「たきな……! たきな……っ!」
私を息を荒げながら呼ぶ千束の声が耳にこびりつく。
「千束ぉ……」
誰のものか分からないような甘ったるい声がやけに近いところから発せられる。
やけに柔らかくて瑞々しい感触が肌に張り付き、足りないものを補い合うみたいに絡み合って求め合ってむさぼり合う。
お互いの全身から流れる汗が限界を超えてついに結ばれて、私たちはドロドロに溶けて一つになった。だからいつ意識を手放したのか、そもそも意識があったのかすらわからない。ただ漠然とした幸福を腕に抱いたまま、私たちはやがて静かに眠った。
「千束?」
目を覚ますと、ベッドの下には一糸まとわぬ千束が土下座していた。
「……もうしわけない」
千束らしくない堅苦しい言葉遣いだ。寝起きでぼうっとしていた頭が徐々に状況を理解し出した。自分の身体を見下ろす。私も裸だった。その瞬間全てを思い出す。
「きゃああああ!」
「ちょっ、まっ、おぶ!」
一瞬で恥ずかしさがピークに達して、私は思わず手元にあった枕を投げつける。枕はまさかの見事に千束の顔面に直撃した。
「な、な、な、なんて恰好しているんですか千束!」
「それを言うならたきなもだけど……」
「うるさい!」
「はい、ごめんなさい」
下着を見られるのと裸を見られるのは決定的に違う。特に昨日の一連の流れを思い出した今となっては。私はシーツで身体を隠すように覆って千束を睨みつけると、千束はすぐさま目を伏せた。
「その……昨日は……」
「やめてください、その話はしないでください」
「あのぉ……結構ムリヤリだったかなって……」
「だからやめてくださいって!」
私はシーツを頭から被った。ダメだ、さすがに冷静ではいられない。なんとか現実から目を逸らそうとシーツに包まったのに、ベッドには昨日の残り香が染みついていて、またしても思い出してしまった。私を求める蕩け切った千束の表情と、千束の首に腕を絡みつける私────
「ねぇ、たきなぁ……怒ってる?」
「…………怒ってません」
「嘘だぁ! ゼッタイ怒ってるもん!」
「怒ってないって言ってるじゃないですか!」
シーツの向こうで千束はきっと頭を抱えているだろう。すっぽんぽんで。なんだか間抜けな姿に思えて、図らずも笑ってしまいそうだった。
「たきな、ごめんね?」
「いえ、別に。千束に初めてを奪われたところでなんとも思わないですから。ええ、そこら辺の野良犬に噛まれたようなものです」
「うう……犬って……」
今自然に出てきたイメージだけれど、そういえばいつもくっついてきて犬っぽい気がする。シーツの隙間からちらりと千束を見る。しゅんとした顔の上に垂れた耳が見えるような。少しかわいいかもしれない。
「……やっぱり、たきなを傷つけちゃったかな……」
いよいよ本気で落ち込んでいそうな雰囲気を感じたので、私は仕方なく顔を出した。すると千束は即座に表情を綻ばせる。
「た、たきな!」
「あんな程度で傷つくリコリスはいませんよ。ちょっと身体がだるいくらいで任務には支障ありません」
「そ、そうじゃなくてさ……たきなの気持ちの問題で」
「気持ち……」
昨日の一夜を思い出す。とてもとても恥ずかしいけれど、一度も嫌だと思ってはいない気がする。むしろ私も彼女を手繰り寄せていたような気がしないでもない。私は再びシーツの中に引っ込みたいのを我慢して口を開けた。
「別に……嫌じゃ、なかったですけど……」
「え、ほんと!?」
千束は目を輝かせて私に迫る。自分が裸なのを忘れているのだろうか。せめて下着くらいはつけてほしい。肌色が一気に視界を侵食する。やめてほしい。頭の中まで肌色になりそうだ。
「じ、じゃあ気持ち良か────」
「デリカシー!」
「ぶはっ!?」
