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Conversation

【※】この文章は『漢口慰安所』中の「初店」の後半部の抜粋である。この様に著書の一つの章の約半分を抜粋した場合に著作権上の問題が生じるのであれば削除する。ただ、そうした問題が生じないのなら、今のところは掲載しておく。理由は「初店」の記述を無視して「初店」を恣意的に無理のある解釈ばかりする手合いが「初店」の内容を曲解して喧伝している恐れがあまりにも大きいからである。 【以下本文】  翌日、昨日の女が同じ二階回りと業者にともなわれてやって来た。当人も承知しましたので臨時に検査をお願いしますという。髪を結い、白粉をベタベタ塗り、大柄な花模様の着物を着ているが取ってつけたようで、まるで田舎芝居の女形そのままであった。  昨日、あれから業者や二階回りに説得され、一つや二つ頰べたを張り飛ばされでもしたのであろう、 一晩中泣いていたのか、眼はふさがりそうに腫れ上がっていた。  今日は覚悟してきたのか、おとなしく診察台に上がった。袖で顔をおおい、脚は緊張して固くなりぶるぶる震えていた。  生娘ではないが、性交体験は少ないようであった。  その翌日、私は外来と入院患者の診療を終えると、診察室に出られない患者を診に病室へ行った。病室の一番奥まで行ったとき、女の泣き声が聞こえてくる。窓から外を見ると、隣りの戦捷館の洗浄場の窓から、昨日の女が身を乗り出して吐いていた。吐物は茶色の液体で、味噌汁であろうか、それに白い飯粒がまじっていた。せき上げては吐き、吐き止まると、子供のように声を張り上げて泣く。泣くというより絶叫している。吐物がなくなるとゲッゲッと空えずきし、また泣きつづける。  この女のように、店にはじめて出る女を「初店」という。初店の場合は、玄関に並んでいる慰安婦の写真の最後に、白地に初店と墨書した額だけを掲げる。初店だというので、物珍しがった兵隊たちが朝からつぎつぎに登楼し、そして男たちの乱暴な性交のために腹膜が刺激され、嘔吐をもよおしたのかも知れない。  重い借金を背負い、帰るに帰れぬ故郷は遠い。親、兄弟、身内、友達、訴え救いを求める者はだれもいない。彼女のできることは、張りさけるような声で泣き叫ぶことだけであったろう。間もなく朋輩の慰安婦が現われて、肩を抱くようにして連れ去った。  いつの間にか、私の横に来て並んで見ていた入院中の慰安婦がいった。 「皆、はじめはあんな風でつらいものだわ。私なんかも、よく階段に腰かけて、くにに帰りたいなあと家のことを思っていると、階段に腰かけると客をふさぐって、帳場さんに怒鳴られたものよ。でもすぐ慣れて、あの子も親や家のことを思い出さなくなるわ」  一カ月ほど経って、私が帰隊しようと診療所を出ると、女は通路に出て、兵隊を誘っていた。兵隊さん、兵隊さんと声をかけている彼女は、着物姿も板についていて、もう一人前の慰安婦であった。私と眼が合うと、にっと笑って頭を下げ、すぐ振り向いて通りかかった兵隊の腕をとらえ、寄ってってよ、と誘っている。ひと月前には泣きわめいていた女が、今は朋輩と競って客を引いている姿は、何かむなしさを感じさせはするが、といっていつまでも嘆いていてもどうなるものではなし、はやばやとあきらめて、新しい境遇に慣れるのが、彼女にとってしあわせなのかも知れない。こう思うことが、彼女が泥水にはまりこむのに、いささか手を貸したといえなくもない私のせめてもの慰めであった。
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