2025年自民党総裁選における麻生太郎の「選挙レバレッジ戦略」:カンネーの戦いに匹敵する政治的アーツの極致
2025年10月4日の自民党総裁選で高市早苗氏が勝利した背景には、麻生太郎元総理による驚くべき投票戦術があった。その戦術の全貌と、総裁選後の政権運営に至るまでの一連の政治的機動について解説したい。
2025年自民党総裁選の背景
まず、この総裁選が行われた状況を理解する必要がある。
2024年10月の衆議院選挙、2025年7月の参議院選挙で、自民党は相次いで与党過半数割れという大敗を喫した。政治資金パーティー収入の裏金問題が尾を引き、石破茂政権への支持率は低迷を続けた。
党内では「石破おろし」が活発化し、約50日間にわたる退陣要求の末、石破首相は2025年9月7日に退陣を表明した。
こうして9月22日告示、10月4日投開票の日程で総裁選が実施されることとなった。立候補したのは小林鷹之、茂木敏充、林芳正、高市早苗、小泉進次郎の5名で、いずれも2024年の総裁選にも出馬した経験者だった。
事前情勢と「小泉優勢」の空気
告示後の情勢調査では、議員票で小泉進次郎氏が70〜80票でリードし、林芳正官房長官が50〜60票、高市早苗氏は40票台と報じられていた。
朝日新聞の9月30日調査では、議員の支持動向は小泉氏72、林氏57、高市氏37という数字が出ていた。多くのメディアは「小泉優勢」を伝え、小泉陣営は投開票日の3日前に「祝勝会」を開催していたとも報じられている。
即ち、永田町の空気は「小泉首相誕生」に傾いていた。
「最強の布陣」と呼ばれた小泉陣営
9月22日の告示日、小泉陣営の出陣式は壮観だった。集英社オンライン(10月9日)によれば、代理出席を含めて92人が参加した出陣式は「高揚感にあふれていた」という。
無派閥議員に加え、麻生派、旧茂木派、旧岸田派、旧二階派など「派閥横断」で議員が集まり、後見人である菅義偉元総理も参加。河野太郎元外務大臣、上川陽子元外務大臣、加藤勝信財務大臣、野田聖子元総務大臣、木原誠二選挙対策委員長など、ほぼ「オール自民党」といってもいい布陣だった。
陣営幹部は「誰が見ても最強の布陣だ。政策にも政局にもネットにも強い。負けるはずがない」と語っていたという。
しかし、この「最強チーム」はたった12日間の選挙戦で「内部崩壊」を起こすことになる。
麻生太郎の「選挙レバレッジ戦略」
この空気を完全に覆したのが、麻生太郎元総理の投票戦術だった。朝日新聞の今野忍記者が「選挙レバレッジ戦略」と命名したこの戦術は、極めて老獪かつ革新的なものだった。
麻生派は43名を擁し、党内で唯一残存する派閥として一定の影響力を持っていた。しかし295票の議員票全体から見れば約15%に過ぎない。この限られたリソースを、麻生氏は「てこ(レバレッジ)」として最大限に活用した。
第一段階:小泉陣営への「潜入」と評価発言
ここで注目すべきは、麻生氏が総裁選期間中、小泉進次郎氏を公然と評価する発言をしていたことである。
これは単なるリップサービスではなく、計算し尽くされた戦術だった。麻生氏の評価発言により、麻生派から数名が「代理」として小泉陣営に顔を出していても、「老獪な麻生元総理の保険だろう」と小泉陣営を安心させる効果があった。
即ち、小泉陣営は麻生派からの参加者を「取り込み」と認識し、自陣営の勢力を実際より大きく見積もることとなった。
第二段階:1回目投票での「分散投票」
読売新聞(10月4日)によれば、麻生氏は支持候補を決めていない麻生派議員に対し、1回目投票では小林鷹之氏を支持するよう促した。
ジャーナリストの青山和弘氏がABEMA「ABEMA的ニュースショー」(10月5日放送)で分析したところによれば、小林氏の議員票44票のうち約15票、茂木氏の34票のうち5〜6票程度が、麻生氏の意向によって「上乗せ」されたものだった。
本来30票程度と予測されていた小林氏が44票、同様に苦戦が予想された茂木氏も34票を確保できたのは、この麻生氏による票の配分があったためである。
第三段階:「恩売り」による連合形成
