たとえ、手のひらの上で転がされているだけだとしても! 5
表向きはやさしくて、実はちょっと意地悪で、本性ドSな蘇枋くんと、蘇枋くん大好きな女の子の話。
今回とっても桜くん回になりました!
当初のプロットではもっとギスギスしていたのですが、ギスギスしてるより仲良くしてた方が楽しいよねって思って書き直していたら、楽しくなってきちゃってめっちゃ桜くん夢になりました!笑
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昔から、不良と呼ばれる人たちが苦手だった。人を威圧したり、暴力で脅かすような人たちが、理解できなかった。
「桜くん……?」
私が名前を口にすると、白と黒のツートンカラーの髪の青年は顔を上げてこちらに目を向けた。しかし、ケンカの途中で呼びかけたのが悪かった。桜くんが私を見て意識を逸らしたその瞬間、桜くんの顔面は殴られた。
そもそものトラブルの発端は、私にあった。私が不良に絡まれていたところを、桜くんは助けに入ってくれたのだ。なのに、元凶である私が桜くんの気を逸らしたせいで顔面を殴られ、羽交い絞めにされてしまった。桜くんは不良たちに囲まれ、次々に顔や体を殴られていった。いくら風鈴高校の生徒とはいえ、このままでは桜くんの身が危ない。
「やめて! もういいから!」
もとの原因は私だ。私が大人しく不良の言うことを聞けば、桜くんは解放して貰えるはず。私が割って入るとすると、桜くんは叫んだ。
「うるせぇ、下がってろ!!」
乱暴で荒々しい怒鳴り声に、ビクリと体が強張る。だが、怒鳴った桜くんは地面を蹴ると、バク転して羽交い絞めしていた腕をすり抜けた。その身体能力の高さに、私も不良も目を見張った。桜くんは身軽に着地すると、瞬く間に形勢を逆転し、次から次へと不良たちをなぎ倒していった。桜くんは大柄でも屈強でもない男の子だが、見かけによらずケンカが強いのかもしれない。
「ザコが。二度とこの街でデケェ顔すんじゃねーよ」
あくまで街を守るためのケンカ。不良たちが戦意を喪失して逃げていけば、桜くんもそれ以上深追いはしなかった。これがボウフウリンのやり方だ。
乱暴な人が苦手だ。昔から不良と呼ばれる人達が怖かった。
ケンカっ早くて、言動も乱暴で、目つきの悪い桜くんは、まさに私の苦手な不良そのもの。
けれど不良と言えど、ボウフウリンの人だから悪い人じゃないのかもしれない。さっきだって、私を助けに来てくれた。桜くんは目つきが悪くて怖いけれど、ちゃんとお礼は言うべきだ。
「あの、」私が声を掛けると、桜くんは私に振り返ったが、すぐに顔を逸らした。
「助けてくれて、ありがとう」
「うっせぇ。別にお前を助けたわけじゃねーよ」
やっぱり口調が荒っぽい……。言葉も刺々しいし、会話をするだけでどうしても苦手意識が出てきてしまう。だが、桜くんの顔をちらりと覗き見れば、顔にはところどころに血がついていた。あれだけ殴られたのだから、怪我もして当然だ。それに私がケンカ中に呼びかけなければ、こんな怪我もせずに済んでいたかもしれない。
「口元、怪我してるよ。それに鼻血も……」
私はポケットからティッシュを取り出し、桜くんの顔の血を拭おうとした。すると桜くんは、「触んな!」と怒鳴り、私の手を払った。怒鳴り声に体がびくりと跳ね、払われた手からティッシュが落ちる。
やっぱり不良は怖い。蘇枋くんとのやり取りに慣れすぎて忘れかけていたが、この街を守るボウフウリンの人でも、やっぱり不良は不良なのだ。いくら街を守っている人とはいえ、不良は乱暴で威圧的だ。
「ごめん、なさい……」
「お、おまえが、急に触るからだろ!」
「う、うん。ごめんね……」
「オレは……!!」
ティッシュを拾って、もう一度謝ろうと桜くんを見れば、桜くんは狼狽えた顔をしていた。急に触られて怒っているような顔じゃない。寧ろ、罪悪感にも近いような表情だった。
「オレは……、オレは……」
どうしてそんな、弱々しい顔をするのだろうか。あんなに乱暴で荒々しい桜くんが、こんな表情をするのはすこし意外だった。
いや、桜くんとはポトスでも何度かすれ違っている。思えば桜くんは、いつも私と目が合うとうつむいていた。
「オレは……!」
「……桜くんは、悪くないよ」
私が囁くと、桜くんは私の顔を見た。
「急に触ったから、ビックリさせちゃったよね。私は大丈夫だよ。だから桜くんも、気にしないで?」
「オレは別に、気にしてなんか……」
桜くんは、乱暴で荒々しい。でも、ひょっとしたら、人の気持ちを感じる心を持っているのかもしれない。そうでなければ、人の心がわからない人が、あんな顔をするわけがない。もしも私の手を払って罪悪感を感じていたなら、ちゃんと人を傷つけることの痛みをわかっている。
乱暴で荒々しいけど、怖いだけの人ではないかもしれない。
「鼻血、拭いてもいい?」
「はあ!?」
「今度はちゃんと言ったからね」
宣言してから鼻血を拭くと、桜くんは戸惑っていたが、今度はちゃんと怒鳴らないで、大人しく鼻血を拭かせてくれた。
なんだが野良猫みたいな子だ。私が顔の血を拭いていくと、桜くんは恥ずかしそうに顔を赤く染めていた。乱暴だけど、存外桜くんは照屋さんなのかもしれない。年齢相応というか、寧ろクラスの男の子でも、こんなにも照れたりはしない。
血を拭くために前髪を上げて、改めて桜くんの顔を見て思った。
「桜くん、イケメンだね」
「はあ!? お前、ななななな、なに言ってんだ!?」
「あははは。桜くん、耳まで真っ赤だよ? 桜くんは照屋さんだね」
「う、うるせぇ!!」
桜くんは怒鳴ったが、もう桜くんが怒鳴っても、怖いとは感じなかった。桜くんを野良猫だと思えば、こうして怒っているのも、猫が威嚇しているようにしか見えない。
「ふふっ。桜くんって、可愛いね」
私がそう言うと、桜くんは息を吸い込んで硬直した。これ以上顔を赤くすることができなくなって、ついに固まってしまったらしい。こんなに乱暴な子なのに、反応が一々面白い。
