一からわかる第二次世界大戦史

「バトル・オブ・ブリテン」 ヒトラーが挑んだ航空決戦から祖国を守り抜いたイギリス空軍

ドイツ空軍機からの空襲を受けたロンドン市街
ドイツ空軍機からの空襲を受けたロンドン市街

ミリタリー誌『丸』(潮書房光人新社)9月号から、好評連載「一からわかる第二次世界大戦史」を紹介。6回目の今回のテーマは、「バトル・オブ・ブリテン」。フランスを完全制覇したナチス・ドイツが次に狙うのは西ヨーロッパで最後に残ったイギリス。上陸作戦前に制空権を確保したいドイツ空軍と祖国の空を死守せんとするイギリス空軍の誇り高きジョン・ブルがしのぎを削ったイギリス本土上空の戦い「バトル・オブ・ブリテン」を総括する。執筆は歴史研究家の白石光さん。

仏降伏の次にドイツが狙ったのは

1940年6月22日、フランスはドイツと停戦した。事実上の降伏である。その結果、西ヨーロッパでドイツの軍門に下っていない主要国は、「陸軍大国」のドイツにとっては攻めにくい島国であったこともあり、とうとうイギリスのみとなってしまった。

ヒトラーは、以前からイギリスに親近感を抱いており、できれば戦火そのものを交えたくないと考えていた。しかも「もうひとつの陸軍大国」であるフランスをドイツが席捲したことで、ヨーロッパ本土には権益が少ないイギリスが、「懐柔と脅し」によって講和に応じるのではないかと推察していた。

だが、これはヒトラーの大誤算だった。イギリス戦時内閣の首班ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチルは、徹底抗戦の構えだったからだ。サンドハースト陸軍士官学校の出身で、軍人ながら新聞特派員も経験。その後、政治家に転向して通商大臣、内務大臣、海軍大臣、軍需大臣などを歴任した老練な政治家の彼は、ドイツ軍の脅威が迫ると、国民に徹底抗戦を呼びかけた。

「バトル・オブ・フランスは終わった。次はバトル・オブ・ブリテンが始まる」。

BBC放送で流された、チャーチルの演説の一説である。

ヒトラーは、イギリスの断固たる決意を知ると、イギリス本土への侵攻を計画する。そして7月初頭にイギリス本土侵攻作戦「ゼーレーヴェ」の策定を発令した。だが上陸作戦を主作戦として、空挺作戦で主作戦をサポートして英仏海峡を渡る同作戦は、ドイツにとって厄介な問題がともなっていた。

ドイツは陸軍や空軍の兵力こそ充実しているが、元来が陸軍大国であり、第一次世界大戦に敗れたことで海軍力を大きく失った。しかも海軍はその再構築にもっとも時間が必要な軍種なため、ドイツ海軍は、比較的短期間で戦力化できるUボートによって海軍力を補っていた。

かような事情により、「ゼーレーヴェ」作戦の実施に際しては、一度に大量の将兵を上陸させるために、上陸用舟艇など多数の舟艇類を用意しなければならなかった。そこでその不足を補うべく、ライン川のような大規模河川で運用されていた民間の舟艇類も徴用動員された。

また、歩兵の戦闘を支援する戦車を上陸第一波に自力で上陸させるため、主力戦車のⅢ号戦車とⅣ号戦車を改造し、十数メートルの海底が走行可能な潜水戦車も用意された。

史上初の航空決戦

しかし、さすがに本国である以上、それまでの負けいくさで大きく戦力を失っていたとはいえ、イギリスは最大限の努力でその防衛を講じていた。

そこでヒトラーは、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥に対して、9月中旬の実施を予定している「ゼーレーヴェ」作戦に先立ち、同作戦を有利に展開させるため、イギリス上空の制空権を確保するべくイギリス空軍の戦力の撃滅と、航空機生産施設や軍需工場、インフラなどを破壊するよう命じた。これを受けて、一大航空攻勢が行なわれることになった。

かくして、史上初の航空決戦であるイギリス本土上空の戦い、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」が始まった。

