立憲公明新党の正体:「消滅」を「発展的解消」と言い換える公明党と創価学会の出口戦略【2026/01/15午前版】
衝撃の新党構想
2026年1月14日、朝日新聞や毎日新聞が衝撃的なニュースを報じた。立憲民主党と公明党が、新党結成を視野に調整を進めているというのだ。
高市早苗首相が23日召集の通常国会冒頭で衆議院を解散する意向を示す中、両党は「中道の結集」を掲げて合流を検討している。15日には野田佳彦代表と斉藤鉄夫代表による党首会談が行われ、合意に向けた詰めの協議が進められている。
一見すると、選挙情勢が厳しい両党が生き残りをかけて手を組んだように見える。しかし、この構想には致命的な欠陥があまりにも多い。そして、その欠陥の存在こそが、この構想の「真の目的」を示唆しているのではないか。
無党派層を取り込めない構造的問題
まず、選挙戦略として見た場合、この新党構想には勝ち筋が見えない。
公明党は創価学会を支持母体とする政党であり、一般有権者の間には根強い拒否感がある。旧統一教会問題で「宗教と政治の関係」への警戒感が高まった後だけに、なおさらだ。
立憲民主党支持者の中にも、自公連立を批判してきた層は多い。その公明党と合流するとなれば、「裏切り」と感じる支持者の離反は避けられない。立憲民主党の原口一博衆院議員は15日、自身のSNSで「断固反対」を表明し、「立憲民主党は野田代表・執行部の私党ではありません」と猛反発している。党内からも早々に異論が噴出している状況だ。
さらに、立憲民主党を支援してきた宗教団体との関係も問題となる。立正佼成会を中心とする新日本宗教団体連合会(新宗連)は、創価学会と歴史的に対立関係にある。自公連立への反発から立憲支持に回っていた彼らが、創価学会と同じ党を支援するとは考えにくい。
つまり、この新党は既存の支持基盤を失い、かつ新たな支持層を獲得できないという、最悪の構造を抱えている。
高市首相への「神風」
この構想が実現すれば、最も得をするのは高市首相と自民党だ。
通常国会冒頭での解散は、本来なら「大義なき解散」と批判される。しかし、立憲公明新党という構図が出現すれば話は変わる。「26年続いた自公連立の枠組みが崩壊し、政界再編が起きている。国民に信を問うのは当然だ」という論理が成立する。野党側が勝手に大義を提供してくれたわけだ。
選挙の構図も自民党に有利になる。「自民・維新の責任与党連合」対「宗教政党を含む野党連合」という対立軸が明確になれば、「宗教政党に政権を渡したくない」という動機で自民党に票が流れる可能性が高い。
これまで態度を決めかねていた無党派層が、「宗教政党の影響力を削ぎたい」という心理で自民党に投票する。皮肉にも、立憲公明新党は自民党の大勝への道を開きかねない。
安倍元首相は野党の敵失によって長期政権を築いた。安倍氏の後継を自認する高市首相が、同じく敵失によって勝利するとすれば、まさに「歴史は韻を踏む」と言えよう。
綱領策定という地雷原
仮に新党が結成されたとしても、すぐに内部崩壊を起こす可能性が高い。
安保法制をどう扱うか。立憲民主党の存在意義は2015年の安保法制反対にあった。しかし公明党は与党としてその法制を推進した側だ。原発政策も同様。「原発ゼロ」を掲げてきた立憲と、2025年11月に発表した「中道改革ビジョン」で原発再稼働容認を明記した公明では立場が正反対だ。
この溝を埋めようとすれば、どちらかが譲歩するしかない。左派に寄せれば現実路線派が国民民主党に逃げる。現実路線を取れば左派が離反する。曖昧にすれば有権者に「何がしたい政党なのかわからない」と見透かされる。
しかも、23日解散となれば選挙まで2〜3週間。この短期間で根本的な政策対立を解消し、全員が納得できる綱領を作成することは事実上不可能だ。
「顔」の不在
そもそも、この新党には選挙の「顔」になれる人物がいない。
野田佳彦代表は首相経験者だが、その記憶は2012年の消費税増税と民主党政権崩壊だ。「この人に政権を任せたい」という積極的支持には繋がらない。公明党の斉藤鉄夫代表に至っては、一般有権者の間での知名度すら低い。
高市首相は好き嫌いは分かれるが、明確なキャラクターと存在感がある。玉木雄一郎代表も発信力と若年層への訴求力を持つ。それに対して立憲公明新党には、誰を前面に出すのかという根本的な問題がある。
箱はできても、中身がない。これでは勝負にならない。
