全部がなくなっても大丈夫。
東京在住の女性S様から「坂爪さんに話を聞いてもらって、どう思うか聞きたいです。ギターを持っていきますので、会っている間中ギターを弾いていていただいて大丈夫なので、私と会って話していただけませんか。場所はよく行く代々木のノアというスタジオの小さな部屋が取れそうです。そこはどうだろうかと考えています。よろしくお願いします」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。私たちは、スタジオで合流した。
S様は言った。俳優の仕事をしているが、尊敬する人から「スカしてんじゃないよ」と言われた。演劇の仕事は大人の事情が絡み合っているから、言いたいことを言うのも面倒臭く、自己完結している間に怒りを溜め込むようになって、怒れない代わりに全身から怒りが滲み出るようになった。いったい自分は誰に怒っているのかわからない。標的が明確ならそこに向かってぶちまけられるけど、標的がはっきりしていないから、消化不良の思いを抱えている。みんなは一体どうやって怒っているのか。S様は、そのようなことを言った。
私は「S様は、世界に怒っているように見える。だから、世界に向かって怒ればいいと思う」と言った。無条件。こんなことをされた時はこれくらい怒っていいとか、この程度のことでこんなにも怒ってはいけないとか、感情に条件をつけない。芸術に触れる目的は、傷つきたいから。傷つけられたいから。普通の人間なんて見たくない。感性に潤いを与えて、精神性を拡張して、時にはハンマーで殴られたようなショックを受けながら、既存の価値観をぶっ壊してもらうために、私たちは芸術に触れる。それが「売れなきゃ」とか「ちゃんとしなきゃ」になった途端、芸術は死ぬ。いいねの数やフォロワーの数や登録者の数を競う、数字のゲームになる。単なる金儲けの手段になる。
本当に凄いものを見た時は「いいね」とは言えない。震えるだけ。応援してますとは言えない。やばい。こんなことをやっている場合じゃないと、相手をいてもたってもいられなくさせるだけ。相手を巻き込み、主体と客体をごちゃまぜにして、混沌の中で、一緒に死に、一緒に生まれ変わる。勝ち負けではなく、命と命のぶつかり合い。小手先の技術ではなく、生命そのものを差し出す。作品だけではなく、自分自身を差し出して、生きているってこう言うことだろとお手本を示す。痙攣をして、痙攣をさせて、こうやるんだよと生け贄を捧げる。生きながら、何度でも生まれ変わる。
キャリアを積まない。計算を捨てる。余計なものは邪魔になる。最後でもいいと思って、自分を出す。惜しまない。数字を増やそうとしない。ゼロになってもいいと覚悟を決めて、自分に賭ける。何を失ってもいい。ナッシング・トゥ・ルーズ。これさえあれば金も要らない。男も要らない。名誉も要らない。他人の承認も、賞賛も要らない。全部を失ってもいい。失敗したくないと思うことが一番の失敗。虚しくなるのは負けているから。動員数を増やすためではなく、動員数を半減させることをやる。半減してもやりたいと思うことの中に、本当の自分がいる。これさえあれば何も要らないと思えたら、一番の幸せ者。それが恋だ。
坂爪さん、今日はありがとうございました。
余韻でまだ同じスタジオにいます。
こうだからこうしていい、とか条件をつけずに、世界に対して気が済むまで怒ってみようと思います。
坂爪さんの「全部失ってもいいじゃないですか」っていう言葉に、元気が出ました。
お話しできて良かったです。
ありがとうございました!
ギターも、喜んでいただけて私も嬉しかったです。
たくさん使ってあげてください。
また自分で弾きたくなったら、連絡します!
おおまかな予定
1月28日(水)東京都新宿区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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