四次元ポケットのないドラえもんだとしたら
ペンギンです。
U-NEXTでドラえもんの映画を観ました。
『のび太と鉄人兵団』(旧)を。
ドラえもん映画(旧)はそこそこ通しで観ているつもりになっていたのですが、一覧を見たら全然そんなことなかったです。
なんなら、『銀河超特急』と『ねじ巻き都市冒険記』の2つしかまともに観てなかった。
でもこの2つは本当にこすり切れるほど観たんです。年末か何かにテレビでやってたのをVHSに録画して、ずっっっっと観ていた。CMの「ごっごごごは~んごごごごごは~ん、ご飯でGOGO」までセットで覚えてる。ごはん(米)を食べようという啓発CMだった。
あまりにも2作を観たばかりに、「自分はそこそこドラえもん映画を観ている」という自認になっていただけでした。
鉄人兵団、びっくりするくらいハードなタイプの面白さだった。
ストーリーもがっつり侵略だし、巨大ロボットだけがやたらと質感強調された描かれ方をしているのも『ドラえもん』世界にとっては異物感があってすごい。
何よりも前半のリルルが怖すぎる。リルルがというか、前半の雰囲気がずっと怖い。ず~~っと怖い雰囲気のまま、状況はどんどん悪化していくんだが妙に淡々と進行していく。しらけながら世界が危機に瀕していく。
のび太がロボットのことを知っているとリルルに察知された時のリルルのカットインとか、カットインが短すぎて怖い。「気づいた」という顔を一瞬だけチラ見せしてくることで恐怖が増幅されている。「気づかれた、マズい!」というのび太の恐怖と、否応なく強制的にシンクロさせられてしまう。でもその後もなんかしらけている。それが一層怖い。そしてまた怖いカットインが入ったり、何か起きそうで何も起きない無音の時間があったりする。やめてくれ。
こんなのガチガチのスリラー映画じゃん。子ども観たら泣くじゃ済まないんじゃないか?
でもこれが『ガンダム』だったら怖いって思わないのかもしれない。『ドラえもん』だと思って観ているから怖いのかも。
全体に漂う不気味な怖さを無理くり打ち消すように、軽妙なギャグがボンボン挟まっている。スネ夫自慢の一般ロボットがいつの間にか喋るようになってて、それがコメディリリーフの役をやっている。これもテキストにするとそれはそれで不気味だが、観ている最中はむしろ精神のよりどころになっていた。
僕は子どもなので、スネ夫のロボットがふざけると一旦笑ってホッとする。あ、笑って良い映画なのねって思い直せるから。
のび太のドジとかも非常にありがたい。のび太がドジをするとホッとする。異常側に傾きつつある世界が逆方向に戻る力が、のび太のドジ。ドジは、この手の恐怖の逆。使い分け方が合ってるかわからないけど、ホラーとドジはセットで互いを増幅させることもありそうな一方で、スリラーとドジはうまいこと互いのイヤさを打ち消し合ってくれる気がしている。
とにかくまあもう怖い映画で、でもその怖さがなんだかクセになりそうだ。
僕はまだドラえもんの映画を全然観ていないことがわかったので、人生を彩るコンテンツには本当に際限がないことを改めて自覚しました。
ドラえもんがのび太家でごはんを食べたり昼寝したりなど普通に日常生活を送っているのを見て、ふと思った。
「ドラえもんがうちに来たら良いのに」みたいなあるある願望がありますよね。ひみつ道具貸してくれるなら、全然ドラえもんうちで"養う"よね~、みたいな話。
でもあの願望トークって、あくまで「自分がのび太ポジ」という前提の話なんですよね。よく思い返すと、のび太はいつも気ままにわがままにドラえもんへ道具をせがんでいますが、のび太とパパママってほとんどせがまないですよね。
そういう場面もちょっとはあったような気もするけど、基本的にはパパママが道具に絡むときってのび太のいたずらあるいは(余計な)親切心など、のび太起点。つまり、のび太のパパママが自身の欲求にしたがって能動的にドラえもんの「便利さ」を享受することってほとんどないのではないか。
つまりのび太のパパママは、実質的には「四次元ポケットのないドラえもんを養っている」状態ともいえる。これってすごいことなんじゃないか。
改めて「ドラえもんがうちに来たら良いのに」トークに話を戻すと、そう言っている人のうち果たしてどれだけが「四次元ポケットのないドラえもんでも良い」と心から言えるだろうか。
まあ確かに、そもそもドラえもんってかわいいし、ロボットだからフケとかアカとかなくてなんか汚くなさそうだし、なんなら四次元ポケットのあるおじさんとかより抵抗感が少ないかもしれない。
でも、ご飯は三食きちんと食べるから食費もかかるし、おやつもやたらと食べるし、押し入れのふとんだって(いくら実態が「ロボット置き場」とはいえ)洗ったり干したりする必要はあるだろう。それに明らかに意志(心)があるほぼヒューマノイドがのび太の学校中もずっと家にいたら気まずくなる場面だってありそうだ。
そういうことも加味すると、「四次元ポケットのないドラえもん」を養うという意思決定はなかなか難しい。
それでも、のび太のパパママがドラえもんを「自宅で暮らさせる」ということそのものに関して疑義を呈している場面を、少なくとも僕は見たことがない。自由に道具を使ってない(使えない)立場だから、ポケットのないドラえもんとほぼ同等なのに。のび太のパパママはかなり懐が広い。
そういうことを考えながら改めて『ドラえもん』を観返すと、また思い出させられることがある。それは、そもそもドラえもんはあまりにものび太にとって良きパートナーだということ。
ともに笑い、ともに泣き(コブクロ?)、時にはのび太の怠惰を厳しく叱って、時には一緒にいたずらして一緒にママに怒られて。めっちゃ良い友達なんだよな、ドラえもん。
たとえ道具がひとつもなかったとしても、自分の子どもにそんな友達がいたとしたら一緒に暮らすという道も全然あるのかもしれない。親の心というのは深遠だ。
===
東海オンエアとオモコロチャンネルのコラボ動画、観ました。
さすがにこれは言及せざるを得ない。東海オンエアもオモコロチャンネルも、めっちゃ観てるので。
(これはさすがにドラえもん映画よりは観てる上で観てると言っている。記憶ではなく現在の話なので)
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