「か、かわ、かかか、かわいいって……んなわけあるか!! お、オレのどこが可愛いってんだ! 舐めてんじゃねーぞ!!」
「あ、桜くん。おでこ、赤くなってるかも。よく見たいから、一回落ち着いて、赤面するのをやめてくれる?」
「誰のせいだと思ってんだ!!」
桜くんが赤面するせいで見えづらいが、額に赤みがあった。触ってみれば、少し膨らんでたんこぶになっている。これはさすがに、処置をしたほうがいいだろう。
「おいで、桜くん」
私は桜くんの手を取り、コンビニへ向かった。手を引いて歩いているあいだ、桜くんが何かギャーギャー喚いていたが、やっぱりそれも野良猫みたいだった。本当に嫌だったら、とっくに手を払って逃げている。なんだかんだで付いてきてくれているということは、警戒しつつも手当てを受けてくれる気があるということなのだろう。もしくは、やさしすぎて、私の手を払うことができないかだ。桜くんなら後者も十分にあり得る。どちらにせよ、文句を言いつつもいうことを聞いてくれるらしい。
私は、コンビニでアイスと消毒液と絆創膏を買うと、近くの公園に入り、ベンチに桜くんを座らせた。
「はい。このアイスで、おでこのたんこぶ冷やしてね。溶けそうになったら、食べていいから」
「お前、なんでこんなことするんだよ」
「助けてくれたお礼だよ」
「だから、別に礼をされることしてねぇつってんだろ! オレはボウフウリンつって、この街守んなきゃなんねーんだよ。あれもお前を助けたわけじゃなくて、ボウフウリンの仕事をしただけだ」
「桜くんは、可愛いうえに、いい子なんだねぇ」
「はあ!? お、オレがいい奴なわけねーだろ! ていうか、その可愛いっていうのやめろ!」
だって、可愛いのだから仕方がない。こんなに荒っぽいのに猫みたいに可愛いのがとても不思議だ。
それと、桜くんはたぶんすごくいい人だ。これまでにも蘇枋くんや山本くんといったボウフウリンの人に出会ってきたが、桜くんは今まで出会った人たちとも何かが違う。
「桜くんは、いい人だよ」
初めは怖かった。でも今は、全然怖くない。
桜くんはぽかんと私の顔を見つめ、私はそんな桜くんの頭を撫でた。
「桜くんは人の痛みのわかる人、そんな気がするの」
私の手を払ったあの時の、桜くんの罪悪感で満ちた顔。あんな顔ができるのは、手を払われる人の心の痛みがわかるから。だから桜くんは、人の心の痛みを想像したり、共感したりできる人のように思えた。
「人の痛み……」桜くんは繰り返してつぶやき、目を伏せた。
心当たりのあるような顔だ。
思い返せば、ポトスで会って、目を逸らすたび、悲しそうにうつむいていた。あの時も、桜くんは何かに傷ついていたのかもしれない。だとしたら、とても繊細な子だ。
桜くんが今までどんな心の痛みを感じて、人の痛みのわかる人になったのかは知らない。でも、確かに言えることが一つある。
「人の心の痛みを知って、人の心を傷つけるのを恐れる人に、悪い人なんていないよ」
だから、自分のことをいい奴じゃないなんて言わないで欲しい。
桜くんはしばらく静かに頭を撫でられていたが、うつむいたままぽつりと一つ訊ねた。
「……この頭、気味悪くねーのかよ」
頭? この白と黒のツートンカラーの髪のことだろうか?
「オシャレ? なんじゃない?」
「それ、地毛だぞ」
「そうなの!?」
私は思わず、白い方の髪を手に取った。柔らかくて、きらきらと光りに反射して輝いている。気味が悪いというか……。
「きれいだと思うけど……」
「お前、見た目と違って、変な奴だな」
「変な奴じゃないよ!? ていうか、見た目って?」
「常識的っつーか。真面目そうっつーか。いかにもオレみたいな奴のこと、嫌いそうっつーか。あと……」
桜くんはそこまで言いかけてちらりと私の顔を見ると、すぐに顔を真っ赤にして目を逸らした。
常識的、真面目そう、いかにも不良が嫌いそうと、そこまでは頷いて聞いていたが、最後はいったい何を言いたかったのだろうか。
「い、いいいい、今のはちげぇからな!! つまり、お前の見た目は、普通の奴が好きそうな感じっつーか、オレみたいなの、見向きもしなさそうっつーか……。と、とにかく、見た目はまともそうなのに、中身がおかしいつってんだよ!!」
「え、えええ……えっと、ありがとう?」
「褒めてねぇ!!」
桜くんが何をそんなにも照れているのかはわからないが、桜くんが言わんとしていることはだいたい理解できた。
「つまり、私のことを真面目で常識的で、桜くんみたいな不良は嫌いそうって言いたいんだよね」
「そ、そういうことだよ!!」
「それなら、桜くんの言うとおり……かな。私は、不良って言われる乱暴な人たちが苦手」
私がそういうと、桜くんは真っ赤にしていた顔を青ざめさせた。また弱々しくうなだれそうになったので、すぐに「でもね、」と続けた。
「桜くんは好きだよ」
「…………は? す、す、すす、好き!?!?!? す、すすす、すきって、おまえなぁ!!」
「だって桜くん、可愛いんだもん」
顔を青ざめさせて落胆したり、かと思えば赤面して慌てふためいたり、桜くんはコロコロ表情が変わって面白い。そして、すごく可愛い。私はまたわしゃわしゃと桜くんの頭を撫でた。
「こんなに可愛い桜くんを、嫌いになんてなれないよ」
猫みたいに可愛い桜くんを愛でていると、桜くんは私の手を掴んで撫でるのを止めさせた。
「……可愛いとか、言うな」
「桜くん?」
「……好きとか、言うな」
桜くんは、きゅっと目を瞑り、胸のあたりを握りしめていた。なんだかわからないが、その反応はすごく可愛い。猫みたいに抱きしめて頭をよしよししたくなるが、さすがに同い年の男の子抱きしめるのはまずいか。
まさかあの不良の鑑のような男の子が、こんなにも可愛いとは思いもしなかった。こんなことなら、もっと早く仲良くなっていればよかった。そうすれば、ポトスで会うたび愛でることができたのに。
「蘇枋くんも人が悪いよね」
「………………蘇枋?」
