最近、ふと思うことがある。
例えば、何気なく海が見える道路を歩いている時だ。
「千束。そこ段差気を付けてくださいね」
たきなは私が気づかぬうちにお互いの位置を入れ替える。腰にたきなの手が添えられていると意識した途端にたきなは私の手を握っていた。私は混乱する。
「うぇ? ん? え?」
「何変な顔してるんですか。ほら。しっかり握ってください。転びますよ」
「あ、うん。ありがと」
「別に。千束が怪我をしなければそれでいいです?」
私は首を捻った。たきなは至って普通な顔をしている。あれ……?
例えば、また別の日にたきなが手作り料理を振舞ってくれたことがあった。
「千束、どうですか? ロコモコ丼、作ってみたんですが」
「めっちゃ美味しい! たきな天才!」
「ふふ。アランチルドレンに言われるなんてくすぐったいです」
「も、もー! その話やめ!」
私はロコモコ丼をもぐもぐ咀嚼しながら、何の気なしに尋ねてみた。
「でもこんな美味しいのどうしたの? 正直専門店より美味しいんだけど。これ知っちゃったらたきなの以外食べれなくなっちゃうよぉー」
たきなは頬杖を突きながらはにかんだ。
「それは良かった。専門店に弟子入りした甲斐がありました」
「……弟子入り?」
私はごくん、と口の中身を飲み込んだ。たきなは平然としている。
「ええ。千束には一番美味しいものを食べてほしかったので。この界隈で一番評判の良いお店に弟子入りして、そこから千束好みにアレンジを」
「へ、へぇー」
私は半分ほど残ったロコモコ丼を見下ろした。籠っているものが色々あり過ぎて直視できない。
「え、ええー? もーたきなったら! 私のこと大好き過ぎぃ! 愛してる!」
「そうですか。喜んでもらえたようで何よりです」
たきなは相変わらずにこにこしている。この子本当に感情豊かになったなぁ、と必死に別のことを考えながら、私は急いでロコモコ丼を食べ終えた。
例えば、またまた別の日に。わたしたちが蚤の市を歩いていた時だ。
「Oh, you're friends! You're so close!」
私たちが手を繋いで歩いていると(私たちにとっては普通なことだ)、果物を売っていたおじさんにこう声をかけられた。私は笑顔で答える。
「おー! いえすいえす! ウィーアーベストフレンズ! シーイズマイバディ!」
「Body? What do you mean?」
「Partner」
たきなは間髪入れずに訂正した。
「This girl is my best Partner」
そう言いながら肩を抱き寄せる。あれ? あれれ? なんかたきな、ハワイに来てからボディタッチが外人さんみたいになってきてない?
「Oh, buddy! I know, I know. That's great. I wish you all the best!」
おじさんはなぜか嬉しそうに笑う。たきなもほほ笑んだ。
「Thank you very much. I will make her happy」
「While you're at it, how about some fruit? It's guaranteed to make you happy!」
「Nice. Can I have five?」
「You eat a lot. If two people eat them, there will be one left over, right?」
「We're a family of five」
「That's nice. Happiness is the best for everyone in the family」
「How much are these?」
「Normally they would be $2.00, but I have a special! How about $1.50?」
「$1.50? All right. I'll buy them」
「Okay, here we go! Good luck to all you lovely ladies!」
おじさんとにこやかに別れ、たきなは嬉しそうに買った果物を手提げ袋に入れた。
「良かったですね、千束! 値切ってもらいましたよ!」
「う、うん。そうだね……」
私は先ほどの会話を思い出して、勝手に身体が熱くなっていた。あのパートナーって、バディって意味じゃなかったような……。それに「わたしが彼女を幸せにします」って言ってたような……?