この1回目投票での票の上乗せは、単なる分散ではなく、戦略的な「恩売り」だった。
選挙ドットコムの報道(10月9日)によれば、麻生氏は小林氏と茂木氏の陣営に票を「貸す」ことで、彼らの「負け方」を良くし、政治的な面目を保たせた。茂木派陣営の一人はこの支援を「干天の慈雨」と表現している。
これにより、決選投票での票の集約を円滑に進めるための布石が打たれた。
第四段階:「党員票1位の候補を支持する」という大義名分
麻生氏は決選投票に向けて、「党員票が多い候補を支持する」という明確な基準を打ち出した。
毎日新聞(10月5日)は「麻生太郎元首相が高市氏支持の『号令』を麻生派内にかけた」と報じている。この大義名分により、1回目投票で敗退した小林氏・茂木氏の支持者たちが高市氏に票を移す際の「正当な理由」が与えられた。
議員たちは地元有権者に対して「党員の声に従った」と説明することができ、票移動への心理的障壁が大幅に下がったのである。
「カレーパン食い逃げ事件」の真相
投票当日の10月4日昼、小泉陣営では96人が集まり、小泉氏の地元・横須賀から届けられた海軍カレーパンやカツカレーパンを共に食した「勝負メシ」である。
しかし、1回目投票の結果、小泉氏の議員票はわずか80票に留まった。カレーパンを食べた96人から16票が「消えた」計算となり、弁護士の北村晴男氏がX(10月5日)で「カレーパン食い逃げ事件の犯人は最低12名」と指摘するなど、「裏切りのユダ」「最後の晩餐カレーパン食い逃げ事件」としてネット上で話題となった。
しかし、これは単なる「裏切り」ではない。麻生氏の戦術の一環として理解すべきである。
意図的に何名かを小泉陣営に潜り込ませることで、小泉陣営の勢力を実際より大きく見せた上で、第1回目の投票時点で離れさせる。これにより、小泉陣営の議員票を直前の想定より少なくさせ、「勢いの喪失」を演出したのである。
事前の情勢調査では小泉氏が議員票70〜80票でリードとされていた。しかし、92人(代理含む)が出陣式に参加し、96人がカレーパンを食べたにもかかわらず、実際の議員票は80票に留まった。この「期待と現実のギャップ」こそが、決選投票に向けた雪崩現象を引き起こす引き金となった。
「負けがない」戦略設計
麻生氏の戦術の真髄は、「負けがない」設計にあった。
麻生氏が「党員票1位の候補を支持する」という基準を掲げたことは、どちらに転んでも損をしない構造を作り上げた。
もし高市氏の党員票が小泉氏を下回っていた場合、麻生氏は何食わぬ顔で小泉氏に票を入れていただろう。事前に小泉陣営に何名かを潜り込ませ、小泉氏を評価する発言をしていたことは、この「保険」を担保するものだった。
即ち、麻生氏は高市氏が党員票で勝てば高市氏を支援し、小泉氏が党員票で勝てば小泉氏を支援するという、どちらの結果でも「勝ち馬に乗れる」構造を構築していたのである。これは「民主的正当性」という大義に裏打ちされた、完璧なリスクヘッジだった。
投票結果の詳細
10月4日の投票結果は以下の通りだった。
1回目投票
高市早苗:183票(議員票64、党員票119)
小泉進次郎:164票(議員票80、党員票84)
林芳正:134票(議員票72、党員票62)
小林鷹之:59票(議員票44、党員票15)
茂木敏充:49票(議員票34、党員票15)
決選投票
高市早苗:185票(議員票149、都道府県票36)
小泉進次郎:156票(議員票145、都道府県票11)
注目すべきは、高市氏の議員票が1回目の64票から決選投票で149票へと85票も増加したことである。これは小林氏の44票と茂木氏の34票を合算した78票を上回っており、林氏支持層からも相当数が高市氏に流れたことを意味する。
一方、小泉氏は1回目の議員票80票に林氏の72票を加えれば理論上152票となるはずだったが、決選投票では145票に減少した。小泉・林連合は「逆包囲」され、事実上殲滅されたのである。
カンネーの戦いとの構造的相同性
この麻生氏の戦術は、紀元前216年のカンネーの戦いにおけるハンニバル・バルカの包囲殲滅戦術と驚くべき構造的相同性を持つ。
