伊藤亜紗

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伊藤亜紗
@gubibibi
東京科学大学未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院教授。MIT客員研究員(2019)。専門は美学・現代アート。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)、『ヴァレリー芸術と身体の哲学』(講談社)など。

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昨日の授業で生死について議論する時間があったのだけど、女の子の中に「産める能力を授かってしまったことへのとまどい」のある学生がそれなりいて驚く。産みたくないけど、産まないと「せっかくの能力を反故にするやましさを感じる」だったり「毎月の生理に耐えてきた自分が虚しくなる」だったり。
ゼミの選抜課題で「自己紹介しなさい。ただし本当のことを書いてはいけません。」というのを出したら、なんかすごい力作ばかりでてきた。
オンライン授業だと感想も例年とちがって楽しい。「録画5回見ました」から「授業の雰囲気が夜の散歩にぴったり」まで。大学の学びが生活の波の中に溶け込んでいることは間違い無く、でもこれって「考える」という行為にとってはとても喜ばしいことなのではないかと思う。
ハイレッド・センターやダダなど日常や公の価値をゆさぶる作品に対して、「これ以上不安にしないでほしい」という学生の反応が年々増えている。アートは問い、デザインは答えってずっと言われてきたけど、すでに十分複雑で不安定な世界においては、ただ問うだけのアートはもはや求められていない。
むちゃくちゃおもろい‼︎奈良時代に8個あった母音が5個に減った理由は、律令国家の整備で情報総量が増え、一つ一つの単語が長くなり、発音が甘くなったからである、と。語が長ければ厳密に発音しなくてもゲシュタルト的に分かってもらえるもんね。ちなみに名古屋方言はいまでも8母音だそうです。
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リモートになってからみんな「身体性」って言葉を連発する。でも身体=善じゃない。現にオンラインで楽になってる人もいっぱいいる。もちろんリアルのよさはあるけれど、私たちが身体性っていう言葉に託しがちなものをちゃんと分析し、その要素を別の形で実現する方法を探るほうが大事じゃないのかな。
詳しく知ると、ヘレン・ケラーは急に出てきたわけではないということが分かる。そのまえにローラ・ブリッジマンという視覚、聴覚、味覚、嗅覚の4つを失った少女が触覚だけで言葉を学ぶことに成功したという前例があり、それがサリバンのヒントになり(彼女も元生徒)、それがヘレンにつながった。
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ベネチアビエンナーレ、今年の金獅子賞はリトアニア館。人工砂浜に寝そべった海水浴客によるオペラ。パフォーマンスは土曜日だけで3時間待ちだった…
The media could not be played.
ある製薬会社の方が、感染症は自分(健康体)と他者(ウイルス)の線引きが明確だから、感染症についてばかり研究しているとコントロール至上主義的な社風になりやすい、でも精神疾患など自分と他者の線引きが不明瞭な病を相手にしていると、答のない問いのなかで悩める社風になっていく、と。なるほど
今日はこれから授業でジョン・ケージの話をするのだけど、zoomで130人ミュート解除して4分33秒、って成立するんだろうか。。しないよな。。ケージはリモート授業最大の難関かもしれない。。。
高知に出かけた今年のゼミ、図らずもテーマは「終わらせる」だった。住民の幸せと自立を尊重するからこそ集落を閉じる可能性を議論し(移住者呼び込みや観光開発はしない)、最終日の朝は庭の鶏をさばいてその命をいただいた。「持続可能」が前提の社会に対する、強烈なアンチテーゼだった。
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㊗️ご報告】おかげさまで、このたび第42回サントリー学芸賞(社会・風俗部門)をいただくことになりました‼️といっても私の研究は当事者の方の語りなくしては成立しなかったもので、すべてが実質的には共著です。関わってくださったみなさんと祝いたいと思います。乾杯〜🍻
10月にソウルにオープンしたModu Art Theaterの柿落とし講演(?)でした。Moduとは「みんなの」という意味で、日本語訳するなら「障害のある人とない人のための芸術劇場」という感じかな?中心部にこれだけ大きな障害関連のしかも劇場(美術館ではなく)ができるということにまず驚きだったのですが→
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📺😆8/1 22:00-NHK BS1「コロナ新時代への提言2」に出演します。福岡伸一さん、藤原辰史さんと。な、なんと、宮崎駿さん全面協力のもと、コロナを語る上ではずせないナウシカ を大フィーチャー。ナレーションはアニメ版ナウシカ役の島本須美さん。漫画版の台詞も読んでくださるそうです😭😭
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新刊『感性でよむ西洋美術』(NHK出版)が出版されます。「2時間で読める教養の入り口」をうたったシリーズなので、内容はごくオーソドックスな西洋美術ですが、「身の回りにあるルネサンスっぽいものとバロックっぽいものをさがそう」などちょっと変わったワークも収録されてます。
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10/9発売予定の『手の倫理』、カバーはこんな感じ😍😍「物にさわる」でも「自分の体にさわる」でもなく、「人の体にさわる/ふれる」触覚論を書きたいと思って書いた本です。と同時に「まなざし」モデルじゃない、「接触」モデルの倫理」があるのでは、という提案でもあります。
