これはどこだろう?たぶんサントリーだな。こいつはもしかしてサントリーからカネをもらってんのだろうか。あるいは、サントリーと関係が深い電通と何らかの関係があるという可能性も疑ったほうがいいのかもしれんな。そういえばこいつは以前から全体的に電通くさい。なぜこいつはこんなに電通くさいのだろう?あからさますぎないか?いや待てよ、こいつは電通を解体しようとしてる側の人間で、こいつが俺のことを疑ってるという可能性もありそうだな。この酒うまいよねえ、などと俺が不用意に言ってしまうと、電通との関係を疑われる可能性もある。まあとりあえずここは、商品には何の関心も持ってないように見える回答を用意する必要があるだろう」

  • 「そうだ、構想中のあの小説、あのシーンには何か足りないと思ってた。あの部屋には、酒の瓶があるべきなんだよ。あの部屋に酒の瓶があるからこそ、あの登場人物はああいうことを突然言い出すわけだ。というか、あの部屋に酒の瓶がないほうがおかしいんだよ。なぜそのことに気づかなかったんだろう。それに気づかせてくれたこいつには感謝しなきゃならんな。そうだよ。酒の瓶だようん。酒の瓶。酒の瓶?俺は今なんで、酒の瓶を持ってるんだっけ?こいつは今、何か俺に質問したよな?何を質問したんだっけ?」

  • 「こいつは突然、なんでそんなことを聞く?この瓶を俺に持ち上げさせようとしている?この瓶を?なぜ?この瓶を持ち上げると、爆発したりするような仕掛けがあるのか?俺はここで死ぬのか?こんなところで?この瓶を持ち上げたらどうなる?死ぬの?どうなの?もう、持ち上げるぞ?知らんぞ?知らんぞ?」

  • 「おっ何だろう。何か不思議な質問が来たな。こいつは今、俺の目の前の瓶が何かと質問したよな。一見するとありふれた質問だが、どうなんだろう。いまこの瞬間、地球上で似たような質問を発した人はどれだけいるんだろう。100人?あるいは1000人?いや、もしかしたら1万人を超えるかもしれない。それらは本当に自分の意思による質問だろうか。なんらかの高次元の存在が介入してるという可能性はないんだろうか。もしそうだとすると、なぜこいつが選ばれたのか?いや、こいつが選ばれたのではなく、俺が選ばれたという可能性もあるのか?俺が選ばれたからこそ、俺の目の前にいるこいつを操って俺を試してるのか?これはいったい、どういう存在に、何を試されてる場面なのか?」

  • 「おっ、ついにきたか。やっと俺のパトロンになる決心がついたか。でもこの酒の瓶がどうしたというんだろう。この瓶の底にカードか何かが貼り付けてあるということなのか。今日からそのカードは自由に使ってくれていい、ということなのか。なるほどこいつらしいやり方ではあるのかもしれんな。うーん、おかしい。この瓶の底には何もないように見えるんだが。底ではなくて、瓶の中に何か仕込んであるんだろうか。いや、中にも何もないな。もしかして、本当に何もないのか?だったらなぜ、この瓶に注意を向けた?商品名に何かあるのか?ラベルに分かりにくい形でクレジットカードの番号とかVプリカのチャージコードとかが書かれてんのか?」

  • 「ずいぶん不自然な質問の仕方だな。何かウラがあるな。こいつは毒を入れたうえで、この質問をしているのか?いや待てよ、毒を入れたのではなく、今回は無害な水道水を混ぜただけかもしれん。水道水を混ぜたことに俺が気づくかどうかを試してる可能性がある。しょうもないもん混ぜるな、とか言ったほうがいいだろうか。いや、あえてここは気づかなかったフリをして、こいつの今後の言動を注視したほうがいいだろう。こいつの魂胆としては、まずは水道水を混ぜてみて、俺が疑いの目を持たなかったことを確認してからあらためて別の機会に毒を入れてやろうということの可能性もある。いや待て、毒を入れる計画はこいつとは限らんな。こいつは毒を入れる計画を察知して、俺に警告してるだけなのかもしれん。とりあえず来週の飲み会はキャンセルしよう」

こんなことばかり考えていると疲れそうだ。実際、疲れやすい。INTPに限らず、INxx(I型かつN型)の人はたいていそうだ。

疲れるけど、INTPは考えるのが苦しいわけではない。「うう、こんなことまで考えなくていいのに」というような苦しさがあるわけではなく、思考そのものは快楽的であることが多い。

ここに列挙したものはかなりマイルドなものであって、ここにはとても書けないようなことを考えていることもあるかもしれない。また、専門的な知見の枠組みの中で思考することもあるだろう。

そしてこういう思考が自己増殖的であり制御が難しいというのもINTPの特徴だ。「さあ何か変わったことを考えてみろ!」と不意打ちで言われても、何も思いつかないかもしれない。

本人も含めて誰も望んでいないようなタイミングで、次々と新しい考えが浮かんでしまう。重要な作業の最中であっても、浮かんでしまう。

ここで列挙したものは何らかの意味で裏を読むという要素を持つものが多い。

同じように裏を読むという場合でも、党派性が前提になるとまた話が違ってくる。

党派性の継続的な維持には、「我々」と「我々でないもの」の違いが常に重要だ。この「我々」と「我々でないもの」の境界を日常的に意識するのはxSFx(S型かつF型)に親和的しんわてきといえる。そしてグループの行動はE型に親和的なため、常に集団で行動しつつ、自分たちと敵対する勢力の隠された意図を意識しているのは、ESFxであるような場合もあったりするかもしれない。

