ある奴は俺の事をある事だけ
は上手いとの旨を誹謗中傷文
章の中で公表している。
だが、事実は多少異なる。そ
いつのほうがずっと俺などよ
りそのいわゆる古典技法(マル
共連用語)は上手かった。私
のように不まとまりではなく
同じ字がそいつは書けていた。
俺の字などは御覧の通りまと
まりが無い。デカ字のセクト
名や題字はともかく。
だが、ムスケルに関してはか
なり79年4月から私自身はや
ったほうだ。
セクトの戦線ではない大衆部
分のビラ作製で他党派(親密派)
の奴がセクトのアジトに来た
時に、他の者が手一杯で、謄
写版での一人刷り(スット)を
やった。その人は驚いていた。
一人で高速でパタンパタン刷
る。
で、見ていたそいつも活動家
なので手伝った。速度は超速
になって二人で笑いが出た。
自分たちで刷りながら輪転機
かよ、みたいに。
カットは出始めのボールペン
原紙ではなく鉄筆でカリカリ
が主軸だった。
学内外ビラの類、各派党派ビラ、
機関紙、機関誌、他もろもろ
等の歴史的事物(本当の歴史的
な物品まで)は大量に私が今も
保管している。飯田橋、池袋
無き後から。1960年代の各大
学のビラの現物や自派の染め
抜き党派旗から1970's現物メ
ット多数まである。なぜある
かというと、うちがある大学
の学部自治会や複数の大学の
学生会等々を押さえていたか
らだ。各大学のフロントサー
クルとは別に。
それゆえ複数の大学の古い史
料現物まで残っている。
これはもう一つの歴史遺産の
ようなものだが、これらは死
蔵死滅させる。私が歴史上最
後のM戦派として。近親だっ
たフランクフルト派もH旗M
上氏派もうちより早くに消滅
したが、残存物は無いだろう。
1979年東京サミットの行動当
日は珍しく関西を主軸とする
B_ _DのH派や関西派との共同
行動だった。某大学では対立
関係だったが政治行動では共
にその日は共同戦線を組んだ。
労学で雌雄の相互関係は微妙、
ずれがあったが現場共闘主義
はB_ _D系の得意版か。
革マルや中核からは批判され
るのがそうした現場主義だっ
たのも確か。
79.6.27の都内のその夜は全員
メットだ。しかも大衆組織名
ではなく完全にセクト学戦の
名称記載のメット。メットの
後部には上のビラと同じ書体
同じ文字が書かれている。前
はでかく○○戦線。縦長ゲバ
字にするのが東大安田の安保
共闘時代からの党派の伝統だ
った。
都内某公園では、機動隊が投
石未然防止のために小石まで
も部隊で拾っていた。
行動当日の都内は途中から大
雨になった。
インターナショナルの歌詞が
東京と関西で異なる事はその
時初めて知った。関西では
サビの部分で「嗚呼」をつけ
ずに原語と同じ歌詞で歌う。
東京版には感嘆詞のイロがつ
いていた(笑
別な日の闘争(都内)。この日
はセクト名称ではなく大衆組
織名称記載のメット。
この日、今俺を誹謗中傷する
事を趣味としている奴はノー
ヘル鉢巻部隊にいた。かつて
は同志であり盟友で、その後
も付き合いが何十年とあった
が、今は「正気」を失ってい
る模様(苦笑
だが1980年代から3度裏切っ
た事実は消えない。逃げて自
分のみ正当化するのはほとほ
とよしといたほうがいい。
今それをひた隠しに隠して俺
を誹謗中傷することで自分の
立ち位置をPRする事に執拗な
程に必死だが、見てると全く
本人と関係ない事柄まで俺が
言った自分の事かとこじつけ
て誹謗中傷している。なんざ
ましょ。
冷静に考えてみるといい。仮
に百歩譲って俺が件の君の言
う通りの人間だったとして、
それと蜜月時代があったのは
何だったのだろう(笑
そんなホゲタラと盟友で無二
の「親友」だった自分は何?(笑
また、俺の妻の身長まであげ
つらって揶揄中傷するに至っ
ては、もはや常軌を逸してい
るし、読んでいる人で理知的
で冷静な人はどう思うか。
俺が85年に描いた似顔絵をと
ても気に入って2020年以降ま
でも自分のアイコンとして使
っていた事実は消えない。昔
には名刺にまでその似顔絵を
プリントしていた。
今俺を貶めようとして躍起の
ようだが、その蜜月時代の自
分の態度はなんだったのか、
とか疑問に思う人も読者の中
にはいると思うよぉ。その総
括は?と。今の姿勢へよりも
その頃の自分に対する総括は?
