軍国主義に加担した女性たちは「解放感」を得ていた…「わが生涯最良の日々」  陸軍が肩入れ、最大1千万人の国防婦人会、背景にあった「息苦しさ」

軍の訓練を見学する大日本国防婦人会の婦人たち=1933年3月(日本電報通信社撮影)

 戦前の日本に、戦時体制を積極的に支えた女性たちの団体があった。白いかっぽう着にたすき姿で、掲げたスローガンは「国防は台所から」。出征兵士の見送りなどをした国防婦人会だ。大阪で少人数から始まった市井の人々による活動は、後に全国で1千万人ともされる会員を擁するまでに膨れ上がった。女性たちは軍国主義に加担することで「解放感」を得たという。いったいどういうことか? その軌跡を追っていくと、当時の女性を取り巻いていた「息苦しさ」が見えてくる。(共同通信編集委員・福島聡)

大日本国防婦人会関東本部の発会式=1933年11月、青山会館(日本電報通信社撮影)

 ▽陸軍が支援した思惑
 発端は満州事変翌年の1932年だ。活動が発展していく様子は、二つの資料に詳しくかかれている。藤井忠俊氏の著書「国防婦人会」と、関与した陸軍幹部・石井嘉穂の手記だ。
 それによると、舞台は大阪。日中両軍が衝突した上海事変に絡み、大阪港や大阪駅で出征兵士を励まそうと、地元の女性たちがお茶を振る舞った。女性たちはこう考えたという。
 「お国のために命をささげる人々に、安心して出発してもらうのが銃後婦人の務め」
銃後とは、戦闘に関わっていない国民や国内を指す。
 これに目を付けた陸軍が後押しをする。軍を支持する機運を高めるのに効果的と判断したからだ。女性が反戦運動を起こしたりしないよう「国防のしつけ」をする狙いもあったと、石井は記している。
 この年、全国組織の大日本国防婦人会が発足した。東京や大阪で開かれた会合には陸軍幹部も出席し、活動は勢いを得ていく。

 ▽自由と平等のかっぽう着
 国防婦人会の活動の様子は、2025年2月に公演された演劇を見るとよく分かる。
 タイトルは「日の丸とカッポウ着」(主催・マートルアーツ)。主人公は、大阪で国防婦人会を始めた女性たちだ。大阪弁のせりふで、笑いも織り交ぜながらテンポよく展開していくストーリーは、史実をベースにしていた。
 出征兵士を激励して見送る場面が出てくる。「お茶のご用はございませんか?」と声をかけてお茶を振る舞い「手紙書いてあげなさい、お母ちゃんに」「死ぬのは怖くないで」などと伝えていく。そして万歳をして送り出す。
 当時の女性たちは参政権がなく、社会的な活動をすることにも大きな制約があった。「女は家に」との意識が強固に根付いていた。だが国防婦人会の活動なら、はばかることなく外に出られたという事情があった。演劇はそうした面にも着目し、女性たちが生き生きと取り組む様子を描いた。
 「自由と平等のかっぽう着」とのせりふも出てきた。当初「愛国婦人会」という、富裕だったり夫の社会的地位が高かったりする上流階層の女性団体も他にあり、国防婦人会と相互に張り合うように活動していた。
 国防婦人会からすると、上等の着物をまとう愛国婦人会の女性に比べ、自分たちの服装は見劣りがした。
 しかし、かっぽう着を身に付ければ服装の違いは目立たなくなる。自由と平等を象徴している、というわけだ。陸軍もまた、そうした大衆性に目を付けた。広く国民に訴えかける運動になることを期待して、国防婦人会に肩入れしていた。

 ▽戦後に「誇り」と回顧
 長野県立歴史館に水内村(現長野市)分会創立総会に関わる1936年の文書が残されている。白エプロンを着て、たすきを掛けて出席するよう会員に指示している。
 太平洋戦争中の他の文書は、兵士への慰問状作成や出征兵士の見送り、帰還兵士の出迎えに加え、日常生活での節約や貯蓄の奨励などにも触れている。生活全般を視野に入れた活動をしていたことがうかがわれる。同時に、地方でも組織化が進んでいたことが分かる。
 岩手県南都田村(現奥州市)に生まれた伊藤まつをは、戦後に刊行した著書「石ころのはるかな道」で、国防婦人会の活動に取り組んだ日々を回顧している。
 それによると、出征兵士や戦没兵士の送り迎えのために隣村にある駅に片道1~2時間をかけて日に2回も3回も往復した。兵士を送り出した家庭での仕事の手伝いや、慰問袋づくり、出征兵士への慰問文発送のほか、出征して戦死した兵の遺族に対する慰安活動も挙げている。
 伊藤は当時をこう振り返った。
「私の胸を割って見せたい。“滅私奉公”“忠君愛国”この赤誠の血潮みなぎるわが胸を」「私どもはじつに真剣だった」
「国をおもう心と家庭をおもう心はおんなじだった」
「一つ心となって国難に当たったことを、今もって誇りとさえ思っている」
どういう思いで活動していたかが伝わってくる。

加納実紀代さん

 ▽解放と平等
  女性史研究者の加納実紀代氏(2019年死去)の著書「女たちの<銃後>」に記された分析が興味深い。
 「わが生涯最良の日々」。加納氏によると、国防婦人会幹部だった女性がそんな回顧をした例が多いという。
 その上でこう述べる。
 「彼女たちは、そこではじめて<解放>と<平等>を味わったのだろう」
 「家に閉ざされていた女たちに、『兵隊さんのために』は外に出る絶好の口実を与えた」
 「もっとも保守的で反動的な組織が、もっとも大衆的に女たちの<解放>の欲求をくみ上げたとは、皮肉な話だ」
 大日本帝国憲法の下、男女平等とは程遠い環境にあった当時の女性たち。それが国防婦人会の一員としてであれば、大手を振って社会に参画することができた。なぜなら軍国主義に協力する活動だったから―。加納氏はこれを「皮肉な話」と表現した。核心を突いた指摘だと思う。
 ちなみに加納氏は戦争を支えた「銃後」をテーマにして、女性と戦争との関係を鋭く問い続けた研究者だ。女性が必ずしも受動的、消極的な立場でなく、時に主体的、積極的に関わったことに注目していた。

 ▽庶民が戦争を支えた
 戦争や他国との武力衝突が起きると、政府や軍の下で巨額のカネと多くの人が動き、特需が生み出されたり、これまで注目されなかった活動に突然光が当たったりする。
 国防婦人会はそうした時流に乗り拡大した。軍の後押しがあったとはいえ、庶民が進んで戦争を支えた事実を、われわれは直視しなければならない。
 他方で、政府と軍、さまざまな人々や団体、幅広い産業の思惑が複雑に絡み合う戦争という事象を読み解く作業は、一筋縄ではいかないことも改めて感じる。
 武力衝突のように国家主義が激しく高揚する局面で、国民が冷静さを保つことがいかに難しいか。奔流にも似た世論が湧き上がるとき、どう抗するのか。史実は私たちに重い問いと戒めを突き付けている。

© 一般社団法人共同通信社

あなたにおすすめ