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【ザ・ブラック・ハイク・マーダー】 #1

この小説はTwitter連載時のログをアーカイブし、最低限の誤字脱字修正などを行なっています。このエピソードのオリジナル版は、物理書籍/電子書籍版「ニンジャスレイヤー キリング・フィールド・サップーケイ」で読むことができます。




「なるほど、私立探偵ディテクティヴをお探し……」初老のマスターは、懐中時計のネジを巻き直しながら言った。

「その言葉を聞いて思い当たる男は、一人しかいませんな。私の知る限り、ガイオンに残っている私立探偵は、もう彼だけでしょう……」マスターは懐中時計から微かに視線を上げて続ける。「……絶滅危惧種という奴ですよ。冷たい時流というやつに吞み込まれて、みんな、いなくなってしまいました」

「ああ、助かりましたわ。私立探偵にお詳しいのね」カウンターに座る黒いルージュの女がそう返した。客は彼女ひとりだけ。その高貴な発音は、上質なタタミめいた匂いがした。ハイ・オイランめいた清楚な黒のキモノ・コートと帽子の奥に、恐ろしいほどの美貌が垣間見える。

 バーの店は細長く、カウンター席が八つ、それと小さな対面テーブル席が二つだけ。壁には『従業員求む』『性優遇な』『禁煙重点』『揉め事ヤメテ』などの張り紙。店内に奥ゆかしく飾られた数々のレトロ懐中時計が、同時にウシミツ・アワーを刻む。どの時計もマスター自身の収集物ではなく、客から託されたものだ。

「……随分とご興味がお有りのようですが、そもそも実際の私立探偵がどんな生き物か、ご存じでしょうか?」マスターが問う。「いいえ」憂いを帯びたオッド・アイの女は、じれったそうに返した。白く魅惑的な胸元が、コートの隙間にのぞいた。「手短に、教えてくださる?」

 マスターは咳払いして言った。「私立探偵というのは要するに、TVとか映画に出てくる古式ゆかしいタフガイで……殴られても蹴られてもめげずに、推理や腕力で難事件を解決する仕事です」「マッポやデッカーとは違いますの?」「彼らはデッカーみたいな事を、勝手に……もう少し荒っぽくやるわけですな」

「それは……合法的な?」「さあ、どうなんでしょう。ともかく、私立探偵というのは依頼を受けて、解決して、お金を貰うんです」「どうしてそんなに私立探偵にお詳しいのかしら」「それはもう、連中からよく聞かされましたからな。さて、そろそろご注文を。お嬢さんに釣り合うような上品な酒は、あまり置いていないのが難点ですがね」

 マスターは後ろのディスプレイ棚を差し示した。実際ここは酒瓶よりも歯車の多い店だ。マスターの気質によってか、あるいはフースイ・マジックが偶然にも働いているのか、不思議な磁場めいたものが働き、機械式の懐中時計ばかりがこの店に引き寄せられてくる。

「何か綺麗な色のを入れてくださる?」女は無関心そうに言った。芯が強く知的だが、危ういほど浮世離れし、また知識や興味に激しい偏りがあるとみえた。「そうですな。ソルティ・イナバ、スモーキー・カゲムシャ……あるいは、普段は隠している、このオールド・ラショモン・ゲート・シングル・モルトなどは……」

 女は値段も聞かず、それが良いと言った。マスターはグラスに氷を入れ、琥珀色の液体を注ぎながら、滑らかに話を続けた。「……よく聞かされていたんですよ。私立探偵とは何ぞやという話をね。その男や、その男の師匠から」「常連なのですね?」「波がありますがね、来ないときは全く来ない。私はあの男が来ないことを祈っておりますよ」女の前にグラスを差し出した。

「どういうこと? お嫌いなの?」「お嬢さん、私立探偵がここに来るってことは、事件があったってことですよ。たいてい、暴力的で血なまぐさい事件がね」マスターは顔をしかめた。

「ああ、それで解りましたわ。私立探偵はここに、情報か何かを仕入れにくるのですね。そして事件が解決すると、彼はもう来ない。また次の事件が起こるまでは……」女は精緻極まるサイバネ義手でグラスを揺らし、琥珀色の液体の中で氷が崩れ行くさまを眺めながら言った。

「ええ、そういう事です」マスターは頷き、また懐中時計のネジを几帳面に巻き始めた。「それで、私立探偵に会うには、どうすれば?」女は期待に満ちた声で言った。「……ですが、彼にどのようなご用件で? シツレイですがあの男は、その手のロマンスとは無縁の、粗暴な男でして……」

