板橋生まれ、ソ連→アメリカ→サウジ→パリ→カナダ育ち、ドイツ住みのほりべさん「DPZで書けるのは、公文のおかげ」
「デイリーポータルZ」ライター・ほりべのぞみさんの人生は、まるで世界旅行だ。
東京の板橋に生まれ、3歳でソ連に渡航。6歳からアメリカ、10歳で日本に帰国し、中3でサウジアラビアに移った。サウジで3年過ごし、高3からパリへ。大学はカナダを選び、卒業後、1年だけ東京の世田谷に住み、今はドイツのベルリンに住んでいる。
ペレストロイカ時代のソ連で育ち、サウジアラビアでテロの危険をかいくぐり………歴史的な出来事と隣り合わせの日常生活とはどんなものなのか。英語で過ごした時間が最も長いのに、なぜ日本語で流ちょうな記事が書けるのだろうか。
一時帰国したほりべさんに、デイリーポータルZ Webマスターの林雄司と、ライターの岡田有花がグイグイ聞いた。(構成・岡田有花)
板橋に生まれ、3歳でソ連に
林 ほりべさん、生まれたのは日大板橋病院(東京都板橋区)ですよね。私と同じ!
ほりべ はい、家は常盤台で、1986年に生まれました。
林 常盤台どっち側ですか?
ほりべ 「板橋の田園調布」じゃない方です。南側の、庶民的な普通の街。父が日本大使館の通信の仕事をしていて。
常盤台。北側は「板橋の田園調布」だが、ほりべさんは南側生まれ
林 大使館で通信? お父さんスパイですか?
ほりべ そんな訳はないんですが、具体的にどんな仕事なのかよく知らなくて。各国を転勤していました。で、3歳まで板橋にいたんですけど、ソ連に引っ越しました。
林 ソ連!
ほりべ ロシアになる直前のソ連です。1989年にモスクワに引っ越し、1991年にソ連が崩壊してロシアになって、1992年までいました。3歳から6歳ですね。
林 ペレストロイカの時代に!
岡田 歴史用語だ!
(※編注:ペレストロイカは、ゴルバチョフ書記長が主導した経済・政治改革。社会主義体制の立て直しを目的に、市場原理導入などを目指したが、結果的にソ連の解体につながった)
ソ連の幼稚園はスパルタ
ほりべ 小さかったので当時の記憶にはないんですが、親から「スーパーに行っても物がなかった」とか、「行列があればとりあえず並んで買った」とか、いろんな話を聞いています。
外国のパスポートがないと入れない海外系スーパーには、輸入された物があったみたいです。当時、スウェーデン系のスーパーでたらこチューブを買い、母がたらこスパを作ってくれていました。記事で紹介した、思い出の味です。
ソ連の幼稚園がスパルタだったことは覚えています。ロシア語が全く分からない状態で入り、最後まで何も分かりませんでした。唯一「ダー」(イエス)と「ニェット」(ノー)だけ言えたので、先生に「ダー」「ニェット」って適当に答えて生き延びました。
幼稚園では、詩を暗記してみんなの前で発表しなくちゃいけなくて。きっとロシアの偉大な詩人の詩だったんでしょうけれど、意味が分からないので、音だけで覚えていました。今は何も覚えていません。
アメリカの小学校は、授業中にアニメを見る
ほりべ 6歳ぐらいでアメリカに引っ越して、10歳までいました。共産国ソ連から資本主義アメリカに引っ越したギャップがすごくて。
ニューヨークの隣のニュージャージーに住み、現地の小学校に通いました。父はニュージャージーから、ハドソン川を渡ってニューヨークの領事部に通勤していました。
林 ほりべさん、当時英語は話せたんですか?
ほりべ 全く分からない、ゼロ(笑)。ただ今回は、何年かは住むことになるので、英語を覚えようと、学校のESL(英語を母語にしない人のためのクラス)に行ったり、放課後に習ったりしてなんとか追いつきました。
アメリカの現地校で面白かったのが、授業中にテレビをよく見ること。先生がテレビをガラガラガラガラガラって持ってきて、パワーレンジャーとか、アニメとかを見せられる。
岡田 何の授業で?
ほりべ わからないです(笑)。今考えると「その日、先生がやる気なかったんだな……」って。「今日は授業する気分じゃないのかな、パワーレンジャー見てろ」っていう……。
4年生なのに塗り絵の宿題とかありましたね。自由でアカデミックさが全くなく、すごい楽しかったです。
岡田 いいなあそういう小学校!
