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記憶障害のはなし

断片的に他所に上げていた話を『note』にまとめておこうと思います。
障害に関するちょっと重たい話も含まれますが、今はそれを悲観しているわけではありません。
文章として記録を残す過程は、気持ちが整理されていくようで心地よいのです。

※約7000文字


元妻の夢

先日、とても久しぶりに「元妻の夢」を見ました。
この記事を書くきっかけになった出来事です。

『キャリアの分岐点』の『ゲーム会社を移籍しました - B社』という部分でも触れましたが、私はバツイチです。

元妻と結婚したのは32年くらい前だったと思います。
「夢」というものは「記憶の整理」だと聞いたことがありますが、実は私、結婚生活のことを何も覚えていません。覚えていないのに「記憶の整理」というのもおかしな話です。

信じられないかもしれませんが、6年付き合って結婚し、「1年も」一緒に生活していたくせに、何も思い出せないのです。
覚えているのは『マーブル』と名付けたかわいいハムスターを飼っていたということ、もう一つ、職場の仲間たちが遊びに来て夕食を出した際に「俺、新潟の人間だからこんな米は食えない」と真顔で言われて腹が立ったことくらいです。

部屋の間取りは覚えていますが、そこでどんな生活をしていたのかはまったく思い出せません。
趣味は同じバイクでしたし、同じ職場でもありましたから、帰宅して食卓を囲みながら趣味や仕事の話をしていたのかもしれません。
休日には2人でどこかに出かけたかもしれません。
住んでいた建物の隣には大きなスーパーがありましたから、たぶん買い物くらいは歩いて一緒に行ったこともあったハズです。
しかし、何も思い出せないのです。

「6年付き合って結婚」と書きましたが、途中何度か別れてはお互い別のパートナーと付き合っていた時期もあります。
元妻と結婚する直前に付き合っていた別の彼女との会話などは覚えているのに、元妻との会話は何も覚えていないのです。
断片的に印象に残っているシーンはありますが、どれも夢の中の出来事のようにぼやけているだけで「セリフ」は何も出てきません。

現在のかみさんとの記憶に関しては、28年前の出会いの頃から今までのことをよく覚えています。

私は、幼少の頃の記憶も部分的に欠落しています。
どうやら「辛い出来事」に出くわすと、記憶を封じ込めてしまう質のようです。
もしかしたら「離婚」という出来事は、私にとってはとても辛いものだったのかもしれません。


精神的な記憶障害

幼少期の記憶が部分的に欠落している原因は、「辛くて怖い思いをした出来事」を思い出せないところにしまい込んでいるからだと思います。
正確には「辛い出来事に耐えられなくなりそうだ」と感じた瞬間に「別の自分にスイッチしてしまう感覚」と言った方が良いのかもしれません。

これには記憶を引き継ぐタイプとそうでないタイプがあります。
引き継がないタイプにスイッチすると、その間にやり取りした内容は元の自分に一切伝えられないため、「記憶が飛んだ」状態になります。

元妻との生活の記憶がまったく残っていない理屈はよく分かりませんが、思い出したくないほど傷ついたのかもしれません。
「その時の自分」と「今の自分」が別かと言えば、そうとも言い切れない部分もあります。
当時の仕事のことは覚えていますし……と、ここまで書いて少し自信が無くなりました。
G社」での記憶が連続していないことに気付きました。

何にせよ、「メイン(?)の自分」が傷つかないよう「うまい具合(?)」にスイッチしているようにも思えます。

多重人格みたいですよね。
一時期通っていたクリニックでは「『解離性同一性障害(DID)』の疑いがある」と診断されました。

もう一つは、確定的に『B群パーソナリティ障害』と診断されました。
『B群』はさらに4つに分類されており、私はその中の『ボーダーライン(BPD)』に該当するそうです。

どちらの障害も、その根本原因は「父親から、精神的にも肉体的にも虐待されて育ったから」ということが分かっています。
幼少期の私が苦痛に耐えられなくなって「別の自分」を作り出したのではないかと考えています。


幼い頃の自分に戻るとき

幼少の頃に受けた虐待による「心の傷を負った記憶」は、普段は表に現れません。ぼんやりと「酷いことをされた」という思いはありますが、本当に思い出したくない出来事は、数十年間思い出すことはありませんでした。

