毎日Learning

学んだことを共有します

2025年のふりかえり

晦日にベロベロで筆をとっています。

2025年は、なんだか仕事のプレッシャーがあったなーという一年だった。

思うように振るえない歯痒さみたいなのもよくあり、根気とポジティブが求められるなーという感じだった。

そんな中でも 2025年に参加したマラソン・トレランをふりかえり - 毎日Learning で書いたような趣味の時間を持てた。

とはいえ、趣味にもなんだか影響を受けるぐらいの仕事な感じだったなーという所感はある。

だいたい、仕事で振るえないってなんなのかなって思ったりもする。

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アジャイル実践者のリトリート by スクラム道関西 に参加してきた

scrumdo-kansai.connpass.com

スクラム道関西さん主催のリトリートに参加してきた。

数年前に、箱根のリトリートに参加して以来の、人生2回目のリトリート。

頻繁に参加すると疲れちゃいそうなぐらいに学びと癒やしと余暇のある会で、とても楽しかった。

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Developers Summit 2025 Summer で登壇してきました

event.shoeisha.jp

登壇してきましたー

きっかけ

一度は、デブサミで登壇してみたいと思い続けてはや10年ぐらいが経ちました。

タイミングよく発表したいネタがあるんだよなーというときに、公募に気付けたので、応募しました。

このあたりのネタがあり、発表する気概もある状態で、公募に気付けるかどうかってあるよなって思ってます。

なんとなく、登壇の機会を得られるかどうかって、ご縁だなって思うところあります。

登壇内容

speakerdeck.com

いまの現場に2024年10月にジョインしたときから、何をしてきたかを中心に、そのときどういった考えに基づいていたのかを言語化しました。

技術的負債ってふわっとしていますし、思っていることや実体が異なったり、どこにフォーカスするかによっても文脈変わってくるので、そのあたりをどうやって埋めていったか、何にフォーカスしたか、それはなぜそうしたのか、どうやって解消していくのか、といったあたりのコミュニケーションの取り方をお話できたような気がします。

とはいえ、これは、私の視座におけるアプローチであり、人によってはここから行かないとかあると思います。

目指すべき山が何で、そこにいたるとどうなるのか、もちろん行ってみないと分からないんだけど、ある程度の仮説は欲しいよねの、ある程度感っていうのをどうやって合意形成しながら進み続けるといいのかなっていうあたりの向き合い方的なのの言語化です。

プロダクトが中心にあり、どうやるかが周りにあるんだけど、そのどうやるかをどうやるかっていう話もしたりしていたので、コア→メタ→メタメタな話って感じです。

登壇のあと

Ask the speaker で御声がけいただきました皆様、本当にありがとうございました。

何らかしかの反応をいただけると、本当にうれしいです。

登壇するときには、ほんと、なにかちょっとでも刺さればいいなーと思っており、とくに刺さらなくても自身の言語化機会として活きるから、とにかく話したいことを話すっていうモチベーションで取り組んでいるのですが、そんな最後はひとりよがりの発表に反応いただけるのがとてもうれしいです。

また、職場の上長や同僚の皆様、ありがとうございました。

私の視座で勝手に切り取った話を外向けにしているので、そこはどうかなーっていうところもあると思いますので、そういったところをぜひ議論できたらなと思ったりもします。

控室

正直、控室がめちゃくちゃよかったです。

登壇者は、開催期間中、控室を利用できるということで、自分の登壇と聴講以外は、控室で仕事をしておりました。

それだけでも大変ありがたいのですが、他の登壇者の方と交流することもできちゃいます。

聴講した内容も勿論、自身の状態も含めて雑談や相談できたりしちゃうのが控室さいこーかよって思いました。

なので、みなさん、登壇されるのをオススメします。

控室であんな方やこんな方と、けっこうガッツリ議論する時間を持てたりします。

SNS上でしかコミュニケーションとれていなかった方とか、一方的にフォローしている方と直接お話できる機会はありがたいです。

まとめ

デブサミ、また機会があればぜひ登壇したいと思いました。

ありがとうございました。

なぜ既存ドメインを理解せずに開発を続けるのか - 構造主義的視点からの考察

なぜ既存ドメインを理解せずに開発を続けるのか - 構造主義的視点からの考察

ぽえむです。

はじめに - 不思議な現象

社歴が浅いこの現場で、機能をローンチした経験のない私に、なぜか既存ドメインについての質問をいただく。 質問してくださる方々は、私より社歴が長く、実際にプロダクトを開発・運用してきたご経験を持っている。

