鳥羽和久 KAZUHISA TOBA

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鳥羽和久 KAZUHISA TOBA
@tobatoppers
小中高生と日々勉強。株)寺子屋ネット福岡。🆕『それがやさしさじゃ困る』『光る夏』『学びがわからなくなったときに読む本』『君は君の人生の主役になれ』『おやときどきこども』等 。📧tobacco2@jcom.home.ne.jp tojinmachiterakoya.com/profile
晶文社/大和書房/西日本新聞note.com/toba_torakitsu…

鳥羽和久 KAZUHISA TOBA’s posts

アトピー性皮膚炎の子どもがマスクを外したらマスクの中が真っ赤だったので、マスクもうしないでいいよと言ったら安心したようににこっとした。一律にマスク着用を義務化するのをやめてください。
世界一のアイドルグループが、アイドルのシステムは考える隙を与えてくれず人間的成長を促さないもの、いまは伝えたいメッセージがない、チームとして伝えることがなくなった、と率直に話すのって衝撃だし、なんていうか、すごく真っ当すぎてビビる。よくやってると思う。
小学校で哲学の授業をした際に痛感したのは、小学生に下手に議論をさせたところで、手持ちの少ない洋服でいかにオシャレするかを競うようなものにしかならないということ。行きつく先はいかにも社会適応的で常識的な議論だ。こういう議論の練習をしたところで早期の「つまらない大人化」を進めるだけだ
高1の子が、不規則な生活は時間を考えないということだから安心する、規則的な生活は時間を意識させられるということだからそれだけで辛いと言う。なんで辛いのとさらに尋ねたら、時間を意識することは、自分に対する意識が鋭くなるから、それが辛いと言っていた。
大人になって、しかもかなり年を取ってようやくわかることは、学生時代、あんなに何も知らない中で自分の志向や興味に合わせて進路を選択するということがいかに無理難題かということ。
初めての授業。プリントを1枚忘れただけで教室の隅で怯えるように座っている女の子がいた。彼女はきっとそれくらいできつく叱られることを繰り返してきたので、いま目の前が真っ暗だ。休憩時間に、誰だって忘れ物くらいするから堂々としていていいと伝えただけで彼女は涙をこぼしながらお辞儀をした。
SUGAの問答がすごくよい。 Q.ありのままの自分とは? A.わからない。人は複雑な存在だから、一つをもってその人だとは言えない。 Q.信念はある? A.昔はあった。だが確固たる信念は人を苦しませる。それより今を柔軟に生きること。 Q.感情のコントロール法は? A.感情に意味付けをしないこと。
相手にめちゃおかしいことされてるのに、あれ、やっぱり僕が悪いのかなと自責思考になる経験って、若いうちに多くの人が経験する最も苦しいことのひとつ。早く救われてね。その相手めちゃおかしいよ。
高校生たちが、あらゆる職業を一言で表す遊びをやっていて、学校の先生を「愛情と自己顕示の狭間」、YouTuber「病的な寂しがり屋」って言ってて面白かった。パイロットは「人生の平均高度が高い人」だった。
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アトピー性皮膚炎の子どもたちの多くは、手の消毒も困難です。消毒ができないたびに申し訳なさそうな顔をする子どもたちには大人がちゃんと全然OK気にしないでサインを送ってあげないと。
五島の福江島、半泊教会⛪️横の五島つばき蒸溜所で買ったクラフトジンの「ゴトジン」、ジンの概念を変えるくらい香りが素晴らしいし美味しい。かなりおすすめ。
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幼い頃からカトリックの聖職者に囲まれて育ってきたが、いまのBTSを見ていると聖職者以上に正しい存在であることを周囲から求められているように見えて、そんな重荷を彼らに背負わせてよいのかと思うことがある。彼らのデビュー前の映像(BTS LOG)を見ていると特にそういう気持ちが募る。
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何事も義務化しないというのは個人の尊厳の基礎であるはずなのに、緊急事態の名の下に義務化が正当化され、それに多くの人が同調してたなびくのはとても危ういことだと感じます。
この人ヤバいかな、苦手かも...でもだからこそ誠意を尽くしてみよう!と行動してみると予想の10倍返しくらいのヤバさで跳ね返されることがあるが、つまり最初の勘が正しかったのである。
谷川俊太郎がバカボンのパパに託して書いた一篇の詩。「これでいいのだ」は私たちが重苦しい自我の世界から解放されて、軽やかになるための祈りに似た言葉です。『おやときどきこども』(ナナロク社)より。
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今の若い人たち、不幸や失敗を笑い飛ばす力が弱くなりすぎてる。自分の傷に気づき自己ケアするつもりが、むしろ気づいた傷で自分のかたちを描こうとしていて危なすぎる。
防弾会食でRMが発端だと責められたけど、そもそもBTSの発端がRMだから。あの日からBTSとARMYの関係性は少し変わったけど、彼らが変わったわけではない。むしろ不器用なほどの変わらなさを見せつけた。
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授業を行ったのは一般の公立校ではなく、難関校の6年生。大人の意図に適応することに長けている子が多いと感じた。実験的で目新しい授業に積極的な学校だが、子どもたちがそこで身につけているのは、自由闊達さとは無縁な、より高度な規範性だと感じた。
