旅をしても僕はそのまま
いつも旅が終わらぬうちに次の旅のことを考え、隙あらば世界中の海や山に、都会や辺境に向かう著者。とは言っても、世界のどこに行っても自己変革が起こるわけではなく、それで人生が変わるわけでもない。それでも、一寸先の未来がわからないかぎり、旅はいつまでも面白い。現実の砂漠を求めて旅は続く。
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スリランカのにて

2023.09.16
をしてもはそのまま
  • いつもわらぬうちにのことをえ、あらばに、かう。とはっても、のどこにってもこるわけではなく、それでわるわけでもない。それでも、がわからないかぎり、はいつまでもい。めてく。へようこそ。

    コタヘナにするアントニオ(St. Anthony's Shrine)は、コロンボでつカトリックのひとつ。スリランカでにあたるカトリックたちは沿いのんでいるく、このもかつてはっていたそうだ。だが、てられてはない。にあるアントニオには、としてガラスのされ、くのめている。

    スリランカではすでに5にはキリストされていた。がるカトリックのは16のイエズスによるもので、より30ほどい。1510にゴアをしたポルトガルは、7にはのコロンボをした。

    があるコタヘナは、このにカトリックされたで、そのからだった。ここからに50㎞ほどのネゴンボにはきなラグーンがあり、はリゾートとしてだが、リトル・ローマとばれるこのにはスリランカのカトリックコミュニティがある。そして、このもいまだにとするい。

    キリシタンからのぐカトリックのち、シナきたをはじめ、にはもいる。だから、スリランカのカトリックにシンパシーをじていて、それがになった。

    されてアントニオ辿いたが、るとしい。のミサので、くのたちがをしている(200くらいだろうか)。

    でミサのわる。3つにくっついてっているが、きなくかしている。5くらいだろうか。リネンのいワンピースをていて、までれている。ろをるから、きなえる。みかけようとすると、にはもくれずにくいっとおさんのげる。そしてそのさいっすぐばしておさんのあごにれさせる。おさんは、するのよとそのをすぐにいのける。

    ミサのに2ってパトリックのをひとる。すぐにわってそそくさとろうとすると、「べていきなさい」とろからがする。いベールをったで、ってをついたままじっとている。

    にあるったいビニールさしながら「べていきなさい」とえてくれたのだが、はおがへっていなかったので、「です」とる。しかし、してがらない。しているのだとったのだろう。「べていきなさい。だから」と2、3われ、こうなるともう、いただくのがしいかもしれないとって、かいる。そして、をさしたのテーブルにって、げるようにしてビニールく。

    ビニールにベタリといてひとまりになっているカレーをて、これはべてもなやつなんだろうかとになる。おしたりしないだろうか。ビーツのアチャールわれるしぶきのようにカレーのっていてだ。

    いや、でもこれがべてみたらしいんだよ。たせてべようとするが、のスプーンがない。りをすがそれらしきものはない。さっきのって、「?」とねられるがすぐにらして、そうか、これをべるのか……と、もうのビニールりカレーとする。

    そのときせたがやってきて、でゴシゴシとったなくのビニールって、かられたテーブルった。そして、ニワトリがエサをついばむときのようなきで、々とカレーをむ。

    っていることにづいたは、「あなたもってべなさい」とう。よくれなかったが、たぶんはそうったのだとう。

    でふだんよりずっとったにつく。さっきよりきくなって、をカレーのにグニュッとむ。れない々しいでつまんでそのままれる。ほら、べてみたらしい。してなカレーではないが、これならにイケる。

    べることで、べるというする。べることは、もともとはれないれ、においをぐところからまっていたんだろうというが、いスープのようにる。だって、かすとすこともあるんだから。べるにできるだけのれたで、れるのがたりじゃないか。キャラメルコーンみたいにてのということはないから、れるたびになのだ。

