廃線レポート 早川(野呂川)森林軌道 奥地攻略作戦 第23回

公開日 2026.01.26
探索日 2017.04.14
所在地 山梨県早川町~南アルプス市

 “ご褒美の片洞門”


15:07 《現在地》

この場所を見つけたときの嬉しい衝撃は、未だに忘れることができない。

この2日間で普段の半年分くらいは“衝撃的な場面”と遭遇していると思うが、中でも本日午前中の敷かれたままのレール発見や、レールが残る2連隧道との遭遇、あるいは昨日終盤の想定しない九十九折りや、その途中での隧道発見などといった(まだまだ挙げきれないが…)、私にとっての並み居る“衝撃事”と並ぶ強度で深く印象に残る場面であった。

端的に言えば、私が超絶大好物な片洞門との遭遇である。
鋭利に研ぎ澄まされた険しさと、恐るべき高度からの超展望という、早川林鉄を象徴する両要素を併せ持った、象徴的な片洞門との遭遇。
そしてこれは、先ほどから私が何度も対岸に見ている、悔しくもこの足では辿り着くことができなかった片洞門たちと、おそらく同種のものである。そのことがまた嬉しさに拍車をかけたのだった。

だって、こんな素敵な片洞門が在るのを何度も見ながら、最後の最後まで対岸にしかなくて歩けませんでした……なんて終わったら悔しいではないか!
ここまで頑張って、いくら実力不足だとしても、それではあんまり可愛そうだと、何らかのお情けをかけて貰ったのかも知れぬ。
なんせここは林道からほんの1~2分、特別に危険な歩行をすることなく辿り着けるライトな場所。にもかかわらず、林道自体の歩行難易度や素性を理由に、実際歩いた人は決して多くないと思えるディープな場所でもあった。(『トワイラ~』にも記載はない)

ようするにここは、頑張った私が報われるための“ご褒美片洞門”だと、そう思った。



見よ! 岩の庇の遠い対岸に、不踏の片洞門がある!

あの辺りは、先ほどの対岸写真 IIIで見た範囲であるが、少し遠のいたおかげで、遙か上の稜線と同時にフレームに納まるようになった。
左の隅っこに少しだけ南アルプス林道も入っているが、そこを含めて、この写真に写る人工物は全て早川林鉄に根源を持つものたちである。
私にとって、この写真の主役は観音経の風景美ではない。主役は早川林鉄の“人工美”である。
正確には、天工と人工の合作するもの。それこそが私の一番好きな風景であり、片洞門はその一典型である。



見よ! 私がいるこの片洞門は、対岸のそれとそっくりだ。

飛び跳ねれば頭をぶつけるのではないかと思えるほどの低い天井は、この林鉄ならではのもの。隧道もこの高さだったから驚かない。
幅の狭さは、さすがに2条のレールを敷くには厳しすぎると言わざる得ないが、現実に敷いてあったのだから受け入れよう。
こんなところをえっちらおっちらトロッコを押し歩いたり、牛に引かせて走ったり、ブレーキ操作だけで下ったりしていた。約3年間。
転覆すれば9割方助からないような場所が数分おきに現われる職場は、ブラックか? 

……いや、ブラッド(赤)です……。 戦場でしょこれは…。



全天球カメラ画像もどうぞご堪能ください。

私がすっぽり収まる岩の庇に私だけがいて、私だけの世界を見ているという、至福の優越。

こんなに誇らしい展望台はない。常に視界の半分は“未踏エリア”なのに誇らしいんだから、笑えるだろ。

ここに自力で辿り着くまでの全てをひっくるめれば、これはもう間違いなく勝利。九十九勝一分の表彰台みたいなもんだよ。(相変わらず自分には甘いw)



この片洞門を限界まで進むとどうなるかというと、この写真のようになって、進めなくなる。

こちら側からだと、ただ足場の道が狭くなって歩けなくなるだけで、その先に何があるのか視覚的に分かりづらいが、既に【林道側から見ている】通りで、そこには林道の3号隧道の坑門や林道に削られた法面があるために、進めなくなる道理である。



片洞門から眼下に迫る林道の様子を見ている。
チェンジ後の画像に黄色い線で描いたのが軌道跡の位置であるが、点線の部分は、林道や旧林道の法面に吸収され路盤がない。
白い線が軌道跡を継承せず位置を変更した林道の経路であり、細線は旧林道を示している。



ここからアザミ沢の対岸に見える尾根が、アザミ沢とカレイ沢の分水であり、それが奥の野呂川本流へ向け高度を下げていく途中で、軌道に跨がれている。
その辺りが、いまから2時間ほど前に、私が四苦八苦を演じ、最後は納得して撤退を決断した現場、2026年現執筆時点においても変わらぬ、私の最終到達地点である。
この写真だと路盤のラインは見えないのであるが、とにかく視界の範囲内には入っている。