党派性の事情を知らない第三者から見ると表面的には大きな流れを読もうとしているように見えるものが、実際には組織や派閥の免疫反応としての側面があるものになる。

党派性を背景にした裏読みの特徴は、ワンパターンということである。またそれか、というやつである。免疫反応としての側面があると同時に、脊髄反射的で「下衆げすの勘繰り」的になりやすい。そうでなければ、組織というのは守れないのかもしれない。おそらく、子育てにおいて子を守る感覚とも結びついている。オキシトシンとの関連も気になるところだ。

INTPらしい裏読みというのは、いかなるグループも背景にすることなくなされ、本人を含めて誰にも予想できないような形で裏を読んでしまうようなものだ。制御できない頭の中の乱反射が重要なのだ。何かを守るための思考ではない。強いて言うなら、自分の思考を守るためにすべてを追い払いたい。

党派性については、2026年現在の日本では大きな変化が起こりつつあるといえそうだ。でも党派性そのものが消滅するわけではないだろう。

INTPと党派性の相性の悪さは、単にINTPがグループでの行動が苦手だからというだけでなく、コントロールのあり方も関係している。ほとんどのINTPは、他人からコントロールされることを嫌い、また自分が他人を継続的にコントロールしなければならない状況も苦手だ。おそらく、ほとんどのINFPもそうだろう。

INTPではなくINTJであれば、何時から何時まで裏を読むというような、セルフコントロールが可能な場合もあったりするかもしれない。裏を読みつつ適当なところで切り上げるというのは、INTPからすれば、ずいぶんと器用なマネができるなあ、という印象である。裏を読む思考は、INTPにとっては快楽的かつ自己増殖的であり、自分では制御することができない。

INTJが持つコントロール性は、党派性と結びつくこともあるだろう。例えば、参謀のようなポジション。

INTPの場合は必ずしも参謀に向いているとは限らないのではないかと思う。誰にも望まれていない自己増殖的な思考は、どうしても役割を逸脱してしまう。

次から次へとわいてくる新しい考え、脱線に次ぐ脱線、同時に複数の可能性を考える傾向。他人から「これについて考えて」とテーマを指定されても、あまりにもかけ離れたところに思考がおよぶかもしれない。

でも役割をはみ出して裏を読むということが、ごくまれに、思わぬタイミングで誰も気づかなかった隠された構造をあぶり出すという形で貢献をもたらすこともある。この隠された構造が全体の方針を決めることに役立つこともある。

「思わぬタイミング」というのがポイントで、INTJの貢献のように「求められたタイミング」ではないのである。

また、INTJは正解を考えることにある程度は親和性しんわせいがある。対して、INTPは誰にとっても居心地の悪い新しい質問を考えることに親和性がある。

数字で判定される能力主義で、かつ労働者の側に裁量がほとんどないような場合、労働現場ではINTPらしさが活かされることが少ないかもしれない。

せっかくINTPが全体の方針について考えているのに、そこは無視されて「一つ一つの作業が遅い」とか、「ぼーっとしている時間が長すぎる」という印象を与えるだけで終わるということにもつながる。

あるいは、全体の方針に反映されたら反映されたで、搾取のような構図になってしまうこともある。全体の方針だからこそ、本人の通常業務の成績に反映させるすべがないかもしれない。

わたくしが経験したことのあるルーチンワーク的要素の強い仕事としては、2017年秋〜2020年春のコールセンター勤務がある。ChatGPTなどのLLMが世界を席巻する直前だ。

わたくしは勤務中、すべての問い合わせに対し、この記事の冒頭に列挙したようなことを考えていた。これはすべての問い合わせについてそうであり、例外はない。もちろん非常に疲れるし、対応時間も長くなる。AHT(平均処理時間)は個人の成績として重要な指標である。つまり自分の成績が悪くなるということでもあるのだ。でも考えることはやめられない。

効率というものを考えるのは好きなのである。でも、効率について考えれば考えるほど、AHTは悪化していくという逆説がある。自分自身がプレイヤーの時に割り切ってこなすということができない。

マラソンで例えるなら、走っている最中にスポーツ生理学の論文のアイディアを頻繁にメモしているような状態である。

ルーチンワーク的要素の薄い頭脳労働であっても、要注意である。頭脳労働の一般論として、あまり細かくタスクが分割されてしまうと、全体のプロジェクトの遂行にタスク外の活動が必須になってしまうということがある。INTPのINTPらしさが発揮できる領域はことごとくタスク外の活動ということになりかねず、負担が増加したり、評価が下がる要因となる。

『図解 あなたの天職がわかる16の性格』という本の2018年刊行の邦訳のP.97には、INTPについて以下のような記述がある。

柔軟性があり、いつまでも可能性をさぐっており、考えだした解決策を現実に実行することよりも、もっとふさわしい解決策があるのではないかと、いつまでも考えていたい。

『図解 あなたの天職がわかる16の性格』

そしてこの下に、肘を付いて考え事をしている女性のイラストがある。

わたくしはこのイラストを見て、頭を抱えてしまった。

これを初めて読んだ時点で、すでにわたくしはINTPがどのような存在なのかは把握はあくしているつもりだった。だからこそ頭を抱えてしまったのだった。

これはINTPだけの特徴といっていいのか?

