ウクライナに核放棄を迫った米露 引導渡した米大統領の直談判とは
ウクライナにとって痛恨の歴史となった1994年の「ブダペスト覚書」の背景には、ロシア、米国からの圧力があった。
「ブダペスト覚書」の真相に迫ります
核を手放しても得られなかった「安全の保証」
ウクライナに核放棄を迫った米露
シェワルナゼ氏の警告、クリントン氏の回想
核軍縮の阻害要因
「ウクライナの核兵器は米国の都市を標的としていました。それを取り除こうとするのは、当然のことでした」。米クリントン政権(93~2001年)の高官としてウクライナの軍縮交渉を担当したスティーブン・パイファー氏(71)は、取材にこう振り返った。駐ウクライナ大使も務めたキーマンだ。
当時、ウクライナに残されたソ連時代からの核兵器の削減を巡り、核弾頭の自国への移転を要求するロシアと、国内での当面の保持を訴えるウクライナの交渉は難航していた。
核兵器を削減する戦略兵器削減条約(START1)を進める米国にとっては、ウクライナの姿勢は核軍縮の阻害要因だった。こうして、米国はウクライナの核軍縮への介入を深めていった。
「無償では放棄しない」
93年7月の主要7カ国(G7)の東京サミット――。この機会に、当時のクリントン米大統領はエリツィン露大統領に協力を申し出た。米露はウクライナの核兵器撤去に関して利害が一致していたからだ。
ロシアは、この頃からウクライナへの圧力を強めた。ウクライナのクラフチュク大統領は核兵器の当面保持を主張してきた自国の核軍縮交渉団長、ユーリー・コステンコ議員を93年秋に突如、解任した。
ウクライナ議会は核の完全放棄に抵抗し続けた。議会は93年11月、START1を批准する決議を賛成多数で可決した。ウクライナ国内の176基の戦略ミサイルの36%、核弾頭の42%を廃棄する一方、残りは「条件」が整い次第、段階的に廃棄するという内容だった。
当時、議会外交委員会に所属する議員だったドミトロ・パブリチコ氏は「主たる条件は核廃…
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