しゃべれないのにトークイベント・エッセイ全文公開中(2025/9/6)
9月12日金曜19時半〜下北沢のB&Bで行われる西村佳哲さんとのトークイベントに先駆けて、『ここは安心安全な場所』から「自己紹介をしない」という、西村さんのワークショップに参加した際に感じたことを書いたエッセイを全文公開します。
これを読んでワークショップや西村さんに興味がわいたり、何か気になる箇所があれば、本を読んでいなくともトークにぜひご参加くださいませ。
安心安全な場所とは一体どこなのか、一緒に考えられたら嬉しいです。
自己紹介をしない
そのワークショップには、ひとつ大きな特徴があった。それは、自己紹介をしないこと。 事前にあったオンラインミーティングでは、「呼ばれたい名前」と「どこから参加するか」だけを共有して、それ以外の情報は絶対禁止ではないにせよ、なるべく開示しない、ということだった。現地に到着してメンバーと合流しても、仕事や年齢、家族構成といった、その人を説明する情報は、ほとんど誰についても知らないまま時間が過ぎていった。 これがよかった。知らない人に会うとき、ついつい気になって聞いてしまうのは、どんな仕事をしているかということだと思う。これはその人のパーソナリティに近い(とわたしは思う)事柄だからか、それだけでもどんな人かが少しだけわかるような気がするけれど、実際はどうだろう。それで何をわかったと言えるのか、と今となっては思う。年齢も、世代が同じというだけで急に親近感が湧いたり、家族構成や出身地なんかも、自分との共通点を見つけることで会話の糸口を探るために、ついつい聞いてしまうのかもしれない。 そこには、何の情報もなかった。名前とどこから来たか、だけで始まる。その人の外面的なことは、日々一緒に過ごすうちに、ふいに知ることもあれば、まったくわからないままのこともあった。そのときのメンバーは七人で、いまだに何の仕事をしているのか、ほとんどの人の状況がよくわかっていない。
でも、その人自身の空気や存在感みたいなものは、今でもよくおぼえている。目に見えるものや情報よりも、その人がその場でどんなふうに存在していたか、ということに意識が向いていたのだと思う。どこかのタイミングで知ったフルネームで検索することだってできたけれど、それをしてどうなる、という感じでもあった。肩書きより、一緒にいた時間のほうがその人を表している気がした。
西村佳哲さんが主催する「インタビューのワークショップ」に参加したのがここへ来たきっかけだった。インタビュアーでもないわたしが、なぜこれに参加しようと思ったのか。
西村さんの名前は、本屋に行く身からすると、しょっちゅう目にしていた。今ちょうど手元にある西村さんの著書『ひとの居場所をつくる』をめくってプロフィールを見てみると、「プランニング・ディレクター」とある。肩書きはよくわからないけれど、そのあとに「つくる/教える/書く、の三種類の仕事を手がける。」「働き方研究家。」とも書かれている。
本もたくさん出されていて、名前をよく目にする人。タイトルを見ていくと、『自分の仕事をつくる』『自分をいかして生きる』『かかわり方のまなび方』『いま、地方で生きるということ』など、まさに働き方と生き方についてのものが並ぶ。参加前の自分には「働き方研究家」という言葉に、少し身構えるような気持ちがあった。正直、そうしたテーマの本には、どこか斜に構えるところがあり、わたしには関係のない世界だと思っていた。読みもしないうちから、ビジネス書や自己啓発本のひとつとして、なんとなく先入観を持って距離をとってしまっていたのかもしれない。
そんな西村さんが、もう何年もライフワークとして続けているのがワークショップだった。ニシさんに出会って丸二年が経つが、わたしが知る限り、インタビューや書くこと、非構成的エンカウンターグループと呼ばれる対話の場など、さまざまなテーマと形のワークショップを開催されている。数日間寝食を共にするかたちで開かれるワークショップがほとんどで、最初はちょっと勇気がいるかもしれない。
最初に「自分はワークショップのファシリテーターではあるけれど、先生ではない」と説明されたとき、わたしは驚いた。なぜならわたしは、指導的な立場のニシさんから、何かを一方的に教わるものだと思っていたからだ。
だから、上下の壁を作らず接してほしい、「ニシさん」「にしやん」「にし」と好きに呼んでほしいとも言われた。学校のような環境を想像していたわたしは、先生的な役割を担う人だろうと思っていたので、まるで友達かのように、こんなにフラットに接してくれる人だったのかと、拍子抜けしたのだ。