本当にそう認めてしまっていいのか?

人は誰でも、この女性のイラストのように、ずっとずっと考えていたい生き物ではないのか?

何かに真剣に取り組むなら、実行力に多少の違いはあるとしても、もっと良い案があるかもしれないとずっとずっと考え続けるのが大多数の普通の人間なのではないのか?

一人でずっとずっと考えている時にどんなことを考えがちなのかという、そこに個性があらわれるのであり、その違いが知りたくて性格分類に惹かれているというのに、そもそも考えないなどとということがあっていいのか。

もちろん、あまり考えない人がいるということは頭では理解していた。でもそれは人口比としては1%〜3%程度の特殊な人々であってほしかったのだ。

もう今となっては、わたくしは深いあきらめの中を生きている。

ところで、『図解 あなたの天職がわかる16の性格』の引用箇所にあった「柔軟性」という言葉について補足しておくなら、他人が決定を何度もひっくり返しても辛抱強く付き合えるということではない。

INTPが持つ柔軟性とは、今まで考慮していなかった事実に自分で気づいたり、新しい可能性を自分で思いついたりした時に、自分の好きなタイミングで自分の好きなようにひっくり返すというような、そういう柔軟性だろう。

他者がどのように思考しているのかということについては、想像するしかない。わたくしは子供のころから、このことに惑わされ、また周囲を困惑させていたかもしれない。

小学校の国語の授業で時々、笑わせるつもりがないのに冗談を言っていると教師に解釈されることがあった。このような齟齬そごの中には、わたくしが「人は誰でも一人の時に考え続けているものだ」とか「人は誰でも何らかの刺激に対して延々と思考が広がっていくものだ」ということを当たり前のものとしすぎていることに起因するものがあったかもしれない。

減点方式の試験問題における登場人物の心情は、とにかく素直に考えようとしてもだめなのであり、「国語」というタイトルのゲームをプレイしているだけにすぎないのだと割り切る必要があった。

よく「相手の気持ちになって考えなさい」とか「もし相手の立場だったら自分がどう思うか想像しろ」というけど、こういった発想も非常に厄介な問題をはらんでいる。

わたくしにとっての「自分なら当然こう思う」が、多くの人にとっては「そんなこと普通は考えない」と感じるものだからだ。

「こういう時お前ならどう思う?」とか「俺の気持ちになって考えてみてほしい」というようなことを直接的に言われた時に、わたくしが不用意に正直に話してしまったことによって、異様な形相でにらみつけられたり、ものすごくかわいそうな人を見るような目つきをされたりしたこともある。

この人であれば、そしてこの流れならば、正直に話しても大丈夫だろうと、今こそ正直になるべきだろうと、それなりにいろんなことを考慮してタイミングや言い方に気をつけたつもりでも、やはりだめなのである。

自分の素を出すことによって、身体的な暴力を受けることにつながったINTPもそれなりにいそうである。

とりあえずINTPは、よく知らない人のことは全員宇宙人だと思っておいたほうがいいのかもしれない。

そしてギリギリでウソにならないような範囲内で、常に他人をあざむいて生きざるをえないのだ。

ところで、他人から「何も考えていない」と言われることがあるという経験について、INTPを自認する人が書いているのをnoteやSNSでは時々見かける。もちろん、INTPは日々膨大な思考をしている自分のことをよく分かっているため、そのように他人から見えるのは非常に奇妙だという話である。

これが起こる要因は一つだけではないだろう。

おそらく、INTPは自分が考えていることをそう簡単に他人に言うわけにはいかないというのも、要因の一つとしてあるのではないかと思う。

今回の記事の冒頭の「そこにあるものはなんですか?」の質問について、公安やCIAや中国共産党の可能性を考えるような例を示した。こういうものは、相手に言えるわけがないのである。

いやいや、別にあなたを疑っているわけではないんですよ。全員に対してこういう可能性を考慮してしまうんですよ。たとえそのように自分では思っていたとしても、それを証明する方法はない。だからそこは黙っておくしかない。もし可能性を口にしてしまったら、その可能性を口にしたという事実は相手に刻まれてしまうのだ。

他人が考えてほしいことを、他人が考えてほしいやり方で考えるという意味では、そういうことはほとんどしていないという場合はある。その意味では「何も考えていない」はある程度は正しいのかもしれない。

現代社会において、INTPは何らかの形で擬態ぎたいを余儀なくされる。相手が誰であってもそうだ。INTP同士であっても。SNSやVRSNSのみのコミュニケーションで、自分を特定されない形でしか自分を開示していない場合であっても。

擬態することと本音を隠すことは混同されることがあるが、まったく別物だ。本音を隠しているだけで擬態はしていないという人はとてもたくさんいる。

本音を隠す行為が陰部を隠すために服を着ることだとするなら、INTPが必要としている擬態とは、本当は軟体動物なのに脊椎動物であるかのように24時間365日振る舞うような、そういうたぐいのものとなる。INFPも似た状況にあるだろう。

INTPやINFPの自認を開示することによって、擬態がまったく必要なくなることはないかもしれないが、擬態の際の緊張度が多少はゆるむという効果はあるかもしれない。また、過剰な演技をする必要がなくなる場合もある。

女性の場合はINTJにも同じことがいえそうだ。

以前わたくしは「ヤマノイモ・ウォッシュ」という概念を提示したことがある。INTPやINTJなどの自認を開示することが、この「ヤマノイモ・ウォッシュ」を起こりにくくする効果をもたらす場合もあったりするかもしれない。

