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Conversation

んでんで、その「何が良いのか結局わからん!」あるいは「無知の知」だけを取り出してリユースしようとするのは、まさしくソフィスト達やプラトン哲学と同じ道をたどることで、つまり僕らが成すべきは無知の知の説法ではなく、無知の知の体現である。