ドイツ空軍は、ベルギーに展開する第2航空艦隊とフランスに展開する第3航空艦隊のハインケルHe111爆撃機、ドルニエDo17爆撃機、ユンカースJu87急降下爆撃機やメッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110双発戦闘機などを、7月10日から連日のように出撃させた。そしてイギリスの飛行場や航空機工場、港湾や船舶、その他インフラなどを爆撃。

これに対してイギリス側は、本土の海岸線を取り巻くように設置されたレーダー早期警戒網チェイン・ホームでドイツ軍編隊の襲来を探知。スーパーマリン・スピットファイアやホーカー・ハリケーンといった戦闘機を緊急発進させて迎え撃った。

当初、ドイツ空軍は圧倒的に優勢だったが、Bf109の航続距離の短さのせいで爆撃機の護衛が十分に行なえず損失が増大。さらに、上層部の戦略方針の迷走により、途中で爆撃目標が当初の航空基地や軍事関連施設、インフラから都市部へと変更されるなど、かなり混乱が生じた。

イギリス空軍は必死に防戦したが、ドイツ空軍の「力押し」によって一時はぎりぎりのところまで追い込まれる局面もあった。

それでも戦闘機の生産はなんとかなったものの、特にパイロットの損失が深刻で、海軍の艦隊航空隊からの転籍者、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドなどイギリス連邦出身者のみならず、アメリカの義勇パイロットやポーランド、チェコ、ベルギーなどからの亡命パイロットまで動員して不足を補った。

また、時のイギリス空軍ファイターコマンド司令官でイギリス本土防空の立役者であるヒュー・キャズウェル・トレメンヒーア・ダウディング大将にちなんで「ダウディング・システム」と称された、チェイン・ホームを補うための目視対空監視網を整備。他にも、地域の少年や老人を集めてホームガード(国防市民軍)を編成し、ドイツ軍の上陸や空挺降下に備えて、市街戦や対戦車戦闘の訓練を実施した。

守り抜かれた「アルビオン」

こうして、空軍を中心として国民一丸となったイギリスの頑強な防戦により、ドイツ空軍は予想外の大損害を蒙ってしまった。既述のごとくイギリスもパイロットの補充には苦労したが、脱出さえできれば自国に降り立つことができるので、本人が負傷していなければ、すぐに再出撃も可能だった。しかしドイツ空軍のパイロットは、イギリス上空であれば脱出できても捕虜になるしかなく、特に爆撃機パイロットと搭乗員の損害が響いた。

戦況が予想以上に芳しくないため、ヒトラーはゲーリングを叱責。メンツが潰れたゲーリングは、現場の部隊指揮官たちに八つ当たりした。そのような折、彼らを前にしてひとしきり悪態をついたゲーリングは、懐柔のつもりで皆に向ってこう尋ねた。

「何か欲しいものはないかね?」

すると、第26戦闘航空団司令でドイツが誇るエース・パイロットのひとりだったアドルフ・ガーランド中佐は、こう答えたという。

「われわれにスピットファイアをください」

当時のドイツ空軍の戦況を示した端的な言葉である。

10月12日、とうとうヒトラーは「ゼーレーヴェ」作戦を翌41年春まで延期することを決めたが、結局、同作戦はそのまま立ち消えとなった。

「人類史上、かくも少数(の戦闘機パイロットたち)が、かくも多数(のイギリス国民)を守ったことはない」

ドイツ空軍の空襲が激減し、バトル・オブ・ブリテンがイギリスの勝利に終わった時、下院における演説に際して、チャーチルはこの有名なスピーチでファイターコマンドの健闘を称えた。

かくして誇り高き「ジョン・ブル」たちは、「フン族(民族的には異なるが第一次、第二次の両大戦において連合軍はドイツ軍をこう蔑称した)」の侵略から、母なる「アルビオン」を守り抜いたのである。

白石光

『丸』『世界の艦船』『PANZER』『ミリタリークラシックス』『歴史群像』『歴史人』などに執筆中。映画にも造詣が深く『ブラックホークダウン』や『ミッドウェイ』など多くのプログラムに執筆。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。観賞魚雑誌編集長を15年務め、観賞魚専門学校長を兼務。

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