様々な分析やシミュレーションは、帰属意識が強い人(ヤマノイモ型の人)には攻撃的にとらえられることがある。自分の思考は特定のグループへの帰属を背景にしたものではないというサインを提示しておくことで、余計なトラブルを回避できるかもしれない。そういうサインがあるからこそ、INTPやINTJは自分の考えたことを過剰に隠蔽する必要がなくなるというわけである。

この「ヤマノイモ・ウォッシュ」については、「関わりたい人がいないということ」という記事の中の「はじめに」と「ジョブ型の関係とメンバーシップ型の関係」のセクションを参照。

この記事は10万字超えで、かなり長いので注意。また、先に中井久夫の「世に棲む患者」というエッセイを読んで、中井久夫のいう「オリヅルラン型」と「ヤマノイモ型」の対比を理解しておく必要があるかもしれない。

さて、ここで擬態というものを考えるために根本敬ねもとたかしの『怪人無礼講ララバイ』に着目してみたい。根本敬は1990年代に「INTP受け」していたといえそうな漫画家である。

『怪人無礼講ララバイ』については、作者本人がINTPかどうかは知らないが、この漫画に強く反応していた人の中にはそれなりにINTPがいたはずなのである。

そして、こういう本が商業作品として出版され流通しているという事実が精神的な安定をもたらす要因となっていたINTPもいたはずだ。

内容そのものというより、その事実が重要なのだ。そういう世界に生きているのだという事実。

そしてこの『怪人無礼講ララバイ』には、本の冒頭にオマケのマンガのようなものがある。保険外交員らしきおばさんが「根本敬」という表札のある家を訪れ、住人に「お兄ちゃん大学生?」と聞く。住人が学生ではなく漫画家だと告げると、おばさんはぜひ作品を見てみたいという。住人は難色を示すが、最終的に「ハイ、これです」と『怪人無礼講ララバイ』を手渡す。

冒頭のマンガはここで終わりで、そこから本編が始まるわけだ。どのような本編なのかは、読んでもらえれば分かるだろう。

INTPが漂わせがちな子供っぽさやダサさと、実際に頭の中で考えていることのグロテスクさとのギャップ。これに近いものがここにはある。

「住人」の言動には擬態はあるかもしれないが、ウソをついているわけではないというのもポイントだ。

ちなみにこのオマケのマンガについては「COMIC BY. 津円亭環七」とあり、別の人が描いているようにも読める。

『怪人無礼講ララバイ』には『MONSTER MEN BUREIKO LULLABY』として英語版もあるが、英語版にもこの冒頭の漫画があるのかどうかは確認していない。また、1990年刊行の青林堂せいりんどう版も確認していない。わたくしが所有している『怪人無礼講ララバイ』は1999年刊行の青林工藝舎せいりんこうげいしゃ版である。

おそらく1999年ごろのわたくしというのは、中高生っぽさがあったはずだ。あれからもうだいぶ時間が経ったが、わたくしは2025年になってからも年配の女性から「学生さんですか?」と聞かれてしまった。しかも複数回。わたくしは2025年は残念ながらずっと無収入であり、非常に広い意味での学生をやり続けています、ということでもいいのかもしれないが。

自分の学生っぽさというのはそれなりに自覚しているし、もうそれでいいと思っている。労働経験はあるが、一度も「社会」には出たことがないといえるのだろう。

学校に通っていたころが忘れられないということではなく、立場が曖昧であるほうが落ち着くということかもしれない。

いろんな意味で、INTPは放課後を生きている。

放課後というのは、役割が曖昧ということでもある。

生徒と教師の非対称性が薄らいだり、逆転したりする。

ISTPやINTJは、INTPに比べれば特定の役割になじみやすい。役割というものを超越したところにINTPらしさがある。

ただし、たとえ本心であっても「自分は何者でもないから」ということを強調しすぎると、かえって何らかの役割を押し付けようとする人を引き付けてしまうことがあるかもしれない。

ふだんから役割を押し付けたがっている人が、INTPを目の前にするとますますやる気を出してしまうという問題がある。これはINFPの周囲でも起こりやすい。

INxPにとっては、あえて何かを自称するということを続けることが「私に何か役割を押し付けるつもりならあきらめてね」という公示として機能することもあるだろう。

この放課後を重視するという態度は、授業を軽視することだとは限らない。

授業が終わるとすぐに頭を切り替えるのが良いとされることがあるが、INTPにとってはそうだとはいえない。

そのような切り替えは、他者あるいは社会の側からの要請である。その要請にうまく応えるようになってしまうことで、INTPの良さがかえって失われることがあるかもしれない。

今回の記事の冒頭の「そこにあるものはなんですか?」という質問を受けた時のINTPの反応について、もう一度よく思い出してほしい。

あれを列挙した時、その思考をしているのはいつなのか、ということについては曖昧にしておいたことにお気づきだろうか。

動画の内容を受けてあれを列挙したわけだから、普通に考えれば「そこにあるものはなんですか?」の質問を受けた直後ということになりそうではある。でもINTPらしいといえるのは、むしろ時間差が生じる時である。

質問の直後より、しばらく経ってから。会議の最中より、会議が終わってしばらくした時。

試験が終わってから、ふとした時に問題文の意味を取り違えていた可能性に気づく瞬間。

学校の授業においても、何気なく発した教師の一言を授業が終わってから延々と考え続けることがあったかもしれない。

これは復習とはまた異なる。復習は教師の意図を尊重するのが前提だ。気になったところを放課後になっても考え続ける態度は、教師の意図を超越した、自分の好奇心こそ最重要となる。