そして、ワークショップとファクトリーの違いも説明された。ファクトリーは工場。あらかじめ作るものが決まっていて、同じものを作り続けることができる。一方、ワークショップは工房。木の香りがしそうな、手作業をする小さな作業所のようなイメージがある。その場にいる人たちで何が作れるかを、常に試している場だとニシさんは言う。それぞれが試行錯誤していて、相手の手元が見えることで良い相互作用が生まれる。
それを聞いて、ここに集まった人たちはまだ未知の部分が多いけれど、同じ方向へ進みながら、それぞれが自分で何かを作り出す、そんな場なのだと感じた。それをファシリテーターのニシさんがサポートするのだろう。
そう考えると、学校という場はまさにファクトリーだったのだと思う。この社会で生きやすく、同時に使いやすく使われやすい人を作るため、同じ型にはめていく場だったのだと、この話を聞いて改めて感じる。わたしは型にはまることが嫌だった、と学校生活を思い出す。
そのためか、一度も就職したことがなく、いまだに自分の働き方はレアケースだとも思う。そうやって生計を立てられていることに、不思議な気持ちを抱く。自分が嫌なことはしない、ということを徹底し、「こうあるべき」という枠から逃れ続けた結果、今の自分に合った生き方・働き方をなんとか見つけ、続けられている。
ニシさんの本を読んでいる人は意外と周りに多い。
長年の友人がワークショップに参加するタイミングがあり、その経験がとても良かったと話してくれたのが、わたしがニシさんに興味を持ったきっかけだった。友人と参加前に話したとき、四泊五日という長さや、知らない人との相部屋に不安を感じていると言っていたのに、参加後に話を聞くと、明らかにその友人の表情や話し方が変わっていたことに驚いた。ワークショップはとても充実した日々だったらしく、自分の内面にどんなことが起きたかを嬉々として語ってくれた。
なにより「自分の知らない新しい自分が出てきた」のだと。これまでとは雰囲気が違い、何かすっきりとしたような、まるでつきものが落ちたようにさえ見えた。友人の中で何かが変わったことがわかり、その印象が強く残った。
友人がとても嬉しそうに話してくれたこともそうだけど、「新しい自分」という言葉に、俄然興味が湧いた。
その頃わたしは、長年通っていたカウンセリングでトラウマ治療を終えたばかりだった。パートナーとどうにかうまくやっていきたいのに、自分の抱えているものが邪魔をして、どうにもならなくなるタイミングが何度もあった。そんなとき、最後の手段のように思えたのがトラウマ治療だった。実際に治療を終えると、これまで抱えていたものがゼロにはならないにせよ、明らかに軽くなり、視界が広がる感じがしていた。
そのタイミングで友人からワークショップの話を聞き、「そんなに良いなら、自分も参加してみようかな」と思い、申し込んだのだ。トラウマ治療を受ける前なら、もっと世界を恐れて、知らない場所へ、知らない人に会いに行くなんて考えられなかったと思う。
インタビューのワークショップと銘打たれているけれど、ここで取り組むのはニシさんの言葉で言うと「聞く技術と感性の再検討」。参加者はインタビューを仕事にしている人ばかりではなく、いろんな職種の人たちがそれぞれの考えを持って集まっていた。朝から晩まで、聞くことと話すことについてひたすら考え、ニシさんのガイドのもとで実践していく。
カウンセリングに通っていたから、自分について話すことには慣れていると思っていたけれど、聞くことに関してはほとんど意識したことがなかった。そんな自分が、いかに人の話をちゃんと聞けていなかったかを痛感させられた。最初は、ただ「耳を傾ける」ことが聞くことだと思っていたけれど、それだけでは不十分だと気づく。
人が話すときには、ざっくり分けると「事柄」と「気持ち」がある。事柄は、情報や思考、記憶のようなもので、気持ちは、実感や感覚、フィーリング。事柄は頭の中にあらかじめある古いもので、気持ちは体から新しく出てくるものだという。腹の底には感覚のプールがあって、そこからの言葉が出てきたとき、人は「話せている」と感じるのだと。
目の前の人が今感じていることを言葉にできているか。そういったことを気にしながら、聞くことに集中する。ニシさんは「その人についていく聞き方」とも言っていた。その人が生きている世界の中に入っていき、隣に立ち、同じ景色を見ようとする。