この状況から見えてくるのは、多くの開発者が ドメインを理解せずに開発を続けている という仮設である。

「よくある」では済まされない問題

「多くの開発現場では、既存システムの全体像や設計思想を深く理解せずに、局所的な修正や機能追加を繰り返すことがよくある」

確かに「よくある」かもしれない。しかし、情報が溢れ、設計パターンやドメイン駆動設計の知識が広く共有されている現代において、なお思考停止的な開発を続けることがなぜ起こるのだろうか。

「よくある」と言えてしまうぐらい一般的な問題だからこそ、私たちはそれを打破すべきなのだ。

構造主義的視点 - なぜ人は構造に囚われるのか

この状況を見ていると、構造主義脱構築の問題を思い出す。人は既存の構造に無意識に従い、その構造自体を問い直すことができない。

開発現場における構造とは:

  • 「動けばいい」という暗黙の価値観
  • 短期的な成果を重視する評価システム
  • 要件を機械的にコードに落とす作業フロー

多くの開発者は、この構造の中で思考停止し、要件を短視眼的な設計に落とし込む。技術的負債を生み出しながら、それを「成果」として評価される。まるでギャンブルで得られる一時的な快楽に依存するように。

なぜ私は構造に抵抗するのか

振り返ってみると、私には「プリミティブな体験」があった。挫折を経て、できるようになりたいと一念発起し、時間を忘れて勉強した。誰よりも一所懸命取り組んだ。

しかし、なぜ他の人はそうしないのか?

ニーチェの「力への意志

ニーチェは人間の根本的な駆動力を「力への意志」と呼んだ。これは単なる権力欲ではなく、「自己を超克し、成長し、創造する意志」を指す。

私の行動は、まさにこの「力への意志」の現れかもしれない: - 既存の「動けばいい」という価値観を拒否 - より高次の設計を追求 - 新たな価値(持続可能な開発)を創造しようとする

一方、既存の構造に安住する人々は、ニーチェの言う「畜群」的な生き方をしているのかもしれない。

加速主義的視点 - 破綻は変革の契機となるか

「人は痛みや危機感なしに既存の構造から脱却することは難しい」

この観察は加速主義的な視点を含んでいる。現在の思考停止的な開発を続けることで、いずれシステムは破綻する。その破綻が、真の変革のきっかけとなる可能性がある。

しかし、意図的に破綻を加速させることは倫理的に正しいだろうか?顧客や事業に実害をもたらすことを待つべきだろうか?

より建設的な道へ

単純な破壊や加速ではなく、以下のようなアプローチが必要かもしれない:

  1. 構造の可視化

    • 現在の開発プロセスの問題点を明確に示す
    • 技術的負債の真のコストを数値化する
  2. 小さな成功体験の創出

    • ドメインを理解した設計の価値を実証する
    • 部分的にでも、より良い設計を導入する
  3. 対話と教育

    • 「なぜ?」を問い続ける文化の醸成
    • ドメイン理解の重要性を共有する

おわりに - 孤独な戦いから協働へ

構造を認識し、それを脱構築しようとする道は孤独だ。しかし、その孤独な戦いを通じて、少しずつでも組織の文化を変えていくことができるかもしれない。

「よくある」を「あってはならない」に変える。その意識と行動が、より良い開発文化を作る第一歩となる。


思考停止的な開発から脱却し、ドメインと向き合う。それは単なる技術的な課題ではなく、私たち開発者の生き方そのものへの問いかけなのかもしれない。


共同体感覚と社会性 〜アドラー心理学に学ぶ社会とのつながり〜

共同体感覚と社会性 〜アドラー心理学に学ぶ社会とのつながり〜

私たちが健全に生きていくためには、身体的・精神的な健康だけでなく、「社会との関係性」が大きな役割を果たしています。 この社会との関係性を測る指標として、アドラー心理学における「共同体感覚」という概念が非常に示唆に富んでいると感じたので、整理してみます。

身体性・精神性・社会性の3つの観点

まず、人の健康や効力感を支える要素として、以下の3つを挙げることができます。

  • 身体性:肉体的な健康。疲労回復、活動力、睡眠など。
  • 精神性:心の健康。自己受容、意欲、自信など。
  • 社会性:社会との関係性における健康。つながり、貢献感、共感など。

この中で「社会性」は見過ごされがちですが、実は人が安定して力を発揮し、幸福を感じるうえで不可欠な要素です。

共同体感覚とは何か?