トリになったら、飛んで行けるんだけどな…。



対岸写真 IV

同じ位置で、視線を左へずらすと、この風景である。
ちょうど“隧道C”がある尾根を真横から見ているアングルで、その坑口は見えないが、地形的に隧道があることは察知できる。
アザミ沢周辺に存在する、A~Dの4本の軌道隧道の中では一番長いと思われるが、それでも50m程度だと思う。

そして、この隧道から100mほど尾根の先端側へ進んだ辺りが、“私の断念地点”であろう。
うっすらとだが、路盤のラインがみえるように思う。(ここを2005年に秦野氏が隧道まで踏破している)
私の断念地点は、目印があるわけではないのでピンポイントには不明だが、尾根のどこを乗り越えたかが地形の特徴から分かるので、それが基準になっている。


……以上、私だけのご褒美タイムを、ほんの3分ほどだが堪能して癒やされた、“ご褒美片洞門”からの報告でした。
ちなみに、どなたが訪れてもご褒美になると思いますよ。家からここまで来るのは、誰にとっても大変なんだから、ご褒美貰わなきゃ損よ!
撤収。




15:10 《現在地》

(わずか)5分ぶりに戻ってきた林道。
【このように】3号隧道と4号隧道が連続しており、直前の3号隧道には片洞門の素晴らしい軌道跡が遺存していたのであるが、次の4号隧道に、別線の軌道跡は見当らない。

これは、この写真でも見当らないと思うが、実際に尾根の方へ歩いてみて確かめたので、切り通しなどが残っていないのは確かだ。
ということはおそらく、林道のトンネルの断面に吸収される形で、軌道の隧道が存在していた可能性が高い。

ついに、今まではなかったパターンの隧道発見(?)を報告しなければならないのだろう。
これで“発見”というのは変な気分だが、軌道に何本隧道があったのかを考えるうえで、ここに隧道があったと見做す判断が必要だと思う。
というわけで、発見済隧道と隧道擬定地の合算カウントを、ここで+1します(これで通算13本目)。
正直、張り合いがないけれど、仕方なし。



というわけで、おそらく軌道隧道もここにあったであろう、林道の4号隧道を通過。
全長30mくらいの短い隧道であるが、これでも早川林鉄の隧道中では、決して短い方ではない気がする。
ここに本当に軌道隧道があったか否かは、野呂川林道建設初期の工事関係者にでも聞かないと分からないと思うが、それは難しいだろうな…。



15:12

2連の隧道を抜けて、引続きアザミ沢右岸の林道を進んでいく。
こういう何気ない歩行のシーンを積み重ねの先に、“私の断念地点”が対岸の正面に来るという、私にとってだけ価値がある瞬間が刻一刻迫っていた。
そしてそこさえ過ぎれば今度こそ、振り返るものの何もない、真に解放されたゴールまでのウィニングロードが待つばかりである。

が、解放の前に懸念されるのは、やはり日暮れとの兼ね合いだ。
足が常に辛いが、いまはまだ歩速を緩められないぞ。
がんばって!!



 ある懺悔


15:15 《現在地》

御野立所から約500m林道を進むと、一際大きな橋が現われた。
橋の名前は、大崖沢橋(おおがれざわはし)。
橋名の谷を一跨ぎにする、鋼製の上路式アーチ橋である。

架かるシチュエーションは先ほどの夫婦滝橋に似ているが、大きな違いとして、本橋は林道開設当初、すなわち昭和30年代からの橋である。
したがって、この橋に対する旧林道は存在せず、旧軌道跡のみが存在している。
橋の袂から、普通に旧道が分かれるような感じで、仄かな平場が谷奥へ向かって伸びているが、それが軌道の残滓であろう。

……辿ろうと思えば、辿れないことはない感じに見えたが……。



今回は、時間の節約と、疲労から来る足の痛みに恐れをなして、この区間は“見るだけ”とした。

幸い、橋の上から、冬枯れの斜面をトラバースするラインは一望できたが、大部分は崩土に埋れて斜面化していて、隧道など目立つ遺構はない。
そして長さ約100mの旧道区間の中間で大崖沢を渡るのであるが、その部分は地形図にも描かれている通り、おびただしい数の砂防ダムで埋め尽くされている。これらのダムは林道の建設以降に建設されたものであり、その工事用進入路として軌道跡が利用されたことはあったと思う。



