略してチュウカク?
喜びすぎて間違えた字を書く
ジジババ多いのではとは先程
連絡して来た友の予想。
んなバカな。
チュウカイだろ(笑
でも中革連というそうだ。
ぼへっ。そうなの?
そりゃ全国委員会と混同しそう。
ブントの真似した中核1985年。
ここは花園氏が突っ込んだ防衛
庁じゃないよぉ~。
しかし、71年9月の第二次強制
代執行、東方十字路以来なんに
もしなかった中核派は気を吐い
た。14年ぶり。私の時代、中核
は革マルとの殺し合いに明け暮
れ、大衆部隊はカンパニア集会
のみで「勝利した」を叫んでい
た。これは事実として。
内ゲバはよくない。1960年代
末期、圧倒的に人気のあった大
らかで伸びやかでダイナミック
だった中核派は、革マルとの戦
争開始で軍を創設してから妙な
方向に行った。
杉並区議会選挙への転換は一つ
の方向性の模索だったが、けし
ば氏始め中核派幹部自身が中核
派から排除され、中核派は今や3
派に分裂し、元中核派内でゲバ
で死者まで出ている。他党派
戦争ではなく本当の内ゲバ。
けしば氏自身は「は?」と思う
ほど軽妙軽佻な喋り方をする人
だった。実際に会って話をする
と。それ言っちゃダメでしょの
ような裏話もバンバンする。
内ゲバや新左翼間の殺戮戦をや
って喜ぶのは誰か。
それは権力でしかない。
無益な争いだ。
だが、新左翼は「新」左翼とし
ながらも、誕生経緯からして対
立派へのゲバルトを認容するソ
連型覇権主義的体質構造を持っ
ていた。無論それは日共の体質
からさえも脱却できていない。
無意味だ。
向ける矛先は別な方向だろうに。
活動や運動を離れても、その体
質残滓を引きずるたわけは今も
多い。
元早大ブント→共産同赤軍派の
花園氏は婚姻後名前を変えたが、
心の芯までブント気質の人だった。
一緒にとことん新宿花園神社(シ
ャレでなく)そばの小料理屋で飲
んだ時、「表に出ろ。お前とは
二度と飲まん!」と私と口論に
なったが、外でしばらく冷静に
話をしたら花園氏からロシア式?
のように抱擁してきてパンパン
と肩を叩いて手打ちになった。
私が共産同赤軍派の軍事路線の
稚拙さについて指摘したら氏が
切れた。
私も、時代の中に生きていた人
たちの時代性や避けられない限
界性に理解が及ばず、「後年の」
軍事的地平からの批判しかしな
かったという無礼不遜を働いて
いた事を恥じて心から詫びた。
その当時の花園氏は塾の先生を
やっていた。
まだ北に飛んだ田宮高麿氏も生
きていた頃だ。
殺される前、田宮氏は私宛に私
の名を記してメッセージを託し
ていた。
きちゃない直筆だがブルーブラ
ックの万年筆で書かれた魂の伝
達事項だった。
田宮氏が死んだことは誰もまだ
知らず、私はその親書を受け取
った。
実は受け取った時には田宮氏は
死亡していた。