では、なぜこの構想なのか
ここまで分析してきて、一つの疑問が浮かぶ。これほど欠陥だらけの構想を、なぜ推進するのか。関係者は本当に勝てると思っているのか。
ここで視点を変えてみよう。この構想の目的が「選挙に勝つこと」ではないとしたらどうか。
連立離脱は「計画的」だった
2025年10月10日、公明党は自民党との連立離脱を発表した。26年間続いた自公連立の終焉は、政界に衝撃を与えた。
多くのメディアは、高市早苗総裁の保守的姿勢や、萩生田光一氏の幹事長代行起用への反発が原因と報じた。しかし、その後の報道を丹念に追うと、別の構図が浮かび上がってくる。
複数の政治メディアによれば、連立離脱の方針は高市総裁誕生からわずか2日後、10月6日夜の時点で既に固まっていたという。しかも、その決定は公明党の執行部ではなく、支持母体である創価学会の上層部から下りてきたものだったと報じられている。
プレジデントオンラインは「連立離脱ありきの方針が最後まで変わることはなかった」と報じ、党内からの異論も封じられたとしている。公明党幹部の一人は東洋経済のインタビューで「連立に関して(学会上層部から)何かアドバイスをいただいたりしたことは1回もありません」と語っているが、これは逆説的に、決定が党幹部レベルではなく、それより上位の意思決定機関で行われたことを示唆している。
つまり、連立離脱は「高市総裁への反発」という表向きの理由とは別に、より長期的な戦略に基づいた「計画的な離脱」だった可能性がある。
公明党の本質を理解する
そもそも公明党とは何か。
公明党は1964年、創価学会の池田大作会長(当時)によって創設された。その目的は、政治を通じた学会の社会的影響力の確保と、選挙活動を通じた信仰心の発揮にあった。言ってみればどこまで行っても、党が下で学会が上の政党である。
この構造は60年間変わっていない。公明党の重要な意思決定は、常に学会上層部の意向を反映してきた。今回の連立離脱も、その構造の中で理解すべきだ。
自民党との関係も、対等なパートナーシップとは言い難かった。26年間の「連立」の間、自民党は公明党と正式に「合併」することは一度もなかった。選挙協力の恩恵は受けながらも、自民党内の神道系支持者への配慮や、宗教政党とのレピュテーションリスクを理由に、公明党を「別の党」として扱い続けた。
麻生太郎氏が高市総裁誕生の立役者として権力を握ったことで、この「永遠の事実婚」状態が正式な結婚に至る可能性は完全に消えた。「熟年離婚」という比喩が使われたが、これは正確ではない。結婚を26年間拒否され続けた末の、ついに見切りをつけた離別だったのだ。
「10年で消滅」という現実
公明党が直面していた現実は厳しいものだった。
2025年7月の参院選で公明党は苦戦を強いられた。比例代表の得票数は前回からさらに減少し、長期低落傾向に歯止めがかからなかった。創価学会の高齢化と会員減少は深刻で、比例票は選挙のたびに目減りを続けていた。
このペースが続けば、10年後には党としての存続が危ぶまれる——。学会上層部がこの現実を認識していなかったとは考えにくい。2023年11月の池田大作名誉会長の死去により、組織の求心力は確実に低下していた。
連立離脱が発表されたのは、この参院選から約3ヶ月後のことだった。
「発展的解消」という出口戦略
ここで、ある仮説が浮上する。
公明党が単独で存続し続ける限り、比例票という形で創価学会の実勢が毎回「可視化」される。「前回より何万票減った」という報道が続き、学会の衰退が数字として記録されていく。
宗教団体の影響力は、ある種の「神秘性」に支えられている。「創価学会は巨大組織だ」という漠然としたイメージがレバレッジを生む。しかし、その実態が比例票という形で毎回晒されれば、神秘性のベールは剥がれ、影響力は急速に失われる。
新党への合流という形を取れば、この問題を回避できる。
新党の比例票の内訳は外部からは判別できない。何票が旧創価学会票で、何票が旧立憲支持者の票かは永遠にわからない。創価学会の実勢は「暗数」として隠される。
しかも、公明党として最後の選挙となる数字だけが「確かな記録」として残る。その後の衰退は、記録に残らない。
「公明党は歴史的使命を終え、より大きな中道政治の結集へと発展的に解消した」——このような物語を会員に提示すれば、実質的な撤退を前向きな変化として受け入れさせることができる。
