西村 佳哲(次の執筆を始めた)

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西村 佳哲(次の執筆を始めた)
@lwnish
つくる・書く・教える、大きく3つの分野で働いている。近著は『一緒に冒険をする』(2018, 弘文堂)や『ひとの居場所をつくる』(2020, ちくま文庫)。

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仕事の質の8割は「発注者」にかかっていると思う。9割以上か。デザイン教育の出口を「よいデザイナー」に加え、「良質な発注者」に拡充できるといいんじゃないか。国立の土木・景観系学部には「当該領域の役人」という出口が設定されていると思うが、もっと広い範囲で、キャリア組の育成に限らず。
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山中俊治 Shunji Yam
@Yam_eye
こういうのみるとSUICAの開発初期にユーザビリティテストやって、結果として全国統一できてよかったなーと思う。 x.com/AKMTKS/status/
ひとが歩いてできた道は、まっすぐでない。地形や景観や、なにかの力、いろんなものを受けてよろめいている。特別なデザイン性や意図はなく、なんていったらいいんだろ。心地いい。
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僕はデザインを学んだ人が、デザイン以外の分野で、でも学んだことを活かして働くのはすごくいいことだと思うので、めちゃ嬉しかった。専攻した分野で働かなくてもいいと思う。まったく別の仕事でも自分が学んだことをいかしてみるといいし、そういう交差が多い方が、社会も面白くなるんじゃないかな。
たいていの人は、人の話を聞きながら考え始めてしまう。とくに自分にも関係する内容だと、仕方のないことだと思う。でも考え始めると相手に対して話半分になるし、もし自分の言葉を挟むと、その人が話してみようとしていたことは途中で終わってしまう。それが悪いとは思わないが、勿体なくないかね。
わたしよく思うのだけど、檀上でゲストとか講師枠で話している人たちって、じゃあ昔なんらかのこういう場で学んでいた時期があったかというと、決してそうとも言えないんじゃないか。本人の熱を「学ぶ」ことでなく、さっさと「自分なりにやる」ことに向けつづけた人が、檀上にいると思うの。
空き家バンク眺めても、不動産情報で家や部屋を探しても、私は虚しい気持ちになってしまうことの方が多い。なんでこんな「こんなもんでいいでしょ」って感じの物件ばっかりなのか。衣服の次に身近な住環境は、私たちの精神にどんな影響を与えているかな…としばしば思う。この問題、どう語ればいいのか
会いにゆくだけで何かが生まれるわけじゃないが、行かなければ掛け数はゼロなんであって、わけもなく惹かれるとか、気になる人に、会いにいってみるのは大事なことだと思います。
文章も、企画書でも、ものづくりも、書いたりつくり始めると、次どうすればいいか見えてくる。仕事でもなんでも。始めないとはじまらないし、始めると始まってしまう体験をたっぷりしてきたので、僕も「やってみる」文化圏の人間です。
東京に来たついでに、山本太郎さんの街宣を聞きに行ってみた。昨日、北千住駅前。れいわ新撰組からという意味でなく、こういう議員さんが他にも何人もいると「この国がどうなっているのか?」より立体的に見えて来るというか、みんな考えやすくなって助かるだろうな。
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家と家の〝あいだ〟を、どれだけ豊かな空間に出来る? という試みを、「大埜地の集合住宅」の設計チームは、きわめて具体的に見せてくれたなと思う。しかも、これからさらに育ってゆきます。
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ものづくりはどれも「本当にそれは必要か?」という問いから始める方がいい。メーカーやつくり手がつくろうとしている「それ」でなく、そもそも「それ自体」が必要かどうか。たとえば「時計は本当に必要か?」とかそういうところから組み上げないと、どうしたってデザインはフリル(frill)的になる。
心の中で「自分を助ける」と呟いてみると、すこし暖かくなることに気づく。ふだん他でもない自分のことをどんだけ助けていないか、容赦なく働かせているか。思い当たるふしが。鬼のようにスケジュール詰め込んだりしないで、ちゃんと助けないと。
以前糸井さんが書いていたのだけど、彼にとって〝面白い人〟とは〝コミュニケーションが取れる人〟で、コミュニケーションが取れるとは「場合によっては自分は変わりますよ」という姿勢が感じられること。互いにそうだと面白いと、ほんと思う。小さな頃の遊びを思い出せば、よく知っていること。
都知事選をめぐって「外苑の再開発は論点でない」とか「いやまさに論点だ」とか喧々諤々あるようです。東京の緑の歴史は、政治と経済に負けつづけた敗戦史であり、でもそれらになんとか抗ってきた人々のビジョンや働きを私たちはもっと知っておいた方がいいと思うので、『ひとの居場所をつくる』(ちく
日本は空き家だらけなのに、住んでみたいと思える家はほとんどない。住宅産業はいったい何をつくってきたの? ホームズにも空き家バンクにも、こんだけいっぱい載ってるけど「まるでない」この感じは、100円ショップにあんだけ沢山の商品があるけどある意味まるでない、あの感じと似ている。
映画『ピーターラビットと仲間たち/ザ・バレエ』。出演は英国ロイヤルバレエ団。来月CLASKAで上映するらしい。イギリス映画界の美術さんの仕事、凄まじくレベルが違う。何気ないこの熟度はなんですか。
