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まず、昭和18年に大学生の徴兵猶予措置がなくなり徴兵の対象となります。(いわゆる学徒出陣) この時に、大学生=高学歴者(士官教育を受ける基礎的な学力を有している)として、初級士官(小隊長クラス)としての教育がおこなわれる事が多く、田氏も同様に予備士官教育をうけたものと考えられます。 後方支援となると、各種の工廠・工場といった部分をイメージしているのでしょうけれども、工学部、医学・歯科学・薬学・獣医学といった直接的に役職に関連する学部でない限りは、徴兵・教育ののちに試験や採用枠(?)の関係で役職・兵科が割り当てられます。 それ以外の場合は、兵科の初級士官として教育され、前線に配置される事が多く、田氏は戦後に東大経済学部を卒業しているので、徴兵猶予や優先的な割りあてをうけられるような学部でなかったのではないかと思われます。 また、終戦直前には海軍の全部隊が陸戦隊化、特攻部隊の新設が相次いできており、その頃に教育の終わる学徒出陣組の少尉はこういった新設部隊の小隊長・分隊長へ配置するのに階級や人事異動の面から適当であり、予備士官の多くは特攻隊に編入されています。 ただし、海軍の水上艦艇に配属されても、ほぼ全力が「特攻戦隊」に改編・編成されていますので、予備士官だけが無駄遣いされたといったわけではなく、五分五分の確率で特攻隊に回されたといった理解が適当ではないかと思われます。
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その他の回答(4件)
田さんの家は男爵家ですから、東大以前に男爵家の御曹司 が特攻というのに驚かされます。裏千家の千宗室、東北帝大 教授(ロボット工学)の息子で水戸黄門をやった俳優さん。 いいとこの息子が結構特攻に配属されています。 西村晃さん。 懲罰召集というのは聞きますが懲罰特攻というのはあまり聞き ません。
徴兵が猶予されたのは、一部を除く理系です。 文系の大学生は、徴兵されましたし、理系の学生も、末期には徴兵されました。 予備士官として、航空部隊に配属され、特攻隊に志願し戦死した方も多くいます。本当のエリートは、率先して戦いに赴くものだという認識もあったからだとも言われています。 【参考HP】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3 よく言われる、旧帝大系の大学生は、徴兵免除されたというのは、あやまった・・・・・いや歪んだエリート意識にもとずく学歴伝説にすぎません。
上官命令にて震洋特攻隊に配属。 普通は徴兵されない→学徒出陣はご存じない? 昭和18年に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する 20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部 の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させた。 東京帝国大学の学生も例外ではありません。
旧来の兵役法では、日本の将来をになう大学・高等学校・専門学校などの学生は、26歳まで徴兵を猶予されていました。 しかし、太平洋戦争末期には戦況がますます悪化し、兵力不足も深刻でした。 そこで、軍部は学生も兵力として使うべく、1943年(昭和18)、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を徴兵し、出征させたのです。これを「学徒出陣」といいます。 学徒出陣ではたとえ帝大だろうが旧制高校だろうが、いまでいう偏差値などに関係なく徴兵されました。 多くの有為の若者が、これで命を奪われ、日本にとってはたいへんな損失となった出来事です。 田英夫は東京帝大経済学部、つまり文系の学生でしたから、学徒出陣の対象だったのです。