ほりべ そういえば、O.J.シンプソン(※)の裁判があった時も、先生がガラガラガラガラってテレビを持ってきて、裁判を見ていました。
(※編注:元アメフト選手のO・J・シンプソン氏が1994年、元妻ら2人を殺害したとして起訴され、全米の注目を集めた事件)
林 日本の人たちがなんとなく知ってる歴史上の出来事を、ほりべさんは現地で感じてますね。ソビエト崩壊とかO.J.シンプソンの裁判とか、僕が上板橋でぼんやり見ていたことを。
ほりべ でも私も、本当にぼんやり見ていました。
林 アメリカの学校って、宗教色が強いと聞いたこともあります。
ほりべ そうですね。90年代アメリカの小学校はクラスに国旗があって、朝授業が始まる前に、心臓に手を置いて「国に対して忠実であることを誓います」みたいなことを言う儀式がありました。私は英語をしゃべれなかったので、音で丸暗記して言っていました。
「忠誠の誓い」参考映像
「銃の音がしたら伏せる」と学校で教えられた
林 お父様がニューヨークに通勤していたけれど、ほりべさんがニュージャージーに住んでいたということは、当時ニューヨークはちょっと危険だったんでしょうか?
ほりべ そうですね。めちゃくちゃ治安が悪かったらしく。「銃の音がしたら伏せる」とか「誰かが寄ってきたら赤信号でも躊躇わずに渡って逃げる」とか教えられていました。
林 ニュージャージーとフィラデルフィアは隣なんですね。アレンタウンがあるぞ。ビリー・ジョエルの歌に出てくる町がある。
ほりべ ニュージャージーといえば、ブルース・スプリングスティーンや、ボン・ジョヴィの出身地です。でもちょっと田舎で、かっこいい州っていうイメージはないですね。
公文で学んだ日本語で、デイリーの記事を書いている
ほりべ ニュージャージーの現地校で英語は話せるようになったんですが、10歳で「日本に帰ることになって。どうしよう! と。
林 3歳まで日本で、その後ソ連→アメリカだから、日本語はしゃべれなくなっていた?
ほりべ いえ、話すことはできました。家でしゃべっていたのと、母がすごく教育熱心で、公文式の国語をやらされて。公文で日本語を学びました。
林 すごい! デイリーで書けるのは公文のおかげ。
ほりべ でも私、日本語は危うくて、間違いが多いので...…。
林 え、そんなことないですよ!!
ほりべ 記事も「どうしよう」って迷いながら書いていて、何十回も見直します。日本語へのコンプレックスはすごくある。
林 いやいや。ほりべさんの日本語はすごく分かりやすくて、うまいと思っています。
岡田 日本語がとてもきれいなので、日本在住が長い方だとばかり思っていました。
ほりべ ありがとうございます。公文のおかげでうまくいきました。
ボロボロ校舎の日本のインターへ
ほりべ 10歳で日本に戻ってきたんですけど、日本の現地校は厳しくて勉強が難しいイメージがあったんで、親に「行きたくない」って訴えたら、インターナショナルスクールに行かせてくれました。もう廃校になってないんですけど、すごく面白い学校でした。
練馬にあった小さなカトリック系のインターナショナルスクールで、校舎が古くてボロボロでした。インターナショナルスクールでたぶん一番費用が安かったんでしょうね。先生は80%ぐらいシスター。みなさん日本人だと思うんですが、シスター・マリアンとか、シスター・トリニティとかいうお名前でした。
シスターが皆さんすごい高齢で……おばあちゃん先生がすごく多くて、黒板に書くときにもすごい手が震えてて。すごい時間をかけて教えてくれるんですけど、「おばあちゃん大丈夫?」みたいな。おいくつかは分かりませんが、当時の私は「80歳ぐらいかな?」って思ってました。
1クラス15人ぐらいのすごい小規模でしたが、運動会とか日本の学校行事をやってくれて、すごく面白かったですね。朝はキリスト教式のお祈りの時間がありました。我が家は無宗教なんですが、お祈りだけはすごく流暢にできるようになりました。
そのインターには中学がなかったので、セレブなアメリカンスクールの中学校に行ったんですが、あまり合わなかったです。ボロボロの校舎で80歳のシスター先生から、何もかもキラキラしたアメリカンスクールに2年行きました。
次にサウジアラビアに引っ越しました。
林 サウジアラビア!?
