BOOWYにまつわる噂のエトセトラ Vol.14-② ~解散諸説(1)「1位になったら解散」説についての私見②~
前記事で書いた通り、ここでは3rdアルバム「BOOWY」から「LAST GIGS」までの間を時系列で振り返るために、メンバー達の当時の発言を交えた年表を記載する。
なお、後付けの言い訳を排除するため、年表に引用させていただくメンバーの解散に関する発言は「その当時に」発言したものを原則とし、「LAST GIGS」以後の発言は別の章(次の記事に掲載)とする。また、雑誌掲載日が後であっても、インタビュー日が判明しているものはその日時に準拠させていただく。
ちなみに、この「1位になったら解散」説の検証に必要な出来事を主に抜粋しているため、BOOWYの全活動記録を網羅しているわけではない。
(注)次の記事で書く私見では、発言時期と時系列が非常に重要になってくるので、私見の前提条件として、メンバーの気持ちの変遷がわかるよう、敢えてこのような「年表」を作成した。しかし、こういった引用ばかりの形式の掲載が不適切と思われる場合は、この記事を削除するなり、鍵を付けるなり、書き直すなり、対応させていただく。
【年表 ~3rdアルバム「BOOWY」発売後からLAST GIGSまで~ 】
- 1985年 -
1985年6月21日
BOOWY、3rdアルバム「BOOWY」発売
1985年8月~
布袋寅泰、山下久美子のアルバム「BLONDE」のレコーディングに参加
布袋寅泰が氷室京介に「久美ちゃんのアルバムで忙しいから勝手にデモ作って」と言い放ったため、氷室京介が貯金をはたいて機材を買い、デモを作る
最初に出来た曲が「わがままジュリエット」(※17)
1985年9月6日
BOOWY、「BOOWY'S BE AMBITIOUS」ツアー開始
1985年9月20日
BOOWYの京都ライブの夜に、布袋寅泰がメンバーに山下久美子を彼女として紹介(※46 P154-155)
1985年9月
山下久美子の高級マンションに転がり込む形で、布袋寅泰と山下久美子が同棲開始(※46 P155)
1985年9月~10月頃?
(布袋寅泰)
一部では、布袋はBOOWYってバンドがあるのにあちこち手出して節操がネエ奴だくらいの事言われてるみたいだけどサ、僕はもっともっと自分を高めたいし、変な言い方すればバンド自体その為の手段だったりしちゃうし。最終的にやりたい事なんて、まだ自分でもわかってないけど、そこに行く為のステップは確実に踏んでるつもりなんだ。(※18)
1985年10月24日~12月20日
BOOWY、4thアルバム「JUST A HERO」レコーディング
1985年12月24日
布袋寅泰がBOOWYの渋谷公会堂公演のステージ上で山下久美子との結婚発表
1985年12月29日~1月6日
ベルリンでアルバム「JUST A HERO」のトラックダウン
メンバーとともにオフの山下久美子も同行
- 1986年 -
1986年1月上旬
「JUST A HERO」のトラックダウンを終え、氷室京介と布袋寅泰が帰国
ヒムロ 昔に比べれば、守るモノが増えてきちゃったじゃない?でも、それを守るために、変わっちゃまずいねってなったら、全員解散したいって言うと思うよ。今は、守るモノより、増やしたいモノの方が多いから、これからも、どんどん変わっていくよ…そうしてる時間が一番、気持ちいいもん。(※19 P34)
- これからのBOOWYの活動は?