「私、もうじき共和国を離れますの。ですから、その前にお会いして、この前の事件の事でお礼を差し上げたかったのです。ガイオン・デイリー紙に書いてありましたでしょう、私立探偵が解決したと」「この前の事件? ははあ、なるほど……」マスターは大方予想していたが、うなずき、確信を深めた。

 ここ最近で私立探偵が絡んだ事件と言えば、ひとつしかない。それはブラック・ハイク・マーダーの事件。ガイオンの夜を歩くオイランやゲイシャたちが恐れ、囁き合った、暗い夜の連続殺人事件の物語……。


◆◆◆


 『ケモビールを飲んで忘れよう』『ネコネコカワイイの琵琶湖ライブチケットが当たるフェアだ』『第2弾、ダヨネー』ビール会社のポスターが、いつの間にか事務所前の窓や扉に貼られていた。オキナワめいた日差しの下でビールジョッキを持つ、水着オイランドロイド・デュオの写真だ。

「まったく油断も隙もありゃしねえ。ポスター業者の奴ら、いつの間にやら湧いてきて、節操無く貼っていきやがる……イテテテテ」タカギ・ガンドーは朝からそれを剥がし、路面のゴミ箱に放り捨てていた。

 きしむ肩を回しながら、事務所の中に退却し、椅子に腰掛ける。それからいつものようにコーヒーを淹れ、二日酔いの頭痛を押し流し、ガイオン・デイリー紙を広げる。

 タカギ・ガンドーは、錆び付いた体をどう扱えばよいのか知っている。肉体はすぐに堕落し、怠けようとする。だからこうして日々のルーチンを作り、機械時計のように動かし、精神を手厳しい所有者にするのだ。

 彼は紙面をめくった。スズキ・マトリックス理論の論文流出事件には、大いに興味を惹かれた。無論、彼の活動分野は電脳空間ではない。「けどよ、ツキが回ってきそうな気配じゃねえか」

 少しして電話が鳴り、A氏からの紹介で捜査依頼があった。それは逃げたミニバイオ水牛ペット探しでも、アッパーに仕事に出ている夫の浮気調査でもなく、まさしく真の私立探偵に相応しい事件だった。連続殺人事件。それも、とびきり陰惨なやつだ。

「事件がありゃ胸が痛むが、平和じゃ干涸びて死んじまう。……まったく、因果な仕事だぜ」ガンドーは立ち上がり、二メートル近いタフな身体にダスターコートを纏った。

 あまりにも安穏とした時間が長いと、肉体は錆び付いてしまう。だからガンドーは、捜査に出たくてたまらなかった。だが、ここでまた電話が鳴り、別の依頼が舞い込んだ。人探しだ。

 依頼主は馴染みのK氏。ガンドーは特製煙草でニューロンのエンジンを吹かしながら、用件を聞いた。「……名家の令嬢が……女中と一緒に行方をくらました。すると……家出か? いなくなったのは……オイオイオイ、六ヶ月も前かよ」事情を聞くに、こちらも真の私立探偵に相応しい仕事と思えてきた。だがガンドーは流儀にうるさい。

「穏やかじゃねえな、心配だ。それにいま、アンダーじゃロクでもねえ事件が起こってるしな。……ああ、悪いが、先約があってよ。ちょうど、そのロクでもねえ事件ってのを調べ始めた所さ。本腰入れるのは、少し先になるぜ」たとえ成功報酬がケタ違いでも、一度受けた依頼の優先順は、絶対に変えない。それが彼なりのルールだ。

「……事件の名前? ブラック・ハイク・マーダーだ。まあ、アッパーの新聞にゃ、載らねえだろうな。わざわざ調べねえほうが心臓のためだぜ。特にその……コヨミ家の親父が知ったら、心配で夜も眠れなくなるだろうさ」受話器を置くと、私立探偵はガソリンを注がれたクラシックカーめいて事務所を飛び出した。

 ガンドーは最初の依頼人と会い、意気揚々と捜査を開始した。まずは新聞記者、マッポ関係、違法薬物の売人、プロハイカー、情報屋にヤクザ、そしてアッパーのツテ。しかしこれらは全て空振り。殴り飛ばすべき相手が特定できなければ、自慢のカラテが火を噴くチャンスも無い。

 彼はオイランやゲイシャのツテも多い。だが今回の事件に関して、有力な情報はなにひとつ得られなかった。アンダーガイオンに合法・非合法のオイランがどれだけいるか考えれば、無理もあるまい。

 そして彼はいつものように、俺はもうトシだ、今度こそ引退を考えているとぼやきながら、このバーに足を運んだのだ。

「いいかいマスター、聞いてくれ。事件のあらましは、こうだ……」



#2へ続く


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