と。
なんで離婚後に相手を悪人に
したい離婚争議のような事を
するのかよくわからん。不義
理をしたので詰問したらバッ
クレ逃げておいて。そしたら
こちらを悪者にしようとして
んの(笑
厳密には5度目だよな(笑
セクト、ライハイ、濱田事件
でのバックレ、ライハイ(自分
はラスト4年間はやめてたくせ
に)からの排外主義的排除策動
(元弁護士夫人までも)、そして
今回の昨年12/19からの執拗な
誹謗中傷ネット拡散行動。
件の君を知る古い人たちは心
配している。どこでどうして
どうしたの?と。
人並み以上の功績を残したの
は事実で誰もが認めていたが
(途中で活動放棄したので、最
初の1983年から1985年あたり
まで。1989年までのおよそ4年
間は不在)、これまで幾度かき
つい場面から逃げている。周
囲はそれでも鷹揚にしてつき
あっていたのだが、今は逃げ
を打った後処理として俺の事
もさしたる関係でも無かった
し、取るに足らない嘘つき呼
ばわりするのはさすがに、自
分を落とすと思うよ。百歩譲
って俺がその通りだったとし
ても。違うけど。
こちらが学生運動さえまとも
にやった事がないようにした
がるというのは、何か自分の
ほうに負い目でもあるのだろ
うか。全くネラーと同じ手法
だ。
人を貶めるにももっと巧いや
り口があろうに、そんなに稚
拙な奴ではなかったのにと愚
策連発に多少驚いている。
本来は今のように拙劣な奴で
はない。
ただ、馬鹿を装う利口者さん
には世の中時たまいるのでど
なたさんもそれだけはご注意
なのだが。
本来は狡猾さとも無縁のピュ
アマンだったが、何か心根に
ダークな部分が宿ったか。
ガッチリタッグの盟友時代さ
えもあたかも不在であったか
のように捏造するのは、それ
は非常に遺憾。事実とは反す
るから。
それはH旗の三上さんと神津
さんの一時的な確執とは比較
にならない程の低劣な内実だ。
男女の仲でもそうだろうが、
「大好きだったんだよ。互い
に。でも俺が嫌いになっちゃ
ったから別れたんだよ~ん」
「ごめ~ん。おれビビったか
ら逃げたわ」で説明は済むの
に、自分が好きだった事さえ
も隠したり否定したりするの
は、本当に見苦しい。
そして相手を悪く言う。離婚
案件の事案の時などは非常に
その事例が多いが。
そして悪意の遺棄は、男女だ
けでなく、同性同士だろうと
ジェンダーだろうと、遺棄し
たほうに過失がある。まして
人間、信義を踏みにじる事は
してはいけない。
と、俺自身は思うよ。
昔、某大学のI.Cという奴が
件の君の事を言う。
「あいつは絶対に裏切って
放り投げる奴だから」と。
こちらは同じセクトの同志
を擁護する以前に友人とし
て「そんなことはないよ。
疲れたからちょいと休みたい
だけの時もあるさ。そう悪く
言うなよ」と私は言った。
I.Cは看板持ちではないノンセ
クトの奴だったが、承服しか
ねる、みたいな反応だった。
その後の結構な数の合同首都
圏デモ指揮の時にもI.Cとはち
ょい揉めたが、そこには某君
はいない。
だが、実体はI.Cが言った通り
のような事を1度して2度した
ので「なんだかねぇ」とは思
っていたが、3度目とその追撃
があったとは(笑
厳密には現在5度目がせっせ
と進行中(笑
「読まずに捨てた」とか嘘こ
いてんなよ。すげ~すげ~と
感嘆しまくってたじゃねぇか(笑
戦線キャップのM君の前で。