ハンニバルの戦術
カンネーの戦いでは、カルタゴ軍約5万がローマ軍約8万6千と対峙した。ハンニバルは中央部を弓なりに前方へ突出させて配置し、ローマ軍の猛攻を受けると、この中央部を計画的に後退させた。
ローマ軍は「勝っている」と錯覚して中央へ殺到したが、これこそがハンニバルの罠だった。中央が後退する間に、両翼のカルタゴ精鋭歩兵がローマ軍の側面を圧迫し、さらに騎兵がローマ軍の後方に回り込んで完全包囲を完成させた。
結果、ローマ軍は約6万5千〜8万を失う壊滅的敗北を喫した。
麻生氏の戦術との対比
麻生氏の戦術も同様の構造を持つ。
第一段階として、小泉陣営に人員を「潜入」させ、敵の勢力を過大に見せた。これはハンニバルが中央部を意図的に突出させ、敵の攻撃を誘引したことに相当する。
第二段階として、1回目投票で小林氏・茂木氏に票を「分散」させつつ、小泉陣営からは人員を引き揚げさせた。小泉陣営に「議員票80票」という「勝利には届かない数字」を見せつけ、勢いの喪失を演出した。
第三段階として、決選投票で「党員票1位の候補を支持する」という大義名分のもと、1位・4位・5位連合による票の集約(逆包囲)を完成させた。
通常の総裁選決選投票では「2位・3位連合」が組まれ、1位を逆転しようとするのがセオリーである。しかし麻生氏はこれを覆し、高市氏(1位)、小林氏(4位)、茂木氏(5位)の連合を構築した。
これは、ハンニバルが数的劣勢にもかかわらず、「両翼包囲」という当時の軍事的常識を覆す戦術を採用したことと完全に相似している。
総裁選後の戦略的勝利
しかし、麻生氏の政治的勝利は総裁選で終わらなかった。その後の危機管理と政権基盤の構築において、さらに卓越した手腕を発揮した。
公明党離脱という危機
10月10日、公明党の斉藤鉄夫代表が高市総裁との会談で連立離脱を通告した。26年間続いた自公連立の解消は、自民党にとって深刻な危機だった。
ロイター(10月10日)は「26年間続いた自公の協力体制は解消され、日本の政治は新たなステージに」と報じた。衆議院で自民党単独では過半数に届かない状況で、首相指名選挙をいかに乗り切るかが焦点となった。
維新との閣外連立
しかし、麻生氏と高市総裁はこの危機を「機会」に転換した。
日経新聞(10月20日)によれば、高市総裁と維新の吉村洋文代表は連立政権合意書に署名した。維新は「閣外協力」の形で政権運営に参加し、首相指名選挙では自民党を支持することとなった。
これは、ハンニバルがイタリア遠征において、ローマの同盟都市を次々と離反させ、自軍に引き込んだ戦略と相似している。公明党という「旧同盟」を失っても、維新という「新同盟」を獲得することで、政治的孤立を回避したのである。
首相指名選挙での「一回目勝利」
朝日新聞(10月21日)が「少数与党でも1回目で決着」と報じたように、高市氏は首相指名選挙において、決選投票を経ることなく、一回目で過半数を獲得して首相に選出された。
総裁選での「選挙レバレッジ戦略」が決選投票での逆転勝利を目指したものだったのに対し、首相指名選挙では決選投票すら必要としない圧勝を収めた。これは維新との連携だけでなく、無派閥議員の取り込みにも成功した結果である。
敗者の取り込みと党内基盤の完全掌握
高市政権の閣僚・党役員人事は、総裁選で争った候補者たちを見事に取り込むものだった。
閣僚人事による懐柔
小泉進次郎 → 防衛大臣:総裁選で敗北した小泉氏を防衛大臣という重要閣僚に起用。安全保障という高市政権の看板政策を担わせることで、「協力者」に転換させた。
林芳正 → 総務大臣:旧岸田派の林氏を政権の中枢に置くことで取り込みに成功。産経新聞は「ナンバー3席の林総務相」と報じている。
赤沢亮正 → 経済産業大臣:石破前首相の最側近を経産相に起用。これは「石破派」を分断し、その中核メンバーを高市陣営に引き込む効果があった。
党役員人事による基盤固め
一方、党執行部は麻生派が中心を占めた。
副総裁:麻生太郎(麻生派)