「中央の動きを注視せよ」
この仮説を裏付ける状況証拠がある。
2025年11月29日、公明党は連立離脱後初めての全国県代表協議会を開催した。この場で西田実仁幹事長は、地方議員らに向けてこう呼びかけた。
「地方で自民議員と信頼関係もあると思うが、中央の動きを注視してほしい」
この発言は読売新聞が報じている。地方組織に対して、独自判断を控え、党中央の方針を待つよう求めるものだ。
なぜこの時期に、このような指示が必要だったのか。
地方の公明党議員や創価学会員の中には、長年の自民党との協力関係を維持したいと考える者も多かったはずだ。しかし「中央の動きを注視せよ」という指示は、そうした動きを牽制するものだった。
つまり、2025年11月の時点で、党中央は既に「大きな方針転換」を視野に入れており、地方に対してその準備を求めていた可能性がある。そして2ヶ月後の2026年1月、立憲民主党との新党構想が表面化した。
国民民主党との連携はなぜ頓挫したか
連立離脱後、公明党の斉藤代表は「中道の結集」を掲げ、まず国民民主党との連携を模索していた。同じ「中道」を掲げる両党の接近は自然に見えた。
しかし、この路線は頓挫した。国民民主党の支持者から猛反発を受けたのだ。玉木雄一郎代表は公明党との連携に一定の距離を置く姿勢に転化し、与党寄りの路線を選択した。
「プランA」が失敗したことで、公明党は「プランB」に移行せざるを得なくなった。それが立憲民主党との新党構想だ。
立憲民主党は、国民民主党とは異なり、選挙情勢が絶望的だった。事前調査では「半減」すら予想されるほどの厳しい数字が出ていたという。藁にも縋る状況の野田代表に、公明党は手を差し伸べた。
選挙の勝敗は織り込み済み
この構想は「勝つための戦略」ではなく、「負けを隠すための戦略」なのだ。
選挙で大敗しても構わない。むしろ負けることすら織り込み済みだろう。重要なのは、創価学会の衰退を数字として記録に残さないこと。組織の「体面」と「神秘性」を守ること。
もちろん、勝てるなら勝ちたいだろう。だが、たとえ負けても、この戦略の核心部分——創価学会の実勢を暗数化するという目的——は達成できる。
この絵図を描いた人物は、創価学会の相当上層部にいる。10年後を見据え、組織の延命と体面維持を最優先に考えられる立場の人間だ。池田大作名誉会長亡き後の学会をどう存続させるか。その答えが「発展的解消」だったのではないか。
結論——立憲民主党は不利な取引に応じている
立憲民主党が「創価学会の出口戦略に利用されている」と断言するのは言い過ぎかもしれない。野田代表も安住幹事長も、自らの判断でこの連携を選んでいる。
しかし、追い詰められた状況で、相手に著しく有利な取引に応じてしまっている可能性は高い。
立憲側は「公明党の組織力を取り込める」と考えているだろう。しかし実際には、衰退する創価学会の「隠れ蓑」を提供させられているだけではないか。
創価学会にとって、この構想は極めて合理的な「撤退戦」である。選挙の勝敗に関係なく、組織の体面と神秘性を守るという目的は達成できる。
一方、立憲民主党は支持基盤を失い、宗教政党のレッテルを貼られ、選挙で大敗するリスクを負う。そして「公明党を道連れにした」戦犯として歴史に名を残す可能性すらある。
この非対称性に、立憲民主党の幹部たちは気づいているのだろうか。
政治の世界で「ウィンウィン」に見える取引が、実は一方だけが得をする構造になっていることは珍しくない。今回の立憲公明新党構想が、まさにその典型例にならないことを祈るばかりだ。
本稿は公開情報に基づく分析と仮説である。創価学会内部の意思決定過程については、複数のメディア報道を参照したが、直接的な証拠に基づくものではない。読者におかれては、一つの見方として受け止めていただきたい。


学会の地域の幹部で、とても仲のよい友人が、いますが、電話したら、同じ事を、言ってました。学会本部が、比例代表の得票数減、勢力減を、影響力減をとても気にしていると。あと、あの国も。 全て学会本部の指示だと。
めちゃくちゃ面白い記事と感じました。付け加えると、反対派の立憲民主党議員に創価学会の圧力をかけているそうです。豪腕な政治家による独裁化と中国のおもねりでしょう。これからも執筆頑張ってくださいねm(_ _)m ^^)