公明党連立離脱までの経緯
発端:安倍派のパーティ券還流問題
元々は総理となって派閥を離脱していた安倍総理が、総理を辞任し派閥に戻った時に、パーティ券の還流問題を知り、止めるよう指示し、還流は停止された。しかし、安倍元総理が暗殺された後、安倍派の後継者を決められずに集団指導体制になってしまった。
幹事長代理になって話題になっている萩生田光一氏が出席していなかったと言われる会合で、下村博文氏の発案で再度還流することになったと言う証言が裁判で行われている。
それによってかどうかは、不確定だが、いずれにせよ還流が復活し、多くの議員が不記載を行ったことが岸田政権下で発覚し、大きな問題となった。
不記載問題の発覚と政治資金規正法改正
旧安倍派にかかわらず、ほぼ全ての派閥で不記載問題が発覚し、野党議員(立憲民主党の安住淳現幹事長など)にも同様の問題があり、収支報告書の訂正を行うこととなった。
どのような処罰を下すかで自民党内は大いに揉め、時間はかかったが一定の処分を下して決着を見たが、政治資金規正法を改正すべきだという機運が与野党問わず起きることとなった。
自民党と公明党、維新との話し合いの結果、パーティ券は5万円以上で氏名を公開するという改正案が成立した。
2024年総裁選と石破首相の誕生
派閥の解消などで混迷する自民党内では、岸田では選挙に勝てないという声が大きくなり、やる気満々で長期政権を目指していた岸田は、支持率低迷もあり総裁選への出馬を諦めざるを得なかった。
この2024年の総裁選でも高市早苗が一回目投票で1位で、石破茂が2位、小泉進次郎が3位だったが、決選投票で小泉票が石破に乗ることで、高市は敗北し、石破首相が誕生することとなった。
石破首相は総裁選中の言を翻し、即時の解散総選挙に打って出た。この総選挙には公明党は乗り気ではなく、できれば辞めてほしいとお願いをしていたが受け入れられなかった、
衆議院選挙と公明党の大敗
公明党は所謂裏金議員に対し、これまでの関係に応じて推薦を与えたが、これは支持母体である創価学会に極めて不評であったし批判を浴びた。
更に最大の爆弾が選挙期間中に落とされた。非公認議員への活動資金2000万円の提供である。
この報道が出る前は、ギリギリ自公で過半数を維持できるだろうと言われていたが、潮目が変わってしまった。
結局公明党は、党首すら落選するという憂き目に会い、若返りを図っていたのに大ベテランで公明党の定年問題もある69歳超えの斉藤鉄夫氏を代表に据えることとなってしまった。
更にその斉藤鉄夫代表には、3回分の政治資金収支報告書の訂正をした過去があり、1億円を超える巨額資産の報告を指摘されて修正したという、いくら事務方のミスを主張しても、クリーンで潔癖な公明党というイメージに傷をつけかねない人選となった。これは、斉藤鉄夫代表が創価学会に頭が上がらない原因の一つであろう。
この大敗を問題とし、責任を自民党にあるとしたい公明党は、政治資金規正法のさらなる改正を野党とも連携し、自民党に迫っていくこととなるが、連立離脱の意思はなかったため、企業献金に一定の理解がある国民民主党と一緒に案を出すこととなった。
2025年都議会選挙での敗北
そして、2025年の都議会選挙を迎えることとなった。公明党は全勝を目指し、現有議席23人から、勝利が困難な1議席を諦めて、22人の立候補とすることで必勝体制を築いたが、結果は創価学会の聖地と言われる2つの極めて重要な選挙区で合わせて3人を落選させ、事実上の敗北となった。
これは公明党の退勢を表したものと捉えられるが、都議会自民党でも同様の不記載問題があったこともあって、その余波を食らったのだという恨み節は絶えなかった。
また、区割り変更による東京都の衆議院選挙区を巡った自民党との争いで、当時の石井啓一幹事長が、東京での自民党との関係は地に落ちたという発言したことにより、東京での自公関係が極めて悪化していたことも、公明党にとっては打撃だったであろう。