床に落ちた枕で千束の顔面を引っぱたいた。先ほどもそうだったが、まさか本当に当たるとは思わない。だから勢いをつけすぎた弾みでシーツがはだけてしまった。私の裸体が千束の瞳に映し出される。
「あ」
「あ……」
千束は顔を青くさせながらブルブルと首を横に振る。私は脱ぎ散らかされた服の中に埋もれているバッグを見遣った。
「あ、朝から良い運動だったんじゃない?」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
睨みつけると千束はそっぽを向いて下手くそな口笛を吹いた。フォローが下手過ぎるだろう。いつもの気遣いの良さはどこに行ってしまったのか。現在、私たちは制服に着替えてリコリコに向かう道中にいた。
「なんで枕は当たったのに銃弾は当たらないんですか……」
「流石に枕と銃は別じゃない!?」
「非殺傷弾なんだから当たってくれてもいいじゃないですか」
「理不尽! だ、だって痛いじゃん……?」
千束が避けたせいで千束の部屋の壁は穴だらけになった。私が撃ったからではなく完全に千束のせいだ。私はため息を吐く。なんでこんな人に抱かれてしまったのか。昨日は珍しく冷静な判断ができなかった。
昨日は任務で、そこそこの命の危険に見舞われたことが全ての発端だ。千束が私を助け、私も千束を助けた。そうやって互いに互いの命を守り合った結果、任務を遂行できた達成感もあって盛り上がってしまったのだ。
「たきな……」
昨日の私を誘う千束の表情が忘れられない。千束と別れる前、私の手を握って潤んだ目でじっと見つめられた。やけに熱が籠った手のひらの感触と、そこから伝わった私を求める感情に、私は思わず「はい」と言ってしまったのだ。
そして部屋に入るなり抱きつかれて、押し倒されて、キスをされて、そのまま……。
「はぁー」
「そんな冷え切った目で見ながらため息吐かないでぇ!」
千束は泣きそうな顔と上目遣いで私を見る。なんなのだろう、この感じは。いつもは振り回されている私が今度は逆に千束を振り回している。なぜか気分が良くなった。
「も、も、もしかしてバディ解消とか、無いよね……?」
「…………」
縋るような千束の問いに対して、私は何も答えない。千束は私が答えるまで待っている。しかし段々表情がうずうずしてきたようだ。
「た、たきなぁ……」
「…………」
千束の声が震え出す。
「わ、私、そんなつもりじゃなくて……ただ、たきなのこと大好きで、大好きが抑えきれなくなって、だから……」
「……ふふ」
「え?」
千束はぽかんと口を開ける。私は笑みをこれ以上抑えることができなかった。いつもの天真爛漫さは影に潜み、どんどん弱気になっていく千束を見るのはとても気分が良い。
「あはは! もう、千束……焦りすぎですよ」
やっと私が本当に怒っていないことに気づき、千束は頬を膨らませた。
「か、からかったでしょ!?」
「昨日散々やられたお返しです。いくら任務の後で昂っていても取るべき手順と順序がありましたよね?」
「う、うん……」
「これで懲りましたか?」
「はい……懲りました……」
私の言い分に納得したのか、千束は申し訳なさそうに口を噤んで俯く。どうやら反省してくれているようだ。私は中指を親指で抑えて、千束の額に向かって弾く。
「あいたっ」
「次からはちゃんとしてください」
「わ、わかった……ん? 次?」
私はさっさと千束を置いて歩き出した。この顔の赤さを見られないように。
「た、たきな? 次ってどういうこと?」
「このままでは遅刻しますよ」
「待ってよ、たきな! 次って何!? もしかして、これからも……」
「あー、うるさいうるさい!」
私を追ってきた千束はすぐさま追いついて私の横に並ぶ。そしておずおずと私の腕に手を組んだ。何を今さら。もう全部見られているのに。
私はそう思って千束の手を腕から外すと────その手をしかと握り返した。
🥰🥰🥰