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地域でも組織でも家庭でも、その中にいる人同士が、他愛のない話をちょこちょこ日常的に交わしていることが大事なんですよ。その中から生えてくるものが生えてくる。だから、それらを支える小さなたまり場や、とまり木のような空間、滞留時間を縮めない工夫が、地域でも組織でも家庭でも大事。
みんなこんなに働いているのに、その先で社会が空虚なものになってしまうのはどういうこと? というのが、仕事や働き方について20代から抱えてきた自問で、その先に、3年目をむかえる「どう?就活」があります。当日まで1ヶ月切った。最終回です。どうぞお越しください。
ひとの話を、自分の枠組みで解釈せずに、音の一粒一粒を味わいながらきいてゆくと、自分にはわからないその人の経験が、わからないまま伝わってくる。話をきくことは、その人が生きている経験世界の中に、本人の案内で入ってゆく過程だ。だから先回りすることはできない。
ヨーガン・レールさんと会ったとき「仕事は暇つぶし」と聞かされて動揺したが、まったくその通りだと思うようになった。どーでもいいという話ではなくて、その暇つぶしを、出来る限りいいものにしたい。
「これから初めて狩りに出るときに、狩りをしたことがない人の話を聞きたいと思わない。狩りから戻ってきた人の話を聞くでしょう?」って、10年前に話してくれましたねー。:-)
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坂口恭平
@zhtsss
両親からはあなたは作家にはなれないし画家として生きていけるはずがない、今年上手く行っても来年はきっと失敗するから会社で働いてと言われてた笑。しかし両親は未経験者だった。そこで僕は一人で会社やってる人に高校生の時に会いに行った。その人は、お前がやれると思ってるならやれる、と言った。
スマホは、脳の好物(情報)を無制限に供給するフィーダーになっていますね。脳って本当に情報処理が好きだな。でも脳=自分ではないので、コイツとのつき合い方を身につけておかないと。
ガビンさんの「もう直感は役に立たなくなってしまった」を読みたくて、はじめて文芸誌『新潮』を買った。アレでない方のコレ。こうして読者が開拓されるのか。他のページを読むかどうかはともかく、ほんとそうね。腹が減ってなくてよかった。次ページは高木正勝さんです。
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「自分はこう思う」は好きというか支持出来るんだけど、「自分と同じように考える人を増やしたい」という動きが嫌いだ。どんなに魅力的で面白いことを書いたり話している人であっても、仲間を増やそうとする動きを感じると警戒システムが作動する。
脳は一貫性を好む。ので、申込みフォームや自動返信メールは別の人が書いていて、告知ページのトーン&マナーや、てにをは、句読点のリズムなどが違うと、人格が統合されていない印象を与える。テキストデザイン、重要なんだよ。その授業やるか...。
昨日鳥羽さんの話を聞きながら考えたことはいろいろあるんですが、一つは彼が「〝自己肯定感〟はNGワード」と語ったくだり。北欧の伝統医療について「病名を口にしない」「それが力を持ってしまうから」という話を聞いたことがあるのだけど、〝自己肯定感〟のまわりでも起きているかも。高いも低いも。
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自分がいま感じていることを、出来るだけ正確に、フィットする言葉で書いたり・語ることをあきらめずにいれば、それを楽しんでもいれば、考える力も、つくり出してゆく力もついてゆくし、同時に出会いの機会も増えてゆくと思う。
わからないものを、わからないままきいていいんですよ。「わかる、わかる!」とか言いたくなること日常的な会話の中でしばしばあるけど、まず大抵わかっていないんじゃないだろうか。知的に理解することが、ひとの話をきくことじゃあない。
アフガニスタンにおける中村哲医師のドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」を観た。とてもホッとしたんです。あんな仕事は出来ないが、あんなふうに素直に生きていいんだと感じたみたいで、とても安心している。温かい。映画を通じて人に会った感覚。kouya.ndn-news.co.jp
「テーマや課題をはっきりさせてください(そうすればやります)」と主張してくる人がやや苦手なんですが、増えているかも。力を発揮できない理由を設問のせいにする姿は、なんというか受験生×消費者? 一緒に「問い」をつくる側にまわればいいのに。と思うけど、そのトレーニングは積んでないか。
以前はウェブデザイン会社といえば「インターネット」という20世紀最後の発明に俺たちはどう参画するか?という気概の固まりで、「これはいったいなんだ?」とか「それを自分でつくり出してみよう!」ちゅう高熱(別名・愛)を感じたものだったけど、最近は〝傾向と対策〟ばかりでつまらない。
で、ひとの話をきくことは誰もが日々自然にしているのだけど、その関心を「話の内容」に向けていることが多い。語られている話を知的に理解することが「きく」ことだと思っている人が多いのだけど、でもそうでなく「目の前で生きているそのひと」に関心を向ける方が、面白くなる。
10日ほど前、三茶の生活工房でひらかれた「対話の効用」(「どう?就活」の中村幸さんが企画担当)における、斎藤環さんの「オープンダイアローグ」のレク&ワークに参加してとったノートを読み返し始めた。横断にあと数日かかると思うけど、面白い。少しメモ書きを。
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