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教育が「提供」できない場所で

ふたたび、学校に挑戦する

 四年生の三学期にフリースクールを辞めた娘は、しばらく家で過ごしていたが、新学期が近づいてくると、ひとつの決心をかためた。
 「もう一度、学校にいってみようとおもう」
 彼女は一年生、三年生の先生とうまくいかず、四年生に通ったフリースクールでも辛いおもいをした。これまでのことを思えば、学校と名のつくあらゆる場所に嫌気がさしてもおかしくない。だが、娘はなおも学校にちいさな希望を抱いていた。
 かつてぼくは小学四年生を一年間不登校ですごしたが、そのあとの五・六年生は担任の先生と良好な関係を築けて、マイペースながらもほぼ毎日学校に通うことができた。娘のことも「これまでとおなじようにうまくいかないはずだ」とはなから決めつけるのはよくない。
 だが、学校に行けなかった時間が長ければ長いほど、ふたたび学校に通いはじめるのにはものすごくパワーがいるものだ。

 新学期がはじまる前、ぼくは娘とふたりで学区の小学校を訪れた。ほんとうはあたらしい担任教師と会っておきたかったけれど、始業式前にだれが担任になるかは教えてはいけないというルールがあるそうで、代わりに教頭と話すことになった。
 娘が学校にいかなかった二年弱の間に、教頭は以前のベテラン女性教師から、四十代前半とおぼしき男性教師にかわっていた。おどろくべきことに、娘がどうして不登校になったのか、細かい事情はあたらしい教頭にはまったく引き継ぎされておらず、「原因はいまいちわからないけど、なんとなく学校が嫌だからこない子ども」ということになっていた。そのため、一年生までさかのぼって、ことの経緯をいちから説明しなければならなかった。

 これまでのわだかまりが、時間の経過とともに、すっきり解決されたわけではない。それでも、子どもが「自分から学校にいこう」と思い立っただけでもすごいことだと思う。
 遅れてしまった勉強を取り戻してほしいとか、苦手な教科の成績をあげたいとか、遅刻を減らしたいとか、そういうことは望んでいないので、先生たちには、ぐーっとハードルを下げ、「学校に来るだけで満点だよ」という気持ちで接してほしい。
 たとえ教室に入れず、校門にタッチして帰るだけ日があってもいい。まずは学校という場所に慣れる。「ああ、ここに自分がいていいんだ」という実感を持てるように、どうか温かい目で見守ってほしいとおねがいする。

 娘は過去の辛い思い出をふりかえりながら、「宿題はできるときにやっていくので、やれなくても責めないでほしい」「勉強はわからないところがあったら教えてもらいたいけど、へんに特別扱いはされたくない」という二つのことを自分のことばで伝えた。
 教頭は手元のノートに細かくメモをとりながら、「わかりました、娘さんが学校に通えるようにわたしたちも協力します」とおおきくうなずいた。

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保健室はおことわり

 桜の開花とともに新学期がはじまり数日間、娘は学校に通っていた。
 「今日は教室にすこしいれたよ」「こんな授業があった」「今日は保健室で本を読んでいた」「一時間だけで帰ってきた」……彼女なりのペースで学校になじもうとがんばっている姿がまぶしかった。
 けれど、ぼくが担任の先生はどんな人だった? と聞くと浮かない表情。
「なんかわかないけど、あんまり話してくれない」
 娘が保健室にいても、先生は廊下からドア窓ごしにながめているだけで、たとえ目があっても会話することはせず、すーっとむこうにいってしまう。教室でもほっておかれている感じがするという。
 「どうしてなんだろうね」と聞かれるが、ぼくもなぜだかわからない。

 四日ほどして、学校から帰宅した娘がため息をつくようになる。
 「保健室にいちゃいけないんだって。保険の先生も、最初は一緒におしゃべりとかしてくれたのに、『そろそろいこうか』とか『教室にはいついくの?』っていうようになった。すごくいづらい」    
 教室にいけない、しんどい、休みたい、というときは、保健室にいったらいいんだよ、とぼくも妻も娘にいってきた。学期前の面談では養護教師も「いつでもきてください」といっていたのに、あの話はなんだったのだろう。
 妻が学校に行くと、教頭が信じられないことをいいだした。
 「保健室はけがや病気の子どもが利用する場所です。養護教師と子どもがプライバシーに関わる、ほかの子には聞かれたくない話をすることもある。そういうときに、関係のない子がいるのは困るんです。当校では保健室登校をお断りしております」
 娘が保健室によくいるという話を聞いて、なにかの参考になるかも……と、『保健室登校で育つ子どもたち』(数見隆生・藤田和也編/農村漁村文化協会)という本を注文して読んでいたぼくはひどくがっかりした。
 保健室は身体的な怪我や病気の子どもだけの場所ではない。精神的に弱った子、しんどい子、ひとやすみしたい子だって利用する権利があるはずだ。
 いうまでもなく、子どものプライバシーは配慮されるべきだろう。だが、それは保健室のなかに限ったことではない。もしも保健室で聞かれたくない話をする場面があるならば、保健室登校の子に声をかけて、その時間だけ別の部屋に移動してもらうなど、ちょっとした工夫でやりくりできるはずだ。じっさいに他校ではたらく養護教師の友人はそのようにしていると教えてくれた。