幹事長:鈴木俊一(麻生派)
総務会長:有村治子(麻生派・高市氏推薦人)
政調会長:小林鷹之(総裁選で麻生氏が「恩売り」)
nippon.com(10月7日)は「総裁選で支援を受けた麻生派から3人が入り」と報じた。
ここで注目すべきは、閣僚は茂木派など他派閥に譲り、党内のグリップで力を発揮したという点である。閣僚ポストは内閣改造によって入れ替わるが、党の執行部は政権が続く限り維持される。政策決定と選挙運営の両面で党を掌握することこそが、長期的な影響力の源泉であることを麻生氏は熟知している。
麻生派が党内役職を占めたことで散々誹謗中傷されたが、この「閣僚は譲り、党を握る」という戦略こそが、麻生太郎の老獪さの極みと言えよう。
岸田元総理の取り込み
岸田文雄元総理は「日本成長戦略本部長」に就任した。自民党公式サイト(11月20日)によれば、岸田氏は高市首相に経済政策の提言を行っている。
これは岸田氏を「閣外の協力者」として位置づけ、旧岸田派を政権に対する潜在的脅威から「パートナー」に転換させる戦略である。
石破前首相の完全孤立
時事通信(12月28日)は「『反高市』存在感薄く」と題する記事で、「自民党内で高市早苗首相に批判的な議員の存在感が希薄だ。首相への直言をいとわないのは石破茂前首相くらい」と報じている。
即ち、党内で異論を唱えているのは総スカン状態の石破前首相と、片手で数える程度の有象無象のみという状況が現出している。
高支持率による正当性の確立
そして最も重要なのは、このすべての戦略的勝利が、国民の支持によって裏打ちされていることである。
2025年12月の各社世論調査によれば:
FNN調査:75.9%(若年層9割超)
日経新聞調査:75%
朝日新聞調査:68%
毎日新聞調査:67%
日経新聞(12月22日)は「高市内閣、70%台の支持率10〜12月維持 小泉・安倍政権と似る」と報じている。発足直後から3ヶ月連続で高支持率を維持していることは、政権基盤の強固さを示している。
毎日新聞は総裁選直後、麻生氏の戦術を「変わらない自民党」と批判した。しかし、この批判は国民世論によって完全に否定されたと言えよう。麻生氏の戦術は単なる「派閥政治の復活」ではなく、党員・国民の声を正確に読み取った上での戦略的選択だったのである。
結論:政治戦術史における麻生太郎の位置づけ
2025年自民党総裁選から高市政権発足、そして現在に至るまでの麻生太郎元総理の一連の政治的機動は、政治戦術史上、比類なき成功と評価される。
「選挙レバレッジ戦略」による総裁選での逆転勝利は、カンネーの戦いにおけるハンニバルの包囲殲滅戦術に匹敵する。小泉陣営への「潜入」と「カレーパン食い逃げ」による勢いの喪失演出、公明党離脱という危機を維新との連携で乗り越えた政治的柔軟性は、ハンニバルがイタリア半島でローマ同盟都市を次々と離反させた外交戦略に相当する。
そして、敗者の取り込みと石破前首相の孤立化による党内基盤の完全掌握、「閣僚は譲り、党を握る」という長期的影響力の確保は、84歳にして政治的手腕の「極み」に達したことを示している。
さらに特筆すべきは、麻生氏の戦略が「負けがない」設計だったことである。党員票の結果次第でどちらにも転べる構造を構築し、「民主的正当性」という大義を掲げることで、いかなる結果でも政治的影響力を維持できる仕組みを作り上げた。これはリスク管理の観点からも卓越した戦略設計と言える。
ハンニバルは、カンネーの戦いで勝利しながらも、最終的にはローマに敗北した。それは、彼が「戦術の天才」であっても、「戦略の持続性」において限界があったからである。
しかし麻生氏は、総裁選という「戦術的勝利」を、政権運営という「戦略的勝利」へと見事に昇華させた。この点において、麻生太郎元総理は「ハンニバルを超えた政治家」とさえ言えるかもしれない。
2025年は、日本政治史において「麻生太郎の年」として記憶されることになるだろう。


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