サウジは何もなかったから、友達とカードゲームしていた
ほりべ そうなんです。2000年、中学3年生でサウジ首都・リヤドに住んで、中高一貫のアメリカ系のインターナショナルスクールに通いました。すごい楽しかったですね。
サウジは当時は観光ビザがなく、観光でも行けなくて。仕事の人や、メッカを巡礼するイスラム教信者は入れましたが、それ以外の人はなかなか入れなかった。今は観光できるみたいなんですけど。
外に出る時はルールがたくさんありました。女の子は12歳ぐらいから、アバヤ(ロングガウン)とヒジャブ(スカーフ)を使って顔と体を隠さなきゃいけないとか、家族でない男性と一緒に女性がいてはいけないとか、女性は運転してはいけないとか。
法律上、母が運転できないので、父が運転するか、運転手を雇って運転してもらうしかなかった。若く見える日本人の夫婦は「宗教警察」に引っかかっていて、「お前ら結婚してないのに!」って。
岡田 「宗教警察」っていう警察がいるんですか? SNSでチクチク攻撃してくる「着物警察」みたいなのじゃなくて、リアルに……。
ほりべ 本物の宗教警察がいたんです。
林 ネットスラングじゃない、本物の警察!
ほりべ そうです。女性なのに頭をちゃんとカバーしてないとか、若い男女が一緒にいるとかを、摘発していく。だから若い夫婦は結婚していることを示す証明書を持ち歩いていました。
ほりべ 「神様からもらった体を変えちゃいけない」っていうルールがあるので、男性は髪の毛染めちゃダメとか、タトゥー入れちゃダメとかもありましたね。それが宗教警察の目についたりすると、連れてかれちゃう。
(※編注:2018年に女性の運転が解禁された。宗教警察は2016年に権限が大幅に縮小され、逮捕権、証明書の提示を求める権利などを失っている)
陸上部で走ると、砂漠と乾燥でケホケホする
岡田 そんなハードなサウジ生活も楽しかったんですね?
ほりべ 警察に目を付けられる行為をしなければ良くて。あと、娯楽がなかったんです。映画館もないし、男女が一緒に外で遊べない。女の子は運転できないし、男の子も運転免許持ってる年齢じゃないので、どこにも行くことができなくて。
だから、アメリカンスクールの友達と、ボードゲームとかして遊んでいました。すごい平和。勉強もしていました。日本人は1人しかいなかったけれど、いろんな国の友達がいました。
林 アホみたいな質問ですけど、サウジはやっぱり暑いんですか?
ほりべ 暑いです! 本当に。リヤドは砂漠の真ん中なんで、すごい暑いです。50度とかになります。
日本みたいに湿度がないので、一歩外に出るとドライヤーみたいな風がバーって来る感じで。ジーンズを洗って外に出すと30分ぐらいでパリパリになったりしますよね。でも砂漠なんで冬は結構寒くて。ダウンジャケットとか着るんですけど。
林 へえー。緯度で言ったら、沖縄より……すごい南ですね。
左の赤い点線部分がリヤド
ほりべ そうですね。雨も年に一度ぐらいです。雨を排水するシステムが全くないので、海みたいに地面がビシャーーってなります。
林 うわー。
ほりべ 砂漠だし、暑くてすごく乾燥しているので砂嵐もありましたね。空が全部オレンジ色になる。そんな中でも部活はあるんで。
林 部活?
ほりべ 陸上部で走ってると、喉がすごくケホケホって。
林 陸上、外でやるんですね。暑い国の人って、ジョギングとかしないイメージがありますが。
ほりべ しないです。死んじゃう。しない方がいいんじゃないかなと思うんですけど、私達はなんでしてたんでしょうね。
アメリカンスクールだから、アメリカンにちゃんとジョギングしてたのかも。アメリカスクールの部活ってシーズンで分かれてて、今セメスターは陸上、次はサッカーとか、どんどん変わってくんです。陸上やサッカーを全部外でやってました。
林 全力でケホケホしながら。
ほりべ ケホケホして暑い暑いって言いながら。
林 地元の人はやってないかもしれないですね。
9.11後、学校でテロ訓練……車は爆弾チェックして乗る
ほりべ 学校内は共学で、男女みんな混ざってたんですが、サウジの中ではそういうのは特別な場所だったみたいで。学校の周囲の壁が3m以上ありました。
岡田 絶対見られないように。
ほりべ そう。セキュリティ(警備員)が銃持ってたり。2001年に米国の9.11があり。2003年にはリヤドでアル・カイーダによるテロがあって、サウジ国内がアンチアメリカな雰囲気になりました。それでサウジから引っ越してしまった人もいたし、私たちも異動が早まって。
林 歴史の出来事が人生に組み込まれている。私が大森のニフティで働いている間に。
岡田 「大森勤務でした」と同じレベルで「そういえばアル・カイーダのテロがありました」って話が出る。
ほりべ そうですね。その後は、学校に車で送ってもらう時、車の下に爆弾が仕掛けられてないか、ミラーで調べるようになったりして。
岡田 怖すぎる。
林 日本と全然違いますね。
ほりべ テロ訓練もしました、学校で。
林 テロ訓練? 爆弾が仕掛けられたらどうする、とか?