氷室:けっこう淡々としてるよ。何々がやりたいとか、何々を守らなきゃいけない、とかそういう感覚が出て来たら、もう4人がバラバラになるべきだと思うのね、俺は。だから今は淡々と自分の表現したいものを表現できればいいって感じ。それをベストな形で第三者に伝えられる方法を見つけられれば、それが夢だよね。(※20)
1986年1月27日
布袋寅泰と山下久美子が結婚
1986年2月1日
BOOWYの3rdシングル「わがままジュリエット」発売
(布袋寅泰)
(わがままジュリエットの)ギターソロは僕の奥さんの"星になった~”にインスパイヤされたもの。(※21)
(注)近年の発言では「ホール&オーツの「WAIT FOR ME」からインスパイアされた」に変わっている。なお、山下氏の「星になった嘘」は、ギター演奏は布袋氏だが作曲は亀井登志夫氏である。
1986年3月1日
BOOWYの4thアルバム「JUST A HERO」発売
1986年3月24日~7月2日
BOOWY、「JUST A HERO」ツアー
ツアー中、幾つかの雑誌にメンバーのインタビューが掲載
(氷室京介)
ただ1つ、間違えちゃいけないのはこれは俺達がやろうと思ってた「JUST A HERO」の完成形であって、決してBOOWYの最終形じゃないんだよね。(※23)
(氷室京介)
いつも言ってるけど音楽が好きで楽しいからやってるんだよ。俺達は新しいアルバムが出来た時点でもう次のアルバムのこと考えてるから、次の事を考えられなくなったアルバムが出たら次は解散しかないわけ。今解散しないのは次にやりたい事があるから。それの繰り返しだよね。(※16)
「4人とも、バンドに執着してるっていうより、この4人に執着してるんだよね。だからもしメンバーチェンジなんてことになれば、みんなやめちゃうんじゃない?」(氷室京介)
今回のレコーディングにはキーボードとして元プラスチックスの佐久間正英が参加しているが、彼はアディショナル・メンバー。
「オレらが表現したいものに必要であれば、こういうこともある。でもBOOWYはこの4人だよ」(布袋寅泰) (※22)
布袋寅泰が山下久美子と結婚したことに対する中傷と揶揄が音楽雑誌の読者欄に掲載される。(※21 P160)
その中傷に対し、翌月号の誌面で布袋寅泰が怒りを露わにする。(※24)
(布袋寅泰)
イメージって何?自分の表現範囲を狭める為のもの?もしそうだとしたら、イメージなんてくそくらえ。ロックンローラーたる、ギタリストたるオレのイメージはいらない。自由にやりたい。自由にやりたいからミュージシャンにあこがれた。そんで今、自分がギタリストである事に誇りを持っているんです。一生ただただロックンローラー(?)である事に気付くのはもっと素敵だと思うな。食生活にも変化が必要なのと似てるよ。他のラーメン食べた事がない奴が、ここのラーメン最高って5年間食べ続けるのは馬鹿げてると思う。10の中から何かを選ぶのと100の中から何かを選ぶのは違うと思う。感覚って言うのは生まれながらに持ってるもんじゃないんだよ。身につけていくもの。(※24)
(布袋寅泰)
色々なところで言ってるんだけど、僕らの夢は解散なのです。思い切りやり尽くして、気持ちの良いケジメをつけるという事。今回のツアーも武道館もそのための1歩と考えてるんです。それは、今年中に来るかもしれなければ、5年後になってしまうかもしれない…。男4人が、その為に心焦がしている姿は素敵なものだと信じています。(※25)
(氷室京介)
常に自分の中で次のステップへの展開を思い描いていて、現在という時はその理想を達成させるための通過点でしかないと思うんですよ。だから次のステップを見つけ出せなくなった時が、もう到達点というかその人の限界なんでしょうね。
そういう意味で、“これこそBOOWYサウンドだ!“というのを見つけ出せたその時は、もう解散してもいいと思うんです。
全てがそれまでの葛藤じゃないかなって思います。(※26)
1986年6月中旬~8月半ば
山下久美子のアルバム「1986」レコーディング
布袋寅泰がサウンド・プロデューサーとして全面的に参加
松井恒松と高橋まこともサポートミュージシャンとして参加
1986年7月2日
BOOWY「JUST A HERO TOUR」ツアー終了
ファイナルはBOOWY初の日本武道館公演
1986年9月29日
BOOWYの4thシングル「B-BLUE」発売
1986年10月21日
山下久美子のアルバム「1986」発売
収録曲10曲中布袋寅泰作曲が8曲、作詞が1曲、山下久美子は5曲作詞
1986年10月28日
布袋寅泰がROCKIN'ON JAPAN(1986年12月発売)のインタビューで解散について語る
(注)元々「BOOWYの多様性を浮き彫りにする」主旨で行われたインタビューであったため、初出の記事では、氷室氏とのパートナーシップ云々や解散に対する布袋氏の考えについてはカットされている。下記の記事は、解散発表後に、同インタビューを再編集した「ROCKIN'ON JAPAN FILE」からの抜粋である
■■ 例えば氷室京介が今、ボーカリストとして光り輝いているけど、その光がある日消え失せたとしたらどうでしょう。パートナーシップを切ってしまいますか。
布袋「切るかもしれないですね。というか、切る云々じゃなくても続けられる部分は続けられると思う。例えば今の俺と山下久美子っていうアーチストの存在も成り立ってるし、吉川晃司の中での俺っていうのも成り立ってるし。泉谷さんはちょっとアレだけど。それはうまく成り立つし、ヒムロックもそれは認めてますね。俺がギタリストとしてここまでくるには、それなりに大変だった部分もあるし、計算してきたみたいな部分もあるし。俺にとって山下久美子と吉川晃司と氷室京介は同次元で必要ですね。それは彼も誤解しないと思う」
■■ でも、そういう背景があって、だからといってBOOWYがもしも魅力のないユニットになってもズルズルと続けていくってことは…。
布袋「それはあり得ないですね。そうなったらおしまいだし、そこまでのBOOWYだというか、最終形のものを描く時が来ると思うんですよ。売れる売れない関係なく。レコード作ったりツアーやって『これで俺らはやることやった』って思うときが来ると思う。そしたらそこでおしまいだと思う。ある意味じゃ解散に向けて頑張ってるんだと思う」
■■ ストーンズみたく、とにかくバンド続けていこうというのには魅力を感じますか。
布袋「いや、感じないですね」
■■ あっという間にミック・ロンソン切ってしまったデビッド・ボウイの方ががアーチストとして正直だと?