「こういう視点は俺には無か
った。為になる」とか言って
目を輝かせてさ。しかも読ん
だ後日に、中味まで「この部
分が」とか指摘してさ。全学
連運動の体制内運動的限界性
と全共闘の可能性と失敗、そ
れ以降のパル含めての模索、
というやつだ。岩田帝国主義
論からの思潮の流れでの。い
わゆるA派の理論。セクトナン
バーシックス以降の。
んだからそこのとこでも嘘は
書くなって。書き方もつじつ
まおかしくて拙劣だし。
逆にそんな事書くと、仮に俺
の書いた物とか当時の冊子が
クソだったとしても、そう書
く貴方は何なの?「読まずに
捨てたわ、ワッハッハ」みた
なのは、と冷静に読んでいる
理知的な人は見ると思うよ。
もっと巧みに書きなよ。
自分で自分の首絞めてどうす
んのさ。
瓶投げゲバラッチ作戦空港施
設破壊活動まで一緒にやって
て、俺はやってたがあいつは
ろくに運動もやった事無いの
では、みてぇなそれもねぇだ
ろうよ(笑
あの夜とあの夜とあの夜の現
地での貴君の行動もすべて俺
が公開してもいいのかい?み
たいな(笑
伏せるのもぼかすのもいいが
捏造はよくない。自分も俺と
現場にいたくせに。白兵戦の
作戦時にはいつもいなかった
ようだが。あれも志願から逃
げたのかどうかは知らないが。
確かに渋谷暴動の時の白と同
じ覚悟は要った作戦だらけだ
ったが。
殺人だけ無くて、暴行、傷害、
建造物侵入、拉致監禁、ユン
ボ放火、建造物放火、瓶法違
反、凶準、航空法違反、赤外
線突破しての空港施設完全破
壊等々の破壊活動の共謀共同
正犯なんだぜ、自分も。最後
のほうの作戦時にはその場に
セクトとして事実はいたのだ
から。
白がうちらの真似してその後
現地で放火殺人やらかしたが、
あれはうちらとは関係ない。
だが、捏造や無想を吹聴した
くとも、任務を帯びてそれを
件の君が自分自身も遂行して
たのだから。
わかってんのかなぁ。
まあ俺の事を運動も何もして
ない一般学生みたいにしたい、
あいつは嘘つきだみたいにし
たいのはいいけどさ。ねらー
と同じ口調で。
でも、真実は自分も同じ事し
てただろうに。セクトとして、
現場で。共謀共同正犯なのよ。
もう時効だが、事実は事実。
伏せるのはよいが、嘘はいけ
ない。しかも人様を嘘つき呼
ばわりのように吹聴するのは。
現闘の件にしても、M1君が
収監されM2君も続けて入り、
H君が現闘から学戦強化で戻
るので俺が現闘になったが、
E君が後に入れ替わった。俺
の時代は新たにできるN団結
小屋以前の時代だ。B_ _Dの
P派の砦のような団結小屋時
代。第一次と第二次で。
最初はO君とO2君以降もH君
とM2君の二人の常駐体制だっ
たが個別捕縛で歯抜けになっ
たので補充でセクト選抜の各
人が現闘になった。俺の時は
一人だよ(笑
E君の時も一人。E君はNでの
常駐がメインとなった。
俺の時のP派の共同生活して
た現闘の奴はイケメンだった
が、後年思わぬ都内某所で出
会った。「あら~、あんたも?」
みたいに。
そりゃうちらの後ろに連結だ
ったから、デモ指揮はそうな
るわな、と。彼のほうが先に
出た。俺はフルタンだった。
シルバーグレーのハイオク満
タン(笑
毎日の援農時、俺はアイヤの
おばちゃんにはえらく気に入
られた。
てな事も、セクトでない人間
は知らないだろう。
風車の縞々塗ったのは俺だ。
日向と四トロの奴と。四トロ
のあんちゃん、作業中にふざ