私が蘇枋くんの名前を出すと、桜くんはピクリと反応して顔を上げた。
蘇枋くんの性格が悪いのは今に始まったことではないが、こんなに可愛い友だちがいるのなら、もったいぶらないで早く紹介してくれればよかったものを。
「お前、蘇枋の知り合いなのか?」
「え? ポトスで何回もすれ違ってるよね?」
蘇枋くん、友だちにも私のことを話していなかったようだったが、ポトスで私と目が合うたびにうつむいていたのだから、私のことも印象くらい残っているだろうと思っていたのだが。
桜くんは私の顔を見つめて、ちょっと考えると、しばらくして、「……あ、」と声を洩らした。
「お前、もしかして、蘇枋とよく一緒にいる……蘇枋の好きな女か!?」
「反対だよ? 蘇枋くんの好きな女じゃなくて、蘇枋くんのことが好きな女ね。っていうか、今まで気づいてなかったの?」
「顔とか、髪とか、雰囲気とか、全然違うだろ!!」
そういえば、そうだった。藤崎さんの化粧のおかげで、だいぶ外見が変わっていたのだ。桜くんも私の顔なんてよく見ていなかっただろうし、ここまで化粧して顔が変わってしまえば、ポトスですれ違っている人物だと気づかなくても仕方がない。
「だけど、私ずっと桜くんのこと、名前で呼んでたじゃん。なんで名前知ってるんだろうとか、思わなかったの?」
「思ったけど、……ケンカの強さで有名になったんだなって」
「全然違うよ!?」
打ち解けたはずの桜くんは、むすっと眉根を寄せてうずくまった。急に、分厚い壁を作られたように感じた。隠していたわけではないが、蘇枋くんの知り合いだったことで、桜くんを怒らせてしまったようである。
「…………お前、蘇枋が好きなのかよ」
「うん。大好きだよ」
「お前なぁ……!!」
桜くんは怒鳴って私を睨みつけた。
「…………オレのことも、好きって言っただろ……!」
「言ったね?」
「好きでもねー奴に、好きって言うな!!」
「どうして? 私、桜くんのこと、好きだよ?」
「ち、ちげーよ!! 男は馬鹿だから、お前みたいなのに言われると、勘違いするだろ!!」
「だって、桜くんが可愛いから」
私は怒っている桜くんの頬を軽くつねった。顔立ちももちろんいいのだけれど、やっぱり愛嬌なのだろうか。性根の良さとか、やさしいところとか、表情が豊かなところか。こんな可愛い桜くんを前に、愛でないでいろという方が無理だ。
「悪質だ……。女って怖ぇ……」
桜くんは、頬をつねった私の手を握ると、わずかに私の手に頬を擦り寄せた。え、可愛い。悪質なのはどっちなんだ。こんなに可愛い仕草でたぶらかして、人を怖いとか言わないで欲しい。
可愛い桜くんを愛でていると、スマホが鳴った。珍しいことに、既読スルーの常習犯の蘇枋くんからメッセージが来ていた。ポトスに行くと知らせていたのに、到着が遅れていることで心配させてしまっているらしい。
「蘇枋くんがポトスで待ってるんだけど、よかったら桜くんも一緒に行く?」
私が訊ねれば、桜くんはまたむすっと口を尖らせ、「行かねー」とぶっきらぼうに答えた。また拗ねてしまっているようである。桜くんは本当に猫のように気分屋だ。
「じゃあ、私はポトスに行ってくるね。今日は助けてくれてありがとう。またね、桜くん」
桜くんはそっぽ向いてしまったけれど、手だけは上げてくれた。手を振り返してくれないのが、恥ずかしがり屋の桜くんらしい。
蘇枋くんを待たせているため、私は急いで公園を飛び出した。だが、公園を出て、数歩歩いてすぐだった。
「ねえねえ、君、可愛いじゃん」
背後から声を掛けられ、振り返れば不良らしき男が5人。これまで地味で見向きもされなかった私が、一日で二度も不良に絡まれた。藤崎さんの化粧の効果が絶大すぎる。
「え、ええっと、私、今、人を待たせてて、急いでて……」
「はあ? 知るかよそんなこと。それよりオレたちと遊ばねぇ?」
そうだ。本来不良というのは、相手に事情があろうと一切お構いなしなのだ。私が途方に暮れていると、やがて遠くから怒鳴り声が聞こえて来た。
「何やってんだ、お前!!」
桜くんは走って来るなり、通りすがりついでに目の前の不良を1人蹴り飛ばしてノックアウトさせた。桜くん、可愛いけれど、やっぱりケンカは強いのかもしれない。
「お前、何オレから離れた瞬間絡まれてやがんだ!!」
桜くんはぶっきらぼうに怒鳴ったが、私が「ありがとう」と言うと、また顔を真っ赤に染め上げた。
絡んできた不良を3人倒したところで、不良たちも桜くんには歯が立たないとわかったのか逃げ出した。しかし公園から出て、ほんの数歩で絡まれるとは、藤崎さんの化粧の効果は、悪い方向にも予想を上回っていた。
「お前、どんだけ絡まれやすいんだよ!!」
「いつもはこんなに絡まれないんだよ。でも、化粧をして貰ったら、化粧が上手すぎて絡まれるようになってしまったと言いますか……」
「はあ!? じゃあ、化粧取れよ!!」
「駄目だよ! せっかく可愛くして貰ったんだもん……。蘇枋くんに見て貰いたい……」
私が言うと、桜くんは目を逸らした。化粧をして絡まれやすくなったけれど、その分やっぱり可愛くなっているのだ。これなら、ひょっとしたら蘇枋くんもちゃんと可愛いと言ってくれるかもしれない。せっかく可愛くなれたのだから、蘇枋くんに見せるまではこの化粧を落とすなんて絶対に嫌だ。
「迷惑かけてごめんね。私はもう大丈夫だから!」
「大丈夫って、何が大丈夫なんだよ」
「えっと……そうだ、ポトスまで走って行く! そうすればもう、絡まれないと思うよ!」
走ったら化粧と髪型が崩れてしまわないか心配だけど、これ以上桜くんの迷惑になるわけにはいかない。ただ、ポトスまでは距離があるし、私の体力がもつかがちょっと心配だ。
「じゃあね、桜くん!」改めて桜くんに別れを告げて、歩き出そうとすると、背後から首根っこを掴まれた。
「……ついて行ってやる」
「え?」
「お前みたいなどんくさそうなやつが走ったところで、どうせまた絡まれるに決まってる。だから、ついてってやる」
「どういうこと?