ほりべ はい。爆弾が仕掛けられて、建物の中にいたら、窓から離れて、みんなで集まりましょうという。それ以上の対策はできないですけど。
こうやって思い出すと「楽しかった」だけじゃなかったですね。高校生としては楽しかったですが。平和で。
岡田 平和に二つの意味がありますよね。日常生活と外の情勢。前者は平和。後者は平和じゃない。
ほりべ そうですね。
お祈りの時間になるとスーパーが閉まる
林 サウジアラビアの食事はどうでしたか?
ほりべ 母が料理好きで、サウジでも日本食をどうにかこうにか作っていました。ただサウジのスーパーって当時は、イスラムのお祈りの時間になるとスーパーが閉まっちゃうんですよ。
お店にいるイスラム以外の人は、暗い中でも買い物を続けられるんですけど、会計ができない。だから「もうすぐ祈りの時間だ、急げ!」って出ないと、30分間暗い中で待ちぼうけです。
ほりべ お酒や豚肉も全然食べられなくて。休暇中にバーレーンに行って食べていました。リヤドから車で4時間かかりました。フィリピン人の友達なんかもそうしていたみたいです。
林 バーレーンって島国なんですね。サッカーのイメージしかなかったな。
納豆はジップロックに詰め替えて
ほりべ 日本食で言えば、納豆も手に入らなくて。日本に帰省した時に、納豆をたくさん買って持っていくんですが、パックのままだとかさばるので、中身を全部あけてジップロックに詰め替えていました。納豆だけ入れたジップロックを作る、すごいネバネバした作業をした覚えがあります。
サウジの自宅で大豆から納豆を作っている人もいましたが、あんまりうまくいかなかったみたいです。
林 2~3年ごとに国境を越えて引っ越していますけど、海外の引っ越しって、全然想像がつかない。タンスとか持って行くんですか?
ほりべ 船便のコンテナで持って行ってたと思います。発送して2~3カ月ぐらい後に到着する。
林 都内の引っ越しでも死ぬほど面倒くさいのに!
ほりべ よくやってたと思います。
ほりべ 引越もギリギリまで次の赴任地が分からなくて。「サプラーイズ!」って感じで父が。「サプラーイズ! 次はサウジアラビアです!」
岡田 サプライズすぎる。
ほりべ 「サウジアラビアってどこだろう」って思ってました。父は、赴任地のリクエストはしていたらしいんですが、1回も叶ったことがなかった。
そしてパリへ 「おしゃれすぎて辛かった」
ほりべ サウジには高校2年生までいました。
岡田 次、そろそろドイツ行きます?
ほりべ ごめんなさい。パリです。
林 パリ⁉
ほりべ 高校最後の1年だけパリのアメリカンスクールでした。何もできないサウジアラビアと比べて、何でもできるパリへのギャップもすごいショックでした。
お酒も飲んだことなかったのに、フランスだと16歳で飲めるし。娯楽が、友達の家でボードゲームから、「バーに行く」「クラブに行く」に激変しました。
林 パリの16歳、高校生はそんな遊び方を……。
ほりべ はい。ビールやワインを飲んでます。公園でお酒飲んだりとかして。一緒に飲んでたら潰れちゃうぐらいの量を飲みます。
サウジでは移動も自由にできなかったのに、パリでは急に、自分で電車乗って学校に行くし、友達に「週末にバー行こうよ」って言われ……「え?」って。バーでも何を頼んでもいいかも分からないのに。
パリは自由で楽しかったけれど、おしゃれすぎて気後れして。パリでなんとか1年過ごし、高校を卒業して、カナダのトロント大学に進学しました。今パリに旅行行くのもちょっと怖いです。着るものがなくて。
予算の関係で、トロント大学に進学
林 パリの高校を卒業して、カナダのトロントに。なぜトロントを?