だからでしょうか、高校を卒業するまで親と一緒に生活していたにもかかわらず、委縮することなく父親と普通に話をすることもありました。

いま改めて「あれはどういうことだったのだろう?」と振り返ってみると、やはり当時「暴力を受けたときの自分」は裏に回って「主人格を傷つけないよう防衛していた」のではないか……と思うのです。

2010年の初めに、ある記事を読んだことがキッカケで自分の性格を深く見つめ直す機会が訪れました。
もしかすると、自分がずっと「おかしいな……」と感じていた性格は「虐待」のせいかもしれない。そう考えた私は「虐待 性格」というキーワードで検索した記事を読み漁るようになりました。
そして、いろいろ調べているうちに自分の障害に「気付いて」しまいました。

気の合う仲間を見つけて急速に仲良くなると、常にプラスの気持ちが自分に向けられているうちは良いのですが、少しでも気持ちが離れてゆくことを察知すると、傷つくことを恐れて自分から関係を断ってしまう行動に出たり、善か悪かの「極端な二極化思考」をしがちだったり、気持ちが不安定になると自虐的な行動を繰り返したり、それらが治まると普段の自分とのギャップに困惑してしまったり……。

調べれば調べるほど「上で記した障害」に行きつきました。
それと同時に、封じ込めていたハズの辛い記憶が断片的に現れ、急速に不安定な状態になり、スイッチする頻度も上がったのでした。

2010年の日記を読み返すと、自分が書いた文に見えないほどの荒れようです。

そして、かみさんに付き添ってもらい、都内のメンタルクリニックを受診したのでした。

現在は落ち着き、安定した日々を送っておりますが、少し前に「あるキーワード」がキッカケで、自分でも驚くような行動を起こしました。

おそらく、かみさんに対して「自分が良かれと思ってやった行動」が否定されたことが原因だと思います。

幼い頃に「同じ思い」でやったことに対して、父親から激しく叩きのめされた記憶が呼び起こされたのだと思います。
「深く深くしまい込んでいた辛い記憶」が噴出……というよりは、「当時の自分にスイッチ」してしまったかのような反応が現れました。

突然人が変わったように、まるでこどものように「怖い! 怖い!」と泣き叫んだそうです。
これには「一番激しかった時期」を支えてくれたかみさんもビックリです。

その時、なんとなく「こども目線」で父親を見ていた感覚は残っているのですが、落ち着きを取り戻してからは具体的に思い出すことができなくなっていました。
まるで夢を見ていたかのように。

ただ目からはたくさんの涙が溢れていました。


耐えてくれる自分

同一性の確立に大きな問題をかかえている私。
Kindleのライブラリにこんな本が入っていました。

既読(100%)になっていたので一度は読んでいると思いますが、まったく覚えていないので読み返してみました。

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多重人格が分かる本

虐待とは、自分の経験として自分の中に蓄えておくには余りにも耐え難い内容であることが多いです。
時には、虐待から逃れるために、自分が思ってもいないような行動や、思ってもいない言葉を言わなければならないことも沢山あるでしょう。
そうなると、自分の感じている感覚や行動を自分の意識からは切り離したくなることもあるでしょう。
これが、虐待経験者に解離性同一性障害が多いといわれる一つの理由であると考えられています。

林田一; MBビジネス研究班. 多重人格が分かる本。解離性同一性障害(多重人格)は本当に存在するのか?虐待との関係、原因、治療方法。10分で読めるシリーズ (p.26). 株式会社まんがびと. Kindle 版.

「まさにこれ!」という感じですね。

暴力を振るわれ、父親から「やめてほしいか」と言われても、「大丈夫」とだけしか言えなかった幼少の自分。
なぜか「やめて」と言えなかったのですよ。

夜中に「外の木」に吊るされても、タバコの火を手に押し付けられても、「これは自分が悪い子だから我慢しなくちゃいけないんだ」という思考しかできず、ひたすら耐えていた……というか「耐えてくれる自分」を作り出していたんだな……と、今ではそう思っています。


自己肯定感ゼロ

虐待による人格のスイッチのせいなのか事故の後遺症なのかは不明ですが、自分の記憶がひどく曖昧な状態だと気付くことがたまにあります。

SNSで、いつの間にかフォローが外れていることに気付くと、「これは何か嫌な思いをして自分で外したのだろうか、それとも相手から外されたのだろうか」と、なかなか確信が持てないのです。