布袋「でもデビッド・ボウイはソロだから別ですけど。あんまり僕は持続することに意義は感じない。だって次のことをやったとしても、そのアーチストにとっては持続なわけだし過程なわけじゅん。例えばBOOWYが終わって、俺が違うバンド始めたとしても、そっから俺がスタートするんじゃなくて、そのバンドを始めるときにはもうBOOWYをやってきたってことが続いてるわけだから。無理矢理そのBOOWYを長引かせてずっと続けていくよりも、自分の人生をBOOWYの中で楽しもうと。みんなそうだと思いますよ」
■■ じゃあ"氷室京介のギタリストとか、男と女だったらオンナに囲われてるとか、BOOWYというバンドに囲われてる布袋じゃなく、あくまで一人で両足で立ってて、それが四人集まってBOOWYになってるというわけですね。
布袋「俺はそれがBOOWYの魅力だと思う。今のこういう時代の中で、こういうバンドはなかなかないんじゃないかと思う。もちろん自分の美意識の中で自分のバンドを作ってるわけだけど、それは今、本当に俺はカッコいいと思う。それで、そういうバンドが、昨日ベストテン見てたら十位に入ってるわけじゃん。俺はそれはけっこう、本当にカッコいいと思った」(※27 P76)
布袋「でも、ことステージでギターを弾いてる時に女の子にキャーキャー言われるのって心外に思う。最近特にひどい状態だしさ。みんなギター聞いてないんじゃないかっていう状態だし。それはすごくバカバカしいことだし、そんなやつらのためにやってないってでかい声で言えるしさ。とりあえずそいつらが目の前にいたら、俺が人に対してする一番やな顔をする。最悪な気分にさせられるコンサートも多いしさ」(※27 P77)
■■ 現在氷室さんとのパートナーシップには満足してる状態ですか。
布袋「そうですね。ある程度距離もあれば密着もしてるし」
■■ そのパートナーシップは今後もどんどん成長していくだろうという確信はありますか。
布袋「いや、とりあえずここで止るんじゃないかなっていう気がします。これを続けようと思ったら続かないし、発展させようと思ったら発展しないみたいなさ。流れに任せたいんですよね、人間関係は」
(中略)
■■ もしBOOWYというユニットがなかったら、氷室さんはあそこまで光り輝かなかったと思いますか。
布袋「思いますね。でも俺もそうかもしれないって最近思う。ヒムロックがいなかったら、こんなに認められなかったと思う。もっと違う形で二人とも認められたかもしれない。ヒムロックがずっとソロでやってたら、今の音楽スタイルは絶対ないと思う」
■■ それはそれなりに一角のもになるだろうという、そういう才能はあると言うことですか。
布袋「うん、もちろん。でも俺と一緒にやんなかったら、俺の一番嫌いなボーカリストのまんまでいたと思う」
■■ 布袋さんは氷室さんの嫌いなギタリストのままであったと。
布袋「だと思うんですよね。だから近いうちにヒムロックのソロアルバムを作りたいと思ってるし、その時は絶対俺がプロデュースしたいと思う。そしたらBOOWYとはまったく違ったもので彼を表現する自信あるしさ」
■■ 布袋さんの方はソロアルバム作る予定は?