ほりべ 英語圏の大学が良かったんで、アメリカがいいかなと思ったんですが、学費が高いから。カナダの方が少し安くて、トロント大学に進学しました。親には「一人っ子だから出せるんだよって」言われましたが。
林 カナダの大学って、出願方法は日本の大学と違うんですかね?
ほりべ 少なくとも当時は、日本のような試験はなくて、願書と高校の成績を送る「アプリケーション期間」があり、そこで合否連絡が来ました。
岡田 入試自体が存在しない?
ほりべ そうです。
林 願書も日本の願書と違うんですよね。
ほりべ はい。あっさりとした願書だと思います。多分、高校の成績だけで入学が決まる。
アメリカの大学だと、高校の成績に加えて、「なぜ自分がその大学に入るべきなのか」というエッセイを書いたり、「SAT」っていう共通テストみたいなのがあったり、部活とかも見られるんですが、当時のカナダは成績だけであっさりと入れて、大学の寮で暮らしていました。
林 トロント大学って優秀な大学ですよね。
ほりべ そうですね。なぜ入れたのかよく分からないんですけど……。美術史とフランス文学っていう、全然仕事につながらない専攻でしたが。
林 その時点で日本語と英語が喋れて、トロント大学でフランス語も学んで。
ほりべ その頃はフランス語もしゃべれました。今はドイツ語になって、フランス語は忘れましたが。
林 トロントってフランス語圏?
ほりべ 英語圏なんです。
林 英語圏でフランス語を勉強。
ほりべ あんまり意味がなかったです(笑)。
カナダに住んでいたと言うと「自然すごかったでしょ」って言われるんですけど、広くて車がないとどこにも行けないので、トロントだけで過ごしていました。
ナイアガラの滝も近い
林 トロントは大都会ですもんね。
ほりべ そうですね、カナダの首都ではないですが、第一の都市です。
カナダにも雪国マウントがある
林 トロント、すごい寒そうですね。
ほりべ 寒いです。乾燥しているのもあって、夜はマイナス15とか20度、日中でもマイナス5~10度とか、結構雪が降って寒かったですね。でももっと西の方から来てる人が「こんなもんじゃないよ、地元はマイナス30度ぐらいだ」とか言ってて。
林 雪国マウントはどこの国でもあるんですね。その頃ご両親はどこにいたんですか?
ほりべ カンボジアです。
林 パリからカンボジアに行ってる。
ほりべ トロントからカンボジアの両親に電話すると「今日すごい暑かったら冷房ガンガンつけたよ」って言ってたりして、私は「こっちはマイナス30度だよ」って。
岡田 すごい。
卒業したが、リーマンショックで仕事がない
ほりべ トロントで4年間学んで、卒業したのが2008年のリーマンショックだったんで全然仕事が見つからず。「どうしよう」と思って一旦日本に帰りました。
林 日本で一人暮らし?
ほりべ はい、世田谷の千歳烏山(ちとせからすやま)に住みましたが、日本でも仕事が全く見つからず。英語と日本語だけは書けるから、未経験だけど翻訳しますと言ってフリーランスで翻訳を始めました。渋谷で英語の塾の先生もやりました。
岡田 渋谷と千歳烏山。ソ連やサウジから、急に身近になりましたね。
ほりべ でも、東京はおしゃれすぎてあまり合わず……。「フリーの翻訳と塾の講師で一生やっていくのかな」って不安もあって、そのころ、両親がカンボジアからドイツのベルリンに移ったので、「ちょっとベルリン遊びに行きます」って1カ月休暇を取ったんですが、そのままベルリンに居着きました。日本は1年で離れました。
「大学に行き直せる」とも思って。ドイツの公立大学は、EU民でなくても無料なので、ベルリンでドイツ語を勉強し、美大に入りました。トロントの大学で美術史を専攻したけれど、仕事に繋がらなかったのに、また就職に不利そうな美大に……。
林 なぜ美大に?
ほりべ 漫画を描きたいという夢がずっとあったんで、ここなら無料で夢が叶うんじゃないかと思って。ドイツの美大で漫画が描けるようになるかって言ったら全く描けるようにはならないんですけど(笑)
ヴァイセンゼー・アカデミーという旧東ベルリンの国立美大です。旧西ドイツのほうにも美大があって、もうちょっと大きいんですが、うちは学校全員で800人ぐらいしかいなくて。1クラス本当18人ぐらい。私には合ってました。
林 ヴァイセンゼー・アカデミーって、バウハウスの人が作ったんですね! いちいちすごい歴史が出てくる。
(※編注:バウハウスは1919年に設立されたドイツ国立総合造形学校。装飾を排したシンプルなモダンデザインの基礎を築き、現代デザインに多大な影響を与えたが、ナチスの弾圧により1933年に閉鎖された)
岡田 「漫画を描きたい」という夢は、日本の漫画を読んでいたからですか?