「……オレが、お前を守ってやるつってんだよ」
そう言った桜くんの顔が赤い。
しかしいいのだろうか。桜くんはポトスには行かないと言っていた。なのに、私のためにわざわざポトスまで足を運ばせてしまっても。それに、私と歩いていたら、また先ほどのように絡まれて、面倒に巻き込んでしまうかもしれない。
私が躊躇っていると、桜くんは「行くぞ」とぶっきらぼうに言い、私の手を引いて歩き出した。
迷惑じゃないんだろうか。
いや、桜くんはこういう子なんだ。一見乱暴そうに見えるけど、性根はやさしくて温かい子なんだ。
「桜くん」
「なんだよ」
「ありがとね」
桜くんが振り返り、私は桜くんに笑いかけた。
いつもポトスですれ違う桜くんは、蘇枋くんの友だちなのに遠い存在で、正直怖そうで苦手だった。でも今は、とても近くて、その心の温かさを感じる。
けれど桜くんは、目を伏せて「ありがとうって言うな」と言った。
「オレに笑いかけるな」
近くに感じたはずの桜くんとのあいだに、今度は壁を感じる。それがどうしてかはわからないけれど、近づきすぎることを拒むように、桜くんから壁を張られているようだった。
近すぎるのは、嫌なのだろうか。なら、どのくらいの距離なら近づいてもいいのだろうか。
私は桜くんの隣を歩き、桜くんの顔を覗き見た。桜くんはちょっと赤くなって顔を逸らしたが、嫌ではなさそうだった。このくらいの距離感なら許されるらしい。
桜くんが許してくれる範囲でそばに寄り添い、桜くんを怖がらせたり、傷つけない距離を保って、隣を歩き続けた。
桜くんと一緒に歩いてからも、不良らしき人たちに絡まれることは何度かあった。けれど、ただの軽そうな男の人なんかは、桜くんと目が合うだけで引き返していたので、桜くんがそばにいるだけ絡まれる回数自体も減っていたようだった。不良に絡まれたとしても、桜くんはたとえ相手が複数人だとしても負けることがなかった。こんなに何度も絡まれているのだから疲れてきてもいいはずなのに、ケンカをする桜くんは負ける気配がない。
桜くんのおかげで無事にポトスに着くと、桜くんは店に入ろうとはせず、踵を返した。
「ここまで来たんだから、桜くんもポトスに寄って行ったら?」
「いや、オレは寄ってかねぇ」
「どうして? 今日はたくさん助けてもらったし、何か奢るよ」
「オレは……」
お礼がしたいと言っても、桜くんは頑なにポトスへ入ろうとしなかった。ここまで来て、どうしてそうもポトスに入ろうとしないのだろうか。
私が桜くんを引き止めていると、ポトスの扉が開いた。
「風子ちゃん、遅かったね」
扉を開いて出て来たのは、蘇枋くんだった。どうやら店の中から、私の姿が見えたらしい。
蘇枋くんは私の顔を見て目を止めた。どうやら化粧をしていることにはすぐに気づいたらしい。だが、それよりも私の後ろにいる桜くんに気づくと、すぐにそちらに興味が移ってしまった。
「やあ、桜くんも来てたのか。なかなか店に入って来なかったみたいだけど、もしかして桜くんと何かあった?」
「何かあったというか、桜くんがなかなかお店に入ろうとしないから。一緒に入ろうよ、桜くん」
私が桜くんの手を引こうと、桜くんの手を握ると、蘇枋くんはやんわりと桜くんの手から私の手を離した。
「これは一体、どういうこと?」
そうか。蘇枋くんが驚くのも無理はない。蘇枋くんから桜くんを紹介してもらったことはないのだから、蘇枋くんにとっては私と桜くんには面識はないはずである。それに私は不良が苦手だ。おそらく、私が不良が苦手だから、桜くんみたいなタイプを紹介するのもお互いのためにならないと心配していたのだろう。けれども、もう蘇枋くんが心配する必要もない。
私はもう一度桜くんの手を握ると、蘇枋くんににっこりと笑って見せた。
「私と桜くんは、友だちになりました」
「なってねぇよ!!!!」
「なってないの!? えぇ、友だちになろうよ、桜くん!」
「ならねぇ!!」
そう照れなくてもいいのに。私が桜くんを茶化していると、蘇枋くんは微笑みながら、桜くんの手を握る私の手を解いた。
「駄目だよ、風子ちゃん。桜くんも嫌がっているじゃないか」
本気で嫌がっているわけではないと思いたい。桜くんの顔を窺うと、桜くんは気まずそうにうつむいていた。まさか、本当に嫌なのだろうか……?