布袋「具体的な計画はないけど、やりたいなと思ってます。ヒムロックと俺で二枚組っていうのもいいかも」
■■ 例えば、もし仮にBOOWYが終わるとしたら、Tレックスのマーク・ボランのように終わりたいっていうあだ花っぽい気持ちってありますか。
布袋「いや、でも淡々と終わりたいです。しぼんでいくんじゃなくて、しぼむと思ったらしぼむ前に。そうでなくちゃカッコ悪いと思う。そういう意味で、持続させるのは難しいから面倒くさくていやなんですよ。いろんな時期を味わいたくないっていうか、いつもピークでいたいっていうか」(※27 P77-78)
1986年11月8日
BOOWYの5thアルバム「BEAT EMOTION」発売
初のチャート1位を獲得
(氷室京介)
何がBOOWYにとって究極の目標、とかはないんだけど、この4人でならまだまだいろんな事にトライできると思ってるしね(※47)
1986年11月11日
BOOWY「ROCK 'N ROLL CIRCUS」ツアー開始
1986年12月16日
長野市民会館でのBOOWYのライブ終了後、ホテルのバーにて布袋寅泰が解散(又は自身の脱退)を提案
とりあえずオフをとって、もう1枚アルバムを出そうという方向に落ち着く。(※3 P136)
- 1987年 -
1987年1月7日
山下久美子初の日本武道館公演
布袋寅泰がサポートミュージシャンとして参加
1987年2月
「ROCKIN'ON 1987年3月号増刊 ROCKIN'ON JAPAN vol.3」発売
布袋寅泰のインタビュー「BOOWYは終わりに近づいている 完成したら終わりかな バンド幻想を持たない 自らのプロデューサー的資質を クールに語る布袋寅泰」が掲載
- その、人との出会いの中で得られる快感てのはどういうものですか。
布袋「やっぱ互換で共感できるみたいなとこだと思うんですよね。それに尽きる様な気がする」
- 氷室さんともそれはあったわけですか。
布袋「ヒムロックとはまた違いますね。バンドを組んだってのは、いきなり兄弟になったみたいな感覚に近いのではないかと思うの、最近。兄弟はやっぱり年とってったらそれぞれ違う道を歩むだろうし、違う感覚を身につけていくだろうと思うんですよね。でもとりあえず兄弟みたいなさ」
- 生涯バンド一つみたいな、そういう思い込みはない?
布袋「うん、そういうのは全然ない。それはウチのバンドは全員そう。なんかね、嫌いなんですよ、そういう感じ。他人を見てて嫌いっていうより自分がそういう風になるのがイヤなんですよね。なんか、せっかくなんだからいろいろやりたいっていう。だって、そんなに破裂する時期ってのが何十回もあるとは思えないし、だからそれは凝縮してやりたいなってのはありますよね」
- 例えばこれまで人との出会いで作業やって、これだ!って風に一番快感を得られたってのはどういう時です?
布袋「そりゃやっぱ久美ちゃんとか、吉川とかの時と思うんですよね。BOOWYの時には言えないっていう(笑)」(※28 P9)
- BOOWYの中では、そういう風に一歩下がって考えるってのは布袋さんだけなんですか。殊、サウンドだけでなくバンドとしてのプロデュースなんかも布袋さんが見れてしまうという。
布袋「そうです、俺から言わせると」
- 氷室さんが推進力になってる一方で、布袋さんがちょっと身を引いて舵取りしてる、というのがBOOWYの図式的な特徴としてあると思うんですけど。
布袋「そういう風に映るんでしょうね。映るっていうか、そうだと思いますよ。そうするべきだと思うしね」
- もうちょっと舵取りばっかりじゃなくて、さっきのプッツンみたいな感じで行っちゃいたいみたいな欲望ってのはないですか。
布袋「でもね、何ていうかBOOWYの完成形って何となく頭の中にあるんですよ。今回の成功もその中の一つなんだけど、だからそこからはみ出したいとは思わないですね。取りあえずそれをやり遂げて終りにしたいっていうかさ。自分のものを出して行くんだったら、また別のものでと思うんですよね」
- とりあえず完成形に近づけて、そこで終わればいいなんて凄くクールですけど、バンドのメンバーもそう言うんですか。
布袋「うん、ウチのバンドはそうですよ、けっこう。だって何が目的で始めたかって言ったらそれなんだもん」
- とりあえずBOOWYというコンセプトを完成させたいと。
布袋「うん。それが終って、さあどうしようかって話じゃないでしょやっぱ。完成させたら終りの話だから。で、そんなにみんな職人気質じゃないから、プラモデル作ってさてどういう風に塗るかってとこまで行かないから、そりゃ作ったらおしまいみたいなとこありますからね(笑)」
- 完成形は近い?
