前回は→その④
今まで背乗りという言い方をしていますが、結局勝者の歴史が世の常なので、そんなもんかもしれません。けど逆に背乗りをしたおかげて残っている文化が有るんです。つまり古来の儀式がどうだったか少し分かる可能性も有るという事です。
【当時の祭祀の重要性】
神武天皇は、吉野川の上流で祭祀を行う前に「宇陀地方」を制圧していました。このことからも祭祀が権力を保つために非常に重要なアイテムだったと分かります。無理やりにでも欲しい祭祀ポストという雰囲気を感じます。 具体的には例えば、神武天皇が香久山で土器を作り祭祀をしていた記録が日本書紀には残っているのです。
「神武天皇」が香久山で祭祀をした理由は
大和入りしようと思った神武天皇は一旦ナガスネヒコの軍隊に撃退され失敗します。そしてもう一度挑戦しようとして今度は紀伊半島を南下するという別ルートで大和を目指すという事になります。高倉下(たかくらじ)や八咫烏の助けを得て熊野山中を横断し、ついにナガスクネヒコとの最終決戦に挑みます。その時に勝利を願った神武天皇は腹心の椎根津彦(しいねつひこ)を天の香久山へ派遣させ、埴土(はにつち)をとり土器を、作成して神々を祀ったのです。つまり願掛けみたいな感じで行ったと読み取れますが、その願掛けをしたきっかけは夢でお告げが有ったからでした。では実際に彼の見た夢の内容を話していきましょう。
【神武天皇が実勢に見た夢の内容】
夢に天の神様が現れて教え諭されました。天野香久山の社の土を取り、沢山の(ひらか)底が平らな杯を作り、同じ様に神聖なお神酒の甕を作り天津神の神を謹んでお祭りするよに。そして身を清めて呪詛しなさい。そうすれば敵は自然と克服するでしょうと言ってきました。
※弥生土器にも実用品以外に、神々に捧げる御神酒の甕と、それを注ぐ杯が特別な器が有る。
同じように、イザナギノミコトやスサノオは髪に櫛を刺していました。クシナダヒメなどという名前にしてしまうくらい櫛は縄文から当たり前の文化として受け継がれた事でしょう。これは縄文時代朱色というのが特別な思いが有ったとされていますが。土器も神武天皇の時にも朱塗りの土器が製作されていました。朱と言えば思い出しませんか?そう鳥居の赤です。
出典PRINTOREST
【赤色大好き縄文人】出典:シリーズ縄文講座(10)より
漆は縄文時代から塗料として使用されていました。福井県の鳥浜貝塚や青森県の三内丸山遺跡などの遺跡からは、縄文前期(今から約5500年前)の漆塗櫛や器の一部が出土しています。また富山県小さや部市の桜町遺跡からは同じく赤色漆塗りの鉢が見つかっています。漆益を集めるにはまず最初に漆掻を集めます。これらの工程を経てできた漆液に、赤色顔料(主としてベンガラ、縄文後期以降は朱が使われ始めます)を練り合わせてはじめて赤色漆ができます。ちなみに、「なやし」や「くろめ」の作業を行わなければ、鮮明な赤色の発色は望めません。縄文時代、既に現代に勝るとも劣らない漆工が成り立っていたと考えられます。また、富山市水橋地区にある戦国時代(約400年前)の城館じょうかんあとの小出城跡からは、漆の塗られた櫛や様々な赤色文様が描かれた漆器が出土しました。当時の格の高い人々が優れた漆器製品を好んだため、漆製品専門の職人を城内に招き製作させていたと推測できます。漆は文化に強く影響を与えながら常に人々の美意識を刺激していたようです。
【その他の縄文時代の赤色顔料の種類】
上記の漆以外にも赤い色の塗料が有りました、つまり赤い色がそれだけ大切かという事と。赤という色合いを出すために案外バラエティに富んだ材料を使用していたという事です。
古来から用いられてきた赤色顔料には
「朱(HgS・辰砂)しんしゃ
「ベンガラ(α-Fe2O3・赤
鉄鉱)」
「鉛丹えんたん(Pb3O4・四三酸化鉛しさんかなまり」の3種類があります
でもそれは、その縄文時代から弥生時代までの変わり目だけ?って思いましたか?
実は今でもそれをやっているだろうと思える祭祀を私は見つけました、次回はそんな話をしていきたいと思います。
続きは→その⑥
- 驚異の防臭袋 BOS (ボス) Mサイズ 90枚入り おむつ ・ うんち ・ 生ゴミ などの 処理 に最適 【袋カラー:ホワイト】Amazon(アマゾン)防災には絶対これ。犬の糞でさえ匂いません。生活機能停止の事を考えると私はいつもこれ。おむつにも最強のビニールです。