福岡市とほぼ同じ面積のガザ(人口はガザのほうが1.4倍ほど多い)でイスラエル軍に殺された子供の数は、福岡市の小学校30~40校分の全児童が殺されたのと同じくらいの数と言ったら、子どもたちがさすがにショックを受けていた。
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だから、こういう場に唯一必要なのは、醜態をさらす大人だろう。社会適応的にふるまう大人のチェックが入る場所での子供の議論なんて、規範性を植え付けることでしかない。
中高生たちの会話を聞いてると、フェミ(ニズム/ニスト)という言葉は高い頻度で笑える(バカにしていい)ネットミームとして認知されていて(その延長で日常会話でも使われていて)、そのノリだと思うが大変なことだ。LGBTをミーム的に使う子もいる。大衆化とは常にそういう側面がある。
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よどがわ
@yodogawa111
有吉のラジオ、フワちゃんゲスト。ツイッター上のアンチを叩く熱めのファンをイジられ「変なフェミ界隈がいるんです!私フェミに属してないし!」と笑って反論してた。ここまで無知か。頭の回転の速い、実は気遣いもするたぶん「良い人」が、ここまで馬鹿なのかとちょっと恐ろしくなって聴くのやめた。
不登校の相談の際に、「うちの子も好きなことが見つかればいいのだけど、好きなことがないんですよね」と相談を受けることがあるけど、幼い頃に子どもの「好き」はすでに親に殺されてしまっていることが多いんです。
今日の小6の社会のテストのとき、「ノーベル(賞)」の解答が空欄の子があまりに多かったから「世界でいちばん有名な賞」で「ダイナマイトを発明したよ」とヒントを出したら、解答に「BTS」と書いて出してる子が2人もいた
勉強を教えていると「難しくてわからない」と泣いてしまう子供と出会うことがあるけど、大人の中にも「難しくてわからない」という気持ちを抱えたまま生きている人は大勢いる。もう泣いていないだけで。
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今後万が一メンバーたちに何かがあっても、ファンたちは裏切られたと思うのではなくて、その人間らしさに涙して喜んでほしいと願う。誰でも誰かの「アンパンマン」になれるけど、彼らにだけそれを求め続けるのはフェアじゃない。
推しが間違ったときにはちゃんと声を上げてそれを指摘すべきという風潮が嫌い。推す行為の危うさが端的に顕れてる。記事でも書いたけど、それは推しという他者を使用することで主体化しようとする自分への無自覚さの現れ。それぞれが胸に秘めて考えればいいこと。 huffingtonpost.jp/entry/story_jp
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鳥羽和久 KAZUHISA TOBA
@tobatoppers
幼い頃からカトリックの聖職者に囲まれて育ってきたが、いまのBTSを見ていると聖職者以上に正しい存在であることを周囲から求められているように見えて、そんな重荷を彼らに背負わせてよいのかと思うことがある。彼らのデビュー前の映像(BTS LOG)を見ていると特にそういう気持ちが募る。
ユンギに関する雑音で傷ついている人は自分の心を守ってほしい。こんなことで彼がいなくなるわけがないし、バンタンの音楽は彼なしには成立しようがない。
"自分自身に抜けたところがあって、そういう自分をまあいいかと自然に受け入れている親に育てられた子どもは、随分生きるのが楽なように見える。"
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高1の子で去年(中3のとき)の通知表に「周りが見えておらず、協調性に欠けている」と書かれた子がいたので、「周囲の動揺に安易に同調せず、批評精神に長けている」と書き直して渡した。
子供は大人以上に保守的で自分の周りの世界、環境を変えたいとか全く思ってない、むしろ変わらないでほしいと思ってるという話をすると驚かれるけど、子供の食べ物の好き嫌いを参照するだけでもわかる話だと思う。世界を変えたいというのは基本的には大人の発想。
SUGAが「楽しい夜を」という言葉を「楽な夜を」という言葉にわざわざ言い換えた話。「明るい」こと「楽しくする」ことが別にいいとは限らないと多くの大人たちが知るようになって、いまの子どもたちは少しは楽になったかな。少なくとも私自身はちょっと楽になった。
BTSといえば世界最大のファンダムを持つグループなんだけど、そのわりに彼らがやっていることって本当に理解されていない。端的に言ってナメられている(特に男性たちに)。彼らの1章が幕を下ろしたいま、彼らを文学的に捉え直し、彼らに対する理解を深めたいと思って書いたのが『推しの文化論』です
あらゆる人が、その人なりの最善を尽くしているという前提で人と接したほうがいい。あの人はさぼっている、努力が足りないと悪意を向けるよりも、その方が心地よく、いやそれ以前に、その方が明らかに実相なのだ。
ある哲学者が「十代は人生で一番感性の豊かな時期、その先の人生は十代の頃興味を持ったことを繰り返しているだけ」と書いてるけど個人的実感としては賛同できなくて、感性も興味も深まってるのは現在の私では?と思う。大人は現在の自分を卑下して十代を称揚しがちだが子供に絶望を見せないでほしい。