ほりべ はい、日本語の漫画も子供の頃はたくさん読んでいましたし、アメリカに行ってからアメリカの漫画も読むようになって。「カルビンとホッブス」とかアメリカのアニメとか、いろいろと影響を受けていると思います。
林 ほりべさんの画風が日本っぽくないなと思っていました。日本でこういう絵描く作家さんは他にいないなって。すごくちょうどいい。
ほりべ ドイツだと「日本ぽい」って言われることもありますね。
岡田 へえー、面白い。オリジナルな画風ですね。
美大を卒業、「もう一生描きたくない」
林 大学ではどんなことを学んだんですか?
ほりべ ビジュアルコミュニケーション科でしたが、私はイラストをやりつつ、ドイツ語で漫画も描いていました。ただ卒業制作は急いでたんで、英語で書いて出しました。
林 急ぐと英語なんだ!
ほりべ ドイツ語を書くのはすごく難しくて。しゃべれても、正しい文章を書くのはちょっと難しい。ドイツ語で書いてたら卒業間に合わないなと思って。
林 一番得意な言語は英語なんですか?
ほりべ そうですね。そして日本語が怪しい。
林 怪しくはないですよ!
就職して1年半で突然クビ
岡田 大学を卒業して、就職したんですね。
ほりべ 2019年に卒業したんですが、「もう一生絵を描きたくない」と思って。描く気力もなくなって、普通に就職しました。
美大の卒業制作の担当教授が途中で退職してしまい、引き継いでくれる教授がいなくて。別の人に制作を見てもらったんですけど全然合わなくて。「もう嫌だ!」って。
学費は無料でしたが生活費のためにバイトをしていて、卒業したころには33ぐらいで、「そろそろ普通の給料欲しいな」と。
イラストだけでフリーランスだとキツそうだから企業に就職しようと。ドイツの会社に英日翻訳者として就職して、1年半後にまたクビになりましたけど(笑)。
岡田 笑えない。ほりべさん、めっちゃ笑ってるけど。
ほりべ 就職した会社の翻訳チームは10数カ国語のメンバーがいたんですが、ノルウェー語、オランダ語、日本語、イタリア語とかの翻訳者だらけのチーム。すごく楽しい職場だったんで、これでやっと安定した、安定したなと思ったらクビになりました。
で、またフリーランスに戻りました。
ベルリンでスーツを着ていると浮く
林 大学以降はずっとベルリン。ベルリンは住みやすいですか?
ほりべ 私は好きです。みんな他人に興味を持たないから、気を使わなくてラクで。何を着ていても誰も気にしない。
林 ドイツってみんなスポーツウェアみたいなシャカシャカしたの着てるイメージ。
ほりべ そうですね。靴はスニーカーで。特にベルリンはそうです。南の方のミュンヘンはもうちょっとキリッとしてるのかもしれない。ベルリンでスーツはすごい浮いちゃう。
今回、東京に来る時「どうしよう……アウトドア用のジャケットしかない……何も着て行くものがない」って悩みました。国ごとのコーデセットが欲しいですね。「東京用」「パリ用」とか。
岡田 分かります……私、甲子園(兵庫県)出身なんですが、甲子園とか、隣の尼崎って、ジャージとかで全然外出られる雰囲気で。東京がおしゃれすぎてツライです。
林 アメリカやカナダもそんな感じかも? みんな勝手に生きてる。ベルリンもそうなんですね。
ほりべ ベルリンはドイツ国内でもちょっと例外的なステータスがある気がします。ミュンヘンだとパリッとしたスーツ着てる人がいたり、もっとちゃんとしています。
ミュンヘンは一度しか行ったことがありませんが、オクトーバーフェストで大きいビール飲んで、白いソーセージ食べ、みんながちゃんとした服着てる街というイメージです。偏見ですけれど……ベルリンは、他の街にフィットしない人が集まる場所、みたいな。
林 「ベルリンうわの空」(著:香山 哲)という漫画もそういう感じでした。ベルリンは過ごしやすいって。
ほりべ ベルリンの壁が崩壊した90年代直後は、東側のアパートがタダみたいに安かったりしたから、アーティストがわんさかわんさか来て、そういう雰囲気を作り上げたみたいで。