橋の上から見る大崖沢右岸の軌道跡の様子。
中ほどの高さを横切る平場がうっすらと見えている。緑がある季節だとこうはいかないだろう。
なお、右側の石垣は、谷を塞ぐ砂防ダムの端である。石積であり、他のダムよりも古そうだ。



15:16

橋を渡り終え、ちょっとだけ離れていた軌道跡と無事再会。
やはりここでもほんの少し軌道の方が高い位置にあったようだが、問題にするほどの高低差ではない。
林道が軌道跡を利用して建設されているということに違いはない。

ところで、この立派なトラスドアーチを、私は軌道跡から遠望したことがあるということを、もちろん忘れてはいない。
いまから2時間ちょっと前、カレイ沢とアザミ沢の分水尾根の上に辿り着いたときに【初めて見た橋】であるし、その直後、軌道跡からの撤退を決める場面でも常時、アザミ沢の対岸にこの橋が見え続けていた。

だから当然、橋やその周辺からは私の最終撤退地点付近の軌道跡を“見返せる”が、橋の上からだとまだ少し正面からは遠かった。さっき“ご褒美の片洞門”で見た景色と、あまり変わらない。なので、もう少し進んでから再観察だ。



15:26 《現在地》

大崖沢橋をわたって150mほど進むと、尾根を超える場面となった。
ここはアザミ沢の支谷である大崖沢と大谷沢を分ける小さな尾根なのだが、林道に巻き取られた尾根の一段高い所に、ポツンと一軒家がある。
野呂川という世界を見わたし、統べるに、ちょうど良さげなこの風雅な一邸の正体は、野呂川治山事業所の旧舎である。

野呂川治山事業所
野呂川治山事業所は民有林の直轄事業所として野呂川流域の治山事業を行うべく11億円の全体計画をもって開設されたものです。それ(昭和35年)以来8年目にあたりますが、この間、4億3000万円からの事業を実行してきました。今後も治山治水新五ヶ年計画で44年までに4億5000万円を実施することになっています。

(写真・文とも)『東京林友 第19巻第2号』(昭和47年7月発行)より

野呂川林道の開設と歩調を合わせるように凶険な沿線山河の治山事業を一手に担ったのが、民有林の治山事業所としては特異な事業規模を誇った、山梨県林務部野呂川治山事業所である。
先ほどの大崖沢に折り重なっていた治山ダム群も、カレイ沢の下降時に幾つも下り越えた治山ダム群も、全て彼らの仕事である。
彼らのおかげで林道は守られていると言っても過言ではない。林道だけがある状態では早晩、かの軌道と同じ末路になったはずだ。

そんな統治者の居城前にあるこの路上が、観音経御野立所から始まった一連の“対岸未踏軌道跡観察”における最終場面となった。



対岸写真 V

対岸の尾根は、その険しさを物語るかのように針葉樹が多く、この季節でも青々としていた。
そのせいで、よほど意識して探さなければ、山肌を横切る軌道跡は見つけられなくなっている。(敢えて補助線は入れなかった)
もちろん、単純に視座から対象が遠ざかっていることも大きい。
観音経ではゼロであった距離が、いまは400mである。

遠くなり、樹木も増え、見えなくなってきたことで、あの“私の死闘”も、すっかり遠いことのように思われる。
もしも私があの途中で屍に変わって眠っていても、遠景となれば全てが溶かし込まれてしまう。だから山で遭難する人は後を絶たない。
対岸の尾根だけの話ではない。ずっとその遠く霞に消える左岸の山の遠くから私は歩いてきた。
目の前にあるときは、あんなに荒々しく道を競い合っでも、端から見れば、こんなにも清閑としてしまう。山の残酷な美しさである。


私は、この不変不動の山の景色の原則に、爪痕を残したかった。





あの“白い点”が、私の最終到達地点だ。


懺悔をする。

【13:25】に設置した白色の綿タオルを、私は確信犯的に回収せずにきた。

言い訳だが、のうのうとはやっていない。葛藤はした。
ゴミを置き去りにすることは山のタブーである。
その禁を故意に冒すことも、それを発表することも、いつものライトなワルではなく、悪事である。これは素直に、ごめんなさい。
GPSではなく、肉眼で私の最終到達地点を対岸から確実に見抜くことで、今後の再起に繋げたいという欲望に負けた。
リングに投げ込まれた白タオルを、敗戦の白旗から、今日ここでやめるからこそまた戦える、再起を繋ぐための白切符にしたかった。

綿のタオルは数年で土に還ると思うし、そもそも私は年3~4本は探索中に首にかけていたタオルを失くす愚か者だが(2025年に良いタオルを使うようになって、やっとこの問題を解決させた)、私の長い探索人生の中で意図的にタオルを残してきたのはこの1本だけである。もうしない。