「それで? 何がどうして、風子ちゃんと桜くんは一緒にポトスに来たの? もしかして、風子ちゃんがポトスに来るのが遅れた理由と、何か関係しているのかな?」
さすが蘇枋くん、察しがいい。私は改めて、にこりと笑って、藤崎さんに化粧して貰った顔を見せた。
「蘇枋くん、いつもの私と何か違くない?」
「何かというか、だいぶ違うね。今日はお化粧しているの?」
「そう! 藤崎さんに、化粧して貰ったんだ。だけど、藤崎さんに化粧して貰ったら、不良っぽい人に絡まれるようになったという、思わぬ方向へ効果が出てしまってね。私が不良に絡まれて困っていたところを、桜くんが助けてくれたんだよ」
「なるほどね……。手間を掛けさせてごめんね、桜くん。でも、風子ちゃんを助けてくれて、ありがとう」
何故か、私の肩に蘇枋くんの手が乗る。桜くんはさっきよりも気まずそうに、小さな声で「別に」と答えた。
「藤崎さんの化粧の効果が強すぎて、歩いているだけで絡まれたから、見かねた桜くんがポトスまでついてきてくれたんだよ」
「そうだったのか……。それは桜くんにも迷惑をかけちゃったね」
そのとおりである。だから桜くんにも、何かお礼をしたいと思っていたのだが、桜くんはどうしてもお礼をさせてくれないらしい。桜くんがいなかったら、ここまで無事にたどりつけたかもわからない。桜くんがいなかったら、ここまで走ってくるつもりだったが、おそらくそれでも絡まれていただろう。
「そんなことなら、オレを呼んでくれたらよかったのに」
蘇枋くんはため息交じりにぽつりと呟いた。
「それはないよ」
「え?」
私も、一度は蘇枋くんに頼ろうとは考えた。でも、スマホで蘇枋くんを呼びかけた時、思いとどまったのだった。
「だって、蘇枋くんには迷惑かけられないし」
私は至極当然のように笑って言うと、蘇枋くんの笑顔が強張った。
「……何それ? 迷惑って?」
「そりゃそうだよ。私が蘇枋くんをトラブルに巻き込んで、もしも蘇枋くんに怪我をさせたら絶対嫌だもん」
「何を言っているの? オレが怪我? そんなことのために、オレを呼ばないで、桜くんを頼ったの?」
頼ったというか、近くにいたからそのままポトスまで送ってもらったわけだが、結果としてそうなるかもしれない。だって大好きな蘇枋くんだ。万が一にでも、私のせいで蘇枋くんに怪我なんかさせたくない。
当たり前のことなのに、蘇枋くんの顔からは笑顔が消えていた。
「……わかった。言いたいことはたくさんあるし、風子ちゃんにきちんと教え込まなきゃならないこともあるけど、とりあえずそれは一旦置いておこうか」
教え込まなきゃならないことってなんだ。不穏な予感しかない。私が怯えていると、それを見た蘇枋くんはぎこちなく笑い、やさしい声色で言った。
「まずは、その化粧を落としてこようか」
「…………へ?」
「化粧をしているから不良に絡まれたんだよね。じゃあ、まずはそれを落としておいでよ。話はそれからだ」
「なんで……?」
やだ……。それは、さすがに傷つく。私の目にじわりと涙が浮かぶと、蘇枋くんと私のやりとりを見ていた桜くんが、慌ててあいだに入ろうとしたが、それを蘇枋くんは許さなかった。
「なんで? 私、蘇枋くんに、可愛いって、言って貰いたかっただけなのに……」
「風子ちゃんは、化粧なんてする必要ないよ。化粧をすることで害虫に絡まれるくらいなら、化粧なんてしないほうがいいに決まってる。オレは、風子ちゃんのためを思って、言ってるんだよ」
「そうだけど……、わかるけど……」
「おい、蘇枋!」
「桜くんには関係ないから、黙っててくれないかな」
蘇枋くんの冷たい目が桜くんを睨む。だが桜くんは、今度は引かなかった。強引に私の蘇枋くんのあいだに割って入り、蘇枋くんを睨み返した。私を守ろうとしてくれる桜くんの背中がやさしい。その後ろ姿だけで、少し慰められるようだった。
「桜くんは関係ないよね。オレは風子ちゃんと喋ってるんだから、邪魔をしないでくれるかな?」
「うるせぇ!! ちったぁ、こいつのことも、考えてやれよ!!」
「桜くんに風子ちゃんの何がわかるの? というか、ここまでついてきてあげたり、オレから庇ったり……なんで?」
なんでと問う蘇枋くんの質問は、確信めいた予想を孕んでいるように桜くんを追い込み、桜くんはまたうつむいた。そして蘇枋くんはそんな桜くんの耳に口を近づけて訊ねた。
「ねえ、桜くん。桜くん、もしかして風子ちゃんのこと……」
蘇枋くんが最後まで言い終わる前に、蘇枋くんに頭に銀のお盆が振り落とされる。
蘇枋くんの言葉がさえぎられると、桜くんも安堵したようだった。
蘇枋くんがお盆の持ち主を見上げれば、蘇枋くんの頭にお盆を叩き落としたことはちゃんは、「やりすぎ」と蘇枋くんを睨んでいた。
「次から次へと……関係ないのに、入って来ないで欲しいなぁ」
「蘇枋、あんたはわかってないのよ。あんたのために止めてあげたんだからね。感謝されて欲しいくらいよ。桜と風子ちゃんは、大丈夫?」
私は何度も頷き、桜くんも弱々しく一度頷いた。
いくら蘇枋くんの意地悪に慣れてきているとはいえ、蘇枋くんに化粧を落とせと言われた時には傷ついた。こんなはずじゃなかった。せっかく化粧で可愛くして貰えて、蘇枋くんにも可愛いねって褒めてもらえると思っていたのに。蘇枋くんが私の身を案じてくれているのはわかる。化粧したから不良に絡まれたのだ。でも、だからって、不良に絡まれないために可愛くなるのを諦めるのは、何か違うのではないだろうか。
「不良に絡まれないために、私は化粧しちゃいけないの……?」