いまは物価も上がったし、IT系の会社がたくさん入ってきて、海外の人も来るようになり、お金がかかる街になってきた。いま、アーティストにとってそんな魅力的な街かというとそうでもないかもしれません。
ただ、ドイツの他の街と比べても、ベルリンは例外って言われますね。
岡田 首都でも例外。強い文化を持ってるってことですよね。
ほりべ そうですね、首都なのに首都らしくない。首都なのに日本まで直行便が無い。フランクフルトやミュンヘンは直行便があるのに。
南ドイツの人はちゃんと掃除する
林 同じドイツでも、南北で文化が違うんですね。
ほりべ 違いますね。東と西は統一後も全然違いが残っていますし、南北だと、南の人はすごきいっちりしていて、掃除をちゃんとやったりとか。
噂によると南の人は、自分の住んでる建物をなんか掃除する当番が回ってくるとか。でもベルリンじゃそういうことを全く聞かないし、みんなぐっちゃぐちゃ。好きなように廊下に物を置いたりしてます。私もそういうところが合っていて、好きなように暮らせるのがいいですね。
ベルリンでは寒中水泳が人気
林 ほりべさんの記事を見てると、ドイツの人は自然派が多いですよね。ジョギングしたり自転車に乗ったり。
ほりべ そうですね。寒中水泳をしたり。夫は今年もやって、ベルリン近くの湖に行ったら100人いたって言っていました。
林 ドイツの人、体が丈夫ですよね……。自転車で何十キロも走ってますよね。
ほりべ 普通に走りますね。平日に30キロとか。自転車旅行がみんな好きですね。ベルリン周辺は土地がすごく平らなんで、ギアとかなくても走りやすくて。ごくごく普通の自転車で長距離走ります。
林 千歳烏山から渋谷とか、10キロぐらいだと自転車通勤圏内?
ほりべ 全然大丈夫です。6キロぐらいだと楽で、10キロでも通勤している人は結構いますね。
林 傘も差さずに歩くし。
ほりべ そうですね。雨を気にしない人はまったく気にしません。雨対策にフードのあるレインウェアを着る人もいますが。カナダの人も傘をささなかったかも。
林 あんなに傘を差すのはアジア人だけなのかな。
ほりべ 手がふさがるしおっくうというのは分かります。置き忘れちゃうこともあるし。
林 ドイツのアウトドア趣味はすごいですよね。あと、ドイツの人は体が大きいイメージ。
ほりべ 北ドイツの人は大きいですね。スカンジナビアとかオランダの近くの人は、体格が大きい気がします。
私の夫が北ドイツのブレーメン出身ですが、186cmだけれど、学校で背の順だと真ん中だったと。2m10cmの友達がいたりします。南ドイツだと、小柄なイタリアも近くなってくるので、また違うかな。
ナポリタンをイタリア人に食べさせた記事は軽くトラウマ
ほりべ そういえば、今回の帰国で回転寿司に行ったら、「クリスマススペシャル」としてお寿司の上にソーセージが乗ってたんです。ドイツ人に見せたらすごいびっくりするだろうなって。寿司とソーセージって、ドイツ人には想像がつかない。
岡田 日本文化と海外の文物の融合で言えば、「ナポリタンをイタリア人に食べてもらったら、おかわりまでしてもらえた」という記事、すごかったです。
ナポリタンは日本発の洋食で、イタリア人は「パスタとケチャップを合わせるなんてあり得ない」と言っているのに、そのイタリア人、しかも現地で料理人をしている方にナポリタンを食べさせるという!
ほりべ あれは……今でも写真を見ると気まずさが蘇ってぞくぞくします。「ああああっ!!!」って。トラウマみたいな。
林 すごく頑張ってくれた記事ですね。
ほりべ 頑張りました。私の人生の中でも多分、結構私の中でも上位に入るイベントでした。「やりたいけども、やったら殺されそうだな」と思っていた企画ですが、イタリアの友達に協力をあおいだら「いいよ」って言ってくれて、決行しました。
友人は、「イタリアのシチリア島から両親が来る時にやろうよ」と。しかもお母さんは料理人。
ほりべ でも、みんな「すごく美味しい」って言ってくれて、シチリア島に帰ってナポリタンを家族に振る舞ってくれたらしいです。
林・岡田 おおー!