基本、自己肯定感がゼロに等しい私。
「きっとこの人は私と繋がっていることを迷惑に思っているのだろう……」と感じた瞬間に、おそらく自分から身を引く行動に出ているのだと思います。

これは、「過去一番自分の状態が悪い頃」に運営していた「バイク仲間とのSNS」を閉じた際に気付いたことです。
本当は「続けたい」と思っているのに、バッサリと関係を終わらせたり、苦労して築いてきた環境や作品を「なんの躊躇もなく捨ててしまう」行動をとることもあります。
躊躇せずに切り捨てているクセに、とてもとても悲しいのです。

最近では、6年ほど更新していたブログのアカウントを削除してしまったことでしょうか。
記事を書くために多くの時間を使って調べ上げたこと、丁寧に現像して仕上げた写真、休日のほとんどの時間を使って書き上げた文章……
それらを一つ一つ、ポチポチと削除してゆくのです。
削除しながらとても悲しい思いをしています。
だけど止められないのです。

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本の奥の画面が件のSNS

奥の画面に写っているのが、私が運営していたSNSです。
何も残っていないと思っていましたが、痕跡を見つけました。
手前の本は……当時の仕事絡みの資料です。

iPhoneのゲームをやっと完成させて公開したのに、わずか数日で全部削除して開発者登録も抹消したことがありました。
今思えば「なんともったいないことを……」と思います。
当時は何か傷つくことがあったのでしょうね。

自分がやってきたことはすべて無駄だった。
こんなものを残しておく価値は無い。
そういう思考パターンです。

様々な作品を作り続けていましたが、私は父親から褒められたことがありません。
「いいものができたな」と思い、褒めてもらいたくて見せに行っても、いつも心無い言葉でけなされ、自分が頑張ったことすべてが否定されるのです。
完成したばかりの作品は、その場で、自らの手でぶち壊しました。
小さな頃からこのように育ったため、自分を肯定する気持ちがまったくありません。

「過去に作ったゲーム」をXにポストすることがあります。
褒めてもらっても素直に喜べないところも正直あります。
それでも大勢の方の記憶に残る仕事ができたことに対して、徐々にではありますが「自分は良い仕事ができたのかな? 今まで生きてきたことは無駄ではなかったのかな?」と思えるようになってきました。
定期的に自分がやってきたことを並べることで「自分は頑張ったんだな」ということを確認したいのです。

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脳はなにげに不公平

重い話が続きましたが、記憶に関する興味はとても大きく、いろいろ本を読み漁った時期もありました。
今でも脳科学とか好きですね。知識はありませんが!

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手の甲に残る火傷の痕

この写真は自分の右手の甲ですが……見えますかね?
幼い頃に父親からタバコの火を押し付けられた火傷の痕です。
半世紀以上経つのにまだ残っているんです。
酷いことしますよね。
虐待はダメですよ。絶対にね。
そうして育った人間は、私のように心に深い傷を負って、なかなかうまく生きていかれない人間になるのです。

今のかみさんには本当に助けられました。
一番酷い状態のときでも必死に支えてくれました。
もしかみさんがいなければ、いま私はこの世にいないと思います。

親友の助けもありました。
いつも心配して寄り添ってくれました。
ありがとう。ありがとう。

おかげで「いま」こうして普通に(?)生きています。


物理的な記憶障害

今までの話は「精神的な記憶障害」の話でした。
それとは別に、「物理的な記憶障害」もあります。

41年前の1984年のことです。
バイクで実家からアパートに戻る途中、R14『西船橋駅』の交差点で、信号無視をして飛び出してきた自転車を避けようとして転倒したそうです。

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事故現場

スネル5(当時の規格?)のヘルメットにヒビが入るほど左の側頭葉あたりを強打し、記憶喪失になりました。
救急車で近くの病院に運ばれ、その後両親が迎えに来て実家に戻ったそうです。

おかしくなったのは「短期記憶」をつかさどる部分です。
3分ほどしか記憶が保持できず、3分前のことからどんどん消えてしまうため、同じことをずっと繰り返していたそうです。