「そもそもなんのために化粧してるの? オレのためなら、オレはそんなこと望んでないよ」
蘇枋くんの言うとおりだ。私は蘇枋くんに可愛いと思われたくて化粧したのに、蘇枋くんがこう言っているのなら、化粧なんてする意味ないのかもしれない。
でも、だけど……。
「蘇枋くんの……蘇枋くんのばかぁ!!」
自分でもわからなくなってしまい、私は蘇枋くんの前から逃げ出していた。
なんのために可愛くなりたいか。もちろん、蘇枋くんのためだ。でも、蘇枋くんに止めろと言われて、蘇枋くんに可愛いと言われなくても、やっぱり可愛くなりたい。それはいけないことなのだろうか。
「おい!」
逃げ出して一人でとぼとぼ歩いていると、後ろから呼び止められた。振り向けば、桜くんがいた。どうやら逃げ出した私を追いかけてくれてようである。
「蘇枋くんは?」
「……やっぱ、あいつに追いかけて欲しかったか?」
「ううん。今はちょっと顔を合わせたくないかな。蘇枋くん、怒ってる?」
「いや。あいつは、ことはに説教されてる」
蘇枋くんが誰かに説教されるなんて珍しい。それでもことはちゃんも、さっきの蘇枋くんには思うところがあったのだろう。私でさえ、さっきの蘇枋くんには腹が立ったのだから。女の子がせっかく可愛くなるために化粧したのに、それを軽率に落とせだなんていうなんて、あまりにデリカシーがなさすぎる。
「もしかして桜くんがここに来たのも、ことはちゃんが私を追ってくるように言ったから?」
「いや、それは…………気づいていたら、お前のこと追いかけてたっつーか……」
「そっか……。ありがとう、桜くん。やっぱり桜くんはやさしいね」
「やさしくねぇ!! お前、またすぐに絡まれんだろ!! だから、家まで送ってやる」
ぶっきらぼうだけど、私が歩き出すと、桜くんは何も言わず隣を寄り添うように歩いた。こうして誰かがそばにいるだけでも、少し心が楽になる。
それに、桜くんが私を庇ってくれた時には、その背中には慰められた。
「……桜くんも、やっぱり蘇枋くんが言ってること、正しいと思う? 絡まれたくないなら、化粧するなって」
桜くんもそんなことを言っていた。絡まれないように、化粧を落として歩け、と。桜くんは少し間を置いてから、「好きにすりゃいいだろ」と答えた。
「気を遣わなくていいよ。桜くんの率直な意見が聞きたい」
女の子としては、やっぱり可愛くありたい。ことはちゃんもそれをわかってくれるから、私の肩を持ってくれたのだろう。でも、男の子にはそれが理解できないのも、たぶん仕方がない。
「なんでオレが、お前に気を遣わなきゃなんねーんだよ。化粧すんのも、しないのも、お前の好きにしたらいいだろ」
「でも、それで絡まれるのをわかっててするのって、やっぱりダメだよね。ましてや、桜くんやボウフウリンの人に迷惑かけてまでやることじゃないだろうし……」
「別に。オレも、ボウフウリンも、この街の人間が堂々と好きなことするために、オレたちはいるんだからよ」
「桜くん……」
「悪いのは化粧して歩いてるお前じゃねーだろ。悪いのは絡んでくるバカだ」
桜くん、本当にいい人だなぁ。温かくてやさしいだけじゃなくて、芯が通っている。つい桜くんの頭を撫でたくなったけれど、ボウフウリンとして街を守ろうとする桜くんは、可愛いよりも、ちょっとだけかっこよく見えて、頭を撫でるのを止めた。
こういう桜くんを、きっと周りの人も信頼しているのだろう。桜くんはケンカが強いだけじゃない。ちゃんと中身も伴っている人だ。桜くんは可愛いけれど、案外桜くんみたいな人が、いつかボウフウリンの頂点までたどり着いてしまうのかもしれない。この街を守るボウフウリンの上に立つ人間は、強いだけじゃない、人の痛みのわかる、桜くんのような人がいい。
「ねえ、桜くん」
桜くんに話しかけようとすると、サラリーマンのような中年の男の人とすれ違い、肩がぶつかった。よろけた私の体を、桜くんが咄嗟に抱き留める。顔を上げると、すぐ近くに桜くんの顔があって、桜くんは慌てて私の体を起こさせた。
「おい! 危ねぇだろ!! ぶつかったんなら、謝れよ!!」
「い、いいよ、桜くん!」
サラリーマンはちらりと振り返ると、桜くんを一瞥し、鼻で笑った。この街では、街を守る風鈴高校の制服を知らない人はいない。この制服の桜くんを見て鼻で笑うということは、街の外の人なのかもしれない。桜くんは謝れと凄み、今にも殴り掛かりそうな剣幕だった。私が桜くんをなだめると、桜くんは悔しそうに舌打ちをして怒りを静めてくれた。相手が不良ならまだしも、ただのサラリーマン相手にケンカなんてしたら、桜くんの立場のほうが悪い。下手したら警察沙汰にだってなりかねない。ただぶつかっただけで怪我もなかったわけだし、そんなことで桜くんが警察の世話になるところなんて見たくはない。
だが、サラリーマンは、せっかく桜くんが気を静めたというのに、舌打ちを返して言い捨てた。
「ゴミが」
間違いなく、桜くんに放った言葉である。
桜くんを見れば、桜くんはまた目を伏せていた。いつか私が、桜くんから目を逸らした時と同じ顔だ。そういうことだったのだ……。私は、あのサラリーマンと同じだ。私はこうして、桜くんを傷つけていた。
「……待ってください」
私はサラリーマンを追いかけ、前に回り込んでいた。
「今の言葉を訂正してください」
「……は? 何を言っているんだ、君は」
「さっきの言葉を訂正して、彼に謝ってください」
私がサラリーマンに食って掛かると、桜くんは慌てて私に駆け寄り、私の腕を引いた。
「なんでお前が絡んでんだよ!? いいから、放っておけ。こんなに慣れてっから」
