週末なので、言いたいことを書いてみようと思います。内容が剣呑(けんのん)なので、検索避雷針を付けて書きますので、あとはよろしく御判読あれ。
日本人の中には、仏教的な平等観としゃべつの意識が根強く働いていると思う。日本語にはいとも簡単に”悪平等”というひとつの単語があるが、英語でこれを言うと、本来の英語とはちょっと違う表現になる。”単語ではなく文章で説明しないといけない”。
学生時代にバートランド・ラッセルを読んでいた時、彼が『ある種の平等意識は誤っていると思われる』と書いていて、興味深いと思った。むかし、学習塾で教えていた時、足し算まではわかるが、どうしても掛け算がわからない子がいた。とにかく、機械的に九九を暗記させ、乗り切ったが、どうしても方程式は理解できなかった。私は、そういうこどもは数学に向いていないのだから、絵でも音楽でも料理でも、好きなことをやればよいといつも思った。
ウジューヌ・ラポルト(ピカソの愛人の一人)の回想を読んでいたら、ピカソは自分の煙草を買いに行って、お釣りの計算が出来なかったと書いてあった。それでも一向にかまわない。同様にニジンスキーはバレエ以外のことはまるでわからない人だったとストラヴインスキーが書いている。それでも、自分の分野で超一流で歴史に名を残しているのだから素晴らしいことだ。
モーツアルトだって、まったく金銭感覚はダメだった。しかし、音楽で彼ほど人類に貢献したひとはほかにいない。ヨーロッパ社会には、本来、そうした才能をうまく引き出す社会が機能していた。ある意味、徹底した才能による分業主義がうまく働いていた。これはキリスト教の『神のGIFT』という思想と深くかかわっていると思う。一方で『神の忘れ物は補えない』という言葉もある。
日本の場合は、前の記事で述べた、一人の存在のかけがえのない絶対性とでも言うべき”しゃべつ”の思想のおかげが大きいだろう。
昨今の世界情勢のおかしいところは、世界超金持ち会議が『このデジタルの社会で、金を儲けられない人は役に立たない人(Useless people) 』と堂々と発言していることだ。『そういう人たちには、ドラッ愚かコンピューター・ゲームにでもはまってもらうほかはない。そのためには、べー死ッ苦・インカムを与えるようにする』と説明している。私は、そういう社会は、構成員全員の個性と能力をフルに引き出せない社会になると思う。
恐産主義者は物質的平等というのにずいぶんとこだわる。最近では発展途上国の人間を不法入国でも、ヨーロッパに大量に送り込めば、やがて、彼らもヨーロッパ人になる、と主張している。彼らの文章で『その土地に行けば、その土地の人のようになる』という彼らの文章を読んだことがある。私はそうは思わない。
昔、渦巻き模様の英国の自転車のフレーム部品と直線的なイタリアのフレーム部品を自転車雑誌の売買欄に出したことがある。渦巻き模様のほうへの問い合わせは、静岡、新潟、長野、青森など、すべて縄文土器が出土するので有名なエリアだった。一方で直線的なイタリアのフレーム部品の問い合わせは、奈良、京都が圧倒的に多かった。もう、これは遺伝子レベルで好みがあるとしか思えなかった。
私がイランにいて、一番古い喪巣苦を観た時、”スズメバチの巣のようだな、と思った”。それの時代がくだると、ほんとうに6角柱の集まったようなデザインになる。これはスズメバチと足長バチで作る巣のカタチが違うように、人間も違うものを”ここちがよいカタチ”と思うに違いない。
同じナポレオン様式でも、ウィーンのものとフランスのものではまったく違う。国民性が出る。同じ課題、家族4人あるいは5人が乗れて、経済的な国民車、そしてできる限り安く、というと、ドイツではフォルクスワーゲンのカブトムシになり、フランスでは2CVやディナ・パナールになり、イタリアではトポリーノのFIAT500になり、英国ではモリス・マイナーになった。自由に作らせるとその国民性が出る。東ドイツではトラバント?隣国ではなんだろう?日本は軽自動車、そして、その上でパブリカ800,サニー1000,カローラ1100、スバル1000。
数日前、虎さんが『あと20年ぐらいで、ヨーロッパの文明はなくなる』という意味のことを発言した。私もそう思いますね。だから、虎さんはネイト―からアメリカは手を引くつもりでいる。いま、英国ではスターマの人気が無い。支持率は17%をきる勢いで、選挙をやったらろーどーとーは決して勝てないことがわかっているので、地方選挙を2年先延ばしにすることを決めた。スターマーがステップダウンしたら、つぎはマフムードがなるという予測だ。そうすると、彼女はいままで何度も、彼女にとって最も重要なのは伊須ラーム教である、と繰り返し明言している。つまり、英国が別の宗教国家になるという可能性がある。英国はいまだに憲法上はキリスト教が柱となっており、国王は英国国教会のトップに立つ。その人が国会の開会を宣言する。次のウィリアムはキリスト教には関心が無いと公言している。つまり、ウィリアムの代で英国国教会の組織が変わる可能性がある。
一方で、一部の学校では、『体験学習】として、伊須ラームの礼拝を生徒がやったりしている。また、キリスト教を軸にした発言をした学校の教師はクビになったケースもある。
これはイタリアでもそうで、今の時期、ミラノのアーケードではクリスマス・ツリーが立つのだが、先日、伊須ラーム教徒が前を占拠して、来るあーんを朗誦するということがあった。
また、ヨーロッパのいたるところで、キリスト教を敵視する動きが起こっている。つい数日前は、教会の祭壇に人の排せつ物が置かれ、また、こどものためにつくられた、イエス誕生のシーンの様子のディスプレィが壊され、そこにいたロバ(ほんものの生きたロバ)が殴られて、痛めつけられているのが発見された。あちこちで、幼子イエスの人形の首が斬り落とされる事件が起きている。いったい誰がやっているのか?『宗教はアヘンだ』と言った人たちの主義を守る人たちか?あるいはキリスト教と敵対する勢力か?今、ヨーロッパの伝統はかなり危うい。
マル恥刈る茶リズムというのは、機能していない。虎さんは『ひとつひとつの国の伝統が価値があり、ユニークなのだ』と発言したが、いまのヨーロッパは、どこの国に行っても一本調子になりつつある。パリへ行っても、ロンドンのタワーハムレットへ行っても、バーミンガムへ行っても、ベルリンやストックホルムへ行っても、似たような光景が広がっている。
たとえば、握りずしにカレー粉をかけ、ピッツァにカレー粉をかけ、茶わん蒸しにカレー粉を入れ、かにたまにカレー粉を入れ、フランスパンにカレー粉を入れ、ギャモン・ステーキにカレー粉を入れ、シュニッツエルにカレー粉をまぶし、ボルシチにカレー粉を入れ、ペキンダックにカレー粉をかけ、すき焼きにカレー粉をかけ、なんでもかんでもごちゃまぜにすれば、多様性だというは大嘘だろう。それぞれが独立で個性的であって、はじめて多様性が成立する。
世界の宗教の中には”音楽は禁止”、”踊りも禁止”、”人物画も禁止”のところがある。そうした中で多様な文化が花開くのか?私はそうした国に住んだことがあるが、まったく退屈なものだった。音楽は無く、踊りも無く、美術も模様ばかり。
世界は恐ろしいtipping pointに来ていると思いますね。写真は45年ほど前のなつかしい光景。