    れるだけで、いまろうとしているのことがよくかるようになる。べているというネチャネチャしたがあまりに々しくてゾッとするが、くなるのか、しさはむしろ調されるようだ。

    それにしても、ごろがいかにべるというをないがしろにしているかということに、にもづかされてしまう。やスプーンといったしてすることは、とのえる。らずらずのうちに、使としてのされるのだ。使うことで、いやられたが、きっとたくさんあるのだろう。そして、使うことがデフォルトになったにはそれをすことはできない。おそらくは、これからもずっとずっとける。

    そのの2Fにはたちがってくる。のようにったれたでビニールげてカレーをべる。らのべるものにっているたちがじっていることは、そのなりからうかがいることができた。こうして、のようにけるたしており、そしてそれがとしてしているこのおしくじられるとに、はここでべるがないのにべているとった。

    ねた。
    「カレーをべにるのは、カトリックたちですか?」
    はゆっくりりながらえた。
    「いいえ、うわ。どんなも、ここではでも(タダ)でカレーをべていいの。がそんなふうにするとう? だから、らないあなたに、はカレーをべていくようにった。ここはそういうなの」

     

    このはコロンボされて、な「」にった。ったはブレンドコーヒーが1600もするのカフェ。このカフェはりのかららかにいていてみたいだ。はアフリカちで、いかにもらしいってにやってきた。けしたでは、がとてもさくりなくえる。

    はスリランカのしていて、さらにはで10している。のかつてのにはやフジモンらがいるそうで、をパカっといて、オレにとってはフツウのことだよといったで、かつてらとしたときのツーショットせてくれた。せることでがどんなったのかはらないが、このせいでのことをじゃんとった。は、ネゴンボにすホテルをである。

    でのはまあまあだが、とにかくスリランカのしているらしい。
    「スリランカではきるだけならにもほとんどおないから、がないい。なことをさせたらまずからない。クレームをつけたら、とフォローどころか、がつかなくなり、されてしまう。がない。をついて、でもばしにするからビジネスがまない。ネゴンボのホテルも、まともなスタッフがいないせいでなんだ。」

    はさっきカレーをべているときにたちをす。らのことを「べるものにっているたち」だとめつけたが、らはべるためにくということをんでいないたちなのかもしれない。つまり、「っている」というれみれのがある。としてることはく、そのとしてることはずっとしい。

    けてす。
    「スリランカにがなかなかできないってる? 使えないからだよ。だとっていないじるとうかい? オレはできるだけいいりたいといつもっているけど、りにはからさえりたがっているい。」

    2つのするはためじりにそうう。チッとちするさえこえたがする。でもは「からさえりたがっている」というえがいとって、をホクホクさせていたかもしれない。へのりない。
    「いまのいね。でも、だっていいところばかりじゃないんじゃないかな。だって、まりのっても、わりのらないし。にはかえってスリランカのりたがるたちはえてしまう。それがいことだとはえない。」

    にとって、かなりれだったようだ。しくりながらう。
    さん、それはうよ。さんはだからそんなことがえるんだ。たりすぎてのシステムのさがじられないだけさ。らないことなんて、オレだったらきながらするところだ。まあオレはじてないけどね。はもっとかれたしないと。にはそのったがいるわけじゃない。このさえならないんだ。いコミュニティだけがすることだけをえてきてるからね。していいところなんてもない。のシステムはなんだから。スリランカはとにかくがダメなんだ。こののことをてくれなくていい。」

    のトーンはかった。でスリランカのっていることがありありとわる。かにのシステムにけられている。そのがあるからができている。うように、そのシステムをってくれたたちにしなければならないのかもしれない。

    でもは、らのることをとしたとき、われたや、られなくなったのことをりたいし、そのことをらないといとう。でなければ、いつかされるようながする。スリランカのたちのは、われたものをるヒントそのものだとう。

    「ネゴンボはがさかんで、カトリックがい。」
    めた。
    「あなたはをとるになる、というがルカにある。ガリラヤだったシモン・ペトロにイエスがけた。あなたがをとるになったらいい。」