タイミングのズレは、それ自体が役割の超越と関連する。

質問というものは、通常は質問を受けた直後こそが、「質問者」と「回答者」という非対称性が最も強い時期である。役割がはっきりしている。

INTPらしい「回答」は、場合によっては質問を受けてから10年後や20年後になされる、時間をかけて練り上げた構築感のある何かである。もう質問した人は忘れているかもしれないし、たとえ覚えていたとしても回答になっていないと思うかもしれない。

同期コミュニケーションと非同期コミュニケーションの対比においては、非同期コミュニケーションというのはそれ自体が役割を少し曖昧にする効果がある。

即レスを前提にしたチャットは、ツールとしてチャットを使っているだけであり、基本的には同期コミュニケーションだといえる。

『MBTIへのいざない』(邦訳は2012年刊)のP.182〜P.185に、時間のズレが生む不信感についての解説がある。E型は、I型がすぐに質問に答えない時に、何かやましいことがあると考えがちである。逆に、E型がなんでも即答することによって、I型は自分の疑問点を真剣に吟味してくれていないと思うかもしれない。

可能性について考えだすと、時間のズレはより大きくなるかもしれない。

可能性についてじっくり考えるという行為は、必然的に役割からの逸脱をはらむ。役割の境界を意識するなら、「ここから先を考え出すと役割を超えてしまうので考えません」という機会が多少は発生する。INTPにとっては、それはとても窮屈だ。おそらくINFPにとっても。

ISTPを含めてほとんどのS型にとって、可能性について考える時というのは、現実がまず強固なものとして存在しており、その周囲に霧のように漂っているのが可能性である。

INTPにとっては可能性こそが本体である。現実とは可能性と可能性のすき間でうごめく油断ならない何かである。時にはその油断ならない現実を足がかりにしなければならないこともあるかもしれない。でもその足場も、確固たる土台というよりは、足を乗せた瞬間から崩れ落ちるようなものかもしれない。

可能性こそが本体であるがゆえに、大多数とは違う視点で眺めることができるようになる。

それは時として、これまでのガラス細工のような複雑な経緯だったり、先人たちの議論の積み上げだったり、そういうものを完全に無視するような形をとることがあり、自信過剰とか傲岸不遜ごうがんふそんという印象を与えることもある。

そしてこの無視のあり方というのが、特定の勢力を代弁するようなものだったりすると、あまりINTPらしくないわけだ。誰にとっても何の得にもならないような無視のあり方こそがINTPらしいといえる。さらに、他人からは全員が損をするように見えるアイディアであったとしても、INTPは「これは全員にとって長期的にメリットがある」と無邪気に考えている場合がある。

前述の『図解 あなたの天職がわかる16の性格』では、xSxJ(つまりESTJ、ESFJ、ISTJ、ISFJ)のところにはすべて「何が期待されているのか」ということを上司にはっきりしてもらおうというアドバイスがあることにも着目したい(P.36、P.42、P.48、P.54)。

xSxJはいろんな意味で社会人との親和性がある。役割をはっきりさせることにより、経済活動や行政活動は成り立っている。

xNxPは役割からの逸脱を必要としている。役割からの逸脱こそが役割であるという逆説がある。

役割をはっきりさせることは「手を動かす」こととの親和性もある。

「手を動かす」の逆というと、他人をアゴで使うとか、行政や政治家と積極的に関わってロビー活動をするとか、そういうことが連想されてしまう場合がある。人を使う立場やロビー活動も、役割というのはそれなりにはっきりしているし、社会人としての枠組みの中での活動だ。わたくしから見れば、人を使ったりロビー活動をしたりするのも「手を動かす」の一形態にすぎない。

多くのxNxP、特にINxPにとっては、「手を動かす」の逆はそういうことではない。

これについてイメージしてもらうための分かりやすい例として、20世紀後半のドイツの精神医学のことを挙げておきたい。中井久夫のエッセイ「ドイツの同世代の医師」には以下のような箇所がある(みすず書房『中井久夫集 2』P.189)。

かの国では、臨床と研究とはまったく交流がないらしい。後に留学の人に聞いたが、かの地の教授には「統合失調症の本質」を考えるのに、何日も部屋に籠もって天井を見つめたり、森を何時間もさまよう人もある。「患者は?」「さあ、一人、土曜の午後に診ているくらいか」。

中井久夫「ドイツの同世代の医師」

これは1985年発表のエッセイであることに注意してほしい。2026年現在のドイツのことは知らない。

また、飯田真いいだしんとの共著による『天才の精神病理』には、ウィトゲンシュタインについて以下のような箇所がある(2001年刊の岩波現代文庫版『天才の精神病理』P.143)。

いったんケンブリッジに戻った後彼は一人でノルウェーに帰り、ベルゲン北方ソグネ・フィヨルドのちかくに小屋を建て、一年近く完全な独居生活を送る。ノルウェーの数あるフィヨルドの中でも最も美しいといわれるこのフィヨルドの、生命を感じさせない超絶的風景は、彼の内面とよく釣合い、いわば彼の心象風景となった。

このフィヨルドは彼にとって変わらぬ安息の場となり、後にも抽象的思考の生産性が高まったり、心的危機におちいりそうになるたびに彼はこのフィヨルドにかけつけるのであった。