アドラーが提唱した「共同体感覚(Gemeinschaftsgefühl)」とは、以下の3つを包含する概念です。

  • 一体感:自分は社会の一員であるという実感
  • 貢献感:自分が誰かの役に立っている、意味があるという感覚
  • 共感力:他者を仲間として受け入れ、理解しようとする姿勢

つまり共同体感覚とは、「つながりの質」であり、「社会性の中身」であるとも言えます。

社会性を支える3つの関係性

アドラーは、人間関係を以下の3つの領域に分け、それぞれに向き合うことが共同体感覚の成熟につながると説きました。

  1. 仕事の関係
    所属し、貢献することで得られる関係。自分の役割を通じて社会とつながる。

  2. 友情の関係
    対等な立場で協力し、支え合う関係。共感と信頼によって成立する。

  3. 愛の関係
    無条件に自分を受け入れ、受け入れられる関係。最も深い共同体感覚が必要とされる。

この3つの関係がバランスよく、補完的に機能しているとき、私たちの社会性は健全であり、人生の満足感や幸福感も高まります。

社会性とは「共同体感覚」の状態そのもの

このように見ると、「社会性がある」というのは、単に人と交流していることではなく、

  • 社会に対して貢献できているという実感があること
  • 自分の存在が社会の一部だと感じられること
  • 人との関係において、共感し、信頼し合えること

といった、共同体感覚そのものの状態を指すと考えられます。

おわりに

身体性・精神性が健全であっても、社会とのつながりを感じられなければ、人は孤立し、心身の健康を崩すことがあります。アドラーの言う「共同体感覚」は、社会性という観点から人の健全性を見つめ直すための有効なレンズになります。

「私はつながっている」「私は誰かの役に立てている」
そう思えることが、人生の土台となる社会性を築く第一歩なのかもしれません。

人生にサードプレイスが必要

人生にサードプレイスが必要

私たちはふだん、「家(ファーストプレイス)」と「職場・学校(セカンドプレイス)」の2つの場所を行き来しながら暮らしています。
しかし、そのどちらにも属さない、もっと自由で、もっとゆるやかに「ただそこにいられる場所」──
それが、サードプレイスです。


サードプレイスとは?

サードプレイスとは、社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した概念で、以下のような特徴を持つ場所のことです。

  • 家でも職場でもない“第三の居場所”
  • 成果や役割を求められず、自然体でいられる
  • 参加・不参加が自由で、誰といても・一人でも心が落ち着く
  • 他者とつかず離れずの距離感で、ゆるやかな関係性を築ける

なぜサードプレイスが必要なのか?

1. 家も職場も、常に「役割」がある

家では、親・子・配偶者としての役割
職場では、部下・上司・同僚としての役割

どちらも大切な場所である一方で、常に何かを求められ、誰かの期待に応える必要がある
その役割から一歩離れ、「ただの自分」でいられる空間が心には必要です。

2. 孤独は“居場所の欠如”からくる

人間関係があるかどうかではなく、「どこにも属していない」という感覚が孤独を生みます。
サードプレイスは、“何もしなくてもいてよい場所”であり、存在を回復させてくれる場所です。

3. 自分のままでいられる“余白”が、心を守る

予定がなくても立ち寄れる
話さなくても気まずくない
その空間にいるだけで、心がほどけていく──
そんな場所があるだけで、人は「また明日もやっていける」と思えるのです。


サードプレイスの例

種類 特徴
🛋 カフェ・バー 話しても話さなくてもいい、緩い空間。常連やバーテンダーとの関係がゆるやかに育つ。
📚 図書館・書店 沈黙の中に、同じ空間を共有する安心感がある。
🌿 神社・寺の境内 誰にも話さず、ただ時間を過ごせる「聖域」的な場。
🧶 趣味のサロン・読書会など 成果より“共にいる”ことに重きが置かれる、負担のないコミュニティ。
🚶 散歩道・公園 人とは関わらなくても、身体と心を緩められる開放感がある。

自分にとってのサードプレイスを見つけるチェックリスト

以下に当てはまる場所があれば、あなたにとってのサードプレイス候補かもしれません。

  • 話しても、黙っていても許される
  • 成果や役割を求められない
  • 行きたいときに行き、帰りたいときに帰れる
  • 知り合いがいても、いなくても居心地がよい
  • そこにいると、少しだけ心が軽くなる

もしひとつでも「そうかも」と思える場所があるなら、そこを少し大切にしてみてください。


おわりに:人は、関係の中でしか癒やされない

「どこにも属していない」と感じるとき、
人は静かに自分の存在を否定し始めます。

家でもなく、職場でもない。
でも、自分を受け入れてくれる“第三の場”があることで、
私たちは“誰でもない自分”として、もう一度立ち上がることができるのです。

人生のなかに、サードプレイスをひとつ。
そんな余白があるだけで、心はふっと、軽くなるかもしれません。