「千束?」
たきなが私の顔を覗き込んできた。私は慌てて取り繕う。
「う、ううん!? 楽しみだね、ドラゴンフルーツ!」
最近、ふと思うことがある。
私ってもしかして……たきなにすっごく好かれているんじゃないかって。
そしてこの『好き』は、私が思っているものより、ずっと深くて熱いものなんじゃないかって。
「ねぇーセンセー」
「どうした?」
私はビーチ際のテーブルで海風を浴びている先生にコーヒーを持って行った。私の分と先生の分の二つだ。
「ほい、コーヒー。ちょっと淹れてみたから飲んでみてよ」
「おお、いいぞ」
先生は骨ばって滑らかな大人の手でカップを撫で、一口含んだ。相変わらず所作の一つ一つがセクシーで、娘の私からしても少しドキドキしてしまう。
「うん、美味い。上手になったな、千束」
「そ、そぉ? えへへ」
思わずにやけてしまった。先生の大きな手で頭を撫でられる。あったかいなぁ。先生がパパで良かった。
「それで?」
「え?」
「千束がわざわざ私にコーヒーを淹れてきたってことは、何か話があるんだろ?」
本当に、先生は私のことなんかお見通しだ。隠し事なんてできないや。私は少し姿勢を正した。
「あのさ……たきなって、私のこと好きなのかな」
「どうしてそう思う?」
先生はコーヒーを啜った。湯気で眼鏡が曇る。
「え、えー。なんかさ……私、めっちゃ甘やかされてるし……大事にされてるっぽくない……?」
「…………」
「それに、私がピンチだった時助けてくれたっぽいし……」
「…………」
「やりたいこと分かんなくなった時、諦めてたことからやってみたらどうですかって、言ってくれたのもたきなだし……たきなのおかげで楽しいし、でもそれはたきなが私を楽しませてくれてるからで……え、先生?」
「ん?」
先生はニコニコするだけで、口を閉じて黙っている。ただ美味しそうにコーヒーを飲んでいるだけだ。
「な、なんか言ってよ」
「そうだな……少し甘い。うちのコーヒーはもっと苦みが欲しいところだ。これじゃあまだまだ客には出せんな。もう少し挽く時間を減らしなさい」
「そうじゃなくてぇ!」
「もう答えは出てる」
よっこいしょ、と先生は杖を支えに立ち上がった。
「お前がそこまで誰か一人のことを考えるなんてな。成長を感じて泣きそうだ」
「うぇ? ど、どういうこと? 先生経験豊富なんだから教えてよぉ」
「……じゃあ、一つだけ」
先生は私に向き直った。
「たきなは、千束にとってのなんだ?」
「……相棒」
「もうDAから離れているぞ? ツーマンセルのバディじゃない」
「じ、じゃあ友達!」
「はは」
こつん、と額を人差し指で突っつかれた。
「ほら。な?」
「……分かんないよ。先生の言葉はなんか、もやもやしてる」
「人の心とはそういうものだ。絶えず形を変え、止まることをしらない。だからこそこれをあえて形にする無粋な行為を、言葉にする、と言う」
そして意味深な微笑みを浮かべた。
「無粋になりなさい。人間は綺麗なものではない。しかし、泥の中で輝くものでもある」
「ええ……?」
「お前はもう戦士ではない」
気障ったらしく言い残して去っていった。私はぽかんとする。
「いや、なーんも分からんのだが……」
首を捻りながら海を見つめた。夕日が沈み行く水平線が橙色に染まって目を奪われる。
「はー、海は広いな。私の悩みなんてぜーんぶどうでもよくなりそ……」
うだうだ考えるのは苦手だ。そもそも今まで考える時間なんて私に残されていなかった。考える前に直感を信じた。私の行動が全部いい結果になると信じていたから。
だって、結局たきなだって笑っている。私だって楽しい。なんだかそれでいい気がしてきた。今までだったらそこで思考回路を閉じていた。
「んー……たきな……かぁ」
でも────せっかく私に許された時間が延びたことだし、考えるのも吝かじゃなくなってきた。だから考えてみる。頭の中で、もやもやした気持ちを言葉にしてみる。
井ノ上たきなさん。相棒。友達。それ以外には? 私とあの子の関係は?