飯田真/中井久夫『天才の精神病理』

人の気配のない場所で静かに過ごすことは、INxxにとっては自己治療的となるというのも重要だ。

そういえば、去年(2025年)の11月に気になる記事があった。

AIの登場によって応募書類などを人間が「手間ひまかけて」構築する必要がなくなり、判定のための重要なシグナルが失われたのだという。この論調が正しいとしたら、INTPにとっては危機感を感じるべきなのかもしれない。

「手間ひまかけて」少しずつ練り上げていくようなものこそが、INTPのINTPらしさがあらわれる領域だ。

もっとも、もう無理をして社会に出る必要がないというINTPもいるだろうし、苦手なことを補強してくれるAIの存在によってかえって自分の社会的重要性が増したと感じるINTPもいるはずだ。

実際に仕事の機会がどのように増減するかというのは社会情勢とも関わりがあり予測が難しい。だからここでは判定のあり方そのものについて考えたい。

ある人物のINTPらしさを考えたい時、今後はどうすればいいのだろう、ということだ。

INTPの特性を理解した上で、「この人はどんな風にINTPらしいだろう」ということを判定したいという時、もはやそういう判定をすること自体が不可能になりつつあるのだろうか。

これは、応募書類のようなものだけでなく、そもそも試験とはどのようにあるべきかということともつながる。

物理的に人を拘束して実施する試験であれば、AIの使用がないことについては証明できる。

単に試験の際にAIを使用していないだけでなく、じっくり練り上げるという要素を持ち込むことは可能だろうか。

知能テストでもそれに近い発想にもとづいて試験時間を長く設定している場合がある。例えば、日本ではCAMSキャムズと呼ばれる検査がある。これは試験時間が3時間もあるらしい。こういう知能テストでは、INTPが高得点になりやすいかもしれない。

CAMSは2020年前後にギフテッドの文脈と結び付けられ、話題となった。様々な批判もあるようだ。ちなみにわたくしはこういった知能テストを受けたことはない。

知能検査に多様性があることは、それなりに面白いことではあるのかもしれない。あの検査ではイマイチだったけどこっちの検査では高得点、という事態が発生した時に、それがどういう要因なのか考察することには意味があるかもしれない。

INTPらしさが発揮できるかということを考えるなら、本当に3時間でいいのかという疑問も浮かぶ。

個人的には、睡眠をはさむというのが重要な気がするのである。

人間は睡眠中にこそ、頭の中で重要なことが起こっている。

睡眠中の思考こそが本体であり、覚醒中の思考はその影のようなものにすぎないのではないかと思うことすらある。

あるいは、人間というのは睡眠中の活動の豊かさを超えるような豊かさを覚醒中の世界の中に持ち込むことはできない、という可能性がある。

知能検査においても、睡眠をはさんで問題を解くようなものがあってもいいのではないだろうか。

そして、できれば複数回の睡眠をはさんだほうがいい気もするのだ。

つまり、2泊3日の知能検査。

こうすれば、真ん中の日は起きてから寝るまでずっと、テストのことだけに専念できる。

2泊3日なので、トータルの試験時間は50時間〜60時間程度ということになるだろう。

もちろん完全に隔離された空間である必要がある。試験会場に机を並べるということではなく、ベッドやシャワーやトイレがそれぞれの部屋にあるような、個室での検査になるだろう。何か事情があってその個室を出なければならない場合はすなわち失格ということだ。

換気扇などを通じてこっそりコミュニケーションがとれてしまうことも考慮し、建物は独立しているほうが望ましいだろう。

電波と音の両方を遮断するため、分厚いコンクリートの建物になっている必要があるかもしれない。そもそも、入室時にはあらゆる電子デバイスは没収だろう。コンクリートであっても、内装が殺伐としているのはよくないかもしれない。適切な温度の管理があり、リラックスできる内装ではあるが、窓があってはならない。

食事をどうするかは難しい。どういうことなのかは、『ルーズ戦記 オールドボーイ』の原作を読んでみてほしい。

極めて高い知能を持った人間が受験するかもしれず、あっと驚く方法で他の受験者や外部の人間とコミュニケーションをとるかもしれないことは入念に考慮しておく必要があるだろう。ジャック・フットレルの短編小説「十三号独房の問題」に登場するオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン教授のような人が受験するかもしれないのだ。

建物が独立していることは、別の副次的効果をもたらす。人の気配があると集中できなくなる人に対しても、集中できる環境を用意することになる。

2泊3日というのは、判定される側だけではなく判定する側においても有効かもしれない。

これについてはターリ・シャーロットの『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(邦訳は2019年刊)の第8章「「みんなの意見」は本当にすごい?」に書かれている内容を踏まえておくと、より理解しやすいはずである。

人は何かを判断しようとする時、他人がどう思っているのかを先に知ってしまうと、相互依存が発生してしまう。だから意見を口に出して言わずに、まずは紙に書いてからいっせいに全員の意見を開示する方法がとられたりする。

人間を採用する際もそうだし、作品の良し悪しとか、誰が最も鋭い考察をしているかとか、そういった判定にも使える手法だ。

こういう判定において、INTPの判断を信頼するのであれば、複数のINTPを別々の部屋に隔離して2泊3日でじっくり考えさせるというのが有効かもしれない。

各種シミュレーションなどの場合にも有効だろう。チーム内で存在感のあるベテランが先に提示したシミュレーションは、他の全員に影響を与えてしまう。だから別々にシミュレーションをさせるわけだ。