    はよくからないというをしている。
    のことはらないけど、カトリックのたちはべたらまだだよ。もともとカトリックのたちはができるし、ができるたちがかったんだ。からので、であるらがされたもある。でも、いまはう。のシンハラくなったから、はいろいろとしている。だから、オレがっているカトリックのたちはしいし、やっぱりをつく。」

    をつくのはがない。はそうった。ペトロも3をついた。でもペトロはいたときにづいた。はすでにされていたと。だからしくいたのである。さがめられるであれば、じゃなくなる。

    「まあ、はオレもつくけどね。それがビジネスだから。」

    はそこでニヤリとう。いかにもそうではフフフとってしまう。だけど、あるだ。ってがないビジネスなんておそらくない。ビジネスにおいて、だとかってやっているということが、ビジネスをやりくりすることのにある、というのはぎだろうか。

    がいまののシステムにじるのは、それがめないといういのさのんでいるである。そういうさはをダメにする。その、システムがしなくなってがかえってくなる。そのことがわかっていないい。こので、のシステムにすることは、からのするためにあるのではない。になるが、システムをかすとしてのがそこにあるがあるのだ。

     

    コタヘナのアントニオは、れたされた。ちょうどミサのったテロであったため、は50えるった。この、スリランカではホテルやキリストなど8カテロのターゲットとされ、そのにはやはりのミサのであったネゴンボのセバスティアンまれていた。このだけでは100えており、あまりにまりない。[i]

    あのいワンピースのだっただろうか。そして、のおさんは。あののミサにしていたが、にミサをすっぽかすわけがない。どうかでありますように。アントニオはどものだから、あのらなければいけないはずだ。

    はあのにいたひとりひとりのることはできない。あのいたというで、あのっている。はいまだにるということについて、そういうをたどるようなしからないようだ。

    なぜあのりのされなければならなかったのか。なぜイスラムが、なくともではそのしていなかったスリランカのキリストにしたのか。なりにいろいろなをあたってび、えたことがあるが、からするのでここにはしくかない。[ii]

    しかし、んだことをまえてえることは、りがぶことはとしてはってはいないとしても、それをえたときに、はある(イデオロギー)のであることはれもないであるということである。そして、といったすることは、そのままにするというめなければならない。

     

    スリランカのしてさい。そのまるたちはりというしかいないはずで、そのごくさなコミュニティがあるされたというは、てられたがあってそのかるだけにきい。

    このときわれたのはだけではない。そのコミュニティので、たちをしてがれてきたりとわれたのだ。これは、ってりになったようにえてもしない。われたものは、ずっとわれたままだ。そしてそれは、なわれてしまったあとには、そこにがあったのかもわからないようなものである。われるというのはそういうことだ。

    なものがわれていて、そしてそれはもうせないことについてえる。れながらまたまれて、なんとなくがっているようにえる。れのがりをして、たちはなんとかびていく。

    スリランカのを。

     

    (ことば)にえたるまる。

    せつけらるるおのがさよ、

    いたるのさびしさ。 

     

    ビニールをいてでカレーをべる。アントニオにて。


    [i] :Sri Lanka Attacks: What We Know And Don't Know  New York Times April 24. 2019

    [ii]めるものとしては、による)や『スリランカと』、『スリランカ』などがになる。

いつもわらぬうちにのことをえ、あらばに、かう。とはっても、のどこにってもこるわけではなく、それでわるわけでもない。それでも、がわからないかぎり、はいつまでもい。めてく。
をしてもはそのまま
(とば・かずひさ)

1976まれ。40めてネットとして、150わる。に『 』()、『おやときどきこども』(ナナロク)、『になれ』(ちくまプリマー)、『「し」の』()など。に「ぼくらはこうしてになった」(だいわblog)、「こども」「それがやさしさじゃる」(西)など。EduA