
拙ブルグへ来ておられる方は自転車にはさして興味が無い方もおられるので、どう記事を書くかはなかなか難しい。昨日は、陽が陰って目が利かなくなる直前、ラレーのステアリング・コラムを切って、適正な長さにした。同時に一番上の袋ナットも取り替えた。ちょっと角をなめていて、コンディションがよくないのだが、これが本来の姿なので、オリジナルにした。『しろうとを驚かせる』には、めっきをかけ直したり、無傷新品のスペアに交換したりすればきれいにはなる。しかし、それは正しいレストアとは言い難い。
上の車両は、メーカーが量産したものですから、同じものがたくさんあるはず。そのひとつひとつは”平等”なわけです。ところが、その人の扱い方、手入れの仕方で、しだいにひとつひとつが別の外観、別のコンディションになってゆく。それが長年の間には、それぞれが別のものになって行く。仏教的に言えば因果を重ねて行く。そうなると、見捨てられ、放置されたものと、大切にされたものでは、『あっ!これは私のだ』『これは私のではない』と区別がつくようになる。
油もやらない、磨きもしない、駐輪場でも傷がつくのもおかまいなしの28号と、私の28号と、同じ部品構成だからどっちでもかまわないでしょう、、とは決してならない。『これはオレの28号じゃない。そっちがオレのだから、それを返せ』ということになる。これは”しゃべつ”(差別)。
これはあって当然だろうと思う。革のサドルでも、長年乗った人の骨盤のカタチになる。他の人には合わない。その人だけのサドルになる。”しゃべつ”によってそれの唯一無二の存在感が出てくる。『同じBROOKSの、同じ番手のサドル』他のものと平等なものが、長年使い込んで唯一絶対の存在感に高められる。『20年も大切に使ったのだから、たとえ新品を持ってこられても交換はしない』ということになる。『外観がくたびれていても、それは問題ではない。長年の貫禄と威厳だ』と、私なら言う。
そこからさらに先へ行くと、禅では『白馬が白い花の中へ入って行く』という。唯一無二の存在が質の違う白い咲き乱れる花の中に入って行く。馬は花にならず、やはり馬は唯一無二なのだが、白い花と白い馬で、ともに引き立てあって、美しい。
武者小路実篤はなかなか広範な知識の持ち主で、彼は西洋の印象派の絵画にも造詣が深く、自身もよく絵を描いていた。彼の美術評論『私の貝殻』というような本はなかなかのものだ。一方で彼は仏教のほうの、維摩居士の本も書いている。いまでもたまに、お寺の御住職のことを”方丈さん”と言ったりするが、それは維摩居士が方丈の部屋に住んでいたことから来ている。あるとき、維摩居士が病気になり、釈尊が弟子に、誰か見舞いに行くように、言うのだが、みんな過去に維摩居士に、議論で手痛くやりこめられた経験があって、『いや、ご勘弁を、彼は苦手です。誰か別の人を』と役を押し付け合う。そういう本も実篤は書いている。
私は実篤がカボチャを描いた買い物袋を持っているのだが、そこには『我は我、君は君、されど仲良き』と書いてある。実篤には、それを書いたとき、先の白馬の話が書かれている碧巌録の中の『白馬入蘆花』のことが頭の中にあったのではないか?と思ったりする。
私は自転車を汚く乗っている人がいると、『君は逆カルマを積んでいるな。ピカ作務が必要だな』(爆)とか言う。
上のラレーもたいへんなのだ。何一つ部品もなかったのだから。古いものの修復は、一気にやろうとすると、だいたい身体を壊す。ものすごく気力を注入する必要があるからだろう。これはものを作る仕事はみんなそうだ。オートメーションで出来上がったものを店で買っている人には、このことがわからない。
たとえば、自転車よりもっと体力を使う木造建築はどうだろう?大工仕事を工期を半分にしろと言われたら身体を壊す。もし絵であったら?気力を使い果たしたらよい絵が描けない。
私と仲の良い職人さんが、戦前の三河島の”三つ馬”(ゼブラではない)の実用車を、コンをつめて直していたら入院したことがあった。
数日前、ようやく径の合う、スタ―メ―のワイヤーリードをみつけた。これも同じように見えて5種類以上違う径のものがある。
当時のことがわかるような、資料として組み立てるのは、参考資料となるものを修復していることになる。残念ながら、いまだに、日本では、古い自転車の修復はそういう観点に立っていないものが多く見受けられる。自分の見栄のために部品を入れ替えることはよく見かける。
先日も,1950年ごろの自転車に1968年ごろのブレーキを入れているのを見た。それだと、ブレーキがいくら利くようになっても、フレームのブリッジがこじられたりして、フレームのほうが壊れる。1947~1953年ごろまでは(一部では64年ごろまで)、プレスのブレーキには、曲がらないようにあおり止めをブレーキ・シューに付けていたものだ。これならフレームのブリッジに負担をかけず、アームがあおられて曲がってくることも、利きが悪くなることも無い。当時物は当時の解決法で組み立てるのがよい。同様に、スチールフレームのマファック式カンティ台座にVブレーキを付けるのも、私は反対なのだ。ロウ付けはTIGやMIGなどよりもはるかに大きいエネルギー量で溶接していますから。そういう使い方をしていると必ずフレームを壊す。