布袋「近いかもね」
- じゃ解散も近いってことじゃないですか。
布袋「(笑)あ、そうか。それでも遠くないですよ。あ、解散がじゃなくて、完成形がね」
- 完成したら解散するって言ったじゃないですか。
布袋「あ(笑)。遠いってのは二年だか三年だか知んないけど、凄い近いと思う」
- 完成したら、それを転がして行こうとは思わない?
布袋「うん。そういう姿はあまり好きじゃない。自分で、音楽ファンとして色々見てて」
- その完成形を言葉に出来ますか。
布袋「実感なんでしょうね。何かを作ったね。実感ってのは瞬間的なものじゃないんでしょうね。今まで五年やってきて、もうすぐ六年目に入りますよね。その時間の中でいろんなものを溜めてきたっていうか、経験してきたし、その上で何かを作った実感なんだと思うね。それはもちろん、アルバム作る度、ツアーする度に近づいて行くものだと思うし。それが完成できたら、また違うプラモデル買って、それを完成させたいなと言う。それが人生の中で何個できるかな、みたいな感覚なんですよね。それはもちろん音楽だけど、音楽じゃないところでも試してみたいという気持ちありますよね。それが何かわかんないけど。だから今こうなってるからって、音楽をずっとやると決めつけたくはないし」
- BOOWYが完成形に近づいてるという実感はいつぐらいからあるんですか。
布袋「五年間かかって、やはり後半に行くにつれ高まってますね」(※28 P10)
1987年2月24日
BOOWY「ROCK 'N ROLL CIRCUS」ツアー終了
ライブ終了後、打ち上げ会場となった表参道にあるブルーミン・バーで、スタッフも交えて解散についての話し合いが行なわれる(※3 P136)(※4 P139)
「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」ツアー終了後、BOOWYは3か月の長期オフに入る
氷室京介はロンドンへ
布袋寅泰と松井常松は山下久美子のツアーとレコーディングに参加。
高橋まことはBOOWYフェアで全国へ(※3 P137)(※4 P141)
1987年3月5日
吉川晃司のアルバム「A-LA-BA・LA-M-BA」発売
布袋寅泰がゲストギタリストとして参加
1987年3月15日~4月5日
山下久美子「ROCKIN' ROULETTE '87」全7公演
BOOWYからは布袋寅泰の他に松井常松がサポートミュージシャンとして参加
松井の参加は事前に告知されておらず、シークレット出演であった
(布袋寅泰)
山下久美子のこの間のツアーの時、僕らは2度光を見た。渋公と札幌公演の時だった。ステージ上の4人はひとつになり、それを越えたと実感した。そん時の感覚ってまるで未知との遭遇のラストシーンの様だった。目の前が開らけた。味わった事の無いものだった。4人のパワーが集中してひとつになるとああいう風になるとは思わなかった。その晩皆なで酒を飲んでその事について話をした時、松ちゃんは明らかに輝いて見えた。それこそワンパターンと人は言う彼のベーススタイルが実を結んだわけだ。彼の中で。バンドマンからベースマンになった彼と僕はその晩の事を忘れない事を約束した。(※29)
1987年4月6日
BOOWYの5thシングル「ONLY YOU」発売
1987年4月15日~5月末
山下久美子アルバム「POP」レコーディング
布袋寅泰がサウンドプロデュースを手掛ける
1987年6月~7月
BOOWY、6thアルバム「PSYCHOPATH」レコーディング
1987年7月19日
氷室京介がROCKIN'ON JAPAN vol.6(1987年8月発売)のインタビューで、アルバム「PSYCHOPATH」制作の心境を語る。
■■ でも、氷室さんの中には、そのBOOWYをメジャー・ブレイクさせるために何もかも捨てて頑張ったんだっていう意識があるんじゃないですか。
氷室「うん、頑張ったと思うよ俺、自分で。うん、根性っていう言葉を使うとすればさ、根性あったと思うよ。『あったと思うよ』って、終わった話になってる(笑)」
■■ いや、でもBOOWYはある程度の到達点に来たもの。
氷室「ね、俺もそう思う」
■■ で、ここまで持ち上げた力と、ここからその慣性で動いていく力とは全然比べものにならない。
氷室「うん、そうですよね」
■■ でも、それは成功を手にした途端にガラガラと何かが崩れ落ちたとかっていうことでもないんでしょう?