シミュレーションのためのINTPを集めてきて、前述のようなコンクリートの建物にバラバラに隔離し、全員の隔離が完了してから今回のお題が一方的に通知される。その後は、一方的な通知以外は誰ともコミュニケーションをとらせないようにし、50時間〜60時間程度かけて自分の分析を完成させ、いっせいに部屋を出るわけだ。

ローカルLLMでAIとの対話が可能なINTPと、Wikipediaのダンプデータと電子書籍と各種辞書くらいしかアクセスできないINTPと、両方用意してみて結果を比較するのも面白いかもしれない。

ちなみに今回の記事「2泊3日のINTP」については、AIを使用していない。その構想段階などにおいてもAIを使用せずに書いている。書き始めてからの壁打ちや仕上げなどにもAIを一切使用することなく公開まで持っていく予定である。

今回の記事に限らず、日本語の文章やプログラミングについては基本的にずっとそうだ。各種実験や画像生成や英語の文章作成時の添削などにはAIを活用することもある。

ちなみに今回の「2泊3日のINTP」も2泊3日で完成させるつもりで書き始めた。でも結果的には「延泊」をしてしまうことになった。書き始めたのは2026年1月24日午前2時ごろなので、もし1月29日午前中のうちに無事に公開できたとしたら、5泊6日だ。

2026年1月現在、わたくしは生活保護受給者であり、起きてから寝るまでずっと文章を書いている日があっても社会的には大きな問題が起こらない。生活保護がなければ、こういうものを書くことはできなかっただろう。

すき間の時間だけでは決して書けないたぐいの文章があるのだ。

どうしてもすき間の時間だけで文章を書かざるをえないという人も、2泊3日の発想は有効なのではないかと思う。

他の人が実際にどのように記事を書いているのかは知らないが、noteなどにおいては、書き始めてから睡眠をはさむことなく記事をアップしているINTPがそれなりに多いような気がするのである。

そのせいか、記事はENTPっぽいかもしくはISTPっぽく見えることが多い。あるいはINTJ。

わたくしはもっと、INTPによる2泊3日の記事が読みたい。

2026年現在、SNSではすぐに反応をするのが良いとされたり、リアルタイムで発信し続けたりするのが良いとされることが多い。もちろん、そういう姿勢の人がいてもいいのだが、全員がそれに従う必要はない。今後、そういう人が激減するとは考えにくい。

そして、逆をあえてやろうという人はすでに絶滅危惧種になりつつある。

Xにおける「類型界隈」のINTPも、INTPらしさがあまりない気がする。自認が誤っているというよりは、界隈の一員で居続けるということがINTPの感覚とはそぐわないからという可能性がある。

「いやいやこいつ、類型界隈じゃないだろ???」という疑問が生じるくらいのほうが、INTPらしいのではないかという気もしてくる。

ちなみに「界隈」という言葉を当事者が使う場合、2026年時点では自嘲的じちょうてきなニュアンスをうっすら含む気がしている。だからINxPやINTJが当事者として類型界隈にいるという違和感や逆説性は、「界隈」という言葉によってあらかじめ内包されているといえなくもない。

SNSやnoteとは関係なく、友人との何気ない会話などにおいても注意したほうがいいかもしれないことがある。

口頭の会話であっても、性急に言語化をしてしまうということによって失われるものがあるのではないかということである。

わたくしは特に、映画においてそれを思うのである。

やはり良い映画というのは、2泊3日かけて観たほうがいいのである。

わたくしの場合は自然にそうしてしまうことが多かった気がするのだが、良い映画に出会ったと思ったなら、まずは何を観たのかをしばらく誰にも言わない。簡単なメモも残さない。そしてしばらく、他の映画を観ない。

こうすることにより、インパクトの強い映画なら頭の中で何度も再生され、場合によっては関連することが夢に出てきたりする。

難しいのは、自分にとって良い映画なのかどうかは観てみないと分からないことだ。すべての映画を2泊3日にする必要はないのである。

1クールのアニメなども同様だ。13話を6時間かけて一気に観るのではなく、睡眠を2回はさむのである。観終わるまで言語化しないということと、他の映像作品を観ないことが重要だ。

旅行などについてもそうかもしれない。ある場所を、2泊3日かけてじっくり味わうことをもっとやったほうがいいのかもしれない。

わたくしには、すでに何度も足を運んでいるにも関わらず、2泊3日をやり損ねている場所がたくさんある。例えば、沖縄の久高島くだかじまもそうである。

ああいうところは、起きてから寝るまでずっと留まり続けるような日があったほうがいい。

2泊3日を前提にする態度については、1990年代のインターネットには全体としてそういう雰囲気があった気がする。

あのころの雰囲気を強引に復活させたりするのは不可能であることはもう分かっている。あのころはインターネットそのものが、ごく一部の人のためのものだったのだ。偏りを前提にしていたのだ。

もっとはっきり言ってしまえば、あのころはINTPの感覚に合わせるのが当たり前だったのだ。それがあのころのインターネットだったのだ。

世代の違いによってウヤムヤになってしまっているが、あのころもESFJやESTJの「ネットユーザー」は多少はいたのだろう。でもESxJのほとんどは情報や画像を収集するためだけにインターネットを使っていて、個人サイトや掲示板での営みとは無関係だった可能性が高い。