そんなふうに話を聞いてもらえたら、どんなに安心するだろう。心強くて、どこまでも進んでいける気がする。カウンセリングで先生がやってくれていたのは、こういうことだったのだろうと言語化されたようだった。先生の前では、いくらでも自分の正直な、まだ固まっていないような気持ちを言葉にできた。だからわたしは、感情を話すトレーニングをカウンセリングでしていたのかもしれない。
その人が話すことを可能にするのは、相手が聞いているという安心感や信頼があるからだ。
友達とのあいだで、パートナーとのあいだで、家族とのあいだで。これがお互いにできていたら、少なくともわたしの側がちゃんと相手の話を聞けていたら、関係は変わっていただろう。参加する前に音信不通になってしまったパートナーのことを考えると、果たしてそれができていたのだろうか? と考える。自分が本当に思っている言葉を伝えるのが怖くて、ぶつかることを避け、事柄ばかり話していたような気がする。
ここでの経験を経て、帰ったときにはちゃんと相手の話を聞いたり、わたしも気持ちを伝えられたら良いなと思っていたけれど、結局その後も話し合うことはできず、パートナーとはそのまま別れることになった。 もうひとつ、自分がどう思ったかを話す、伝える機会がとにかく多かった。今の話を聞いてどう思ったか、感じたか、誰でもいいから話してみて、と促されるタイミングが何度もあった。これには最初戸惑った。普段、改まって自分の感情や考えを表現する場はそんなに多くないことに気づかされる。それでも、みんなが聞く姿勢をインストールされているからか、少しずつ話すことにも慣れたように思う。そういう場で話すことは、自分が尊重されているように感じられて、嬉しかった。 毎日朝の七時過ぎにはワークがスタートし、最初にやるのはそれぞれが自分の今の調子を伝えることだった。学校の朝の点呼で名前を呼ばれて「はい」と返事をするのは覚えているけれど、それぞれが、自分の状態を言葉にして伝えるのはまた別の感覚だった。昨日はよく眠れなかったとか、今日はこういうことをやろうと思っているとか、その人の今の状態をみんなで確認する作業。あれはとても不思議なやり取りだったなと思う。うまく言葉にできないけれど、なんだかあたたかい感触。
三日目あたりに、数人が「もう逃げ出したい」「みんなから置いて行かれている感じがする」と正直に話していて、なんだかホッとしたのを覚えている。自分だけではないと気づいたら、メンバーのこともさらに好きになっていた。
書くことを通して自分がどう感じているかを考えることはやってきたけれど、実際に自分の思いを言葉にするタイミングは少ない。それも、本当の気持ちに近いものを、だ。
トークイベントに登壇することは少なくないけれど、毎回、自分の気持ちを話すという感じではない。どちらかというと、古い言葉や情報に近いような気がする。たくさんの人の前で、自分の腹の底から出てきた新鮮な感情の言葉というのは、なかなか出しづらいものだ。そういうときは、言い淀んだり、考える時間も持てない。
カウンセリング以外の場で、本当に自分が思っていることを話す、話そうとする、そんな場を作るという経験をしたのだと思う。それも、カウンセリングのような一方向ではなく、もっと相互的に、相手の存在をしっかり見つめるような場を、ワークショップでは日々築いていった。
そんな場だったけれど、ワークを終えた自由時間に、メンバーのひとりから職業を尋ねられるという場面があった。割と初期の段階だったと思う。何の話の流れだったかは忘れてしまったけれど、ふいに「いっちゃんは何の仕事をしてるの?」と聞かれた。その瞬間、一気に現実に引き戻されたようだった。集中が途切れ、切り離していたはずのいつもの暮らしの延長に戻されたような感覚。 わたしは一瞬、どうしようか迷ったものの、軽く答えたような気がする。記憶は曖昧だけれど、そのときに感じた「なんか違う」という拒否感だけは強く残っている。
聞いてきた人も、ルールのことなんてそこまで厳密には思っていなかったのだろう。言いたい人は言ってもいいし、話をしていれば、いずれにせよ自分がどんな仕事をしているか、どんな生活をしているかは自然とわかってしまう。けれど、改めて聞かれると、なんだか魔法が解けてしまうようだった。
わたしは肩書きや持っている背景で自分がジャッジされることが心底嫌だったのだと思う。だから拒絶反応を起こし、しどろもどろに答えたか、はぐらかしたりしたような気がする。
その人は悪くない。ただそのとき、わたしも考えていた。自分の職業を明かさずに、どこまで自分のことを話せるだろうか、と。写真家で、文章も書く。夫は数年前に亡くなっている。検索すればいろんなことが出てくる。本当のことも、そうでないことも。でも、そうしたレッテルが貼られた瞬間に、自分という存在の見られかたが変わってしまう気がして、どうしても抵抗があった。