パンツ見られた。
「いやそれが最初に出るんかい」
いっぱいデートした。ハワイに行くと私が言いだした時も真っ先に賛成してくれた。私が行きたいところについてきてくれる。日常でも非日常でも、私にずっとついてきてくれる。私のためにわざわざ延空木の長い階段を上って来てくれたって聞いた時は驚いた。
私のためにリコリコの業績を回復させてくれた。私がリコリコを大切に思っているから。
私のために戦ってくれた。手を汚そうとしてくれた。ヨシさんを殺せば私から恨まれると分かっていただろうに、それでも手を伸ばしてくれた。私が死ぬのは嫌だと言ってくれた。泣いてくれた。
私のために私を追いかけてきてくれた。何も言わずに消えた私のことを諦めないでいてくれた。正直マジで死ぬと思ってたから、たきなを悲しませたくなくて。多少お小言は言われたけど許してくれた。
「……あれ?」
私のため、私のため、私のため。たきながリコリコに来てから今まで、たきなの行動の理由は全部、私のためだ。
「あれ? あれ?」
顔が熱くなる。わざわざあーだこーだ考えるまでもなく────たきなって、めちゃくちゃ私のこと好きじゃん。
「いやいやいや。待て待て。落ち着け? うん、錦木千束。お前はクレバーだ」
そうだ、普通の友達でもこれくらいやるはず。例えばフキだって……あいつは友達じゃないか。腐れ縁だ。あいつは私とDAで板挟みになってたし、私のことはそれなりに大切に思っててくれそうだけど、ちょっと違う。
「他……他?」
あれ、私って友達いなくね?
そういえば十年ほど前にDAを飛び出してからすぐリコリコを開店して、常連さんたちとは仲良くなったけど、結局それだって常連さん止まりだ。お泊りも、デートも、たきなが初めて。いつも私が一人で行っていたところにたきなが来てくれていただけ。
先生はお父さんだし、ミズキはお姉さんだ。クルミは……居候。みんな揃って仲間で家族だ。友達とはまた違う。クルミとの付き合いだってたきなとそう変わらない。
私の周りには基本的に先生とミズキしかいなかった。友達なんていなかった。
────一生懸命な友達。
かつて私があのくそったれ真島に、たきなを称してこう言った時。私はどうしてあの場で咄嗟に『友達』なんて言葉が飛び出したんだろう。
────あえて形にする無粋な行為を、言葉にする、と言う。
あえてたきなを言葉にしたのが『友達』なんだ。無粋なことをしたんだ。私の絶えず変わりゆく心の一時点を写真のように切り取ったら、その言葉が出たんだ。
「友達……たきなが……」
相棒。DAを辞めた今、バディと言うには少し違う。なら違う意味の相棒は? それが友達? 生涯で最初の友達。でも、友達と言うには、私たちの間柄は深く繋がり過ぎている気がする。
じゃあ、たきなは?
たきなは、私にとっての何?
「分かんない……」
ここまで来たのに壁にぶち当たる。私には分からないことだらけだった。それ以上の言葉を私は知らない────いや、知ろうとしてこなかった。だって私にはタイムリミットがあって、それ以上になる相手なんて作りたいとも思ってなかったから。
私の中での最高位の他人をあえて表現したものが『友達』なんだ。
「千束ー?」
たきなの声がする。私は椅子から転げ落ちそうになった。慌てて振り返ると、たきなが遠くで手を振っている。
「晩ご飯ですよー! 早く来て下さーい!」
「…………」
なんてことのない会話のはずだ。たしか、昨日も同じような話をした。
なのにどうして、たきなが違って見えるんだろう。
「千束……?」
一向に動こうとしない私を不審に思ったのか、たきなが私の元へ駆け寄ってくる。
「どうしたんですか? コーヒー飲んでました? お腹いっぱいです?」
「たきな……」
私はたきなのオーバーオールの裾を引っ張った。分からない。分からないから、もう聞いてやる。私はそう決意した。
「たきなって私のこと好きなの?」
「え? ええ、まぁ」
あれ? 私は目をパチクリさせた。やけにあっさり認めたな。ていうかあっさりすぎないか? いきなり膝カックンされた気分だ。