2026年現在、SNSでは機能的非識字とおぼしき人が堂々と意見を表明し続けているような場面も見かける気がして、こういうものもどう考えればいいのか分からない。

おそらく、どんなに教育を工夫しても10%〜35%程度は機能的非識字あるいはディスレクシア(読字障害)となる。ここに時代や地域は関係ない。そして、そのようになっていることには進化論的必然性がある可能性すらあり、教育やリテラシーの問題であるとは簡単に考えないほうがいい。

またディスレクシアの人の中には、高い知能を持っていたり、視覚表現や3次元の空間デザインにおいて豊かな創造性を発揮するような人がいたりするため、話がややこしい。このことは、今後VRSNSあるいはメタバースの文脈で重要になってくる可能性もある。

ちなみにわたくしは、常に2泊3日で文章を書くわけではない。

わたくしがつい最近公開した以下の記事は、まったく逆のものである。書き始めてから一度も睡眠をはさむことなく、そのまま公開した。

noteのシステムのカウントでは約3,300字の記事だ。実際に読んでもらえれば分かると思うが、INTPらしさはあまりない。

いろんな意味で「よそいき」の顔が反映された記事だ。

意図的に抑制的に書いたわけではないということは強調しておきたい。あくまでも1月23日のうちに公開しようということだけを決めて書き始めた。書き始めてから公開まで約12時間かかっているし、特別に急いだわけでもない。睡眠をはさんでいないというのが重要だ。

ちなみにわたくしは最近、ZINEジン企画(同人企画)にエッセイを寄稿した。noteでの四半期ごとの活動報告 [cdwsumup-2025-4q] やXでのポストでは、このエッセイは書き始めてから「60時間」でほぼ完成だという言い方をした。結局はこれも「2泊3日」だと言い換えることが可能だろう。

この寄稿のエッセイ「どこか遠くで、そばにいて」については、2泊3日で「ほぼ」完成であり、そのあとも推敲は続けた。自分の文章が久々に縦書きになるということで、Linuxでも使える縦書きのビューワーを用意して、どのあたりで文字送りになるだろうかとか、そういうことも考えながら年末のギリギリまで推敲を続けた。

こういう寄稿は生まれて初めてであり、実際に寄稿してみる経験というのは、それなりにいろんなことを考えるきっかけになった。

別に誰かからそう質問されたわけではないが、「で?どうなの?実際に寄稿してみて、どうだったの?」ということについての、INTPらしくない回答が前述の lit.link 云々うんぬんの記事( https://note.com/cleemy/n/n50f3e78f1660 )であり、INTPらしい回答が今回の「2泊3日のINTP」だといえるかもしれない。

今回の記事は2万字を超えているのもポイントだ。

ちなみに冒頭で紹介した動画( https://www.youtube.com/shorts/Y_ixYkq_D7k )については、最初に知ったのはXのポストであり、すぐに「これはINTPの解説のための題材に使えるかも」と思った。でも実際に記事を書き始めることなく時間が過ぎた。

INTPを自認する人のINTPらしさが、SNS上で薄まることについての記事の構想が別にあり、今年になってからこれを合体させることにして、今回の記事が出来上がったのである。

自分が思いついた複数のアイディアの合体あるいは合成というのも、それなりにINTPらしいといえるのではないかと思っている。

合成と再解釈というのはINTPの頭の中で延々と起こり続けていることだ。

この合体や合成は、睡眠中に重要なきっかけがあることが多い気がする。

INTPが小説を書く時には、それが良い方向に作用することもあるかもしれない。

入念で大胆なプロットもINTPらしいが、神がそうさせたとしか思えないというような奇跡的な再解釈もまたINTPらしいのである。

そして複数のアイディアが合体する時、何月何日何時何分にこのアイディアは合体した、といえるようなことはまずない。やはり2泊3日かけて合体するのだ。

そもそも、アイディアを思いつくとはどういうことかを考えていくと、アイディアを思いつくタイミングは点として存在しているわけではないのかもしれない。実際は2泊3日かけて思いついたようなものが多いかもしれないと仮定してみることはできる。

たとえ本人の認識では点として存在していても、本当にそうなのかというのはよく考えてみたほうがいいのかもしれない。

人類史的に重要な発見についても、その発見の瞬間が点として存在しているわけではなく、INTPが2泊3日かけて思いついたものというような、そういうアイディアだってそれなりに多いかもしれないのだ。

そして、そういう重要なアイディアも人類史的な視点での真価というのは、すぐには分からない。

それは2泊3日で判定できるものではない。

何十年、場合によっては何世紀も経たなければ分からないということもあるのだ。

 

参考文献

  • ポール・D・ティーガー/バーバラ・バロン『図解 あなたの天職がわかる16の性格』

  • R・R・ペアマン/S・C・アルブリットン『MBTIへのいざない』

  • 中井久夫なかいひさお「世に棲む患者」(ちくま学芸文庫版『世に棲む患者』や、みすず書房版『中井久夫集 1』などに収録)

  • 中井久夫「ドイツの同世代の医師」(みすず書房版『中井久夫集 2』などに収録)

  • 飯田真いいだしん/中井久夫『天才の精神病理』

  • ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

  • 根本敬ねもとたかし『怪人無礼講ララバイ』

  • 土屋つちやガロン/嶺岸信明みねぎししんめい『ルーズ戦記 オールドボーイ』

  • ジャック・フットレル「十三号独房の問題」

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