「よくないよ! こんなことに慣れないで!!」
慣れてるってなんだ。サラリーマンは、桜くんのことをゴミと言った。こんなにやさしくて、心の温かい桜くんを、何も知らないくせにゴミと言ったのだ。それを黙って見過ごせるわけがない。
「謝ってよ!! 桜くんは確かにケンカをして拳で人を傷付けるけど、あなたみたいに人の心を傷付けたりしない!」
「こんな粗暴な奴、存在するだけで社会の害だろ」
「あなただって、桜くんに言葉の暴力を振るったでしょ!? あなたは、あなたがゴミと呼ぶ人たちと、一体何が違うって言うんですか!?」
「おい、やめろって!」
桜くんは私を止めようとしたが、サラリーマンが桜くんに謝るまで、引き下がるつもりはなかった。サラリーマンも許せないが、私は私が許せない。私はこのサラリーマンと同じだ。不良だからという偏見で桜くんを決めつけていた。私の偏見を含んだ眼差しが、桜くんを傷つけていた。
「謝ってよ!!」
私が叫ぶと、どこから「そのとおりだ」という声がした。それから、頭をぽんと撫でられた。見上げてみれば、ボウフウリンの学ランを着た、銀髪の男の人がいた。
誰だ。
気付けば、銀髪の男の人だけではなく、商店街の店から街の人が出て来て、サラリーマンを睨んでいた。
「お嬢ちゃんの言うとおりだ!」「ボウフウリンの子は、この街の宝だよ!」「それをゴミ呼ばわりするってんなら、この街から出て行きな!!」
街の人たちが、総出で怒りをサラリーマンに向けている。心強いが、この勢いは危うい。私が狼狽えていると、銀髪の男の人は私の肩を持って「大丈夫だ」と囁いた。
「すまねぇ、みんな。ここはオレに任せてくれ」
銀髪の男の人がそう言うと、怒り任せに怒鳴り散らしていた街の人たちも、一瞬で静まり返った。なんなのだろう、この人は。街の人たちは、銀髪の男の人のことを信頼しているように見える。
「あんた」銀髪の男の人が呼ぶと、サラリーマンもびくりと身を震わせた。ただの高校生のはずなのに、銀髪の人には、大の大人でさえ身を縮こませさせるような貫禄があった。
「悪いな。こいつはオレの大事な仲間なんだ。こいつに何を言ったかは知らねぇが、こいつを傷つけるような言葉を、オレは許すことはできねぇ」
銀髪の人が言うと、街の人も「この子たちはこの街のヒーローなのよ」と続けた。ボウフウリンへの侮辱は、街の住人は許さない。
サラリーマンは、街の人間と、そして謎の銀髪の高校生の圧に気圧され、桜くんに頭を下げた。
「すまなかった」
「お、オレは別に……」
「別にじゃないよ! もう二度と、あんな酷いことを桜くんに言わないでください。桜くんは、本当にやさしい人なんですから」
サラリーマンは謝罪だけすると、商店街から逃げ出した。商店街の人たちも、謝罪を見届けると、みんな店の奥へと戻っていき、商店街はいつもの賑わいを取り戻した。残ったのは、銀髪の男の人だった。
「ありがとな」
さっきはサラリーマンを圧倒するほど貫禄があったのに、銀髪の人は別人のように無邪気な笑みを浮かべて言った。
「桜のこと、守ってくれたんだろ? オレの大切な仲間を守ってくれて、ありがとう」
「別にあなたの仲間を守ったわけじゃありません。私にとって桜くんは、あなたの仲間である前に、私の大切な友人です」
そもそも桜くんを守ったというか、私はあのサラリーマンを見ていると、自分を見ているようで腹が立っただけだ。もちろん桜くんへの侮辱は撤回して欲しかったけれど、私だってあのサラリーマンを責められない。
なのに銀髪の男の人は、ますます笑顔を深めて、私の頭を撫でた。
「いい子だなぁ! よし、気に入った! オレの名前は梅宮。君の名前は?」
銀髪の人は梅宮と名乗ったが、知らない名前だ。知らない男の人に、名前を言うわけがない。しかも、こんなわけのわからない、怪しい人に。私は目を逸らしながら咄嗟に、あの名前を答えていた。
「……レオナルド・ディカプリオです」
「あっはっはっは! そう来るか! ちゃんと本当の名前を言ってくれるまで、君のことを探っちゃおうかな?」
「はい!?」
「冗談だよ、冗談」
蘇枋くんも、知らない人相手に名前を隠す時は、こんな気持ちだったのだろうか。梅宮と名乗った男の人はぐいぐい距離を縮めてくる。本当にこの人はなんなのだろうか。
「私、もう行くので!」
私が駆けだすと、背後では「またなー!」という声がした。できればもう、お目にかかりたくないものである。
私が梅宮と名乗った男から逃げるように走り出したあとも、桜くんは追いかけて来てくれていた。けれど、私からは桜くんに話しかけなかった。商店街を抜けて、住宅街を歩いているあいだも、ずっと私たちは無言だった。
桜くんは私を守るためについて来てくれているのだから、楽しい会話でもできたらよかった。だけど先刻のサラリーマンの一件が私の心に靄を残していた。
梅宮と名乗った人は、私が桜くんを守ろうとしたと言った。でも、私がしたことはそんな善良な行いなんかじゃない。サラリーマンには、桜くんに謝れと言ったけれど、桜くんに謝らなければならないのは、サラリーマンだけじゃない。
話し出す勇気を待っているあいだに、どんどん家が近づいていく。日を跨いだら、こんなふうに桜くんと話せる機会は来ないかもしれない。
私は、桜くんに謝らなければならない。
「桜くん」
気まずい沈黙を割いて、私は桜くんに話しかけた。
「少しだけ、公園寄ってもいい?」
桜くんは頷いて答え、私が近くの公園に入ると、桜くんも黙ってついて来た。