以下は後から聞いた話です。

「おれ、どうしてココにいるの?」と私
「バイクで事故を起こしたのよ」と母
「うそだー ちとバイク見てくる」

戻ってきて

「ほんとだー バイク壊れてた」

3分経つとまた

「おれ、どうしてココにいるの?」

こんなことをずっと繰り返していたそうです。
母親は私の未来を諦めかけたそうです。

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当時のバイク

人間の記憶は、寝るとアーカイブされて長期記憶の方に移されると聞きました。
長期記憶の方に問題は無いので、昔のことは覚えています。
救急車で運ばれた病院でも「自分の名前」や「連絡先」を伝えていたそうです。

記憶が飛んで無くなってしまったのは、事故当日の朝からの出来事です。
実家で夕食を食べながら『うる星やつら』のアニメを観ていたそうです。
「じゃ、そろそろ帰るわー」と言い、自分のアパートに戻る途中での事故でした。

短気記憶障害は3か月ほど続きました。
つまり、事故当日から3か月ぶんの記憶が今も残っていません。
チャリがどんな風に飛び出してきたのかも覚えていませんし、実家からどうやってアパートに戻ったのかも、その後、どんな生活をしていたのかも何も覚えていません。

徐々に覚えていられる時間の幅が広がり、日常生活に困らないレベルまで回復するのに3か月ほどかかった……ということです。
損傷した脳ミソの機能を徐々に他の部分が補ってくれるようになった……と聞きましたが、専門家ではありませんから本当のところは分かりません。

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脳が壊れた

それ以来、脳ミソや記憶に関する文献を読むのが好きになりました。
何冊かこんな本も持っています。


話のおしまいに

少々重たい話もありましたが、最初に書いた通り、今は悲観することはありません。
今でも急速に不安定になることはありますが、だいぶ自分のことが分かってきましたので、15年前(2010年)のように自暴自棄になって荒れることはなくなりました。

私には「父親」、「母親」、「妹」、「弟」がいます。
もう絶縁しようと心に決めておりました。
連絡を取らないまま何年も経ちました。
弟妹は「こんな私」を兄とは思っていないだろう……
そう思っていました。

ところが去年の私の誕生日の夜に、「どうしても当日に会ってケーキを渡したかった」と、妹が自転車でやってきたのです。
何年も音沙汰無かったのに、どうしていまさら?

ただその日はもう私は寝ていました。
かみさんが対応してくれたようで、朝起きると冷蔵庫には私の好物の『シュークリーム』などがたくさん入っていました。

最初は気が進まなかったのですが、メッセージを送ってみました。

その後、「2人で会いましょう」という話になり、なんと四半世紀ぶりに妹と再会しました。
いろいろ話をしました。

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パンケーキを食べながら

母親に対しても「守ってくれなかった」という思いが強くて、父親と同罪だと思っていたのですが、妹の話を聞くと「ママも父によるDVが怖くてお兄をかばえなかったんだよ」と。
妹も父親から酷い暴力を受けていたことを思い出しました。
HSP体質なのも一緒だし、私と同じようなトラウマも抱えている……。

そっか、妹も母親も同じだったんだね。
母親に対する誤解も晴れ、その後LINEで繋がりました。
かみさんと妹経由で「泣いて喜んでるよ」……と伝えられました。

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妹とツーショット

絶縁状態が長かったので最初はどう接したら良いのか分かりませんでしたが、上のツーショット写真からも分かる通り、妹がぐいぐい来るもんですから…… 空いてしまった時間は割と早く埋まるかもしれません。

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33年前に撮ったツーショット

これは33年前に撮ったツーショットです。
元々仲が良い兄妹でした。

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帰りはコレで家まで送って行きました

妹の娘、下の姪っ子は赤ちゃんの頃に見たっきり。
いまは26歳だっていうんですから、どんだけ長いこと会ってなかったんだよって感じですね。
上の姪っ子は29歳ですって……。

妹夫婦は現在別居中で、離婚も考えているみたいです。
今は妹と娘2人で暮らしています。
どこも大変だね……。

母親との再会も計画されています。
どんな顔をして会えば良いのか分かりませんが、とにかく一度会ってみようと思います。
妹から最近の母親の写真を見せてもらいましたが、最後に見た印象とはだいぶ違いました。

みんな年を取ったね。


記憶の話から少し逸れました。
「最近物忘れがひどいのも後遺症なんじゃなかろうか……」
と言うと、かみさんからは「それは歳のせいだ」と言われます。

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