そんなタブー冒しのタオルを見ていると……、
この足ひとつであそこまで辿り着いたのだという誇らしさは、やはり感じた。
だが同時に、私の汗をたっぷりと吸い込み、数時間分の苦闘を共に戦ってくれたタオルが、はためきもせずじっと待っている姿が辛かった。
正直、山ごめんなさいよりも、タオルごめんなさいだったな。ごめんなさい。



タオルの犠牲を無駄にはしないということで、次回へ繋げるための状況確認を念入りに。
これについては、ここで云々述べるよりも、再訪を成功させることで応えたいが、俯瞰でないと分からない地形のポイントは分かったつもり。
秦野氏がどうやってあの「切り通し」に辿り着いて先を目指せたかも、ルートのイメージは掴めた。自分でそれを出来るかは、やってみないとだが。



これが一連のアザミ沢右岸の未踏軌道跡を林道から眺める最後である。
これまでで一番遠くから見ており、一番広い範囲が見えている。
結果的に歩けなかった350mの未踏区間が、この1枚にほぼ収まった。

ただ、観音経の最も険しい核心部だけは手前の尾根の影に隠されていて、見た目の危険度が矮小化しているのが、むしろ悪辣だ。
この景色から進んでいくと【ああなる】なんて、観音様でなきゃ分からん。
返す返すも、身の毛のよだつ処の沙汰ではなかったな、やはり……。


といったところで、過去を振り返る時間も、懺悔も終わり。
もう振り返らないで、あとは終点を目指すぞ!! (でもあとで自分の足で歩いて帰ってくるんだよ…)




15:32

尾根を回り込むとすぐに大谷沢(おおやざわ)の標識地点。
ここから右後方に脇道があり、その先が前出の治山事業所の旧建物だ。時間も体力もないので、スルーです。



15:36

さらに進み、地形図では先端に短い隧道の記号がある次の尾根が見えてきた。
逆光でよく見えないが、ずいぶんと険しい尾根だ。
林道は、垂直どころかオーバーハングした法面の下をくぐりながら、すなわち片洞門で尾根の先端へ近づいていく。

チェンジ後の画像が、片洞門となって張り出している法面を見上げて撮影したものだが、軌道時代の名残を感じる。
明確な証拠があるわけではないが、軌道が林道よりも少しだけ高い位置にあったというここまでの傾向と、林道単体で見れば不必要に高い張り出しの位置から、そんな風に思った。可能性は高いと思う。



片洞門のある道を振り返って、その険しさに目を瞠る。
林道化して私はらくちんだが、もしも林道がなければ、ここもホワイトタオルの現場になりかねなかったろう。
ヤバい険しさだった。険しいを書きすぎて、語彙が死んだ。



15:38 

治山事業所跡から約400m、観音経御野立所から約1.1kmにて、尾根の突端を貫く第5号隧道が現われた。
全く逃げ場のない地形の先端を貫くごく短い隧道で、洞外に軌道跡の気配はなし。
すなわち、軌道時代から隧道(通算14本目)だったと考えたい。

トンネルを潜って、また一つ、終点に近づいた景色へ。



15:42 《現在地》

あー凄い。軌道跡だった林道がまだまだ続く!

いま見えている道の終端は鷲ノ住山までで、林道はあの山の右にある鞍部を越えていく。
そこまで約1.3kmだ。越えれば終点「深沢尾根」は、ようやく深沢1本を挟んだ対岸となる。
しかし、見るからに鷲ノ住山手前のギザギザとした尾根は、トサカの立った悪地っぽい。
実際、地形図だと4本ものトンネルが連発している。軌道時代の悪戦が目に浮かぶようではないか。

また、地形的必然性があるのだろうが、この先の道は、昨日からずいぶんと“遠望に縁”がある。
昨日の11:29に軌道跡の“尾根D”から見えたのが最初である。あの時点では直線距離で約4km、軌道跡ベースだと9kmくらいも離れていた。
その後も、昨日の16:40には這々の体で辿りついた早川の谷底から遠目に見上げていたし、今朝の7:47頃には、今度は尾根の上から見下ろすように遠望している。

そんな鷲ノ住山の徹底的視界ガードのおかげで、その向こう側の深沢や深沢尾根近傍の道の姿は、未だに一度もお披露目されていない。
まるで、深窓の姫を護るナイトのような山であり、軌道および林道は、いまから戦って打ち克たなければならない。
当然、私にはもう戦う力など毛ほども残っていないので、林道さんの頑張りに全てを委ねます。




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