ここではもっとわたし自身を知ってほしい、見てほしい。わたしはもっと自分を知りたい。そんな気持ちでここに来ていたことを、改めて実感した瞬間でもあった。
そのことがずっとわだかまりとして残っていた。翌日もその思いを引きずりながら、一日のワークを終えた後、ニシさんの提案で、夕食後にみんなで暖炉を囲むことになった。ワークらしいワークをするわけではなく、この場では、話したい人が話す。時間は一時間、無言の時間も良しとする、というルールのもと、ニシさんがストップウォッチを押した。その瞬間、みんな一斉に静かになり、沈黙の時間が訪れた。 こういうとき、通常なら誰かしらが気を遣って話を振ったりするものだけれど、ここでは違った。本当に話したい人が話を始める。それまで誰も話さないという確固とした空気が、最初に口火を切るのを難しくしていた。
無言の時間が五分、十分と過ぎていったように感じる。わたしの中にも、ふつふつと話したいことが湧き上がってきていたけれど、きっと他の人の中にも言葉が出てきていたのだと思う。本当に話すことがなくて、誰かが話し出すのを待っていた人もいただろうし、ただ時間が過ぎるのを待つだけの人もいたかもしれない。
暖炉の薪が大きな音を立てて爆ぜるのを、みんなが黙って見つめていた。その静けさの中で、意を決したように誰かが話し始め、それに対して思ったことを伝えたり、また伝えなかったり。とても自由な場だった。
そこでわたしは、昨日の夜に職業を聞かれて嫌だったことを話そうと思った。聞いてきたメンバーを責めるわけではない。ただ、自分がその質問を受けたことで、まるで自分にレッテルを貼られたような気がして嫌だったということに気づいたのだ。そう思う自分に、少し驚いてもいた。それを、泣きながらみんなの前で話した。
ワークショップの最中、しょっちゅう泣いていたことを思い出す。パートナーとは音信不通で、情緒不安定な時期ではあったけれど、それでもなるべくプールの底にある本当の言葉を伝えようとすると、言葉より先に涙が溢れてきてしまう。 そのとき、当の本人がどう言ったのかは覚えていない。謝られたような気もする。でも、正直なところ、わたしは怒っていたわけではなかったから、言えただけでよかったのだと思う。責めていたわけではなかったけれど、今振り返ると、もしかしたらその人を傷つけてしまっていたかもしれない。
わたしたちのやりとりが終わると、話を聞いていたニシさんが静かに言った。 「一子さんのことはもちろん知っていたけれど、最初に遠野の駅で会ったときから、今も、更新されていますよ」 その一言で、わたしの中で何かがほどけ、また涙が出てきた。
わたしがこの場で変わっていること、変わり続けていることを、自然なこととして見てくれている。
あなたのことを知っている、という言葉はプレッシャーを感じることもあるけれど、このときのニシさんの言葉は違い「知っているけれど、今も変わり続けているあなたを見ていますよ」という、見守られているようなあたたかい気持ちが伝わってきた。そして今も、その言葉を大切に持ち続けているわたしがいる。そんなふうに人のことを見ることができたらと思う。 あの場では、誰からもジャッジされることがなかった。
たとえ自由な場だとしても、気持ちを言い合えなければ、それは不自由なのかもしれない。自己紹介もせず、その人の肩書きを知らないままで、ただ相手のことを知り、見る。そんな関わり方があったからこそ、誰のことも評価せずにいられたんだと思う。それは馬に対しても同じで、馬からも、とくさんからも、そんな姿勢で接してもらっていたように感じる。 常に今の自分が真ん中にあった。
今どう思ってる? あなたはどう感じてる?
ワークショップはそれができるようになる練習の場であったのかもしれない。
今週12日(金)夜、『ここは安心安全な場所』を書いた植本一子さんの新刊記念トークイベントがあり、一緒にマイクを握ります。彼女は本当に馬が怖かったらしい(そうだったんだ…)。この写真は昨年でもう何度も通い重ねた頃ですが、なんとなく腰が引けていて微笑ましい。… pic.twitter.com/1oqbxiwsaj
— 西村 佳哲(次の執筆を始めた) (@lwnish) September 5, 2025
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