クルド人への過激な弾圧

 権利を抑圧され、民族のアイデンティティを否定されたクルド人は反発した。クルド人が多く住むトルコ東部や南東部で大規模な反乱が起こるが、そのたびに政府に弾圧され多数の死者が出た。

1960年代以降は、イスタンブールなど都市にいるクルド人からも学生や若者を中心に民族のアイデンティティを回復しようとする運動が強まった。さまざまな左派グループが誕生したが、特に影響力を強めたのが、アブドゥッラー・オジャランが組織したクルディスタン労働者党(PKK)だ。トルコからのクルド地域の分離・独立を求めて、1984年からクルド人の村落や山岳地帯を拠点としてゲリラ活動を展開した。これに対して、トルコ政府は軍事力で、クルド人の村を焼き払うなど「無人化政策」と呼ばれる弾圧も展開した。

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 最も激しかったのは1990年代で、PKKと政府との抗争で、1984年から2016年までの32年間に、3万人から4万人が巻き込まれて亡くなり、その大半はクルド人だったとみられる。クルド人を中心に国内避難民も35万人に及んだ。

欧州やカナダ、米国に何万人ものクルド人が難民として逃げた。ビザ免除協定がある日本にも逃げ、埼玉県の川口市などで暮らすようになった。

なぜクルド人は川口市に住むのか

 なぜ川口市や蕨市に多数のクルド人が住むのか。90年代に来日した年配のクルド人らによると、初期に来たクルド人が、川口市で仕事をみつけ、そのつてを頼って来日した同郷の親戚や知人が、川口市に住んだことがきっかけという。その人々を頼って新たに来日したクルド人も川口市に来たため、ネズミ算式に川口市・蕨市に住むクルド人が増えていった。いまでは約2000人が同市周辺に住んでいる。日本人があまりやりたがらない仕事といわれる解体会社で働く人が多い。川口市内には、クルド人が経営するケバブ料理の店も何軒かある。

 だが、日本でのクルド人の暮らしは安定しているとは言い難い状況だ。入管庁は難民申請が不認定になったり、在留資格を過ぎて超過滞在(オーバーステイ)になったりした外国人には帰国を求めている。拒否した人には「退去強制令書」と呼ばれる退去命令を出す。それでも帰らないと入管施設に収容し、帰国に同意するよう説得し、最終的には飛行機に乗せて母国に強制送還することもある。

ただし、収容が長期化した場合や病気などで収容に耐えられない人、子どもがいて保護者としてほかにその子の保護をする人がいない場合には、入管施設の外での生活を認めている。これが「仮放免」といわれる仕組みだ。ほとんどの場合、仮放免者には日本での在留資格が与えられない。働くことが禁止され、住民票もなく国民健康保険にも加入できないなど厳しい条件で暮らす。クルド人は難民申請のための「特定活動」や「日本人の配偶者等」の在留資格を持つ人も多いが、「仮放免」の状態で暮らしている人も少なくない。

2024年6月施行の改正入管難民法では施設外での生活を認める仕組みとして「監理措置」という制度も設けられたが、退去強制令書が発付された人は就労も禁止で、厳しい条件は仮放免と同様だ。

入管庁の統計によると、仮放免者(退去強制令書までは出ていないが収容生活を命じられた人も含む)は24年末で3478人。このうち974人がトルコ出身で大半はクルド人とみられる。入管庁は在留資格がない外国人を「不法滞在者」とみなしており、これが近年激化するクルド人批判の根拠ともなっている。

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