この区割り変更をめぐる争いは、自民党内での反公明派を勢いづけた。
2025年参院選での大敗
そして2025年7月、都議会選での敗北を引きずりながら、参院選を迎えることとなる。
もともとは2万円の給付を都議会選の前に望んでいたのだが、あまりに国民に不評で諦めざるを得なかった。公明党側はこのままでは選挙に勝てないと、食料品の消費税減税を望んでいた。しかし、消費税減税は自民党内の財政規律派に阻まれ、結局2万円の給付を再度自民党に迫り飲ませるという悪手に出た。
しかも何故か公明党は懲りずに、自民党の所謂裏金議員三人に推薦を出した。
参院選の敗因は、勿論これだけではなく、国際世論の右傾化という大きな潮流が日本にも波及し、SNSを上手く展開し、外国人問題を選挙の争点化に成功した参政党が伸び、逆に訴えることがなくアジェンダ設定に失敗し、2万円給付もバラマキとして、国民にも受け入れられなかった自公は、低くした勝敗ラインすら下回った大敗を喫することとなった。
その敗戦の総括も終わらぬ同月30日に、下村博文氏が東京11区支部長に選ばれたことも自公関係にショックを与えた。
これが自民党は反省しておらず、最早連立を離脱すべしという創価学会側の主戦論に油を注ぐ形となった。
石破総裁の責任論と混乱
そこから更に自民党の混乱が始まる。3回も大きな選挙に大敗した石破総裁の責任論である。石破総裁側は、トランプ政権との関税交渉を大義名分とし、責任を回避して政権を続けようとした。
しかし、関税交渉も一応は決着を見たことで、自民党内での石破おろしは更に強くなり、自民党を割る寸前になったことで、石破は小泉にとどめを刺されて、解散総選挙に打って出ることを封じられ、総裁選の前倒しが決定された。
2025年総裁選と高市早苗の勝利
その総裁選の開始前に、公明党は保守中道路線の私たちの理念に合った方でなければ、連立政権を組むわけにいかないと斉藤鉄夫代表が発言し、事実上立候補すると目されていた、高市候補を牽制する発言を行った。
石破総理も、総裁選中に政策を引き継いでくれる方が良いと発言し、事実上小泉・林両候補を支持する発言を行った。
総裁選中、公明党のことをどの候補も無視したわけではないが、林候補を除いては、連立拡大に前向きな発言に終始し、公明党の機嫌を大きく損ねることとなった。
総裁選の最中、自民・公明・立憲民主党の三党の党首会談が9月19日に行われ、さらに25日に協議が行われ、政治資金規正法の改正などについて「企業・団体献金の改革については、政治資金監視委員会の設置に関する議論と並行して各党協議会で議論し、令和9年1月1日の政治資金規正法等改正の施行を見据え、結論を得ること」を確認した。
そして、2025年10月4日の総裁選の結果、一回目の投票で1位が高市候補、2位が小泉候補、3位が林候補、4位が小林候補、5位が茂木候補となり、下馬評以上に小泉候補の議員票が少なく、小林・茂木候補の票が多く、林票も多かった。何より、党員票が圧倒的に高市候補が多く40%を超えた。
報道通り、麻生元総理が政治のアーツとも言うべき、動きを見せたことと、これで議員票で小泉候補を勝たせた場合、何のためにフルスペックで総裁選をやったのかと言う自問自答もあったのだろうが、小泉勝利と思われていた決選投票において、高市候補が議員票でも小泉候補を上回り、勝利を果たした。
連立協議の決裂
総裁選中も首班指名前の連立拡大に意欲を見せていた高市早苗新総裁は翌5日に玉木雄一郎国民民主党代表との密談を行ったことが報じられてしまい、また榛葉賀津也幹事長の麻生元総理との会合が報じられるなど、公明との政策合意前に国民民主党を連立に引き入れる動きがあった。
6日には中国の呉江浩駐日大使が公明党の斉藤代表と会談した。これが連立協議与えた影響は不明だが、創価学会・公明党と中国との関係から、少なくとも靖国問題について意見交換したと伺われる。