けてバレーボールが一杯に入
ったネットをバットでスイン
グヒットして、軽く当てたつ
もりがボーンと弾けて飛び散
って大慌てしてた。
そういうのも現場で実作業し
た奴らにしかわからない。
風車は建ったが水出ねえじゃ
ん、とかも。
僅かの事実と大いなる想像を
織り交ぜながら創作して話を
ある方向に持って行こうとし
ているのは判るが、功績ある
人ならばそういう事などせず
にも認められるでしょうに。
言葉や書きぶりだけ丁寧で馬
鹿を装いつつ、実は目的は誹
謗中傷の一点というのは、ど
んなに筆力優秀でも馬脚を現
すから、よしといたほうがい
いよ。
てか、こんなに下手だったっけ?
工作活動。
ライハイの文責にしても、途中
から誰かさんがポイ抜けしたか
ら皆でまとめる事になった。
ところが人柄はよいけどF坊主
という困った人がいて、以前に
もやらかしてたが、いろんな
人の文章をどんどん改竄して
書き直してしまう。これは駄
目だという事で、会議で俺が
全部最終的に目を通せとの事に
なった。ポイ逃げした人がいな
くなってからね。
むしろ二代目事務局長(二代目
です)は、他の人には書かせな
くて全部自分一人でやっていて、
分担しないと潰れるからと周囲
が言っても聞かない。
そして、ある節、全部自分の手
柄だ、みたいな空気を出してい
た。それ違うから。実質はみ
んなで決めてみんなで動かし
ていたのだから。
そして、私自身は補佐ではな
いが二大巨頭のような感じで
連絡会の中では位置づいてい
た。それとUという奴とTとい
う奴が積極的に自主的に活動
し、三代目にはSという人が
就任して最後の最後までその
体制で活動をやり抜いた。
誰もポイ投げポイ捨てはもう
しなかった。
かなり苦しい局面も多かった
が、最後までやり切った。
会の解散の説明集会には盟友
Uと2台で山中湖まで走った。
奴とは奴が死ぬまでのつきあ
いだった。連絡ねぇな、して
みようかなというところでの
訃報だった。死ぬ直前までち
ょこちょこ俺は奴の事も日記
に書いていた。件の君などは
いないよ。途中から抜けて最
終段階では「関係ない人」だ
ったのだから。高速料金運動
は。これは事実だから動かせ
ない。どんなに虚飾を装おう
としても。最初はそれはもう
粉骨砕身本気でやってた。
でも、途中で中折れ離脱。
これは歴史の事実だ。
だが、俺やバイク乗りの後輩
たちは受け容れてつき合って
いた。
「あんな奴ほっとけよ」と、
口悪い奴が言っていたが、まぁ
まぁ、と。
一番ブチ切れたのは、脱退後
に従前の自分の活動(確かに功
績は大きい)をネタに就活でそ
れを「自分はこんなにやりま
した」みたいな事で触れ回った
事だ。切れたのは俺じゃない。
古い連絡会の重鎮がブチ切れ
まくっていた。売名行為でう
ちらの運動を利用するのか、と。
俺とUは例によって、まぁまぁ
となだめていた。いなくなっ
た事にも立腹していたのだろ
う。
結局、件の君は就活でいくつ
かの職を得たが、最終的には
某有名編集者の人が私への就
職先としていくつか持って来
てくれた話のうちの一つに某
件の君は「今の○○への話、
私にくれれませんか」(ママ)
と横から申し出て、編集者の
人も私に「どうする?それで
もいいのかい?」と確認して、
件の君は就職の運びとなった。
その編集者の編集部は救援連
絡センター主宰の都心部の持
ち家にあった。そこが高速道