 だが、教頭はどうしても保健室の利用を認めたくないようで、おかしなことをいいはじめる。
 「保健室登校を認めてしまうと、たいした理由もなく保健室をつかう子どもが増えてしまいます。もしも、一日何十人もの子どもが保健室に入り浸るようになったらどうするんですか。人手も時間もないわたしたちには、とうてい対応できません」
 たいした理由がなくても、ちょっと立ち寄って休める場所がある。それが保健室のいいところではないだろうか。そもそも、たいした理由か、そうでないかを決めるのは教師ではない。大人にはささいにみえることも、当の子どもにとっては切実で、悩みに根深くつながっていることだってある。
 ありえない話ではあるが、教頭がいうように、保険室を子どもたちに解放した結果、毎日何十人もの子がドアの前に列をなすとしたら、それはそれでヤバイ状況ではないか。そのとき教師がすべきなのは、保健室を利用する子どもの入場制限ではなく、学校そのもの、集団の病理に目を向けることだろう。

 そもそも「保健室登校」といっても、子どによって、保健室での過ごし方や滞在時間は違う。保健室の利用をお断りされてしまう子と、そうでない子は、どのような基準で線引きがされているんだろう。どんな子どもにも保健室を使う権利はあるはずです、というぼくに教頭は語気を強める。
 「わたしたちは教室のなかでしか、教育を提供できないと考えています。一日のうちに一歩でも教室に足を踏み入れない生徒には、保健室を使う権利はないんです」
 めまいがしてきた。「教育を提供する」という、サービス業のようないいまわしにもカチンときたが、なによりも「教室に来ない子どもには『権利』がない」というのは、学習の保障、義務教育の理念を無視した物言いにおもえる。
 それはどこか、「税金をおさめない人間、生活保護を受けている人間、警察のいうことを聞かないホームレスは、日本国民ではない、社会の一員ではない」というロジックとも似ている。
 人と人との関係は一段ぬかしに深まることはない。保健室でも図書館でも校庭の遊具だっていい。担任でも養護教師でも給食室の調理師さんでもいい。学校のなかにほっとできる場所や人が見つけられない状態で、不登校だった子がすんなりと教室にはいれるわけがないじゃないか。
 教頭は「ルールは変えられません」「対応できません」「人手がありません」の一点張り。新学期がはじまる前、ひざをつきあわせて話し合ったあの時間はなんだったんだろう。
 彼のふるまいは、契約前には甘いことばでお得ですよ、と宣伝しておいて、いざ使い始めたら、あれやこれや細かい規約を持ち出し解約することもままならない携帯会社のようだった。

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個別の指導はできません

 保健室の利用をお断りされてから、娘はふたたび学校に行かなくなった。
 あらためて、ぼくと妻は教頭と担任教師と話し合いの場をもつことになったが、想像通り、教頭とぼくらの意見はまったくかみあわなかった。
 保健室登校は認められない。来てもらいたいのはやまやまだが、教員の数も限られるし、学校としては対応できない。そういうことがくりかえし述べられた。
 ぼくは取材で何度も足をはこんだ与謝野海支援学校の話をした。
「子どもが学校にあわせるのではなく、学校が子どもにあわせる」
 設備や予算が潤沢でなかったとしても、そういう思想が、与謝野支援学校を子どもにとって居心地のよい場所にしている。
 もちろん、公立小学校が一夜にして変わることはないだろう。それでも、かぎられた条件のなか、子どものペースや特性にあわせて工夫はできないでしょうか。そのためならば、親として、一市民として学校への協力をおしみません。ぼくはことばを選びながら、真剣に教頭に語りかけた。
 しかし、彼は鼻で笑って、「そんなこともわからないんですか」というような調子で諭すように答えた。
 「当校は、フリースクールではないので、ひとりひとりの子どもにあわせていくようなことはできませんよ。ほかの公立校もおなじだとおもいますが、基本的に個別の指導はできないんです。大きなルールを定め、規範や目標を掲げ、何百人もの生徒たちをまとめて、全体で指導をする。それがわたしたちのやり方です」 
 どんな失礼なことをいわれても、腹をたてないでいようとこころに決めていたが、このときばかりはがまんできず、ついぼくも声が大きくなってしまった。
 「それはあなたたちが勝手に決めたことでしょう! 先生がいまいった考え方、なんていうか知っていますか。全体主義ですよ。」  
 子どもはひとりひとりの人間で、ただ耐えしのぶ家畜や奴隷じゃない。どんなに美しい理想や、理にかなった教育論が掲げられたとしても、その子自身がささやかな喜びをもって日々をおくれなければ意味がない。集団のコマのために個があるのではなく、個があるからこそ集団は成り立つ。ひとりひとりが大事にされていないのに、どうやって全体を大事にすることができるだろう。
 怒りと悲しみ、限りない虚しさにうち震えるぼくの心の中には、チャップリンの映画『独裁者』の有名な演説シーンが思い出されていた。

