ウクライナ侵攻

核放棄、ウクライナの悔恨(その2止) 利害一致、米露が圧力

3カ国声明の署名を祝う、手前左からクリントン米大統領、エリツィン露大統領、クラフチュク・ウクライナ大統領(肩書は当時)=モスクワで1994年1月14日、ロイター
3カ国声明の署名を祝う、手前左からクリントン米大統領、エリツィン露大統領、クラフチュク・ウクライナ大統領(肩書は当時)=モスクワで1994年1月14日、ロイター

 

ブダペスト覚書30年 ウクライナ安全保証なく

 ウクライナにとって痛恨の歴史となった1994年の「ブダペスト覚書」の背景には、ロシア、米国からの圧力があった。

 「ウクライナの核兵器は米国の都市を標的としていました。それを取り除こうとするのは、当然のことでした」。米クリントン政権(93~2001年)の高官としてウクライナの軍縮交渉を担当したスティーブン・パイファー氏(71)は、取材にこう振り返った。駐ウクライナ大使も務めたキーマンだ。

 当時、ウクライナに残されたソ連時代からの核兵器の削減を巡り、核弾頭の自国への移転を要求するロシアと、国内での当面の保持を訴えるウクライナの交渉は難航していた。

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