路訴訟の連絡会の事務局でも
あったのだ。トイレ綺麗(笑
なお、連絡会の中央の役付メ
ンバーは、俺らより若い学生
以外ほぼほぼ「運動経験者」
だった。
「え~?」みたいな面白い昔
話もよく聞かせてくれた。
私よりも一世代上周辺が多か
った。
この上の画像の闘争当時は件
の君はまだうちのセクトに入
る前か。痩せていた。上はオ
リーブドラブの戦闘服のよう
なジャケットを着て赤い鉢巻
を締めていた。メット部隊と
は別部隊。
その本人が写っている写真も
持っているが非公開。事実は
知る者だけが知ればいい。
そういうのを出さないからと
捏造だとか創作だとかする事
自体が捏造で創作だ。
だが、捏造や想像で誹謗中傷
はだ。いただけない。
ただ、当時1970年代としては、
組織から日和って脱落して逃
げた人間が組織の事や残存人
員の事を捏造であるとして誹
謗中傷する事は事象としては
見られなかった。理論的な批
判や路線の批判的継承とかは
あっても。
活動家の事をあたかも何もし
た事が無いド素人のように中
傷する事などはまず無い。自
分自身が活動家であったなら
ば。そこだけは看板持ちは一
線を引く。
当時の人たちは恥を知ってい
たのだろう。捏造での揶揄中
傷はまるで某派のような卑劣
な事であると。
人の世には一つの事象事実が
ある。
それは故なく捏造だと非難す
る者ほど、実は捏造好きで作
為的である事だ。戦争などの
時にこれが如実に表れる。
その真実と内実は、冷静に主
張や言質を俯瞰すればよく見
える。
その言質は何を目的にしてい
るのかもよく見える。
その目的たるや人としての信
義に悖る事に戻づく事が世の
中多い。
いなくなってから残された人
たちが大変だったのは、いな
くなった人間は知らないし興
味ないだろう。
だが、悪意の遺棄による離婚
と同じで、残された者たちは
きつい思いをして生きて来た。
まして組織や団体や企業など
で同様の件があれば尚更だろ
う。一番ひどい例は家族遺棄
であろう。
残された人たちは辛苦を舐め
る。
だが、それさえも踏みにじる
行為はもう心が救われない。
いくら婚姻時代の事をあいつ
はこんな駄目だった奴だとか
後から言い連ねても、それは
どうなのかというパターンね。
まして、事実と異なる事を軸
にして想像で創造設えで為す
というのは論外だろう。
世の中の離婚案件にも多いけ
ど、よくないと思うよ、そう
いうはけ口見つけみたいなの
は。
でもさ、自分のやった行状は
棚上げで「どういう事?」と
問い質されたらダンマリでば
っくれとかする奴って、世の
中結構いるよね。
ただ、その後、沈黙を守って
る奴はまだそれなりに漢気あ
るけど(いろいろな思いも必ず
やあるのだろう)、後ろ足で砂
掛けジジイやババアはいけね
えよ。元々は自分がしでかし
た事から始まってるんだから。
何がどうなのか、どうしてそ
うなのか、話し合う事から逃
げ続けて、砂掛けババアはよ
くないってば。
そういうのかな~り多いけど。
見てる人は「始まった。相変
わらずだね」とかそういうパ
ターン陳列の時には言ってっ
けどさぁ。私自身が関係ない
とこでもかなりそうした事例
は多いようで。
俺も見知って「ふ~ん。こう
いう事するんだ」てなもんだが、
あまりにも一線越えたらやはり
ダメでしょ。
人の妻の身長をネタに揶揄中傷
したりとか。
それ、まじであかんやつ。