あたりはすでに暗くなり、月が上っていた。こんな時間になるまで桜くんを家まで送らせてしまった。桜くんのことだから、帰りに不良に絡まれても、たぶん返り討ちにしてしまうだろうけれども。
公園に入って、桜くんに謝ろうとしていたはずなのに、桜くんが先に私に訊ねた。
「……なんで怒ってんだよ」
私、怒っていたのか。自分でも気づいていなかったけれど、たぶん機嫌の悪い雰囲気を出していたのだろう。だから桜くんからも、私に話しかけることができなかったのだ。
私が怒っているのだとすれば、その原因の半分は桜くんのせいでもあるのだけど。
「……桜くん、なんであんなこと言われて平気なの?」
桜くんは、サラリーマンにゴミと呼ばれた。桜くんは短気な性格だ。なのに、桜くんはゴミと呼ばれて怒るどころか、すんなりとその言葉を受け入れてしまった。さらに、慣れているとまで言ったのだ。
「お前には関係ねーだろ」
まただ。また桜くんに壁を作られている。これ以上近づいて来るなと言いたげに、桜くんは私とのあいだに壁を張って、近づくことを拒絶した。近づかれたくないのなら、その壁を壊す気なんてない。桜くんには、自分の許していない人間には近づかれたくない距離があって、知られたくない過去があるように思えた。
「桜くんが、あんな言葉を言われて、平気な理由は聞かないよ。でもね、」
心の壁は壊すことはできないけれど、手を伸ばせば桜くんの体には触れられた。
「あんな心無い言葉になんて、慣れないで」
あんなことを言われたら、怒っていい。私の肩にサラリーマンがぶつかったくらいで怒ったくせに、なのに自分のことになると、桜くんは諦めきった顔をしていた。それはまるで、桜くんを侮辱する言葉が、自分には相応しいものだとでも受け入れてしまっているかのように。
私は桜くんから手を離すと、深々と桜くんに頭を下げた。
「ごめんなさい、桜くん」
「な、なんだよ、急に」
「今までポトスで何度かすれ違ったとき、私桜くんから目を逸らしたよね。そのたび、桜くんをうつむかせてしまっていたよね」
「あれは、別に……。……仕方ねぇだろ。オレ、こんなんだし。オレは、存在しているだけで、メーワクらしいし……」
「迷惑……?」
顔を上げて見れば、桜くんは切なげに眉を下げていた。ああ……、桜くんは、きっとそんなことを、言われ続けて生きて来たんだ。どうして、こんなやさしい人が、そんな酷い仕打ちを受けていたのだろうか。
いや、私だって同じだ。桜くんを決めつけて、偏見で満ちた目で桜くんを見ていた。
胸が締め付けられるよう痛み、目からポロポロ涙が落ちていた。
「お、おい! なんで泣くんだよ!?」
「だって……」
私が涙をこぼすと、桜くんは狼狽えていたた。桜くんを困らせるつもりなんてなかったのに、胸が痛くて、涙が止まらない。桜くんは戸惑いながら、私の涙を拭ってか細い声で囁いた。
「泣くなよ。オレみたいな、しょうもない男のことなんかで」
「桜くんは、しょうもなくなんかないよ! 桜くんは、いい人だよ。温かくて、やさしい人だよ……」
「だから、いい人とか、やさしいとか、言うな……」
顔に触れた手と、反対の手が私の肩を掴む。桜くんの目を見上げると、桜くんもまた、私の目を見つめていた。
そんなわけないのに、私を見つめる桜くんの視線が熱っぽい。気のせいだ。そんなはずないのに、桜くんは顔を近づけ、思わず桜くんの胸に手を当てると、高鳴る鼓動が手のひら越しに伝わって来た。
待って。
そう言おうとした唇に、ぽつりと冷たい感触がした。
やがて頭や肩にも、ポツポツと滴が落ちていき、私は空を見上げた。雨だ。雨足はどんどん強くなっていく。これは大雨になりそうだ。
接近していた桜くんの顔は、気付けば私の肩に埋まっていた。
「……あっぶねぇ……。クッソ……」
やっぱり気のせいだ。変な勘違いをしてしまったことで、恥ずかしさで体が熱くなる。桜くんにも、どんな顔をして声を掛ければいいのかわからない。
しかしお互い話し出せないでいる間にも、どんどん雨は強まり、制服が雨を吸収していく。このままお互い硬直しては、2人揃ってずぶ濡れになってしまう。
「来て、桜くん!」
「は? お、お、おお、おい!!」
私は桜くんの手を取ると、走って公園を飛び出した。走れば、家にたどり着くのに3分もかからなかった。私は住宅街の中の一軒家の門を開け、桜くんを引きずり込んだ。桜くんも、ここまではわけもわからないまま手を引かれて来たが、やがて事態を理解すると、慌てて私の手を振り払った。
「ちょ、ちょっと待て!! ここ、誰の家だよ!?」
「誰って、もちろん私の家だよ? 知らない人の家に、勝手に上がり込むわけないじゃん」
「お、お、おおおお前の家!?」
私は鞄から鍵を出し、桜くんの前で開けてみせた。持っていた鍵で家の扉を開けたのだから、これ以上の証拠はないはずだ。なのに桜くんは、大きく首を横に振った。
「お、お前! どういうつもりだよ!?」
「いや、大雨だし。上がっていきなよ」
「バカだろ、お前!! オレは男だぞ!? さ、さっきだって……」
「さっき?」
「い、いい、いや、何でもねぇーけど……!! とにかく、男を平気で家に上げんなよ!!」
「男って言っても、桜くんじゃん」
桜くんは、男と言うよりも桜くんと言う存在だ。どちらかというと、野良猫を拾って雨宿りさせてあげるような感覚に近い。だって桜くんなのだから。
「帰る!!」
「駄目だよ! こんな大雨の中帰ったら、風邪ひいちゃうよ! 今日助けてくれたお礼もしたいし。とにかく、つべこべ言わず、さっさと上がって!!」
そうして私は、野良猫のようにぎゃーぎゃー喚く桜くんの首根っこを掴み、家の中へと引きずり込んだ。