「統一教会」を知りたければまず国会図書館だ
ここで一度本を閉じて自分なりに考えてみる(実際には、国会図書館蔵書をオンラインで読んでいたわけだが、以下も「本を閉じる」という形容を使うことにする)。人間にとって生の本質とも言えるセックスを絡めた教義と、洗脳を使った搾取を組み合わせたカルト組織を、なぜ韓国の権力が拾ったのか。 「朝鮮戦争停戦後、国内の政権反対派に対する抑圧手段として便利に使える」と考えたということは『仮面のKCIA』に書いてある。具体的に権力の側が何に注目したのかといえば、システム化された洗脳と搾取のノウハウなのであろう。 1961年5月に朴正熙(パク・チョンヒ、1907~1979)が軍事クーデターに成功して独裁政権を樹立すると、大韓民国中央情報部(KCIA)が設立された。KCIA初代部長に就任した金鍾泌(キム・ジョンピル、1926~2018)は、次の段階として統一教会を対外諜報活動の隠れ蓑、つまりフロント組織として積極的に活用すべく動き始める。文鮮明もまた、その要求に積極的に応えていくことで、組織を拡大しようとした。 相手国国民を洗脳した上で、自分の手駒として使うことができるし、諜報活動に必要な資金までも相手国の国民から調達できる。諜報機関のフロント組織としてここまで便利な存在は、他になかなかないだろう。 が、セックス絡みのカルトは、相手国、この場合は日本からも警戒される。だから、KCIAが旧統一教会を便利に使うには、もう一枚、「KCIAのフロント組織を隠蔽するためのフロント組織」という化けの皮が必要になる。 そこでキーワードになるのが「反共」であり「勝共」だ。 ●なぜ岸信介は関係を結んだのか 東西冷戦の時代、西側社会はソ連、さらにはソ連が掲げる共産主義に対して強い恐怖を感じていた。表向き、「反共の政治運動」を掲げれば、「洗脳と搾取のカルト」という本質を効果的に隠蔽することができる。さらには、反共という共通点で日本の右派政治家に取り入れば、KCIA→統一教会→反共→日本の右派政治家という流れで、韓国が日本の政界に対して影響力を行使することも可能になる。 旧統一教会は日本進出で、岸信介との関係を構築した。進出当時の日本本部は、東京都渋谷区南平台町の岸邸の隣にあった(異説あり)。資料により「偶然」とも、「反共姿勢の岸との関係構築を目指してその場所に本部を構えた」とも言われているのだが、ともあれ岸との関係構築に成功したことで、1964年に旧統一教会は宗教法人としての認証を得る。 ここで再度本を閉じて考えてみる。岸信介は、なぜ、日本国民を洗脳し搾取するような韓国の反社会カルトに宗教法人の認証まで与えたのか。 考えを前に進めるためには、燃料が必要だ。過去の読書から得た知識である。 過去の岸信介関連の読書から、岸という人には2つの特徴があることがはっきりと分かっている。 1つは、その尋常ではない頭の良さだ。 もう1つは、こちらも尋常ではない没倫理である。 思考の中に、およそ倫理とか道徳というものがないように思えるのだ。資料を読むと、それが法律違反でも人倫・道徳に反する行為であっても、その怜悧(れいり)な頭脳で自分に罪が及ぶことがないと判断すると、平然と実行する姿が浮かび上がってくる。 岸は旧満洲国の要人でもあった。満洲国は、表向きは「五族協和」の多民族国家であり、実際に満洲国政府機関には、様々な民族の人々が勤務していた。もちろん、当時日本の植民地であった朝鮮出身の人もいた。満洲国時代に直接の面識はなかったようなのだが、朴正熙は満洲国陸軍軍官学校を卒業し、満洲国軍に勤務した履歴を持つ。もともと岸が満洲国時代に培った人脈が、韓国政権内部につながっていた。 朴正熙は、軍事クーデター後の1961年11月に日本を非公式に訪問した際に、岸とはじめて面会している。面会前に朴は岸に様々なコネクションを使って連絡をとり、下準備をしている。 この面会で岸と朴はかなり強いコネクションをつくった。後に2人の関係は「日韓ホットライン」とまで形容されるようになっていく。 とすると岸はコネクションがあるから、「危険な連中でも、自分になら使いこなせる」と判断したと推定できる。「自分は韓国政治の中枢に顔が利く。危険な奴らでも反共の道具に使える。しかもこいつらはKCIAの手下だ。何かあっても自分なら韓国政界に一言言うことで抑制できる」ということである。 そして、岸が旧統一教会を受け入れたことを、日本の右派人脈がどのように受け止めたかを考えると、その後の旧統一教会を巡る動きがきれいに整理できる。