7日、自民党の党役員人事が決定された。率直に言って論功行賞的であり、更に麻生元総理の意見を強く反映した人事となった。
小林鷹之政調会長を除くと、公明党に批判的な人物が多くなったことも公明党の態度を硬化させた要因ではあろう。
そして、同7日に一回目の自公連立協議が行われた。公明党は3項目を自民側に突きつけた。
1:政治と金の問題
2:靖国参拝と歴史認識
3:外国人共生
の3項目である。この内、2と3については、斎藤代表も誠実な回答を得たとして、了としている。
1についてはこの会談では、斉藤鉄夫代表は自民党側に対して党本部と都道府県支部だけでなく、国会議員の政党支部も献金の受け皿として認める方向で説明を行ったが、合意には至らず持ち帰り、引き続き協議することとなった。
なお、この会議の報告会見を待つ間にNNNの生中継中に時事通信カメラマンによる「支持率下げてやる」発言があったため、ネットを中心に大きく炎上し、時事通信社は謝罪することとなった。
8日と9日はどちらにも内向きでの動きがあり、自民党には高市早苗新総裁が菅元総理や岸田前総理に仲介を頼むなどの動きがあり、公明党は地方議員を含めた会議を行い、その後も会議を開き9日夜の会議で漸く斉藤鉄夫代表に判断を一任することとなった。
そして2回目の連立協議が10日に始まった。
斎藤代表は事実上9月25日の確認を反故にして、協議継続でなくこの場での決断を迫り、かつ一回目の会談で提示していた国会議員の政党支部も献金の受け皿として認めることを、勘違いであったと撤回し、党本部と都道府県支部に限定するようにハードルを上げた。これは自民党の仕組み上、総裁と幹事長だけでその場で決められるようなことではなく、機関決定が必要な事柄であることは26年間も連立してきた公明党は百も承知の事である。
自民党側はせめて連休の3日間、休みも返上して党役員を招集して会合するので待ってもらえないかと伝えたが断られ、連立離脱を告げられた。
長くなりすぎたが、以上が公明党の連立離脱までの経緯となる。
おまけ:公明党の戦略ミスについて
今回の公明党の連立離脱は、あまりに拙速だった。以前書いたように、総裁就任一週間の総裁に、これまで岸田総裁の頃から、石破総裁を経ても解決できなかった問題を、今ここで決断しろというのは無理筋で、高市が嫌いだったからとか、女性総理誕生を阻止したかったとか、中国の指示だったとかいうナラティブ形成に対抗しづらい状況を生んでしまった。
勿論、最初から高市嫌いの人たちは、高市が無能だから悪いで納得するのだろうが、それは世論形成には寄与しない。
公明党は、少なくともこれまでの総理総裁でも決められなかった政治と金の問題については、補正予算成立、臨時国会閉会までの猶予期間を与えて、仮の政策合意とすべきだった。
この場合、公明党は自民党には十分な時間を与えたと言い訳ができて、上記のナラティブに十分対抗でき、政治と金の問題に不誠実な高市自民党に三行半を突きつけた金にクリーンで誠実な公明党というナラティブを押し通せた(斉藤鉄夫代表の過去の収支報告書の訂正問題があるが)。
しかし、拙速に連立離脱をしてしまったために、公明にはトランプ大統領来日間近での混乱についての責任や、補正予算成立の混乱、それに伴う国民生活への悪影響など、様々な問題の責任を問われることになる。
もちろん、これは言いがかりと言って良いものかもしれないが、自公連立+1の政権を望んでいた国民がほとんどであったことを考えれば、公明による国民への裏切りと言えよう。
支持母体の創価学会の意向とはいえ、国民の期待を裏切った政党の末路が明るくないのは歴史が証明している。民主党がなぜ四分五裂となり、実質的後継者になった立憲民主党がなぜ衰退しているのかを考えるべきだった。


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