ほりべ 私はなんてことをしてしまったんだ! って思いました。シチリア島に住む友人の甥っ子は「おばあちゃんはベルリンに行って変になっちゃった」って言ってたみたい。
岡田 お子さんのほうがかえって保守的だったりしますよね。
デイリーポータルZのようなメディアは海外にない
岡田 ほりべさんは「デイリーポータルZ新人賞 2020」に応募した「和牛のナオコ」の記事が受賞して、ライターになったんですよね。
ほりべ はい。デイリーは19歳の時からずっと読んでまして。2005年ぐらいかな。どこでどう辿り着いたのか覚えてないんですけど、当時、衝撃だったんでしょうね。こういうサイトがあるんだ、こういう生き方があるんだって。いつか書きたいなと思ってました。
岡田 すごく色んな国で、色んな生き方を見た上でも、デイリーは「衝撃」だったんですね。
ほりべ デイリーポータルZのようなカルチャーは、他の国にあまりないです。どういうものかは説明しにくいですが……。
ドイツ人に「どういう媒体に書いているの?」って聞かれたら、「エンターテインメントだけど、普通のエンターテインメントではなくて、どうでもいいと思われることをすごい真剣にやるサイト」って説明しました。言葉では説明しにくいけれど、見せるとすごい受けます。
乙幡啓子さんの「“ハト”ヒールでハトと仲良くなりたい」(「ハイヒールをハトみたいにして、ハトの群れで人気者になってみたい」という企画。世界で話題になった)なんかを見せて説明すると、「こんなサイトがあるのか!」ってみんな感激しますね。海外でもすごくバズっていましたし。
岡田 デイリーはグローバルでオンリーワンなんですね。
林 私がオーストリアのメディアアートの祭典「アルスエレクトロニカ」に行った時は、「どういうコンセプトでやってるのか?」ってすごい聞かれました。「ジャスト・フォー・ファン」とか言うと、みんなすごいがっかりしてた。
アメリカではめちゃめちゃ「そうだよね!ジャストフォーファン!」みたいな感じなんですけど、ヨーロッパではこういうのダメなんだなと思って。
ほりべ 深い意味があるに違いないって思われるんですね。
「ドイツに住んでる人が記事を読んだらどうしよう」という恐怖
岡田 ほりべさんはドイツに住んでいるけれど、デイリーでは“日本人にとって珍しいドイツのこと”を書いてくれますよね。ドイツで日本人目線になって書くのは難しくないですか?
ほりべ 難しいです。ドイツ生活に慣れちゃうと、何でもなんか普通になってしまって…。「何が新鮮なんだろう」って。住み始めた頃だったら多分、目に付くものが「あれもこれも面白い」と思えたと思うんですが。
最近は「ドイツに住んでる人が読んでたらどうしよう」っていう恐怖があります。「なんでそんな当たり前のことを書いているの?」って思われたら……と。
先日、ハンブルグの川底トンネルの話を書いたんですが、結構メジャーな観光地だと思うので、ハンブルグに住んでいる人が見たら「当たり前でしょ」って思われてしまうんではないかなと。
岡田 いえ、まったく知りませんでした。面白かったです!
林 そういうのを集めたいんですよ。現地では普通かもしれないけれど、日本からは珍しいもの。
いろんな国で、現地の“当たり前”の写真をもらいたい。「クリスマスやお正月に食べているものとかでいい。海外の普通って、日本の僕らからしたら意外だから何でも知りたいです。
ほりべ 普通のことを書くと「ドイツの人が見たら、そんな当たり前のことを今更」って思われる心配があったので、最近はあえて国外の記事を書いていたんです。スペインとかスロバキアとか。
林 確かにここのところ、ドイツの周辺の国の記事が多いなあと思っていました。国外まで意外に近いこととか。陸続きだし、東京から広島に行くぐらいの感じですよね。
ほりべ 近いですね。ベルリンからスロバキアの首都のブラチスラバまで、夜行列車で10時間ぐらいでした。普通の特急だったら8時間ぐらいかな。そういう旅行でネタを集めてどうにか凌いでたんですけど。
林 いや、ドイツの普通のことでいいですよ。
例えば、ドイツのめちゃくちゃ有名なスーパーで、何がいくらで売ってるかとか、プライベートブランドはあるのか? とか、そんなのも知りたいです。
東京でネタを探そうとすると、変なものを持ってこなきゃいけないんですけど、海外の普通の物って、日本から見たら普通じゃないから。
岡田 「そんなの今更」ってご自身は思われるかもしれないですけど、今更はいっさいない、と思っていただいて。
ほりべ ドイツの日常の話でいいんですね。気が楽になりました。