氷室「うん、そうじゃないと思う。だからさ、前にも何かのインタヴューで言ったけど、ここまでが本当に四人でやりたかったことなのかもしれないね。布袋も前にインタヴューで言ってたじゃん。BOOWYは完成型に近づいてるってさ。ある意味で本当にそういうことだと思うね。みんなが四人で集まって、自分たちの夢があってさ、やりたいねって言ってたことに、本当に近づいてると思う。で、俺は本当に『ジャスト・ア・ヒーロー』辺りからさ、あ-やったなあ、と思ったのね」
■■ それはどういう意味で?
氷室「だから、やりたいことを本当に表現できたなっていうか。結局、表現できないと煮詰まるじゃない、ミュージシャンとして。そういう部分での煮詰まりが全然なかったからさ、『ジャスト――』は」(※30)
1987年7月1日
山下久美子のシングル「リリス」発売
全作詞: 山下久美子、全作曲・編曲: 布袋寅泰
1987年7月21日
山下久美子のアルバム「POP」発売
前作に引き続き布袋寅泰がギター及びサウンド・プロデュースを手掛ける
全作曲:布袋寅泰、全作詞:山下久美子
松井常松もサポートミュージシャンとして参加
1987年7月22日
BOOWYの6thシングル「MARIONETTE」発売(チャート1位を獲得)
1987年7月31日・8月7日
「GIGS CASE OF BOOWY」開催
1987年8月26日
有明コロシアムにて、山下久美子のライブ「DIVE into TOKYO Bay」開催
布袋寅泰と松井常松がサポートミュージシャンとして参加
1987年9月5日
BOOWYの6thアルバム『PSYCHOPATH』発売(チャート1位を獲得)
1987年9月16日~12月24日
「ROCK'N ROLL REVIEW DR.FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND」ツアー
1987年10月26日
BOOWYの7thシングル「季節が君だけを変える」発売
歌詞は布袋寅泰がはじめて「俺達の関係性を歌詞にしてほしい」と氷室京介に要求
氷室京介がそのリクエストに応え全面的に書き直す
書き直しのかわりに氷室京介が要求したのは、カップリングを「CLOUDY HEART」とすること(※3 P139)
1987年11月21日
吉川晃司のアルバム「GLAMOROUS JUMP」発売
布袋寅泰がゲストギタリストとして参加
アルバムタイトル曲の「GLAMOROUS JUMP」の作曲者であるW.GUYは、吉川晃司と布袋寅泰の共作のペンネーム
同曲の歌詞は「とどかない世界へ飛び出せ 夢のつづき 2人ならつかめるさ」
1987年12月24日
渋谷公会堂のステージ上にて解散宣言
1987年12月25日
主要新聞にBOOWYのメンバー4人の個人名で「解散メッセージ」を掲載
- 1988年 -
1988年2月9日
氷室京介が音楽雑誌4誌共同インタビューを受け、BOOWYの解散と氷室京介の今後の活動について語る
※発言内容の一部は前記事(解散諸説(1)「1位になったら解散」説についての私見①)に掲載(※15)しているので、そちらを参照いただきたい。(長文のため)
1988年2月12日
山下久美子「ACTRESS OUT OF THE BLUE」ツアー終了
布袋寅泰と松井恒松がサポートミュージシャンとして参加
1988年3月1日
山下久美子のアルバム「Baby alone」レコーディング開始
布袋寅泰と松井恒松がサポートミュージシャンとして参加
1988年3月
BOOWY 「LAST GIGS」リハーサル
リハ初日に松井恒松がBOOWYの曲のキーを忘れていることが判明し、結局、その日は一回も音を出さずに終わる(※4 P164-165)
1988年4月4日、5日
BOOWY 「LAST GIGS」開催
名実ともにBOOWYの活動が終了
※解散諸説(1)「1位になったら解散」説に対する私見③に続く
※参考とした資料によって、引用した日付が異なる場合がある。恐らくこちらが正しいのではないかと思う日付を記載させていただいてるが、もし後で誤りがわかれば、訂正されていただく。
※「出典・参考資料」は「解散諸説(1)『1位になったら解散』説に対する私見③」の最後にまとめて掲載する。


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