「君たちは機械じゃない。家畜じゃない。君たちは人間だ。こころに人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者が憎むのだ。愛されず、自然に反するものだけが憎むのだ。
 兵士よ。奴隷をつくるために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」とある。ひとりの人間ではなく、一部の人間でもなく、すべての人間。神は君たちの中にある。
 人びとは力を持っている。機械をつくりあげる力、幸福をつくる力を持っている。人びとが持つ力が、いのちを自由に、美しくし、人生をすばらしい冒険に変えるのだ。」

(チャールズ・チャップリン『独裁者』より)


 話し合いはすでに二時間を超えていたが、担任教師は教頭の隣に座ったまま、一言もことばを発しなかった。教頭の手前、遠慮しているのかもしれないが、きっと胸にひめたる思いがあるはず。
 「先生はどう思いますか? 担任としてどういう風にうちの子と付き合っていこうと思っているんですか?」
 と尋ねてみた。
 すると、彼女はとんでもない、という感じで両手をパーのかたちにして、ぶんぶん振りながらいった。
「あの… わたし、そういう難しいことはわかりません……」
 ぼくはずっこけてしまった。たしかに不登校は簡単な問題ではない。でも、ぼくはここでおたがいの教育論や人生観を戦わせたいわけじゃない。自分のクラスの子どもが、なんとか学校に来ようとしている。なのに、保健室を使うなといわれ、子どものおもいがくじかれている。その現状を目の前にして、たとえ大正解がだせなくても、担任として彼女自身の口から気持ちを聞きたかった。

 そういえば、教室や保険室にいるとき、担任の先生がほとんど声をかけてくれなかった、といっていた娘のことばを思い出し、どういう考えがあって、そういう態度をとったんですか、と尋ねると彼女はおずおずと答えた。
「いえ、それは、あの、お父さんと娘さんが、学期前に学校にいらしたときに、『ほっといてほしい』といわれたので、あまり触れてはいけないとおもい、わたしなりに距離をとっていました」
 えっ? ぼくも妻も目が点になってしまった。ぼくはほっといてほしいとは一言もいっていない。成績をあげようとか、引きずってでも学校に来させようとか、そういうことではなく、ぐっとハードルを下げて見守ってほしい、といったのだが、どこをどう誤解したのか「声をかけたり、近づかないでほしい」とぼくらがいったことになっていた。
 「声をかけずして、どうやって相手のことを知ることができるんですか。ふつうに考えておかしいとおもいませんか?」
 ぼくはもう一度ていねいに説明したが、相手からは「はあ…」と弱々しい反応しか返ってこなかった。

 ここは、ぼくが子どものころ、大嫌いだったタイプの先生の集まりじゃないか……。大人げないが、もうこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
 もはや対話することに疲れてしまったぼくのかわりに、妻がしんぼう強く話し合いをつづけてくれた。 
 そのおかげで教頭は「これまで前例のないことですが…」ともったいつけたまえふりをして、「保健室のかわりに、教室にいきづらい子が来れるような別室をつくってもいいかもしれません」とあたらしい提案した。
 だが、そのあとにつづくことばは、やはり的外れなものだった。
 「別室はつくりますが、そこに来るという確約がなければ無駄になってしまうので、娘さんにかならず来ると約束してもらえますか? 具体的には自習のプリントをやってもらうための場所になるとおもいます」 
 そうして、三時間ほどの話し合いはおわった。

 帰宅して、娘にそのことを伝えると、「そんなところには行きたくない」といった。もっともな話である。

〈つづく〉

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