「ち、ちが、私が言いたいのは」
「そんなのどうでもいいでしょ。早く来ないと冷めちゃいますよ? ミズキさんが花嫁修業の成果を見せてくれるそうです。楽しみですね」
「そっちの方がどうでもいいわ!」
たきなは眉をひそめて首を傾げる。
「なんですか。変な千束」
「うう……あれ? おっかしいな……私もなんか、何が言いたいのか纏まんなくなってきた……」
「はいはい、千束のこと好き好き大好きですよ。これでいいですか? お腹空いてきました」
「な、なんだ貴様! 私よりご飯の方が大事なのか!?」
「えー、なんなんですかもう……」
たきなは鬱陶しそうにため息を吐く。なんだか構図がおかしくなってきた。たきなが私のこと好きだと思ってたのに、なんだか私がたきなのこと好きみたいだ。
「あ……」
こんなところで至るなんて思わなかった。
そうか。
私。
たきなのこと好きなんだ。
「千束?」
「あ、う、うん。うん? うん……」
何度思い返してみても、たきなの思い出は楽しかった、嬉しかった、ありがとうの気持ちしかない。こんなに誰かから大切に思われているのは初めてだ。
きっと、常連さんは私が死んでも数日間悲しむだけであとは日常に戻るだろう。
フキは毎年お墓参りには来てくれるかもしれないけど、そうじゃない時は切り替えて仕事を全うするだろう。
でも、たきなはたぶん、私がどれだけそうしないでと言っても、ずっと引きずって、一生悲しんでくれる。その確信があった。
家族でもないのに。他人なのに。
「私たきなのこと好き」
「え?」
私は再びたきなのオーバーオールを引っ張った。さっきよりも強い力で。
「好き。大好き」
「はぁ、ありがとうございます」
「違う! そうじゃない!」
伝わってない。違う。たきなが受け取っている意味じゃない。
私が今まで言ってきたそれとは違う。
「愛してるの好き!」
無粋だ。本当に無粋だ。だって、こんな愛されていることに気づかないで、今さら自分が自覚した時に出てくるなんて。
たきなへの新しい気持ちが。きっとずっと封印されていた、私が抱くべきではなかった感情が。
たきなは目を見開いて、固まっていた。
「そうですか」
かと思っていたら、たきなは急にゆらりと動くと────私をゆっくりと抱きしめた。
「え!? た、たきな────」
「わたしを、選んでくれるんですか?」
打って変わって湿っぽい声だ。ああ、私はいつも気づくのが遅い。たきなはずっと我慢していてくれたんだ。私のために。私のことを分かってくれているから。私がそういう存在を作らないようにしていたから。
「私、選んでなんかない」
私はたきなの背中に手を回した。
「たきながいい。たきなじゃなきゃやだ。たきなしかいない」
「……っ」
たきなの身体が震えた。そのまま二人で、無言のまま抱き合い続ける。
「ねぇ、そういえばさ」
私は徐に口を開く。たきなは私の肩に頬を擦り付けた。
「なんですか?」
「これ、俗に言う『両想い』ってやつだよね?」
「たぶん……」
「付き合ったり、した方がいいのかな……」
「付き合うって、具体的にどうするんですか?」
んー、と私はたきなの綺麗な黒髪を指先で弄りながら考える。
「手繋いだり?」
「毎日してるじゃないですか」
「デートしたり?」
「それも毎日してるじゃないですか」
「一緒に住んだり?」
「もうしてるじゃないですか」
「あ、愛の言葉を囁いたり……」
「それはしてないですね。でもこれから毎秒言いますから」
「毎秒て。いつ息吸うんじゃい」
「ふふ……」
たきなはくすくす笑った。
「変わらないですね、わたしたち」
「だねぇ。私たち、実は普段から結構すごいことしちゃってたのかも」
「じゃあ、これからもわたしの隣にいてくれればいいです」
私の身体から離れ、たきなは愛おしくてたまらない、という瞳で私を見つめた。
「わざわざ言葉にしなくても、ね」
そんなのは無粋だ。私は頷く。お互いの関係性なんて、お互いが分かっていればそれでいい。もう私の目にはたきなしか映らないのだから。
「そうだね。愛してる」