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『「利他」とは何か』(集英社新書)の見本が届きました!月2回以上の研究会で議論を重ねてきた、センターの1年間の共同研究の成果です。一人一章ずつ書いていますが、お互いの脳がかなり溶け合っていて、一般的な論集とはだいぶ違います。利他学会議のお土産(?)にぜひ〜 amazon.co.jp/dp/4087211584/
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学生の反応を見るかぎり、問いかけることを否定している(保守化している)わけではなくて、それが安心(議論の場が用意されていること)や提案(デザイン的な側面を含むこと)とセットになっていてほしいということのように思います。
か、かわいい😍14刷になった『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、絵本化を記念してヨシタケシンスケさん仕様で新装登場です!もはや新書じゃないねこれ。
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〈である〉と〈です・ます〉の違いが、客観性や丁寧さではなく、二人称=読者の設定の仕方にあるというのは、〈です・ます〉ユーザーとしてよく分かるなあ…「〈である原理〉は二人称のあなたを取り除く働きをし、逆に〈です・ます原理〉はあなたを前提とする。」(平尾昌宏『日本語からの哲学』)
研究室M2津野青嵐さんエッセイ。ファットの身体感覚を当事者との服作りを通して探る、という研究に至るまでの、まんが→白塗り→ファッション→べてる看護師という唯一無二の歴史が語られます。ぜひ。 この身体と生きていくための服作り―自分の手で、誰かと共に―【津野青嵐】
📺来週25日(土)午後10:00より、EテレのSWITCHという番組に出演します‼️ 落語家の柳家喬太郎師匠と。完全初対面でカメラが回るまで目すら合わせるなと言われましたが、意外な接点から話が膨らんで奇跡のような出会いになりました。ディレクターに笑顔がやばいと言われた(笑) nhk.jp/p/ts/LX2PXXL3K
数値化への執着がもたらす弊害について、ミュラーの『測りすぎ』(みすず書房)を手掛かりに考察しています。個人的にもこれは非常に重要な問題。ぜひお読みください。→評価、業績、達成度…数字の「測りすぎ」こそが、現代の失敗の原因だ gendai.ismedia.jp/articles/-/659 #現代ビジネス
今日のインタビューも超絶面白かった。吃音の方なのだけど、目が見えない人と話しているとどもらないことに気づき、テレビの解説放送のお仕事をされている。話し相手の視線から話題を先読みする癖がついていたので、視線なしに話せる相手や暗闇だと自由に言葉が出てくる、と。
MITの人文系研究がいいなと思うのは教養なんて意識はゼロで理工系の研究とがっつり組んでるところ。つまりフィジカルな世界とコンセプチュアルな世界をちゃんと往復してるってことだ。生命とは何かとか、そういうレベルで考えてる。ときには一緒に海洋調査の船に乗っちゃう。
校正中…『手の倫理』講談社メチエから10月に刊行予定です✍️他人の体にさわる/ふれるときの、その接触面で生じている人間関係について論じています。触覚の面白さは物理的だからこそ暴力にも親密さにもなるところ。信頼の倫理と不道徳な逸脱を同時に分析する作業が書いていてとても楽しかったです😙
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『きみの体は何者か』(筑摩書房)見本が届きました。中学生に向けた体とアイデンティティの本。内容はどもる体をベースにしていますが、須山奈津希さんのイラストが弾けてます。吃音は絵になる…
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あらゆるゲラ確認の締切が12/25になってる。あるデザイナーがパリコレにあわせて新作出す必然性がないことに気付いて、出したいときに新作を出すことにしたら職人さんを大事にできるようになり、クオリティもあがったと言ってた。ポスト資本主義もサステナブルも利他も「納期改革」からな気がする。。
いつか書かねばと思っていた「技術と身体」についての本にようやく着手。かつて技術は「職人のコツ」みたいに体にはりついていた。それが啓蒙主義によって言語化され、やがて数値化マニュアル化されて誰でも再現可能なものになっていく。これは民主化だが、個別の身体からの解離でもある。数字と感性。
どこの研究室でも同じだと思うけど、論文提出や発表の時期がちかづくと、指導教員はよく学生の夢に出る。伊藤研では見たら報告してもらうようにしてるけど、いつも面白い。(最近はラッパ吹いてたらしい😗)研究室の民話として、それらの夢を採集したい。研究室夢日記ノートつくろうかな。。
昨日のトークの質疑でスクロールの害悪について触れたけど、あれは実は前から思っていたことで。人は複数の時間を生きているということ、ひとつの話題には多様なアスペクトがあるということが、タイムラインという仮想時間によって消されてしまう。例えばこんなサイトはどう? act.mit.edu/cavs
ついに疲れをテーマにしたトーク&ディスカッションを開催します!疲れは自分がやったことや置かれた状況に対する体からの評価。丁寧に分類・分析するといろいろ見えてくるはず。申し込みは12/23から。 金沢21世紀美術館 | 伊藤亜紗  「疲れ」から考える 身体と社会の未来 kanazawa21.jp/data_list.php?
マイケル・フリード『没入と演劇性』、ようやく入稿した。。完全に学生マインドで取り組んだプロジェクトで、監訳ではなく自分で訳文を作っています。丁寧にコメントをしてくれた林道郎さん、中野勉さんには頭が上がりません。表紙はシャルダン。フリードの読みがもつ迫力の感染力に浸ってください〜!
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